Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
こんな女性に逢ってみたい、か?
『夢みる人びと』収録の「夢みる人びと」から、こんな一節。
語り手の一人が自分の若い頃の恋物語を語るところです。旅の途中で出逢った女性と恋に落ちてしまった部分です。
君のような詩人たちが使う、涙、心、あこがれ、星々¥などという言葉の意味を私が理解できるようになったのも、こうしていまだに憶えていられるのも、その女のひとのおかげなのだ。そうだ、殊に星々という言葉についてはそう言えるな。ミラ、その女のひとには、星を思わせる風情があったのだよ。そのひととほかの女たちをくらべると、ごみと星空ほどのちがいなのだ。ミラ、君もたぶん、これまで生きてきたあいだに、そういうたぐいの女に出遇ったことがあるだろう。内部から光を放ち、暗闇のなかで輝き、松明のあかりのようにゆらめく女を。(P.107)
すごいべた褒めですね。こんな女性いるのでしょうか? いるならあたしも会ってみたいものです。さらにこの女性との会話を思い出して語るシーンです。
とうとうオララが言った。「いいえ、心はありますわ。でも、それはミラノの小さな白い別荘の庭に埋めてあるの。」
「永久に埋めておくの?」と、私はきいた。
「そう、永久によ。そこはどこよりも美しい場所だから。」
私は嫉妬にかられて、さらにたずねた。「そのミラノの白い別荘には、君の心を永久に引きとめておくようなものがあるというわけ?」
「さあ、わからないわ。もう今はそれほどでもないかもしれない。庭の草取りをする人もいないし、ピアノの調律をする人もいないのだから。誰か知らない人が住んでいるかもね。でも、月が昇れば、月光はあるでしょう。それに、死んだ人たちの魂もあるはず。」(P.111)
いかにも男を手玉に取る女性特有の物言いという感じがしますね。上の引用でご理解いただけると思いますが、主人公が恋した女性の名前がオララ、そしてオララとの恋物語を主人公はミラという人に語って聞かせている、という長い、長いシーンです。
こういう女性って、たぶん男性から見たら、深入りしてはいけないとわかっていながら、どんどんのめり込んでしまい、気づいたときには戻れないところまで来てしまっているのでしょうね。
エルシノーアの一夜
作品が三つ収録されているUブックスの『夢みる人びと』の一つめ、「エルシノーアの一夜」読了。
今回も『ピサへの道』に負けず劣らず、読み応えのある作品です。その中から印象深かった箇所を……
もうひとつおかしなことがある。自分たちの人生にはこれという出来ごともなかった二人が、夫や子供や孫のいる既婚の女友達のことを話すとき、あわれみと軽蔑のそぶりを見せる。あの臆病な連中は、気の毒に、退屈で平板な人生を生きているのね、という調子である。自分たちには夫も子供も恋人もいないけれど、だからといって、私たちこそロマンチックで冒険にみちた人生を選んだのだと思うさまたげにはならない。つまり、二人にとっては、可能性のみが関心をそそるのだ。現実にはなんの意味も認めない。あらゆる可能性をわが手におさめ、決して手ばなさない。一定の選択をして、限られた現実に堕落するよりも、そのほうがましなのだ。今でもなお、ことの成りゆき次第では、縄ばしごをつたって駆けおちもできるし、秘密結婚をするかもしれない。誰も止めることはできない。したがって、二人が心をゆるす親友といえば、同類の老嬢とか、不幸な結婚をした女たち、つまり可能性に生きる円卓の仲間たちなのだった。しあわせな結婚をし、現実に満足しきった女友達に対しては、可能性に生きる女たちは心やさしくも別の言語を使って話すのだ。そういう相手はいくらか低い階級に属する者たちで、言葉をかわすには通訳が必要だとでもいうように。(同書、P.43)
以上は、この物語の主人公でもある姉妹のことを述べた箇所です。若いころから美しく、社交界の中心にいた二人ですが、なぜかどちらも結婚をせずにきてしまったのです。もちろん求愛者には事欠かなかった二人ですが、ここにあるように結婚することによって未来の可能性を捨ててしまうことを潔しとせず、結婚もできるし、しないこともできる、恋人を作ることもできるし、作らないでいることもできるという自由な人生、つまり可能性にあふれた人生を選んだ結果、老境にさしかかろうという年齢になってしまったのです。
あたしはこんな高貴な考えを持っているわけではありませんが、なぜかとてもシンパシーを感じてしまいました(汗)。





