Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
靖国神社って……
総理大臣や主要閣僚が参拝するのかしないのかで毎年騒ぎになる靖国神社。あたし自身は参拝したことはありませんし、しようとも思いません。なぜなら、幸いにしてあたしの親戚には先の戦争で亡くなった者はおらず、あたしの知る限り、靖国神社に祀られている先祖などもいないからです。
ですから、個人として、自分のおじいちゃんとか夫とか、兄弟が祀られているという人なら、たぶんはっきりとした命日もわかっていないことが多いでしょうし、故郷のお墓には遺骨すら入っていない人もいるのでしょうから、終戦記念日の8月15日に靖国神社にお参りに来るという気持ちはわかります。それこそ安倍晋三や石原慎太郎が言うように、亡くなった人を弔うのは自然な感情だ、と言うこともその意味では正しいと思います。
でも、そういう気持ちでお参りに来る人が果たして「お国のために命を捧げた人の霊を慰める」ためにお参りしているのかどうか、あたしには疑問です。上に書いたような、ごくごく一般の人はあくまで自分の身近な人に逢いに来るのであって、そこには「お国のため」といった感情はほとんど入り込んでこないような気がするのです。
ところで、今回の終戦の日の式典。戦後68年ですから68回目です。果たして、いつまでやり続けるのでしょうか?
先の戦争の惨禍を忘れないためだ、というのであれば、別に毎年8月15日に靖国神社なり千鳥ヶ淵なりに行く必要性を感じません。もっと他の方法があると思います。ただ、それよりも68年もやり続けたのだから、もういいんじゃないの、という気がします。だって、親が死んだとしても、法事ってせいぜい三十三回忌で終わりでしょ。そのくらいで法要としての祭祀は終わりにしてもよいのではないかと思います。
いや、そんなことではいけない。あの戦争の悲惨さは未来永劫伝えていかなければ、という意見もあるでしょう。伝えていかなければならないということについては賛成ですが、あたしが言いたいのは、それが靖国神社へ行くことなのか、武道館などで式典を行なうことなのか、ということです。そういう意見、テレビや新聞でもほとんど聞かれないのですが、少し議論されてもよいのではないでしょうか?
あと、自民党の政治家などに見られる意見で、いつまで中国や韓国に対して謝り続ければいいんだ、というものがあります。加害者側がよくもそんなセリフを言えるなあと思いますし、あなた方のそんな言動が相手側の反発を招いているってわからないのかあ、と思います。
それはそうと、朝日新聞などでも戦争を語り継ごうといった特集をやっています。いまだに戦争の悲惨さを伝えようとしているわけで、侵略側の日本ですらそういう活動をしているというのに、侵略された側である中国や韓国を初めとしたアジアの人が、そう簡単にやられたことを忘れたり、歴史の向こうに追いやったりするものでしょうか? そのあたりの想像力が自民党の政治か連中には決定的に欠けている気がします。
もちろん中国や韓国が自分たちに都合のよい歴史を主張しているのはわかりますが、それは歴史学者の仕事であり、政治家が口を挟むことではないと個人的には思います。
暑くても海はイヤ!
もう何年も海へ行っていません。いや、何年どころか、何十年と言った方がよいかもしれません。それくらい海には行ってないです。
海そのものに行ってないということではなく、海のそばまでとか、波打ち際までは行ったことがありますが、それも何年前のことかすぐには答えられないくらい昔の話です。いわゆる海水浴として水着を着て海に入ったのは、中学のころが最後ではないかと思います。
日焼けもイヤではありますが、海ってベタベタするから嫌いなんです。塩水のせいですよね。そう言えば、少し前の新聞に、最近は若者を中心に海水浴離れが深刻なんだとか。理由はあたしが書いたとおりです。プールであれば行くみたいですから、泳ぎに行くことが嫌いなわけではなく、塩水のベタベタが嫌われているのでしょう。
それに加えて昨今は危険な生物のニュースもよく聞きます。昔だったら日本近海にはいないとか、人が泳ぐ浅瀬にはやってこなかったと言われるような生物による事故、ケガの報告が相次いでいます。あんなのをニュースで見せられたら、小さい子供を持つ親は気軽に海水浴になんか行けなくなりますよね。
あと、あたしが海水浴が嫌いな理由は、現実に信じているわけではありませんが、心の片隅でたぶんジョーズの影響を受けているからだと思います。やはり衝撃的な映画でした。
若きスピルバーグが低予算で撮り上げた、といった講釈は抜きにして、子供心にはやはり海の恐怖、サメの恐怖を大いに感じさせた作品です。もちろん映画館で見たわけではなく、公開後かなりたってからテレビで放映されたのを見たわけで、当時のテレビ放映ですから、たぶん何分間かはカットされていたシーンもあったと思いますが、とにかく海は怖いと思い込まされました。
とはいえ、この手の映画は好きなので、その後の「ジョーズ」シリーズも機会があれば見てました。そして、少し前にスカパー!でやっていたのがこちらです。
本日鑑賞したのは「3」ですが、これも以前に見た記憶があります。1と2と4は一連の作品という感じでしたが、kono3はまるっきり別個の作品ですね。それに、水中公園が舞台なのですが、本当に水中にセットを作っているわけではないのであくまでCGです。そのCGがあまりにもちゃちです。おまけに襲ってくるサメもちゃちです。怖くもなんともありません。なんでこんな作品を作ってしまったのでしょうか?
でもって、この「ジョーズ」シリーズは基本的には海のレジャーランドを作って設けようとしているデベロッパー、それと組んでうまい汁を吸おうとしている政治家に対し、人々をサメから守ろうと奮闘する主人公という構図がおきまりのパターンです。本作も同じです。確かに、現実問題として日本でもいきなり体調10メートルクラスのサメが現われたと言われても信じる人は少ないでしょうが、もう少し「カネ、カネ、カネ」じゃない態度ってとれないものでしょうか?
なお、本作の海洋レジャーランドではシャチを飼っていました。芸をするほど飼い慣らされてしまっているので野生の本能がどれだけ残っているのかわかりませんが、シャチを放せばサメを退治してくれたのではないかな、イルカですらあんなに頑張っていたのだから、と見ながら思ったのはあたしだけでしょうか?
見たことある?
暑い夏には怪談、とは昔から言われますが、だからということで、録っておいたホラー作品を鑑賞。まずはこちら。
「サイレントヒル」です。ゲームが原作の映画であるということは知っていましたが、ゲームはやったことも見たことも、どんなゲームであるかということすら知りません。まあ、結論から言えば、それでも映画の鑑賞には支障はありませんでしたが。
夢遊病の娘が時々口にする「サイレントヒル」という街が実際に存在するということを知った母親が、娘の病気を治療する手がかりになるかもしれないと、その街を訪れるわけですが、そもそもそこへ行ったからといってどんな解決になるのか、素人でも疑問を持ちそうな流れですが……
とりあえず、その街へ到着するのですが、そこはゴーストタウン。かつて街を襲った大火災により多くの人が亡くなり廃墟となったそうで、街の地下では今も石炭がくすぶっているのだとか。つまりは炭鉱町だったということですかね。そして、一時は栄えたものの、その後は寂れてしまった、日本にもありそうな設定です。
さて、あらすじをざっと書いてしまうと、この町には今も住んでいる人がいて、カリスマ的な初老の女性に率いられています。そして主人公の娘というのは実は幼女で、かつてこの町で魔女とされ、火あぶりにあった女性が産み落とした子供(の子供だったかな?)なわけです。これで、一応、娘がサイレントヒルという名前を口にした理由がわかりました。
ところが、街の人たちはその娘をも魔女だと見なし殺そうとします。まあ、魔女の娘なんですから魔女と見なすのは当たり前ですよね。が、母親が体を張って娘を助けようとするというストーリーです。主人公は、火あぶりにされた魔女の力を借りて、街を支配する人々を血祭りに上げ、最終的には娘を助けることに成功したわけです。ただ、娘を助けるためとはいえ、魔女(本当に魔女であったのか、それとも濡れ衣であったのかは作品中では明かされません)とタッグを組むなんて、この母親、悪魔に魂を売り渡してしまったのでしょうか? それに、あそこまで残酷に街の人を殺さなくても(殺したのはあくまで魔女、つまりは魔女の復讐に主人公が手を貸したわけ)よかったのではないか、とも思います。
そして、娘を連れて主人公はマイホームへと戻るのですが、ここでパラレル・ワールドが展開し、主人公と娘は夫の待つ世界へとは帰れない状態で映画は終わります。自分たちが別の世界へ来てしまっていることに主人公は気づいたのかどうか、それすらも定かではありません。魔女に魂を売った時点で、あちら側の人になってしまったのか。ゲーム的にはこれでいいのでしょうか? 夫はなんのために存在していたのか……
続きましては、こちら。
「ホーンティング」です。見始めてじきに「あれ、これ見たことあるんじゃないかな」と感じましたが、とりあえず最後まで鑑賞。結論から言うと、一度見たことありました。
ストーリーは不眠症の実験と称して集められた主人公を含めた三人の男女が、人里離れた装飾過剰な屋敷で恐怖体験をするというもの。その屋敷はかつてその一帯を支配した男性が建てたもので、妻を娶り子供と仲良く暮らそうと発てたものですが、産まれてくる子供はすべて死産で妻も自殺、という曰く付きの屋敷です。なおかつ、その屋敷では男性が近隣の子供を連れて来ては屋敷に閉じ込めて殺すということが行なわれていたらしいのです。
主人公には殺された子供たちの声が聞こえ、おびえながらも勇気を振り絞って、死んだ後もこの屋敷を支配している男性に立ち向かうという内容。なんで主人公がそんなことをするのかと言えば、実は男性の妻が最後に産み落とした子供の孫が主人公であるという血のつながりがあったわけです。
そのあたりの事情が、偶然のような感じで主人公の知るところとなるのですが、最初のうちは明らかに主人公の妄想の世界のように描かれ、そのうちそれが本当に起こっている話だと他の人々にも理解されるわけですが、時既に遅しです。何人か犠牲者が出てしまいました。
結局主人公は、この屋敷を支配する、自分の先祖を退治し、囚われていた子供たちの魂を救い出し、自分も死んでしまうわけですね。なんか、ちょっと後味が悪いです。





