『ブラインド・マッサージ』を原作とした映画が年明けに公開になります。
中国内外で数々の映画賞を受賞している作品です。これがようやく日本でも公開されるというわけです。
で、当初は下の写真のようなオビだったのですが、映画公開に合わせて、オビを新調しました!
それが下の写真です。まあ、映画原作にはありがちなものですが、映画の原作はこれです、というのがはっきりわかる方がやはりいいですよね。
棚差しでも少しは目立つようになりましたかしら?
『ブラインド・マッサージ』を原作とした映画が年明けに公開になります。
中国内外で数々の映画賞を受賞している作品です。これがようやく日本でも公開されるというわけです。
で、当初は下の写真のようなオビだったのですが、映画公開に合わせて、オビを新調しました!
それが下の写真です。まあ、映画原作にはありがちなものですが、映画の原作はこれです、というのがはっきりわかる方がやはりいいですよね。
棚差しでも少しは目立つようになりましたかしら?
ノーベル賞を受賞した大隅教授が、ノーベル賞の賞金、約1億円を利用して基金を作るというニュース。
この数年、ノーベル賞を受賞した日本人研究者が口々に今後が心配、研究環境が劣化しているということを述べていることは気になっていました。こういう基金を作るという動きも大隅教授以外でもあるようです。基金を作って、お金がない学生の研究支援を図るということのようで、これで少しでも研究者の環境がよくなれば、と思います。
が、果たしてそれで済むのだろうか、という思いもあります。
あたしなど研究者を自称してはならないわけですが、一応は大学院を出ています。修士だけですが、世間的には「院卒」です。ドクターへ進んで研究者の道を目指さなかったのか、と問われれば、まるっきり考えなかったということはないですが、ある時点で諦めざる得ませんでした。
あたしは大学から、そのまま大学院へ進んだわけですが、その時点であたしの母校の大学院は修士までしかありませんでした。現在はドクターもありますが、その当時は修士までで、自分が修士在学中に博士課程ができる可能性は低かったです。
ですから、研究者を目指すのであれば、修士を出た後、他大学の大学院に入り直す必要があったわけです。それなら最初から博士課程のある大学院へ進めばよかったのでしょうが、その選択をしなかった時点で、あたしの道は半分くらい決まってしまったと言えるかもしれません。
自分の話が長くなりましたが、研究者支援ということに話を戻すとここからが本題です。大学院の学費は、育英会の奨学金も取れ、また学内の制度で一年目は学費免除の資格を取れたので、なんとかなりました。ニュースを見る限り、この時点の経済的支援がメインであるように聞こえます。
確かに、お金の心配をせずに研究に打ち込めれば安心です。でも、これって、結局はかかるお金を支弁してくれるというだけですよね? あたしの場合、そして多くの人の場合、より問題なのは家族を養わなければならない、生活していかなければならない、ということだと思います。
あたしは大学院一年の時に父が病気を発症し働けなくなりました。有給を消化して早期退職という形になりましたので、あたしが修士二年の時には、すぐにでもあたしが就職して両親を養わなければならない可能性が大いにありました。実際のところ二年生に進級するか中退するかという判断も迫られました。
が、あと一年ということで修士だけは修了しましたが、そこから先、さらに進学するなんて許されない状況でした。特にその数年前に、まだ父が病気を発症する前だったので、ローンを組んで自宅を購入したので、毎月のローンの支払いがありまして、父の年金はほぼそれに消えてしまいました。
そんなわけなので、あたしが働かないとわが家の生活は立ちゆかない状況でした。両親を養う必要がなく、自分だけが暮らしていければ、後は好きなだけ研究に打ち込めるような環境にいる人が果たしてどれだけいるのでしょう?
大学、大学院まで進むと「両親の援助はあてにできない」という話をよく聞きますが、当てにせず自分だけ生活できればよいというのは、あたしに言わせればかなり恵まれた環境です。「親の金を当てにする」のではなく、「親を養う」必要がある立場の人も多いと思うので、そこまでいくと、こういう基金がどこまで助けてくれるのか……
それに、そもそも研究者って、どれくらい研究すれば食べていけるようになるのでしょう? 文系など「大学院は出たけれど……」という人がそこらじゅうにいそうですけど。
中国史では南船北馬という言葉あります。主に移動手段が馬である北方、いわゆる黄河流域を中心とした中原地域と、運河などが発達し、移動手段が舟である淮河以南の南方地域を表わした言葉です。『三国志』なんかで使われていたという記憶がありますが……
とまあ、かように中国の北と南とでは違っていて、その他にもいろいろと異なるところはあるのでしょう。なにせヨーロッパが丸ごと入ってしまうほどの広さ。ヨーロッパであれば、北欧とイタリアやスペインを一緒くたにすることはないでしょうが、なまじ中国という一つの国であるがゆえに、そのあたりの感覚が麻痺してしまうことがままあるものです。
で、話は文学なんですが、最近、といってもこの数年ですが、あたしが読んで中国文学作品、そういった地域の違いが感じられるなあと思わせてくれました。
まずは、蘇童の『河・岸』と畢飛宇の『ブラインド・マッサージ』です。蘇童は江蘇省蘇州市、畢飛宇は江蘇省興化市の生まれ、どちらも温暖な南方、そして水に恵まれた地域の作家です。ですから作品も非常にウェットです。この場合のウェットというのは人情に厚いとか、そういった意味ではなく、作品世界に非常に湿度を感じるということです。
まあ『河・岸』なんて、水上生活者が主人公ですし、タイトルも思いっきりウェットですよね。『ブライド・マッサージ』も別に印象的なそういうシーンがあるわけではないのですが、読んでいると雨が降っている南京の町とか、うだるような蒸し暑さが感じられる作品です。この両作品、いかにも南方という感じです。
それに対して『アルグン川の右岸』、閻連科の『年月日』は非常に乾いています。
遅子建は黒竜江省、閻連科は河南省出身。どちらも北方ですし、その作品も思いっきり乾いた風を感じます。『アルグン川の右岸』は乾いているというよりも凍てつく感じを受けましたし、『年月日』などは百年に一度の大飢饉ですから水分なんてこれっぽっちもありません。
同じ中国でも、出身が異なるだけでこうも違うものか、と思わずにはいられません。
とはいえ、あたしはこれら作家のすべての作品を読んだわけではありませんので、作家が北方出身だから乾いた作品、南方出身だから湿った作品だと決めつけるのは早計だということは承知しています。ただ、これらの小説の舞台はそれぞれ南方と北方で、南方を舞台にしているから湿った感じ、北方を舞台にしているから乾いた感じ、ということは言えるのではないでしょうか?
こんな風に文学作品を通じて、その国のことを知る、これこそ海外文学を読む醍醐味だと思います。これがあるからこそ海外文学を読むわけですし、行ったこともない国や場所について行ったような気になれる、それが最高の愉しみです。
もちろん、この程度の文学体験で「この国はこういう国だ」と決めつけてはいけないことは重々承知しています。それでも、ある程度の数を読んでいけば、それなりの感覚は生まれてくるはずです。その感覚に違和感を感じるような作品に出逢うのも、また楽しみの一つではないかと思います。
さらに『歩道橋の魔術師』や『神秘列車』といった台湾の作品になりますと、大陸とはまた異なる味わい、世界が広がっていますし、香港もまた独特の世界になるのでしょう。南と北という対比でしたが、恐らく西方出身の作家の作品や西部地域が舞台の作品であれば、西の方の味わいを持った作品があるのでしょう。もちろん西へ行けばウイグルとかチベットなど少数民族も住んでいますので、『ハバ犬を育てる話』などのように彼らの世界観に溢れた作品がたくさんあることでしょう。
朝日新聞読書欄の予告に『2666』が載っていたので、どんな風に取り上げられるのか気になっていましたが……
アメリカ社会との絡みで取り上げていただいたようです。確かに、メキシコは『2666』の主要な舞台であり、実際にメキシコで起こっている連続殺人事件が作品のベースになっているわけですから、こういう文脈で文学作品を読むこともできるのだなと納得。
ただ、文学ではなく、もう少し単刀直入に、ということであれば、移民についてやたらと物議を醸していることもあり『移民からみるアメリカ外交史』も参考になるかと思いますし、『コーネル・ウェストが語るブラック・アメリカ』というのもございます。
上の画像は同じく朝日新聞に載っていたアエラの広告。受験シーズンを前にして、大学を扱った記事や書籍が多くなる時季です。今月末には、あたしの勤務先からも『消えゆく「限界大学」』という書籍を刊行いたしますのでお楽しみに。
今朝の朝日新聞です。
本に出逢う場として本屋さんの特集です。主に個性派書店を特集していますね。少し前に「フツーの本屋」があって欲しい、というようなことを書きましたが、しかし、この時代に本屋が生き残るには個性派でないとダメなのでしょうか? それでも品揃えで個性を演出するのはよいとして、雑貨や喫茶を併設することが「個性的な本屋」なのかと問われると、ちょっと首をひねりたくなります。もちろん、本屋でもなく、本屋をやったこともなければ本屋で働いたこともないあたしなんかが偉そうなことは言えませんが……
それでも、こういう個性的な本屋、果たしてどの程度生き延びられるのでしょうか? 東京や大阪などの代としてであれば、テレビや雑誌で話題になっても、それなりにお客が来てくれるでしょう。新幹線で東京や大阪と結ばれている大きな都市でも、そこそこは頑張れると思います。しかし、それ以外の地方都市ではどうなのでしょうか?
そもそも人口が少ないわけですから、個性よりも日常的に使える本屋の方が必要とされているのではないでしょうか。新幹線との絡みで言えば、どんなに個性的な本屋でも、通過する新幹線の方が多いような駅では、状況はかなり厳しいのではないでしょうか。フツーの書店がフツーに商売をして成り立つなんて、夢のまた夢なんでしょうか?
そんなことを考えながら眺めていた朝日新聞ですが、上のような記事もありました。本屋ではなく居酒屋の話題です。まったく異なる業種ではありますが、こちらも特化型の居酒屋が増えているとのこと。メニューを特化させるというのは、本屋で言えば、コミックを充実させるとか、絵本の品揃えを頑張るとか、そういうところと通じるものがあるような気がします。どの業界も、特化したものが流行るご時世なのでしょうか?
そういえば、百貨店の衰退も言われて久しいですね。何でもある百貨店ではなく、電化製品やパソコンなら家電量販店、日常的な衣類ならユニクロやしまむらとか、家具だったらニトリやイケヤといった具合。結局、ある程度何でも揃えておくというモデルは、コンビニ程度の大きさでなら持続可能なのでしょうか? かくいうコンビニだって、置くアイテムはかなり綿密に計算されているわけですが……
そんな中、ホッとする記事は上の写真。須賀敦子さんの特集です。
『ミラノ霧の風景』『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの靴』のUブックス、須賀敦子コレクションを是非どうぞ! Uブックスは単行本ほどは大きくなく、文庫本よりは大きいので、手にフィットして読みやすいと思います。
毎年そんなことを言っているような気もしますが、今年の風邪はお腹に来るのでしょうか? まあ、風邪の場合、それぞれの人の一番弱いところに症状が出るなんて言いますから、あたしの場合はお腹に来やすいのかも知れません。
で、お腹の調子が悪いです。
昨日の朝、起きたときは何ともなかったのです。いつものように朝食(トースト)を食べた後、急にお腹が緩くなってきました。数回トイレに行き、三度の飯より正露丸、というわけで三粒服用し、出すものも出したので出勤です。
お昼は食べたらまたお腹がゴロゴロしそうだったので食べずに済ませましたが、なんとなくお腹はすっきりしません。
そして、なんと昨夜は飲み会。よりによってこんな日に!
食べたら絶対お腹が緩くなることは目に見えていましたので、乾杯のビールも数口含んだだけにして、あとは焼酎のお湯割りをもらってチビチビ飲んでいました。料理にはまったく手を着けず、一口も食べずに過ごしました。
もちろんお腹は空いていましたが、食べたらヤバイ、というのは体がシグナルを発していたので、ここは我慢、我慢。結局、焼酎のお湯割りを一杯飲んだだけの飲み会。ずいぶんと高いお湯割りとなってしまいました(涙)。
で、帰宅。
食べずに過ごしたので、お腹の方は大丈夫。ほぼ一日お腹を休ませたので、もう大丈夫かなと、帰りのコンビニで軽く夜食を購入し、帰宅後に食べました。お腹がギュルギュルすることもなく無事就寝できました。
そして今朝。
今朝もいつものようにトーストで朝食。そこまでは問題なしです。そして、こうしてパソコンに向かっていたら、お腹の調子が……
やはり、まだ食べてはいけなかったのでしょうか? とりあえず、再び正露丸です!
こん**は、染井吉野ナンシーです。
とりあえず、風邪は引いていませんが、ちょっと喉が痛いです。それに今朝からお腹の調子がサイコーに悪くて……
今日はこんないでたちです。真っ青ですね(笑)。この数年、青も着るようになりましたが、前はあまり着ない色でした。だって、顔色が悪く見えるから。なので、赤とかオレンジとか、そういう暖色を着ることが多かったのですが、こういうきれいな感じの青はステキですね。
で、ネクタイも青ですが、お揃いではありません。ブラウスとネクタイは別ものです。
ブラウスは鳥獣戯画の星座バージョン。こんなブラウスがあるんですね。つい、買っちゃいました。
ネクタイは、お犬様です。犬種はわかりません。あまり可愛らしくもないような……
書店でこんな棚を見かけました。
おわかりですね。ハンナ・アーレントです。ここ数年、関連書の出版も続いて、ちょっとしたブームな感じもします。年明けにはちくま新書から『アレント入門』という新刊が出るようですから、まだまだブームは続いていると言ってよいのかも知れません。
さて、この棚、お気づきかも知れませんが、文庫も新書も単行本も一緒に並んでいます。フェアコーナーなどならわかりますが、一般に書店の棚で、このように文庫も新書も単行本も一緒に並べるというのはあまり見かけません。文庫は文庫のコーナーで会社別、レーベル別に並べるのが普通ですし、新書も同様です。そして単行本はジャンル別。この棚のように、単行本の棚に関連する文庫や新書を持ってきて並べるのはやっていそうで、それほどしょっちゅう見かけるというわけでもありません。新刊ならともかく、既刊の場合はなおさらです。
しかし、このように並んでいる方がお客さんにとっては有難いはずです。問題は、どこでやるかです。文庫や新書の棚は、文庫・新書用に棚の高さを調整していますので、そこに単行本を並べるのは至難です。それに文庫・新書は新刊も多く、棚は激戦区になっていて、そこへ単行本を割り込ませるのは、これまた至難です。
ですから、このように人文などの棚に文庫・新書を持ってきてやるわけですが、人文書コーナーって、書店の中では比較的目立たないところにあるものです。せっかくこういう面白い並べ方をしているのですから、本当ならもっと人通りの多い、目に付きやすいところに並べたいところだと思います。
それとも、こういうジャンルが好きな人は、人通りも少なく、だからじっくり、ゆっくり本を眺められる人文コーナーがお好きなのでしょうか?
病気と文学というのは相性がよいのでしょうか、時々そういった本を見かけます。最近も店頭でこんな本を見かけました。
『病気を描くシェイクスピア』です。この本を見て思い出したのは『続 神経内科医の文学診断』です。あいにく『神経内科医の文学診断』の方は品切れで、電子書籍版しかありませんが……