Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
あたしの勘違いでなければ、お茶の水駅で……

毎日のように利用しているJR中央線のお茶の水駅。中央線と総武線の駅です。
この両線は、ここ御茶の水から三鷹までの区間で並行して走っているのですが、同じホームで乗り換えができのはお茶の水駅だけなので乗り換えだけをする乗客も多い駅です。
駅は図のように2ホーム、4番線までありまして、1番線が中央線快速〈新宿・立川・高尾方面〉、2番線が中央線各駅停車〈新宿・中野・三鷹方面〉、3番線が総武線各駅停車〈錦糸町・船橋・千葉方面〉、4番線が中央線快速〈東京方面〉となっています(利用者は2番線も総武線と呼ぶことが多い)。
で、このところ、あたしはお茶の水駅のちょっとした変化に気づきました。
いや、その前に、ようやくホームにエスカレーターとエレベーターが設置されたという大きな変化を指摘しなければならないのでしょうが、聖橋改札口を日常的に利用しているあたしは、設置され利用開始された後もしばらくは気づかずにいたのです。もちろん工事をやっていることは知っていましたので、「もうすぐ使えるようになる」ということはわかっていましたが……
閑話休題、ちょっとした変化の件です。
構内放送で「1番線に高尾行きが参ります」というアナウンスが一日に何度も流れます。これまで1番線と3番線が女声、2番線と4番線が男声でした。同じホームで声が混じらないように男性と女性で分けているんだな、ということはわかります。単純にホームの順番に女男女男と割り振っていたのではないかと思われます。
それが最近は、1番線と4番線が男声、2番線と3番線が女声に変わっているのです(もしかしたら男声と女声は逆だったかも)。つまりホームで声が混じらないようにするという方針はそのままに、男声が中央線を、女声が総武線を受け持つように変更されたのです。この方が利用者にはわかりやすいのでしょうか? このあたりの内部事情はわかりませんが、とにかくあたしの勘違い、思い違いでなければ、お茶の水駅のアナウンスにこういう変化がありました。たぶんエスカレーターなどの利用開始のタイミングではないかと思います。
やはり時間が足りなかった?

朝日新聞の読書欄に乃木坂46の高山一実が載っていました。彼女のデビュー作『トラペジウム』が売れているからでしょう。
あたしも読みましたが、確かに読みやすいですし、さすが現役アイドルだけあって、アイドルの世界のこと、よくわかっている描写でありストーリー展開だと思います。
しかし、後半がちょっと、と思います。
前半が非常によい感じで進んでいたのに、後半はなんか急ぎすぎている印象を受けました。単行本を出すタイミングなのか、乃木坂のスケジュールの都合なのかわかりませんが、とにかく短時間で結末まで書き上げたような感じがします。もしそうであるなら、高山自身はどう思っているのでしょうか?
もちろんあたしの勝手な感想であり推測ですから、もしかするときちんと時間をかけて推敲に推敲を重ねて書き上げた作品なのかも知れません。だとすると、逆に残念至極です。しかし、デビュー作であるならこれくらいで及第点なのでしょうか? 何作も書いていくうちに巧くなっていくのでしょうか?
いろいろとできそうな気がするのですが……

本日は、新刊『翻訳 訳すことのストラテジー』の見本出しでした。
いったいどんな本なのか、タイトルからご理解いただけるでしょうか? ひとまず公式サイトに掲載されている内容紹介を以下に引いておきます。
最新の翻訳研究(トランスレーション・スタディーズ)ではなにが論じられているのか? 本書では、「グーグル翻訳は原文の等価物か?」「『直訳』『意訳』という二分法は正しいのか?」といった身近な問題から、文学作品が翻訳を通じて新たな力を獲得しうるという「翻訳の詩学」と著者が呼ぶものまで、「翻訳translation」という事象が含む論点の広がりが一望できるようになっている。わたしたちが他者とコミュニケーションするにあたって、言語が重要な媒体としてあらわれる以上、「翻訳」を避けて通ることは不可能だ。著者に言わせれば、翻訳とは、言語や文化が接触するところにかならず生じるものであるためだ(それは必ずしも「外国語」や「異文化」に限らない)。翻訳は、言語や文化がはらむ差異の存在をあばきながら、その差異を楽しませてくれる。著者がくりかえし強調する点はここにある。マンガの翻訳やアニメのファンサブ、特異な「翻訳」として近年注目を集めている「漢文訓読」など、日本の読者にとって親しみやすい例が挙げられているのも本書の魅力。さらに、訳者による、日本の読者むけの読書案内を巻末に付した。
理解できる方はよいとして、もう少しイメージができるようにと思いまして、右の画像をご提供します。同書の目次です。
実はあたしも、この目次を見るまではどんな本なのかいまひとつつかめなかったのです。漠然と、文芸評論の棚に並べてもらえればよいのかな、なんて考えていました。しかし、この目次を見てみますと、人文の言語学の棚でも面白そうですし、語学の棚の翻訳に関する書籍を揃えているところであれば、そんなところに並べても面白いと思います。
巻末にある文献案内も邦訳されているものが散見しますし、「日本の読者向けの読書案内」も思いのほか充実していまして、ここに出てくる文献を使ったフェアなど出来そうな気がします。
如何でしょうか?






