ウェブサイト、いろいろ改造してます

あたしのウェブサイト、本格的にWordPressで構成、構築しようと、いろいろと改造しております。

こんなサイトに時々は訪れてくださっている方もいらっしゃるかと思いますが、恐らく最近は来るたびにメニューとかデザインとかが変わっているのにお気づきではないでしょうか?

かつてあったコンテンツのうち、まだ残しておきたい、いまだそれなりに有用であると、あたしなりに判断したものは順次、WordPressで復活させていきたいと思っています。

で、こういう作業をやっていると、徐々にWordPressの仕様と言いますか、使い方というのでしょうか、そういったものがわかってきます。

いろんなことができるんじゃないかな、いや、出来るということはわかっていたのですが、あたしには出来ないだけだったので、そのうちの何割かが、出来ないから出来るに変わりつつあるということです。

やはり、どんな分野でも実践する、やってみるのが一番なんですね。

B級ホラーでした

スカパー!で録っておいた映画を見ました。

まずは「スプラッター・ナイト 新・血塗られた女子寮」です。もう、タイトルからしてB級臭がムンムンしますね。

ストーリーは陳腐です。大学(ですよね?)の女子寮を舞台に卒業を控えた仲良し五人組のちょっとしたらいたずらから、彼女たちは仲間の一人を殺してしまいます。誰も見ていなかったことをよいことに、残ったメンバーは事件そのものをなかったことにし、秘密を守って卒業を迎えます。そして卒業式の晩、女子寮で行なわれるハチャメチャなパーティーの会場で次々と人が殺されていく、という物語です。

途中、殺された女子生徒の妹が新年度から入学してくるという設定で、いかにも姉の失踪の秘密を握っているような思わせぶりで登場したり、彼女たちのボーイフレンドもなんとなく胡散臭く描かれ、犯人捜しという意味ではそれなりに面白そうな伏線が貼ってあります。でも、結局は、そんなものか、結局は友達を事故とはいえ殺してしまったお前たちが悪いんじゃない、そこには何の同情の余地もないよ、という感想しか残りません。

主人公たち女子グループのキャラが、メインの二人を除くといまひとつパッとせず、だからそのボーイフレンドも誰が誰なのかわかりづらいです。もちろん、こういう映画ですからエッチなシーンを期待する向きもあるのでしょうが、それもほとんどなく、だからといって主人公たちがグラマーで美人かというと、そんなこともない、結局、うーんと首をひねってしまう作品です。

やはり「スクリーム」とか「ラストサマー」の方が、作品としてもはるか上を行ってますね。そもそも比べるだけ野暮でしょうが。

 

続いては、「シー・トレマーズ」という、オランダとインドネシアの合作映画です。

これは海にいる謎の生物が人を襲うという作品ですが、そのモンスターがあまり怖くないんです。圧倒的なパワーを見せるという感じでもないです。そもそも舞台が粗末な、木で編んだ密漁場。あんなものモンスターでなくても壊すのは簡単そうです。

そこに土着的な呪術を織り交ぜたのはアイデアとしてはよかったのですが、それが消化不良です。呪術師の血を引く少年(実は少女)にはどんなパワーがあるのか、どっちの立場に立っていて、誰を殺し誰を救おうとしているのか、そこがよくわかりません。挙げ句、主人公の女性博士の行動が鈍くさく、またおバカすぎます。娘を失っているという心の傷が地元の怪しげな祭りに影響を受けるというシーンもなんだか消化不良。これじゃあ、大学をクビになりそうなのも納得できます。

それが恋

先の日曜日の放送で終了したNHKのドラマ「そこをなんとか2」、パート1も見ていましたし、本仮屋ユイカちゃん、とってもかわいく演じていましたね。

その最終回、西別府との別離に悩み落ち込む楽子ちゃんこと本仮屋ユイカをワインを飲みながら縁側で慰める井上和香のセリフがなかなかよかったです。

近づくなと言われても近づきたくなる。気づくとその人のことを考えてしまっている。それが恋なんじゃない?

うーん、あたしには至れない境地です。さらに引き続き井上和香は

人生で最低なのは何も起こらないことよ

とものたまわっていました。あたしなんて、なーんの面白いことも、エピソードと言えるようなこともなく、この歳まで生きてしまいましたから、井上和香流に言えば、最低な人生を送っているってことですよね。

もちろん、ドラマのセリフですから脚本家が考え、監督が言わせているのでしょうけど。

似てる語学書

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紙の目録

先日の人文図書目録刊行会の年次総会の席で薄ぼんやりと考えていました。

紙の目録の需要は今後もあるのだろうか、と。

確かに、各社のウェブサイトが充実してきて、TwitterやFacebookを利用した情報発信も行なわれていますから、アンテナさえ張っていれば、それなりに情報収集は可能です。また、アマゾンや紀伊國屋書店、ジュンク堂書店といった大手書店のウェブサイトを使えば、出版社横断的な検索もそれなりにできます。

こう書くと、ますます「紙の」目録は必要ないのではないかという気になります。

が、総会の挨拶で出た話題ですが、ネットが普及して旅行ガイドは売れなくなると思われていたが、むしろ部数を伸ばしている、工夫を凝らして作れば、情報化社会、ネット社会と言われる現在でも、情報誌の生き残る道は十二分にあるのだと。

これは嬉しい知らせです。

ただ、ネットを越えた工夫、ネットでは出来ない趣向、それが難しいところでもあります。人文書を愛する人はネットよりも紙だ、と言う人の割合がまだまだ高いと思いますが、それでも若い人を中心にネット利用の傾向は高まるばかり。やはりネットでは出来ないことをしていかないと、早晩「紙の」目録は不要になるのではないでしょうか?

とりあえず、現状では紙の目録はネットと異なり紙幅の制限がありますから、何でもかんでも載せているわけではなく、そこにはフィルターがかけられているということです。ここが何でもかんでも拾ってきてしまうネットとの最大の違いでしょう。たとえばアマゾンなどのサイトで「ニーチェ」と検索すれば、数限りない「ニーチェ本」がヒットするでしょうけど、ニーチェについて学びたいと思っている入門書にふさわしい本がどれなのか、そういうことまでは検索結果で答えるのは難しいでしょう。紙の目録の優れているところはそんなところだと思います、特にジャンルごとの目録の場合は。

そこをもっとブラッシュアップして、「紙だからこそ」「紙でなければ」と言われるような目録にしていかないとダメなのでしょう。それが出来なければ、そんな目録はやめるべきなのかもしれません。

そんなことを思いました。

頭痛

昨晩は帰宅が遅かったので、今日は一日中寝不足気味。

だからなのでしょうか?

今日はずっと頭痛がしておりました。

ガイブンのプロモーション

昨晩のイベントは『文盲』の訳者と言うよりも、やはり『悪童日記』の訳者である堀茂樹さんを迎えてのトークイベントでした。映画「悪童日記」のプロモーションが眼目ではありましたが、堀さんの『悪童日記』をはじめとするアゴタ・クリストフ作品に対する熱い思いを聞けたのがなによりでした。

 

いまでこそ名作と呼ばれる『悪童日記』ですが、当時は無名の作家アゴタ・クリストフ、無名の訳者・堀茂樹という組み合わせで、堀さんも出版にこぎ着けることができるのか不安だらけであったようです。ただ、フランス遊学中に出会ったアゴタ・クリストフ作品の衝撃を、なんとしても日本に紹介したいという熱い思いだけで突っ走ってしまったようでした。

無名の作家ですから、いまからするとすごい数字ですが、当時としては実に控えめ数字でスタートした『悪童日記』は、当初はあまり注目もされていなかったようですが、じきにポツポツと書評に取り上げられるようになっていったそうです。そのほとんどが激賞に近い内容だったとか。原題をそのままタイトルにしたのでは、既にある作品とかぶってしまうので、少しでもインパクトのある邦題を着けようと必死になって頭を絞り、出てきたのが「悪童日記」だったとか。ちなみに英語版のタイトルは「ノートブック」だそうです。

この「悪童日記」という、一見して「何? これ?」と思わせるタイトルが奏功したのでしょうか、本好きの間で少しずつ面白さが伝わっていったようです。そして雑誌「ダ・ヴィンチ」の第0号の表紙で、当時の人気俳優(?)、本木雅弘が本書を手にしたことが決定打になって一気にベストセラーへの階段を駆け上がっていったそうです。それ以前にも、フランス文学研究者にはほとんどネグレクトされていたのが、著名な先生の紹介によって仏文科の先生方にも知られるようになり、にわかに注目度が高まっていったそうです。そして1995年のアゴタ来日がダメを押し、名実共に大ベストセラーになったようです。

さて、堀さん曰く、早川書房は当初はそれほど大がかりなプロモーションをしたわけではなかったそうです。面白い作品と作家だとは思っても、早川が出している数ある作品の中の一つにすぎなかったのでしょう。それが訳者の思い入れによってここまでの作品になったわけです。

ただ、訳者や担当編集者の思い入れだけで本が売れるわけではありません。書評がたくさん出て、多くの人が褒めてくれた、そんなガイブン作品は『悪童日記』以外にもたくさんあります。書評が出たのですからまるっきり売れなかったわけでもないでしょう。でも、ここまで大化けする作品はそうそうあるものではありません。

訳者が入れ込んでいる、書評が数多く出る、それだけでは足りません。やはり最後にものを言うのは、文書が持つ力ではないでしょうか。これは堀さんもおっしゃっていました。もちろん時代の空気というものもあるでしょう。どんなによい作品でも、その時代の空気に合っていないと受け入れられません。そんな時代性をはねのけ、どんな時代、どんな国でも受け入れられる作品もあるのかもしれませんが、それはほんの一握りです。少なくとも出版社としては、たとえどんなにすばらしい作品でも、今の時代にふさわしいのかを、もっと吟味しないと出版しても売れない、ということになってしまうのでしょう。

どうしたらガイブンが売れるのか、昨晩の話を聞きながら、そして帰り道に思い起こしながら考えておりました。