正夢になるといいなぁ~

とびっきりの美女と仲良くなる夢を見ました。美しいだけでなく、カワイイという要素も併せ持った、もうあたしのストライクゾーンど真ん中! が、夢なので既に顔は覚えていないのが残念。知っている人に似ていたのか、アイドルの誰かだったのか……

どんな夢だったかと言いますと、あたしが電車に乗ってうたた寝をしていました。たぶん午後の営業回りの途次のことだと思います。その夢の中で、あたしはその美女とバッタリ出くわすのです。お互い既に顔見知りだったので、簡単な時候の挨拶を交わしただけで目が覚めました。

で、あたしは電車から降りて、駅構内を歩いていたら、その夢の中で逢った女の子にバッタリと出くわしたのです。で、まだ夢を見ているの? という感じで若干ドギマギしながら挨拶を交したのですが、そこであたしは勝手に「これは運命だ」と思い込んでしまったというわけです。

では何か次の一手、行動を起こしたかといえば、そんなことはなく、というよりもそこで夢は終わり、こんどこそ本当に夢から覚めてしまいました。

こんなカワイイ子、本当にお近づきになりたいものです。

今回のじんぶんやに……

クルマよ、お世話になりました』と『みんなの空想地図』を選んでいただいております。

 

と、後先になりましたが、今回のじんぶんやは速水健朗さんによる「いまどきの都市生活を考え直す」がテーマで、「都市は衰退も消滅もしないということを知るための50冊」の一冊、いや、二冊でした。

賑わう書店はいいですね

毎年この時季はそうなのでしょうが、先週あたりから書店に営業回りに行くと、明らかにお客さんの数が多いと感じます。

はい、夏休みに入って、子供連れのお客さんが増えているんですね。夏休みにやるドリルを買うのか、読書感想文用の本を買いに来たのか、自由研究のヒント集のような本を探しに来たのか、理由は様々でしょうけど、本屋が賑わっているというのは、やはり嬉しくなります。

もちろん、書店の方はそのぶん接客などが忙しくなって、そんなときにこちらがお邪魔するのは申し訳ないのですが、書店の方はどんな気持ちなのでしょうか? ただ、もう少しすると、パタリと客足が止まるとも聞きます。必要なものをかったら、もう用はない、あるいは帰省したり旅行に行ったり、東京からいなくなってしまうのでしょう。

本を手に持って新幹線に乗る、飛行機に乗る図、なんか想像するだけで愉しい気持ちになりますが、それは職業病なのでしょうか。

書店がこうして賑わうのは、あとはクリスマス前だけでしょうかしら?

これがあの忍野八海?

今日は、先日の出張の、いや、先日と言っても6月下旬でしたから、もう一か月以上も前になりますが、その出張は土日も仕事でしたので、その代休を取らないとならなかったので、代休消化のお休みでした。既に一日は7月中に消化していたので、これで先の出張の休日出勤分は消化し終わりました。

で、今日は、妹とその子供(姪、甥、姪)を迎えに沼津まで、朝からひとっ走りしてきました。往路は中央自動車道から圏央道、そして東名というコース。復路は山梨のほうとうでも食べようかということで、山中湖回りでした。

ネットで調べたら、ちょうど順路に大豊というお店があったのでよさそうだと思い向かいましたが、ちょっと早すぎたので、そこから最寄りの忍野八海へ行ってみました。駐車場があっちこっちにたくさんあって、そんなに人が押し寄せる観光スポットだったでしょうか、というのが正直な印象。かつて二度か三度来たことがありますが、そんなに大勢の人で賑わっているという記憶はなかったのですが……

で、車で立ち寄ったので駐車場が多いのはよいのですが、大型バス用の駐車場がこんなにあるとは! それもそのはず、忍野八海の池の周りは、人、人、また人。とにかく人間だらけです。それも飛び交う言葉はほぼ8割方が中国語。

ここは中国の観光地なのか、と思えるほどの中国人率!

いえ、別にあたしは中国は嫌いではないので中国人が大勢来ていることは別になんとも思いません。そうではなく、忍野八海のようなところに、こんなに大勢の人が押しかけていることがショックというか、なんというか……

心なしか、あたしが記憶している忍野八海に比べ、今日の忍野八海の池は透明度が落ちているような、昔はもっと透き通っていたはず、という気がしました。

それでも姪っ子、甥っ子らと池の周囲を一回りして、道の駅・富士吉田へ向かいました。正午を回り、さすがにお腹が空いてきましたから(汗)。忍野八海から道の駅へ向かう道すがら、大きな中華料理屋(レストラン)があって、大型駐車場も完備されていて、たくさんの中国人観光客が下りていました。これだけ中国人が押し寄せていれば、それを目当てに中華料理のお店を出せば繁盛するでしょうね。ちなみに、忍野八海のお土産屋も中国をできる人が多い、というよりも、中国人を雇っているところが多いようでした。だから売り買いの言葉も中国語が飛び交い、本当に中国にいるみたいでした。

さて、話は戻って道の駅。ほうとうは食べられませんでしたが、ここでは吉田うどんが食べられました。腰の強さが特長ですが、確かにその通りでした。うん、美味しかったです。

その後は、道の駅のお土産コーナーをのぞいてから、中央道で帰宅いたしましたが、府中・小平あたりは結構強い雨になっていましたね。本当に局地的な雨だったようです。

北朝鮮の原点

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。

まさに国父

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。

2016年7月30日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

いみじくも本屋と本をめぐる状況について二つほど

今朝の朝日新聞「天声人語」は本屋の話。

過疎の地域で本に触れる機会を残そうと奮闘する人のこと。

道内では書店ゼロの街が増える一方、大都市では図書館、書店、学校図書室とも充実している。

これはたぶん「天声人語」筆者の声だと思いますが、果たして都会は恵まれているのか? たとえば、人口当たりの本屋の数ということで言えば、東京だって「街の書店」がどんどん消えています。本屋のない地区、地域が意外と広がっているのは、都会に住んでいれば実感できます。

それでも電車で一駅行けば本屋があるでしょ、と言われれば、確かにその通り。でも上に書いたように、人口当たりで考えると、都会もかなり深刻な状況なのではないかと思います。

図書館もどんな図書を置いているか、貸出率や住民の中の利用登録カードの登録率はどれくらいなのかを測ってみると、都会が必ずしも好成績とは限らないと思います。

蔦屋が、田舎としか言いようのない土地で図書館を開く、選書に批判はあるものの、地域コミュニティーの核として機能し始めているという現実もあるわけで、何が正解なのか、よくわかりません。

上の写真は、今日の東京新聞夕刊の紙面。こちらも、いろいろ工夫を凝らして生き残りを図っている、街の書店の記事。

たまたま今宵の、とある懇親の集いで、ドコモがやっているdマガジンの話になり、雑誌で稼いでいる街の本屋にとってdマガジンの影響はかなり深刻だとのこと。あたしの勤務先は、雑誌は「ふらんす」しかないので、雑誌依存率は高くなく、なおかつ「ふらんす」はdマガジンに入っていないので直接の影響はありませんが、街の書店が消えていくというのは、ボディーブローのように、どの出版社にも厳しい状況なんだろうと思います。

しかし、完全に失敗したことが明らかなアベノミクスのお陰で給料はまるで上がらず、この出版不況もいまだ出口は見えず。本屋とか図書館とか、紙とか電子とか、そういう垣根をいったん取っ払って、根本的に考え方を改めないとダメなのでしょうか?

とはいえ、あたしだって根本的にどう改めるのか、まるでわかっていないのですが……

既刊本もお忘れなく!

まずは作品社の新刊『ようこそ、映画館へ』、著者はロバート・クーヴァー。思い出されるのは『老ピノッキオ、ヴェネツィアに帰る』でしょうか?

  

でも、あたしの勤務先からも『ユニヴァーサル野球協会』というのを出していますので、既刊本も一緒に並べようという書店員の皆さま、お忘れなきよう、思い出していただければ幸いです。

次に、河出書房新社から『あなたの自伝、お書きします』、こちらの著者はミュリエル・スパーク。河出書房新社からは装幀も統一感を持たせて『寝ても覚めても夢』『ブロディ先生の青春』が出ています。

  

この最後の『ブロディ先生の青春』は、別の訳者で、あたしの勤務先から『ミス・ブロウディの青春』として出ていますし、同じUブックスで『死を忘れるな』という作品も出しています。

 

河出書房新社の新刊と並べるときには同社の既刊書だけでなく、これらUブックスも思い出していただけると幸甚です。

選挙ポスターを見ていて新刊の配本について考えました

東京は都知事選の真っ最中です。こんどの日曜日が投票です。東京以外の地区ではニュースでどのように扱われているのかわかりませんが、東京ではニュースはもっぱら主要三候補しか取り上げていないといっても過言ではありません。テレビの番組では三候補の同性を扱った後に、申し訳程度に「この他にご覧の方々が立候補しております」と名前と小さな顔写真が一覧となって画面に表示されるだけです。

うーん、この扱い、公平・公正な選挙という点で問題ないのでしょうかね? ちょっと疑問です。

で、上の写真は、あたしの自宅の近所の掲示板です。これだけ枠があるのに、ポスターが貼ってあるのは8名だけです。これでも告示日から少したっているので増えた方です。

そして、上の写真は、あたしの勤務先の近所の掲示板です。13名のポスターが貼ってあります。まだ余白が残っているとはいえ、わが家の近所の掲示板と比べるとずいぶん多いです。

実際に投票するときに、こんなポスター一枚で投票先を決めるわけではありませんが、それでも待ちのところどころに貼ってあるポスターは視覚効果の上でもそれなりの影響があると思います。しかし、あたしのように都内をいろいろ移動している者はこうして違いを知ることもできますが、わが家の近所に住むお年寄りで、滅多に遠出もしないような人だと、上の写真の8名以外の立候補者を知ることもなく終わってしまう可能性もあります。

うーん、これでよいのか?

しかし、考えてみますと、この掲示板、都内だけでどれくらいあるのでしょう? 仮に1万か所あったとします。そうすると、ポスターは1万枚用意しないとならないわけですし、その1万枚のポスターを1万か所に貼りに行かないとならないわけですよね。これはお金も人手もかかります。資金力のない候補ではそんなことできません。

となると、まるっきりポスターを作らないか、5000枚とか、3000枚とか、1000枚とか、用意できるお金と人手に応じて準備するわけで、限られたポスターをどこに貼るかといえば、できるだけ人目につく場所、都心や郊外なら駅前などになると思います。逆に言えば、住民しか通らないような郊外の住宅街には貼られない、貼りに来ない、ということになります。

と考えたら、新刊書籍の配本のことを思い出しました。

例えば、文庫や新書。毎月、レーベルによって異なりますが、新聞などの広告を見ていると大手の文庫は月に8点くらいは出ています。しかし、全国の書店にくまなく届けられるほどの部数を作っているわけではありません。出版社にだって予算ってものがありますから、過去のデータと突き合わせ、このくらいの部数は売れるだろうと予想を立て、それに応じて作るわけです。

となると、限りある新刊の文庫はどういう書店に届くのか?

選挙ポスターと同じです。人口が多い都会の、なおかつお客さんが多い都心の大型店を中心に配本されるわけです。人口の少ない地方の、あまりお客も来ないような小さな書店には、待てど暮らせど届くことはないのです。都心と郊外の、選挙ポスターの枚数の差を目にするたびに、そんなことを考えます。

都知事選のように、都内のどこへ行っても同じポスターが貼られる選挙なので。こういうことに気づきましたが、区や市によって選挙区が異なり、立候補している候補者も異なるような選挙ですと、わが家の近所の掲示板と都心の掲示板との差には気づかなかったでしょう。