鳥だけど鳥じゃない?

今朝の朝日新聞で『オはオオタカのオ』が紹介されました。

 

先週の日本経済新聞に続いての紹介となります。

 

上の画像は、左が朝日の記事で、右が先週の日経の記事。

どちらも詩人の方が評してくださっていること、その表現を褒めてくださっていることは偶然ではないと思います。お二人とも「人間ではないとはどういうことか」の部分を引用されているのも、やはり偶然ではないでしょう。

さて、このことからわかること、それは本書が書店で置かれる場所です。

たぶん、このタイトルですから、多くの書店では「鳥類」の棚に置かれているのではないでしょうか? それはそれで正解です。ただ、一般に書店の「動物」の棚は図鑑的なもの、写真集的なもの、そして飼育の仕方や生態を扱ったものが中心で、こういった読み物、特に翻訳物は置かれていないことが多く、置いてあっても少し違和感を感じるものです。

もちろん、このような読み物をしっかり揃えている本屋さんもたくさんありますが、棚の数に限りがある以上、何を棚から外すかと考えたとき、この手の書籍が真っ先に抜かれる運命にあるとも言えます。

しかし、先週と今週、二週にわたって掲載された書評を読んでいただければおわかりのように、本書は上質のノンフィクション、人の生き方を考えさせる本であります。ですから「文芸」コーナーなどに設けられている「ノンフィクション」の棚の方がしっくりくるものだとわかります。

入荷してからまったく売れていないんだよね、という書店の方、ちょっと置く場所を変えてみては如何でしょうか? ちなみに本書の原書はベストセラーだそうです。洋書を扱っている書店の方は、是非、原書と一緒に並べてみてください。装丁というか装画は同じです。

ちなみに、こんなの作ってみました!

文学と政治、政治と文学

昨晩は立川のオリオン書房ノルテ店でトークイベント「政治と文学の狭間で揺れた作家たち」を聞きに行ってきました。演者は山形浩生さんに『ラテンアメリカ文学入門』の著者・寺尾隆吉さん。イベントは山形さんが話題を振り、それに寺尾さんが答えるという感じで進みました。

以下は、手元のメモから。

もともとラテン文学が好きだった山形さんが、辛口なこともしっかり書いている寺尾さんの著作に興味を持たれたことから対談が決まったようです。その寺尾さん、大学で中南米文学を専攻し、初めてラテン文学と出会ったそうです。時期的に日本の出版社からも海外文学の全集やラテン文学のシリーズなどが刊行される時期に重なっていて、作品をいろいろ読んだそうです。卒論をメキシコの革命文学をテーマに書き、ラテン文学に対しては「こんなリアリズムの形があることに衝撃を受けた」そうです。また大統領選でリョサが敗れたこともあり、ラテンアメリカの現実をもっと知りたいと思うようになったそうです。

そんな流れで、リョサやコルタサルなど、山形さんが興味の赴くままに名前を挙げつつ、二人でそれらについて脱線しながら語るという進行。全体としては、キューバ革命などがあり、政治的な時流と文学がうまく重なったのが当時のラテンアメリカであり、ラテン世界に世界の注目が集まっているところへ、マルケスなどの作家が次々と現われたのがブームになった要因であろう、とのこと。当時は社会主義に対する希望や期待に溢れていた時期で、読者も左寄りのものを好み、作家も左寄りの立場を名乗ることが都合がよかった時代で、出版社も左寄りの作家であれば本を出版してやる、という風潮があったそうです。

山形さんは、同書がボルヘスをラテンアメリカ文学の流れに位置づけていることを評価。寺尾さんもサバトのボルヘス論は一読すべきとお勧め。また会場からブラジル文学について質問が出ましたが、寺尾さん曰く、マルケスやリョサに匹敵する作家が出て来なかったこと、やはりポルトガル語という言葉の壁があって、どうしてもラテン文学の中では注目を浴びてこなかったそうです。今後はスペイン語の片手間ではなく、ポルトガル語専門の翻訳家が日本でも育ち、ブラジルの文学が紹介されることを期待したいところです。

最後のまとめ的な話では、現在のラテン文学について。かつてと異なり、現在はラテンの作家たちも欧米化してきていて、欧米に移住している人が多い。中南米に住んでいても金持ちの特権階級的な立場になっている人が多いそうです。また最初から作家を目指す人が多くなってきているのも特徴の一つで、創作教室なども盛んに開かれているようですが、そういうところ出身の作家はいまだ第一線には立っていないのが現状。

またそういった文学作品の受け手である読者も変わってきていて、それなりに生活も豊かになり、軽いものを求めるようになってきているそうです。そうなると、これからはマルケスのようなものは受けないのでしょうか?

山形さんがおっしゃっていましたが、その時代にやりやすい方法というのは必ずしも文学とは限らないのではないか、かつての中南米では、何かを表現するのに文学がもっともふさわしい手段であったわけですが、現在そしてこれからも文学なのか……

とにかく、もっともっとラテン文学が読みたくなる一夜でした。

オオカミの復権

鹿などが増えすぎているというニュースが新聞やテレビでもしばしば伝えられます。だからオオカミを復活させよう、という意見もありますが、そう簡単な問題ではないようです。

科学的な問題はいろいろあるのでしょうが、それとは別にオオカミに対する恐怖というのもあるかと思います。もし襲われたらどうしよう、人はともかく家畜が襲われた場合の保証はどうなるのか、といった問題です。

家畜についてはひとまずおくとして、人を襲うというのは、やはり童話赤ずきんちゃんの影響が大きいようです。しかし、これはたぶんに欧米社会のオオカミに対する偏見によるものだということは『オオカミ 迫害から復権へ』にも書かれています。本来、日本では「大いなる神」で「オオカミ」と呼ばれていたくらい畏敬の対象であったはずなのに、いつのまにか恐怖の対象に変わってしまったようです。

 

ところが、やはりそういったオオカミ観は修正すべきだということでしょうか、先日テレビを見ていたら『3びきのかわいいオオカミ』という絵本が紹介されていました。ヨーロッパの作品で、日本でもずいぶん前に翻訳版が出ていたそうです。知りませんでした。

この作品ではオオカミはやさしいです。むしろかわいそうな存在です。ウェブサイトで試し読みもできますが、豚があまりにも凶暴なのにドン引きです(笑)。

大地の作家・閻連科

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2016年11月26日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

寒いけど温かい?

昨日の東京は雪でした。夕方には青空も見えましたが、とにかく気温が上がらない一日でした。

上の写真は、わが家の門の脇、いわゆる門柱とでも言うのでしょうか。そこに積もった雪の写真です。3センチから5センチくらい積もってますよね?

上の写真は玄関から門へ向かう通路。狭いです。でも雪が積もってます。出入りのために人が歩いたので、雪はだいぶ少なくなっていますが、それでもこのくらいの積雪になりました。

 

そんな寒い一日ではありましたが、週刊プレイボーイの増刊(?)、乃木坂特集号をゲットです!

いままた、キリスト教?

書店店頭でこんな新刊を目にしました。

 

ゼロからわかるキリスト教』と『超図解 一番わかりやすいキリスト教入門』です。どちらもキリスト教入門といった性格の本でしょう。最近またキリスト教に注目が集まっているのでしょうか?

となると、あたしの勤務先の『キリスト教一千年史(上)』『キリスト教一千年史(下)』も一緒に並べてもよさそうではないでしょうか? まあ、できることならばキリスト教だけでなく、少なくとも兄弟宗教であるユダヤ教、イスラム教と合わせて学びたい、知識を得たいところですが、あまりにも範囲が広くなるので、とりあえずはキリスト教から初めてみませんか、というところですかね?

高くても売れてます!

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今日の配本(16/11/24)

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ピケティも注目してますよね? さんすくみ? トリレンマ?

あたしの勤務先のTwitterでも触れていますが、『グローバリゼーション・パラドクス』が地味に売り上げを伸ばしています。

そもそも新刊時にそれなりに話題になり、よく売れた本ですが、同書で中心的なテーマとなっている「民主主義」「国家主権」「グローバリゼーション」の三つは同時には成り立たない、どれか一つを諦めなければならない、という問題提起が、米国のトランプの大統領就任によって再び国際的なキーワードとして注目を浴びているからでしょう。

あたしなんかがゴチャゴチャ言うよりも同書を読んでもらった方がよいのですが、例えば、中国などは「民主主義」を放棄して、「国家主権」と「グローバリズム」を選択している国となります。その一方、EUは各国の「国家主権」を捨てるような取り組みです。これに叛旗を翻したのが、先日の英国のEU離脱騒ぎです。

さて、上の写真は朝日新聞で連載されているピケティのコラムです。直接トリレンマについて語ってはいませんが、読めば読むほど、この「さんすくみ」について述べているように感じられます。やはり『グロ・パラ』、必読の文献です。