Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
雪かき
たぶん首都圏の交通網が大混乱になったので、全国的に報道されていると思いますが、昨日の東京は大雪でした。ニュース番組で、街頭インタビューを聞いていると「こんな大雪になるとは思わなかった」と言っている人が多かったです。でも、ニュースや天気予報では確かにまとまった雪になることは伝えていました。きちんと確認していなかったあんたが悪いだけだよ、とテレビに向かってあたしはつぶやいていました。
ただ、街の人をあえて弁護するなら、天気予報では確かにまとまった寮の雪になるとは言っていましたが、降り始めは午後、あるいは夕方からという言い方をしていましたので、それを信じて朝から出かけていた人も多かったのではないでしょうか? あるいは東京から地元へ帰ろうと考えていた人とか。
ところが、雪は午前中から降ってきました。都下にあるわが家の方では9時くらいから雪になっていましたし、10時、11時にはもう本格的な雪、これは積もるぞという勢いで、現に積もり始めていました。この時点で出かけていた人も不要不急であれば帰宅するべきだったかもしれません。昼くらいまでならまだ電車も普通に動いていましたから。
さてその雪ですが、ふつう雪が積もっても、少し小降りになったら雪かきなどするものです。あるいは雪がやんだら家の前とか通りの雪かきをするものですが、昨日の場合、雪がやんだのは夕方でした。この時季ですから夕方もあっという間に暗くなってしまいます。とても雪かきなどするような時間はなかったと思います。それに加え、昨日の場合、雪がやんだのではなく、夕方になって雪から雨に変わっただけで、雨が降っていてはとても雪かきなどする気も起きないというものです。
そのせいか、今朝はあまり雪かきが十分できていないところが多かったです。仕方ない面もありますね。
ただ、わが家の近所、どうも一部の家は、雪かきをしようという考えがないようです。今回に限らず、毎年雪が降っても全くやろうとしません。自分の家の前だけでなく、少しはみんなが通るところも雪かきしておこうという親切心のかけらもない人が多いようです。それでもまだ戸建てはよい方です。自分の家の前はやる人がいます。それが繋がっていけば、いちおうは雪かきされた道ができます。
しかしマンション、アパートなどでは誰もやろうとしないところが散見されます。そういうところの住人って、イマドキの常識知らずの若い人が多いのでしょうか? それとも雪かきなどできそうもないお年寄りが多いのでしょうか?
骨壺
またしても、アイドルB級ホラー映画の視聴。今回は「骨壺」です。
AKBやアイドリングのメンバーがメインを張っている映画で、そういう意味ではそれぞれのグループのファンを取り込もうという大人の事情が透けて見える、あざとい映画とも言えます。ちなみに視聴したのは昨日で、いまこのダイアリーを書いている時に、フジテレビで浅見光彦シリーズが再放送されていますが、そのテーマが遺骨、骨壺であるというシンクロが起こっております。
さて話は戻って「骨壺」です。これも原作は山田悠介で、「リアル鬼ごっこ」もそうですが、基本的には謎解きというほどのミステリーや推理ものではなく、ホラーといっても小中学生や怖がりな人なら驚かせることができるだろうというレベルです。ストーリーも、作者は意識的にこういう作品を書いているのでしょうが、かなり荒唐無稽です。
とある惨殺事件で殺された人(女性)の遺骨、と言うより遺灰を食べると呪われて死ぬという都市伝説があり、遺灰を手に入れた主人公の周りで、誤って、あるいは故意に口にした人々が死んでいくというもの。死に方は突然発作が起きて死ぬ、ということですが、必ず死体の一部がなくなっています。それは惨殺された女性のお腹には子供がいて、その女性がせめて子供だけはこの世に生み出させてあげたいという思いを抱いて死んだからであると説明されます。つまり、体のパーツを集めて、もう一つの人間(?)を作り出し、それを自分のお腹の中の子供に見立てるという寸法です。
なんで何人も殺してパーツを集めなければならないのか理解不能ですし、年齢や性別もバラバラな遺体を集めてつなぎ合わせるという無茶なこともしています。何人か人が死んでいき、最後は一連の事件の原因を作ってしまった罪の意識から、主人公も遺灰を飲み、時分が最後のパーツ、頭部の提供者になります。パーツが揃ったところで呪いは消えたのか、いや、そもそもそんなことで呪いが消えるのか、この点は理解できませんし、謎解きもされていません。
そもそもが理解できない設定ですが、せめて呪いの対象は妊娠している女性にのみ向けられる(=嫉妬)とか、赤ん坊ばかりを狙うとかでないと、惨殺された女性の悲哀や悲しみが伝わらないのではないでしょうか? それに、そもそも恨みを抱いて死んだとはいえ、本来恨むべきは自分を惨殺した犯人でしょう。作品中ではその事件は未解決とされています。一連の呪い殺人が真犯人を暴き出す、追い詰めるとか、犯人に復讐するという目的に向かっているわけでもありません。これもまた共感できないところです。
さて、映画だけを見て、原作を読まずに批判してはいけないと思いますが、もしこの作品が山田悠介の原作に忠実なのだとしたら、あまりにもB級作家という気がしてしまいます。もちろん、主たる読者対象たる中学生あたりにターゲットを絞って書いているということを踏まえれば、そういった年頃の子供たちの気持ちを鷲摑みにする、極めて頭のよい作家だとも言えると思います。仕事柄、ヤングアダルト世代の話を聞く機会がしばしばありますが、彼らの好きな作家では山田悠介の名前が頻繁に挙がりますから、やはり作品作りがうまいんだろうなあ、と思うわけです。
今年は……
年明け最初の一週間が大過なく過ぎました。例年と比べて特に変わったことない新年になっています。業界としても明るいとか暗いとか、そういった感じもなく、あえて言うべきことの見つからない年明けという気がします。そんな感度の悪いことでいいのか、という気がしなくもないですが、これが偽らざる気持ちです。
年々、年賀状を減らしているということは既に書いたと思いますが、年が明け出社すると、会社宛の年賀状も多少は届いております。あたしの場合、社外の出版団体の会にも参加しているので、そういうところのメンバーから年賀状がそこそこ届いています。ほぼ例外なく、会社の社用年賀状に名前を書き添えたり、「ことよろ」的な一句を書き添えたりしただけのものばかりですが、皆さん律儀ですね。こういう年賀状を出す方というのは、たぶん会のメンバー全員に出しているのではないでしょうか? そして、ふだん回っている書店の方にも出しているのではないかと思われます。
あたしですか? あたしは全く出しません。出し始めると際限なく増えてしまうことになりますから、一切出しません。こちらから出さないと向こうからも来なくなりますから、あたしはそれでよいと思っています。それではまあ、あんまりだと思われるかもしれませんので、あたしの個人的な年賀状を画像にして出しておきます。

今年はかなりシンプルにしました。だって、この数十年、年末にこの一年を振り返ることもしなければ、年頭に当たって今年の抱負や目標を立てるようなこともしていませんので。あたしの場合、単なるちょっと長めのお休み、今月から来月に変わるだけのこと、というのが、ここ数十年の年末年始です。
年賀状を出さないからといって、あたしは別に声高に虚礼廃止を訴えたいわけではありません。年が明け、会社ではきちんと新年のあいさつを同僚や出入りの業者の方にはしております。それは当然だと思いますし、大事なことだと思っています。書店の場合、タイミングが悪く逢えない方もいましたけど、新年の数日で主だったところにはできるだけ顔を出すようにしていますので(東京以外の書店員さん、ゴメンナサイ)、それをもって換えさせていただいております。
なんでこうなってしまったか。
たぶん20代の後半から30歳目前くらいのころ、そろそろ結婚だよなあと漠然と考えていて、毎年のように「今年は結婚」のような目標を密かに心の中で立てていましたが、ことごとく虚しい結果となり、いつしか無駄なことはやめようという気分になってしまったのだと分析しております。
ちなみに、当時、付き合っていた異性がいたとか、意中の人がいたというわけではありません。20代後半は、痴呆が進んだ父を、母と二人で介護していましたので、それどころではありませんでした。ただ、そういう言い訳を除いたとしても、生まれてこの方、あたしは恋人ができたことがなく、異性とお付き合いしたこともありませんので、当時の新年の目標・抱負というのは、常に画餅であったわけですが(汗)。
たぶん、今年どころか一生このままなのではないかと思います。
ところでお気づきですか? 上掲の年賀状、「癸巳」の「癸」が「葵」になってしまっているのを!





