Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
残り一か月を切ったので……
この一節を!
Uブックスの近刊『ユニヴァーサル野球協会』を読んでいます。現実と妄想との境界がだんだん曖昧になるところが面白いですが、途中、こんな一節が非常に興味深かったのでご紹介します。
戦争はどの世代の人間にとっても不可欠なものらしい。民族魂を強化する一大野外劇なのだ。コラムニストが宇宙での無血戦争を強く提唱している。それには同感だが、絶対に実現できはしまい。単なる机上の論理にすぎないからだ。人々が必要としているのは戦傷者名簿であり、略奪したりされたりする占領地の広さ、戦略および報復機能を持つ仕切られた舞台セット、断ち切られたり修復されたりする物資供給および情報伝達ルート、軍艦の総トン数、そして次々に得点を重ねるみたいに貯えた死者、墜落した飛行機、捕虜だ。戦争には誰でも参加できるのに、宇宙戦争は少数の者だけに限られる。だから、戦争はいわば、月への欲情から大衆を解放するための売春宿みたいなものだ。(P.197)
別の本書は戦争小説ではありませんので、念のため。
成人式
ハッピーマンデー法案のせいで1月15日が成人の日でなくなってから何年になるのでしょう? あたしのように二度目の成人式もとっくに過ぎている世代には「成人の日は15日」という先入観と言いますか、抜けがたい習慣が骨の髄までしみこんでいます。さらに言えば、昨今は成人の祝いを学年ごとでやっているようですが、あたしが学生の頃は1月15日までに二十歳になっている人が成人式を行ない、1月16日以降に誕生日が来る人は翌年の成人式に回される、となっていました。同学年でも何人かは一緒に成人式を迎えられない、そんな時代でした。
とはいえ、そういうことを言っているあたしの成人式はどうだったかと言えば、大学生でした。セレモニーは、たぶん当時住んでいた杉並区の公会堂で行なわれたのではないかと思いますが行ってません。最初から行く気なんて無かったです。少し前に区役所から式典の案内はがきは届いていましたので、当日夕方だったか翌日だったか数日後だったか覚えていませんが、近所の出張所に記念品だけもらいに行った記憶があります。
大学のクラスメートは田舎へ帰っての成人式に出ると言っている人もいたようです。もちろん正月の済ませてきた、夏休みにやったという地域もあったようですが、田舎の人ほど成人式に熱心な気がしました。ニュースなどでもどちらかというと田舎の成人式の映像が流れ、都会は「荒れているところ」とか、「ディズニーランド」のような絵になるところが取り上げられ、何の面白味もない(←行ってないのであくまで想像?)杉並区の成人式には取材などあるわけはありません。もちろんテレビ局が来ないから成人式に行かなかった、というわけではありません。
そもそも、あんな不特定多数が来る式典に行っても楽しいものでしょうか? 誰かと待ち合わせをして一緒に行くというのならわかりますが、ただ一人で参加しても楽しみようがないと思うのです。ですから、大学の入学式も行ってませんし、卒業式も行ってません(大学の卒業式は、大学院進学が決まっていたので、卒業しないのに卒業式に出るのも変だなあと思っていました)。
「そんなことないでしょ? 高校時代のクラスメートと一緒に式典に行って、その後同窓会じゃないの?」というのもありがちだと思いますが、あたしにそんな友達やクラスメートがいると思いますか。こちらから連絡を取りたいと思うクラスメートもいなければ、もちろん成人式前に連絡をくれたクラスメートもいません。当然のことながら、同窓会があったのかどうかもわかりません。
ちなみに、あたしは卒業以来、同窓会というものに誘われたことが一度もありません(←小中高大すべて!)。別に自慢しているのではなく、単に事実をそのまま記述したまでです。TwitterやFacebook、ミクシィなどで昔の友達と再会(←逢ってなくても再会と言えるのか?)という話もよく聞きますが、それも皆無ですね。たぶん、あたしくらいの世代だと、そういうSNSをやっている人の割合があまり高くないのかもしれませんが、あたし自身が縁が切れたら、はいおしまい、というタイプなので、あたしを覚えている人というのがいないのでしょう。





