兵庫県
兵庫県の県庁所在地は神戸市です。こんなことはあたしが言わなくても自明のことです。
というつもりでいると、兵庫は肩すかしを食らいます。
たぶん、ジモティには何の疑問も感じられないことでしょうけど、外様には不思議がいっぱいです。
まず、神戸市の、兵庫県の中心は神戸市とは言いつつも三宮です。JRの駅で言えば(阪急も阪神もそうですが)、三宮駅が中心です。それだけならよいのですが、三宮の二つ隣には「神戸」という駅があります、JRには。そうか、神戸駅はあるけれど、そこが中心ではなくて中心はあくまで三宮なのね、ということは理解できます。
しかしこの神戸駅の隣には「兵庫」という駅もあるんですよね。このわけのわからなさ、兵庫県は駅名だけを見ているとカオスです。
夏です。
先日、人文会のグループ訪問で来ましたが、再びの大阪です。前回は水木金が人文会の行事だったので、その前の月火で京都を回りました。ですので、今回は水木金の二泊三日で大阪と神戸を回る予定です。
このところの東京は突然のスコールが続き、晴れと言うよりは曇りがち、気温も蒸し暑さはあるものの、やや低めでした。しのぎやすいと言えばしのぎやすい日が多かったです。そんな東京からやって来た大阪は暑いですね。夏です。もう梅雨は明けたのか、という感じです。
さて、今回の大阪行きですが、東京駅ではいつにもまして修学旅行の生徒が多かった気がしました。当然のことながら京都駅で降りた生徒も多かったです。集団ですから同じ列車だったのか、1本か2本前の列車だったのか、それはわかりませんが、京都駅のホームにもたくさんの生徒がいました。
楽しそうな集団でしたが、この時期の京都は暑いでしょうね。ちょっとかわいそうですが、よい季節だと旅行代金も跳ね上がってしまうのでしょうか? 最近の修学旅行はグループ行動も多いようですが、事故と怪我、あとは熱中症には気をつけましょうね、と心の中で思っている自分がやけに年寄りじみていると感じました(^。^;)。
いや、熱中症はあたしも気をつけないと!
今日の配本(14/06/24)
赤い人
このところ少しずつ紹介も増えている『オオカミ 迫害から復権へ』では、アメリカ大陸でのオオカミ駆除の歴史についても触れられています。それまでのネイティブアメリカンがオオカミを取り立てて駆除してはいなかったのに対し、ヨーロッパからやってきた白人たちが血眼になってオオカミを狩ったようです。
そんなネイティブアメリカンの記事を読んでいて思いだしたことがありました。あたしの心の中では非常に鮮明に記憶に残っているので改めてここに書いておきたいと思います。
ネイティブアメリカン、いわゆるインディアンです。あたしが子供のころや学生のころには、まだネイティブアメリカンという言い方は日本では人口に膾炙していませんでした。そんな高校時代に受けた英語の模試、長文読解問題のテーマはアメリカの歴史について書かれたものでした。
長文の内容は忘れてしまいましたが、インディアンがかつて「赤い人」と呼ばれていて、それが侮蔑的な意味で使われていた、というようなことが書かれていたと記憶しています。この「赤い人」は文中では「red man」と表記されていました。「r」や「m」が大文字だったかは忘れてしまいましたが、とにかく「レッドマン」と書かれていました。
英語の設問では、この「red man」に下線が引かれ、これは誰を差すのか答えよ、というような問題があり、答えはインディアンだったかネイティブアメリカンだったか、とにかくそれに当たる単語を書けばよかったのです。
ところが、ここにあたしの同級生で同じくこの模試を受けた男子がいました。彼はバリバリの自民党支持者で、共産党を毛嫌いすること甚だしい人でした。その彼は「red man」という単語を見て、「共産主義者」と回答し、見事に×をもらいました。彼曰く、「赤いやつ」といったら共産主義者しかいないと言って譲りません。
いや、この問題文には共産主義の「き」の字すら出てこないよと言っても、アメリカ人が闘った相手という、なんとなく読み取った英語の文章の大意から「アメリカの敵は共産主義」と早合点し、共産主義者を登場させてしまったようなのです。
いま思っても笑ってしまう勘違いですが、彼はその時必死の形相で主張していました。高校卒業後は逢っていませんし、風の便りも聞きませんがどうしているのでしょうね。
文庫・新書の高い壁、いや、山?
少し前に、書店では文庫や新書はレーベルごとに並んでいるけれど、内容やテーマごとに並べられないもうだろうか、的なことを書きました。それが棚管理上たいへんであることは重々承知していますが、やはり利用者目線としては、そういう置き方、並べ方の方が楽しくないか、という気持ちがあるのです。
ただ、やはりこういった考えは現実の書店現場を知らないから気軽に言えるのでしょうか? そういうあたしの考えをたしなめるかのような夢を見ました。
なぜか、あたしは本屋で働いていました。正社員なのかバイトなのか、はたまた出版社の身分のまま手伝いに行ったのか、夢の中では定かではありません。働いている本屋も知っているお店ではなく、いったいどこの本屋なのか皆目わかりません。
そんな本屋の文庫・新書の棚の前で、うずたかく積まれた新刊の山を前に途方に暮れているあたしがいました。その月の文庫・新書の新刊が同じ日に入荷してくることはありませんから、夢の中とはいえかなり特殊な状況です。見る限り、ほとんどすべての出版社のレーベルの文庫・新書が山積みになっています。それも、レーベルごとに山になっているのならまだしも、ごちゃごちゃに置かれています。取次から入ってきた荷物は誰がわざわざこんな面倒な積み方をしたのでしょうか、という気持ちになりました。
さて、開店まで時間もないのか、既に開店していたのか、夢の中ではよくわかりませんでしたが、とにかくあたしはこの山を一時間かそこらで片づけなければなりません。片づけるとはバックヤードへ運ぶのではなく、すべて棚に収納するという意味です。棚前の平台があったのかどうかは思い出せませんが、とにかく一つ一つ棚に入れていかなければならないのです。
途方に暮れつつも、あたしは最初のうちは「やはりテーマごとに並べた方がいいよね」と考えていました。だった、山の中には違う出版社、異なるレーベルとはいえ似たようなテーマの本がいくつかあったからです。これとこれを隣に並べたら両方とも買って行ってくれるお客さんもいるだろうなあとは予想できます。
でも、すぐに現実に引き戻されます。「この山をできるだけ速やかに片づけなければいけないのに、そんな一点一点テーマとか内容とかを吟味して棚に入れていくような時間的余裕はない」ということです。仕方ありません。既に店にはレーベルごとに文庫・新書が並んでいます。そこへあたしは山から同じレーベルのものを見つけ出しては並べていったのです。
短時間で効率よく作業をするには、少なくとも文庫・新書についてはこのやり方がベストだなと、自分の作業によって身を以て憶えたのです。生意気にもあんなブログを書いたあたしへの神様の当てつけというか、天罰というか、懲らしめ。夢だとわかっていながら、夢の中であたしはそんな風に感じていました。
ローマ帝国滅亡に新解釈
「の」の悩み?
今日の配本(14/06/19)
積み重ねと言われても……
ちくま新書『男子の貞操』を読んでいます。
サブタイトルに「僕らの性は、僕らが語る」とありますが、性生活に至るまでに、まずは会社とか学校とか地域社会と言った、社会的ネットワークに属し、そこでしっかりとした関係性を構築することが最初の一歩と書かれています。「絆」という言い方もしていますが、他人とそういう関係を築けることが、異性と同じような信頼関係を築く基礎であり、そこから積み重ねて初めて性生活に達することができるのだと書かれています。
そもそも、なぜ性風俗に通う男性が、素人性や処女性、店外デートといった、「サービスだと感じられないようなサービス」という矛盾したことを求めてやまないのかというと、その背景には、プライベートでの人間関係の貧しさがあります。人間関係を築く動機もスキルもなく、家庭や地域、学校や職場といった社会的ネットワークの中で孤立しているがゆえに、人間関係をお金で売り買いするしかない。彼らもまた、「分かりにくい弱者」です。(同書P.183)
現状では、そもそも「お金で売り買いする」ほどのお金も持っていないので、悶々と過ごすしかないわけですが(汗)、あたしとして知りたいのは、どうやったら「人間関係を築けるのか」ということです。本書でも、自分本位ではなく相手目線に立って、と言ったことが書かれています。「人から好かれるノウハウ」本、「他人に嫌われないためのノウハウ」本にも似たようなことが書いてあります。でも、その具体的な方法って何なのでしょう?
相手目線って、どうやったらわかるのでしょう? 相手の気持ちになって、というのもどうやったらなれるのでしょう?
あたしみたいに子供のころからクラスの中で、どちらかというと嫌われてきた人間にはわかりません。他人と比べて取り立てて嫌なことをしていたとは思えません。嫌われるようなことを意識的にしていたわけでもありません。あたしはごくごく普通に振る舞ってきたつもりです。
それでも好かれない、むしろ嫌われる。
存在していること、それ自体が他人に嫌悪感を催させるのでしょうか? 何をしても、他人に嫌な思いを与えしまうのでしょうか?
そんな風に生きてきた身としては、どうしたらよいのかわかりません。
相手との信頼関係? そんなの夢のまた夢です。