台風は?

台風が近づいているせいでしょうか、今日の東京はようやく暑さから解放されています。たぶん最高気温も30度に届いたか否かというくらいでしょう。時折雨がぱらついたので、やや湿度が高めでしたが、それでもこれだけ気温が下がってくれると過ごしやすくなります。

で、その台風。そろそろ四国へ上陸でしょうか? これまでもかなりの雨が降っているわけですから、四国や紀伊半島、中国地方の被害が心配です。幸いにも、わが家のあたりは、氾濫しそうな川もなければ、崩れてきそうな崖もなく、上下水道の氾濫といった事故がなければ、床下・床上浸水の恐れはありません。

とはいえ、これまでのニュースを見ていると、この数年、インタビューでお年寄りが「長いことここに住んでるけど、こんなこと初めて」と言っているシーンを何度も見ました。やはり、気候が変わっているのでしょうね。

それはそうと、世間的にはこの土日からお盆休みモードなのでしょうか? いや、毎朝の中央線を見ていると先週というか今週、すでに旅行カバンを抱えた人をたくさん見ていますので、盆休みに突入しているという見方もできますし、あたしの勤務先のように来週の水木金だけが社休(それに土日が加わりますが、あくまで夏休みは三日間)という会社も多いでしょうから、盆休みには入っていない、という言い方もできると思います。

いずれにせよ、今日明日はそれなりに帰省や出国のピークでもあるようです。東京から北へ向かう人や海外へ向かう人はよいでしょうが、西へ向かう人、特に四国・中国方面へ向かう方は諦めた方がよさそうな雰囲気ですね。これが「親の死に目に間に合いたい」といった理由ならともかく、この状況ではあたしなら帰省や旅行を諦めます。

ただ、こういう感覚も帰省先を持っていない独身の身なればこその感覚なのでしょうか。配偶者がいて、その田舎が例えば四国の方だとして、毎年お盆に帰省するのを楽しみに待っている、孫の顔を見たがっている祖父母がいる、となると無理してでも行くのでしょうか? いや、こんな天気ですから、帰省先だって「無理しなくていいよ」と言ってくれますよね?

このあたりの感覚、本当に全くわかりません。

単純には移行できない

自宅のNTTの回線を、いま盛んに宣伝している「ギガ」に変更しました。

実感として、特に早くなったという気はしませんが……(汗)

まあ、パソコンやルーター、ハブ、それとLANケーブル、それらの性能がギガのスピードに対応したものでないと、いくら本局から自宅までの回線がギガになっても、その恩恵を受けることはできないわけですよね。まあ、それは折り込み済みです。

で、今回の回線変更に伴ってルーターが変わりました。ルーターはNTTがレンタルしてくれているものなので、以前のルーターは回収され、新しいルーターが設置されました。

回線切り替え工事が終わって、最初にやらなければならないのは、インターネット接続の設定です。これをやらないとインターネットにつなげることができません。ただし、これは簡単です。以前のルーターの設定画面をプリントしておいたので、同じように設定すれば完了です。あっという間に接続できるようになりました。

これでほぼ問題はないはずですが、あたしの場合、もう一段階の作業があります。

わが家にはネットワークHDDが複数台あります。時々、勤務先からアクセスしてデータのやりとりをしています。このHDDにアクセスするための設定をしておかないと、自宅のネットワークの中からは問題なくアクセスできても、外出先からはアクセスできなくなってしまいます。

で、設定をしてみたのですが、勤務先からはアクセスできないのです。

なんで?

以前のルーターの設定と同じようにしているのだけど……

わかりません。ルーターの性能や機能が異なっているのでしょうか? しばらくは試行錯誤が続きそうです。

 

夏休みのルサンチマン

このところ、朝の通勤電車に大きなスーツケースを持った人が目立つようになりました。夏休みでどこかへ旅行へ行くのでしょう。あの荷物の大きさから見て海外旅行? となると中央線・山手線を乗り継いで、浜松町からモノレールで羽田へ向うのでしょうか?

いずれにせよ、あたしのような仕事へ向う人にとっては、あの大きな荷物は迷惑以外の何ものでもありません。もちろん、持って入るなと言うつもりはありませんし、どうぞ気をつけて楽しんできてください、という気持ちで眺めているのですが、心の中に渦巻くルサンチマンは隠せません。

大きな荷物を持っているのだから、もっと機敏に動いてくれないか。周りの状況を見て、車内の邪魔にならないところに立ってくれないか。そんな風に思います。たいていの人は、朝のこんな時間に通勤の中央線に乗ったことのない人ばかりですから、通勤電車の混み方、主要ターミナルでの乗り降りの際の人の激流、そんなもの未体験のはずです。ですから、いつもの通勤電車の秩序を乱すこと甚だしいったらありゃしません。お休みに旅行へ行くのは構いませんが、働いている人、仕事へ行く人の邪魔にならないようにしてくださいよ、と思います。

で、たぶん、あたしがそんなどす黒い感情を抱くのは、自分が休めないからとか、休みが短いから羨んでいるからだとか、そんな理由ではありません。あたしの会社、休もうと思えば休めますし、会社としての休みは短いものの、有休を使えばそこそこ長い休みは取れます。ですから、休みの単調について恨みがましく思っているのではありません。

あたしがもやもやとした感情を抱いてしまうのは、たぶん愉しげにしているカップルを目にしてしまうからです。こちとら、生まれてこの方恋人なんていたことがない身。ですから、もちろん恋人と二人で旅行なんて体験したことありません。だから、そんなカップルを目にするといても立ってもいられなくなる、というわけです。

カップルだけではありません。かわいい子供を連れた若い夫婦などを見ると、「ああ、あたしにはもうあんな家庭を築くことはできないんだな」と思い、やはり自分が惨めに感じられなくもないです。結婚して家庭を持つことだけが人生の幸福ではありませんし、泥沼の愛憎劇が起こりかねないことも知っていますが、それでも素敵な家庭を築いている人はたくさんいるわけで、少なくともあたしには、そういった種類の幸せを感じる機会は訪れないんだなあと思うと、身から出たサビ、誰が悪いのでもなくすべて自分の責任と頭ではわかっていても、やはりなんとも腑に落ちない気持ちを抱いてしまうのです。

 

初速良好

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いい加減ドームにしよう!

東京は今日も暑かったですが、今夜の熱帯夜がさらに追い打ちをかけてくれそうです。外国人へのアンケートでも、東京は母国よりもはるかに暑いという体感のようです。たぶん昼間の気温だけを比べれば東京よりも暑い国から来ている人は多いのでしょうが、やはり日本独特の湿度、それとコンクリートやアスファルトの照り返し、そして夜も気温が下がらないこと、これらが東京をより暑く感じさせているのではないでしょうか?

ニュースでもアナウンサーや気象予報士が盛んに熱中症対策を訴えていますし、市や区の広報車がパトロールしながらスピーカーで呼びかけていたりもします。春先の花粉症と共に、真夏の熱中症は日本独特の風土病になっているのではないかと思います。

さて、ここまで官民挙げて注意喚起をしている熱中症ですが、夏の甲子園大会はそのまま開催されるのでしょうか? 子の炎天下、何の冷房設備もないグラウンドで、選手だけでなく審判やスタッフ、それに万を数えるスタンドの観客の健康について高野連や朝日新聞はどう考えているのでしょう?

これって、もしかして青春の名を借りた殺人ではないか、そんな気がします。

ストーカー殺人

懲役22年の判決が出たというニュースで久しぶりに報道された、東京・三鷹のストーカー殺人事件。この22年が長いのか短いのか、あたしにはなんとも判断できませんが、この事件はかなり凶悪で、ひどい殺人事件だったのでしょうか?

もちろん、こういった事件が起きると、怪しい男性の影におびえる女性が不安に駆られるのもわかりますし、ストーカー行為にしろ、殺人にしろ許されない犯行であることに変わりはありません。それはあたしもきちんと理解しております。ただ、この事件の場合、犯人の気持ちもわかる気がするのです。

この事件、被害者の女子高生はタレント活動をしていたようですね。テレビに映った写真を見ても、それなりにかわいい子であったようです。たぶん、学校の中でも持てたでしょうし、電車に乗っていても、友達と街を歩いていてもスカウトに声をかけられたり、男性にナンパされたりということはしばしばあったでしょうし、声をかけられなくとも周囲の視線を集めていたのではないかと思います。

さて、こういう女性に、休みの日に一緒に映画を見に行ったり、食事をしに行ったりする男友達が何人かいたとしても決して不思議ではありません。もちろん、この女子高生にそういう男性が何人もいたのかどうか、テレビの報道だけではうかがい知れません。でも、一昔前ならともかく、いまどきの女の子であれば、彼氏(恋人)はいたとしても、そういう男性とは別に気軽に遊びに出かけるようなボーイフレンドが複数いたとしても非難されるべきことではないでしょう。

ただ、一般論として非難されるべきことではないということと、自分の彼女にそういう男性がいることを許せるかというと、それはおのずと別問題のはずです。全然構わないよ、という寛容な男性もいれば、自分以外の男性と話をすることすら耐えられないと感じる男もいるはずです。

で、今回の犯人の男性です。

報道から推察するに、たぶん彼は許せないタイプの男性だったのではないでしょうかね。実際問題、殺された女子高生に男友達がいたのかどうかはわかりませんが、彼女は東京、犯人の男性は京都在住ですから、いわゆる遠距離恋愛です。いつでもそばにいられないとなると、自分以外にオトコが出来たのではないかと不安になるのもわかります。できれば、自分だけを見ていて欲しい、自分だけの存在であって欲しい、そう思ったとしても、決して異常でもなんでもないでしょう。

あたしは、今回の事件では、そこまでは理解できるのですが、あたしも異常なのでしょうか。

憎き生姜!

妹家族がやってきました。甥っ子の半年に一度の通院のためで、明日がその日なので今日来て、明日病院へ行き、そしてまた帰るということです。

で、今宵は皆で近所のバーミヤンへ夕食を食べに行きましたが、バーミヤンのメニューって、あんなに生姜が効いていましたっけ? 基本的には美味しく楽しく食事ができたのですが、どの料理も生姜が効いていて、あたし的にはちょっとNGでした。

このダイアリーで何度か書いたかもしれませんが、あたし生姜、苦手なんです。中国料理って生姜だらけじゃない、と言われそうですが、中国へ行って食べるぶんには気にならないんですよね。そもそも生姜が効いているのか? 生姜以外のスパイスがかなり強烈だから気にならないのか? そのあたりはわかりませんが、とにかく日本では、生姜の効いている炒め物はだめです。

豚の生姜焼きは食べられません。スタミナ焼きも同じですよね? スタミナや気なんて言われても、あたし的にはスタミナどころか元気を奪われるメニューでしかありません(涙)。

数年ぶりのバーミヤンで、そんなことを思い出しました。確か、以前に来たときも、生姜が効いているな、と後悔したのを思い出しました。学習効果のない人間ですね、あたしって。

真剣に将来について考えてみた

若いうちは可能性に満ちあふれていると言われますが、逆に言えば、歳を重ねるといろいろと選択肢が狭まるということであります。最近、つくづく、そういったことを感じるようになりました。

いま、あたしは母と二人暮らしです。母は今のところ元気でピンピンしていますが、いつボケるとも限りませんし、ボケなくとも体がきかなくなる可能性だってあると思います。そうなると、あたしはいまのような生活を送ることは難しくなります。難しくなるどころか不可能と言ってよいでしょう。老老介護ではありませんが、あたしが働きながら母の面倒を見なければならなくなるわけです。

そんな余裕、どこにあるのでしょう? いや、余裕なんかなくても、やらないとならないのですよね。仕事を辞めるわけにもいきません。介護をするにしても、いろいろお金はかかります。自分が働いて収入を維持した上での介護なわけですから、介護のために仕事を辞めるというのは本末転倒です。

まあ仮に、母がこのまま元気なままで亡くなったとします。残されたあたしは一人暮らしになります。日常的な炊事、洗濯などはすべて母にやってもらっていましたので、それを自分でやらなければならない負担がのしかかってきます。いや、それは今までが楽をしていたわけだから当然と言えば当然です。それはなんとかしないとならないでしょう。やるしかないです。

問題は、ふだんは母に任せっきりでほとんど交流のない近所づきあいの方でしょうか? このままいくと、孤独死、孤立死が現実味を帯びてきます。一応、親戚として妹夫婦はいますが、静岡在住ですから、何かあったときにすぐに駆けつけてくれるわけではありません。あたし一人でなんとかしないとならないわけです。そういう事態に陥ったときに、果たしてあたしは体がまともに動くような常態なのか否か、なってみないとわかりません。不安がないといえば嘘になりますが、今から考えても仕方ないことでしょう。

こういうことになるから、多くの人はパートナーを見つけるわけですね。離婚した人も、一人で迎える老後は不安だから再婚を真剣に考えるのでしょう。確かにその気持ち、わからなくはないです。ただ、あたしの場合、人付き合いが基本的にできないタイプなので、いまさら結婚など、どうしたらできるのか、という気がします。

その結婚ですら、例えば、今から本気考えて実現しようと思った場合、相手はいくつくらいの人になるでしょうか? 相応に考えれば、そこそこの年齢の方になるのだと思いますが、そうなると(失礼な書き方になるかもしれませんが)現実問題として、二人の間に子供を作るということは考えにくいでしょう。かといって、子供を作れるほど若い人と結ばれる可能性があるかと問われれば、そちらの方がはるかに低い、ほぼゼロ・パーセントではないかと思います。

で、あたしみたいに子供が好きなタイプにとって、子供を作らない(作れない?)のに結婚する意味ってあるのか、という疑問があります。子供だけが結婚ではない、という人も大勢いますし、そういう考えがあることも理解していますが、あたしはそうではありません。やはり結婚するからには子供が欲しいと思います。

そんな歳まで恋人の一人も作れなかった人間が何を言っているんだ、と言われそうですが、そう思っているのですから、こればっかりは如何ともしようがありません。となると、消去法で考えていくと、結婚は諦め、孤独死へ向かってひた走る人生後半を甘んじて受け入れるしかないようです。

いや、それならそれで仕方ないか、自分が選んできた人生なんだから、という諦観はあります。ただ、そんな風に考えたときに、ああ、これが歳をとると選択肢が狭まるということか、と実感されるのです。残されたオプションとしては、子持ちバツイチの人と結婚するという形でしょうか? 他人の子供を愛せるの、というもっともな疑問も出てくるでしょうが、そもそも自分の子供がいないわけですから、そしてたぶんその結婚相手との間に子供をもうけることもないと考えれば、他人も何もないです。たぶん愛せると思います。

が、そもそも問題なのは、あたしが子供だろうが大人だろうか本気で他人を愛せるのか、ということかもしれません。