高速をぶっ飛ばす?

昨日は午前中で会社を早退しました。

今週一週間、妹が姪、甥、姪(←あたしから見たら、です)の三人を引き連れわが家に来ていたのですが、それを送っていったというわけです。妹たちの家は静岡県の清水町というところ。次郎長の清水ではありません。清水町です。と言っても、ほとんどの人は知らないと思いますが、地図で言うと三島と沼津のちょっと南になりますから、伊豆半島の付け根ですね。

東京からですと東名高速を沼津ICで降りて20分くらいです。高速は特に渋滞もなく、快適に素っ飛ばしていくことができましたが、川崎ICまでの一般道が面倒ですし、多少混んだりします。うちからだと府中から稲城のあたりを通って、専修大学、明治大学がある山道(?)を抜け川崎ICへ出るのですが、ここまでが30分から40分程度かかります。順調に進んでの話ですから、渋滞に巻き込まれると1時間はかかってしまうのではないでしょうか?

昨日の場合、自宅へ戻り、午後2時に家を出て、妹宅へ着いたのがほぼ4時です。4時をちょっとだけ回っていたかなという頃合いですから、きわめて順調な往路でした。夜に雷雨になるという天気予報だったので、5時に妹の家を出発し、自宅へ帰宅したのはもうすぐ7時半になろうという頃でした。

復路は、海老名から町田あたりの東名で進行がやや滞りましたが、渋滞と言うほどの混雑ではなく、川崎を降りてからは夕方の渋滞が多少あってやや時間がかかりました。それでもまずまずの時間で帰ってこられたのではないでしょうか?

以前、川崎からの一般道が大変なので、御殿場から山中湖の方へ抜け、富士五湖道路から中央道経由で帰ったこともあります。若干遠回りで、高速料金もかかりますが、これですと国立府中で下りられるので、高速を下りてからの一般道区間は短くてすみます。一般道が混雑している場合は、こちらのルートの方が精神衛生的には楽かとは思いますが、中央道も小仏トンネルとか八王子バス停とか、それなりに渋滞名物区間がありますので、どちらがスムーズなのか……

いずれ圏央道が海老名から高尾まで繋がった場合、沼津から海老名までは東名、そこから圏央道、中央道経由で帰宅というコースも考えられますが、これも距離で考えるとかなり遠回りをすることになるのでちょっと考えてしまいます。

これがドライブ好きな人であれば、いろいろ走れて楽しい、となるのでしょうけど、あたしのように乗り物酔いする人間にとってはできるだけ短時間で着きたいという思いが先に立ちますので、そんな快適な気分にはなれません。「えっ、車を運転していれば酔わないでしょ?」と言われますが、時に運転しながら酔うこともあります。さすがに「吐く」ことはありませんが、もし運転していなかったら確実にゲロゲロになっているな、と思いながらハンドルを握っていることはしばしばあります。

これでも昔に比べたら乗り物酔いはかなり治まり、だいぶ強くなったと言えるのですが、それでも乗り物酔いしやすいタイプであることに変わりはありません。なので、昔から遠足は楽しい想い出などなく、前の晩のワクワクも感じることなく、「ああ、あした何時間もバスに乗るんだ」という憂鬱な気持ちに襲われて寝付けないことばかりでした。寝不足だから余計に気持ち悪くなる、という悪循環です。子供の頃の遠足に楽しい想い出がある人が羨ましいです。

勝手に「おふらんす強化月間」やらなくちゃ?

文庫クセジュの『十九世紀フランス哲学』読了です。

何で読み始めたかというと、あくまで個人的な興味です。別にこの時代に詳しいわけではありません。いえいえ、フランス哲学について詳しいわけではありません。むしろ何も知らないと言った方がよいくらいです。だから、逆に読んでみたくなりました。なにせ、十九世紀のフランスと言えば、文学・芸術の世界は綺羅星の如く大スターがたくさんいます。それに比べると哲学の分野ではこれといって見るべきものが見当たらない、というのが通説。

確かにこのあたりの西洋哲学を思い出してみると、18世紀以来、カント、ヘーゲルなどドイツ哲学が主流で、さらにマルクスやニーチェ、ショーペンハウアーなど、どれもフランスではありませんよね。この本を読む前に少し年表を繰ってみたのですが、コント、トクヴィル、それくらいしか有名どころはいない、いや、これですら一般的な西洋哲学史の中では扱われていないかもしれない当落線上の人物でしょう。

でも、十九世紀のフランスの歴史を年表で見てみると、大革命を受け、帝政や共和政、王政がめまぐるしく入れ替わります。こんな歴史を前にして、人々が何も考えないわけはないんです。革命は成功だったのか、革命がもたらしたものは何だったのか、といった問いかけが当時のフランス知識人の中には必ずあったはずです。ですから、当時のフランスの思想界が面白くないわけがない、そう思って読み始めました。

結論から言いますと、予備知識のないあたしには、かなりハードルの高い本でした。でも、この時代(大革命から第一次大戦まで)のフランスの思想界を引っ張った人物は一通り網羅されていると思いますし、特にどちらかに偏った記述になっていると言うことはなく、至極平明に、そして構成に記述されているのではないかと思います(←基礎的な知識もないくせに偉そうに言うな?)。文献や思想の核心などもうまく本文の中に取り上げられていて、ここに書かれていることくらいを押さえておけば、十九世紀のフランスの思想界についてはもう十分ではないでしょうか? ただ、あえて本書の書名と異なって、あたしが思想というのは、読後感としても、これらを哲学と呼ぶよりは思想と呼ぶ方がふさわしいのではないかと感じたからです。「十九世紀フランス思想入門」とした方が内容をよく表わしているのではないかと感じます。

それにしても、今回読み終わって改めて気づかされたのは、ドイツはプロテスタントの国、フランスはカトリックの国だという違いです。案外、歴史とか文学とか、もちろん思想でも、こういうベースになる部分の際というのを押さえておかないと、肝心なところで読み誤るのではないかという気がしました。わが恩師が、中国人は出身地に注目せよと教えてくれたことが思い出されます。表立ってで来ないけれど、厳然としてある立ち位置の違いとでも言うのでしょうか、そんな感じです。

あと、実はあたしの勤務先で既に品切れとなっているのですが、本書を読んだなら、同じく文庫クセジュの『フランスにおける脱宗教性の歴史』を読まないといけないと気づかされました。本書の中にもライシテ、政教分離という言葉が何回も出てきます。当時のフランス思想界の一つの重要なポイントだったのでしょう。

それにしても、フランス史の大きな流れ、主要な人名、作品名、きちんと勉強しないとなりませんね。少し前に岩波新書の『フランス史10講』を読んで、自分のフランスに関する知識の不足を嘆いたばかりですが、これは本格的にフランス史を勉強しないとならないようです。一人で勝手に「おふらんす強化月間」をやるとしますか!

さて、最後にこの『十九世紀フランス哲学』について注文を付けるとすれば、もう少し実際の政治の動きや歴史の流れと、各人の思想を結びつけた記述が欲しかったです。それぞれの思想の説明もなかなか消化できなかったのですが、それらがどうしてこの歴史的背景の中で出てきたのか、どういう政治状況の中から生まれてきたのか、そのあたりの説明がほとんどなされていないので不満が残ります。

あたしが専門だった中国思想では、一部例外もありますが、基本的に思想は政治思想であり、経世済民ですので、認識がどうの、神がどうのといった七面倒くさい議論に入ることはあまりなかったので……(汗)

はじめの3冊

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初々しいのはいないのか?

やはり朝が早いせいか、電車の中に、いかにも新入社員、という若者を見かけませんね(笑)。

いえ、別に会いたいわけではありません。朝の通勤電車の闖入者たち、これまでのバランス、車内の暗黙の秩序を破壊する彼らを決して歓迎しているわけではありません。

まだネクタイの結び方が不安です、スーツが着こなせていません、という若者らを見ているのは微笑ましいものですが、できればあたしが乗っている電車には乗らないで欲しい、もし乗るのなら、他の車両、他のドアから乗って欲しい、というのが偽らざる本音です。

なにせ先月半ばにJR中央線は朝の時間帯も巻き込んだダイヤ改正がありまして、現在はまだ通勤ベテラン勢もどの時間の電車で、どの車両に乗るか、図りかねている、様子見状態のような気がします。そこへ持ってきて春休みなので、ディズニーランドなどへ行くとおぼしき学生たち。車内秩序の破壊者には事欠きません。

ここに新入社員が加わっても、そもそも壊れていた秩序だから、あまり関係ないのかもしれません。それでも通勤の苦痛はできるだけ和らげたいもの。もう半月もすれば、なんとなく暗黙の了解が生まれるのでしょうか?

それにしても、初々しい新入社員を採用しなくなってどれくらいになるのでしょう、あたしの勤務先は!

クリミア? ウクライナ?

今更ながら、ウクライナ問題。

とりあえず、テレビや新聞で知った程度の知識ですと、旧ソ連時代のウクライナ共和国、それがソ連崩壊を機にそれぞれが独立し、ウクライナもそのまま共和国となったわけです。ところが、このウクライナは一枚岩の国かというとさに非ず、西側はウクライナ人が多く住み、親ヨーロッパ、東側はロシア人が多く住み、親ロシアなんだそうです。本来なら、西側だけをウクライナ共和国とし、東側はロシアの領土であればよかったものを、地理的な位置関係が絡んだのか、東側も含めてウクライナ共和国となったそうです。ソ連時代であれば、どこの共和国に属そうが、大きなソ連の一部ですから問題なかったものが、各共和国が独立したがために、ややこしいことになったそうです。

と、ここまでにわか仕込みの知識。クリミア半島は東側に属し、ロシア人が多く住んでいるので、もともと親ロシアだった、とも報道されています。住民自治を原則とするのであれば、クリミアの人たちが自分たちの投票で決めたのだから、それでいいじゃないか、という意見も理解できます。

で、ここで日本に置き換えてみます。

例えば、北海道が住民投票を実施して「日本から離脱してロシアに加わる」と主張したらどうでしょう? 北海道に住む人がそれを希望するのであれば、そして実際に投票をして過半数(あるいは3分の2?)の支持を得て、その意見が通ったら北海道は晴れて日本から別れてロシア領となるのでしょうか?

たぶん、そう簡単な話ではないですよね。その投票を日本の政府が認めるのか否か、そこがまずは第一の問題です。青森のすぐ北がロシアなんて、ちょっと違和感があります。別にかつてのようにロシアが嫌い、ソ連は嫌い、という意識はありませんが、やはりイヤですよね。俗っぽい話をすれば、もう北海道に気軽に旅行に行けなくなるのか、東京で北海道物産展は開かれなくなるのか、そんな心配もあります。

それに、北海道の住民の投票で決めたと言っても、果たしてどこまで住民の意思を反映しているのでしょうか? そんなこと現実には起こりえないとは思いますが、十年がかりでロシアの人たちが徐々に北海道に移住してきて日本国籍を取得し、いつのまにか北海道全道民の過半数がロシア系の人になった、その時を捉えてこういう運動が起こったらどうでしょう? 可決される可能性はありますよね。

中国の少数民族地域では似たようなことが起こっています。漢民族の移住が増えて、現地の住民の過半数を漢民族が占めるようになってしまい、投票などをすれば、もともと住んでいた少数民族ではなく、漢民族の意見が通るようになってしまっているところも多数あるそうです。

で、ウクライナです。

ウクライナの東側とか、特にクリミア半島にロシア人が多いからと言って、そこは果たして最初からロシア人が住んでいた土地なのでしょうか? もともと住んでいた住民を追い払ってロシア人が住み着いたとか、あるいは追い払いはしていないが、ロシア人が大挙してやってきたがために今ではロシア人が住民の過半を占めるようになってしまっただけとか、そういう可能性はないのでしょうか?

管見の及ぶ限り、今回のウクライナ問題で、こういう歴史的なことをわかりやすく解説してくれている新聞が見当たらないのですよね。どうしてでしょう? やはりクリミア戦争からたどらないとならないのでしょうか?

出会いと別れ?

今週は、営業回りの途次、着物(振り袖)姿や袴姿の女性を多く見かけました。卒業シーズンなんですね。雨の日は裾が汚れて、たぶん貸衣装でしょうから、「雨で汚すとお金を取られるのかしら?」と、他人事ながら心配になって眺めてしまいます。はい、心配の眼差しであって、イヤらしい眼差しではありませんので、念のため。

自分の卒業式を思い出すかと問われると、まるっきり思い出しません。いや、「自分は卒業式に出ていないなあ」という意味で思い出しはしますが、涙の別れとか、名残を惜しむとか、学生時代を振り返るとか、そんなセンチメンタルな想い出は全くありません。大学の時は、そのまま大学院に進学することが決まっていたので、まだまだ通うわけですから卒業式というのも変なものだ、という感覚でしたので出ていません。当日もバイトをしていました。夕方になってからバイトを少し早めに上がって研究室へ証書をもらいに行ったくらいです。

大学院の時も、今の職場で、既にアルバイトとして働いていたので、やはりその日も働いていて、夕方になってから研究室へ証書を受け取りに行きました。ですから、何人かの恩師や、たまたま研究室にいたクラスメートと話をしたくらいで、特に感慨深い別れをした覚えはありません。

このところは本人も、さらには親までもが大学の入学式、卒業式に出席するような風潮がありますが、あたしのころは、そもそも当人が出席することが稀という時代でした。時代が変わったなあと思います。

ちなみに中学、高校の卒業式は、式典の後、各教室で担任から証書をもらい、最後のホームルームがあって解散になるわけですが、特にクラスメートと別れを惜しむことなく、いつものように帰宅してしまいました。涙を流すこともなければ、別れが辛いということもありませんでした。あえて言えば、高校の時の乾さんとは、もっといろいろ話をしたかったという後悔がありますが……

そもそも、あたしの場合、学生時代はずーっとクラスの嫌われ者(いじめられっ子に近いです)だったので、さっさとこんなクラスや学校とはおさらばしたいという思いの方が強く、辛い別れではなく、清々とした門出と言った方があたしの気持ちを正しく表現できていると思います。

ところで、テレビなどでもこの時季になると決まり文句のように「出会いと別れ」なんて表現を使いますが、あたしはこれに違和感を感じます。まずは3月に卒業などの別れがあり、4月になって新しい出会いがある、という順番ではないでしょうか? つまり「出会いと別れ」ではなく、「別れと出会い」ではないかと思うのです。語呂が悪いですか? リズムがよくないでしょうか? でも時間軸に沿って言えば、たいていの人は「別れと出会い」という順番でこの季節をやり過ごすと思うのですが……