値上げ前?

消費税が8%に上がる前最後の週末と言うことで、どこも混んでいるようです。

うちの母親などは4月からはいろいろなものが値上がると言っていますが、そうではないですよね? 上がるのはあくまで消費税率であって、物の値段そのものは上がらないはずです。と言うか、上げてはいけないはず、便乗値上げ厳禁は政府からもお達しがあったはずです。

もちろん、このところの円安で輸入品などは価格が既に上がっているでしょうから、そういうものはやむを得ないでしょう。あと、雑誌など税込みで丸めた値段になっていたものは、税率改定後も値段が丸まるように、1円、2円程度上げるのは仕方ないことでしょう。でも、結局のところ、上がるのは消費税であって、その品物の値段ではないということは、きちんと心得て置いた方がよいのかなあ、と思います。

で、駆け込みでの買い物、しますか? そもそも相当高いものなんて買えるような余裕はありませんし、そんなに高くないものなら、3%上がってもそれほどの差が生じるとは思いません。ここで駆け込みで買い物をするほどの経済的な余裕はありませんから、駆け込みの買い物なんてしませんね。それが一番悲しいです。

 

女の仕事?

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オオカミ復活!

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どちらが賢いのか?

Facebookの続きです。

一冊入ってきた新刊が、入ってじきに売れたとします。その次にどうするかです。もちろん、その本のジャンルにもよるかと思いますし、こちら(出版社の営業)がそのお店に何らかのアプローチをするか否かという問題もあると思います。

ここでは、売れた直後のタイミングで、あたしたち出版社の営業がたまたまそのお店に足を運んだとしましょう。新刊が棚になければ、出版社の営業としては「あれ、配本がなかったのかな?」という心配と、「もう売れたのかな?」という期待が交錯します。でも、とりあえずはお店の方に声をかけるわけです。

で、その時のお店の方の対応はだいたい二通りです。その一は、「うちではああいう本は難しいから、一冊売れればもう十分だよ」というもの。もう一つは「それじゃあ、追加して、もっと積んでみようか」というもの。

どちらの方が賢い選択なのでしょうか?

入った本が売れたと言っても、他のお店でも順調に売れ、書評も出て、ますます売れそうな場合もあれば、たまたまそのお店では運良く売れたという場合があると思います。本の定価、ジャンルも問題になるでしょうし、そのお店の客層、どんな本がよく売れる本屋なのか、ということも関わってくるでしょう。

で、先の選択肢で前者の場合、一冊入って一冊売れました。消化率は百パーセント。返品もありません。数字だけを見ると優秀です。後者の場合、では3冊ないし5冊追加注文したとします。一週間か十日後に入荷して並べました。じきにまた一冊売れました、しばらくすると更に一冊売れました、となることもあれば、追加が全く動かない(売れない)、一ヶ月たってとうとうすべて返品することにしました、という可能性もありえます。いや、昨今のこの業界の状況を考えると、追加も瞬く間に売れてしまうなんて言うのはかなりの僥倖、何十冊に一冊、いや何百冊に一冊の確率かもしれません。となると消化率も下がるし、返品も生じ、最初にせっかく売れたのに、数字上は元の木阿弥です。

だから、最近の出版界では前者を選択するのが賢い選択と言えるのかもしれません。現に前者を選択する機会が多くなっているような気がします。それはそれで短期的には数字はよくなるとは思いますが、じきに行き詰まり、漸減あるは急降下の未来が待っていると思います。とりあえず、返品のことはおき、一冊売るだけで満足するのか、三冊、五冊と更に売ることを目指すのかという点で考えてみたいと思います。そうしないと、売り上げは伸びませんから。

だからといって、出版社側も書店に対して追加注文を出せ、と強く言えるわけではありません。強く言うためにはそれなりの論拠が必要になります。そして、追加注文をもらったからには、それがしっかり売れるような対策を書店の人と一緒になって考えないとなりません。

何ができるのか、書評が出るか出ないかは神頼み、テレビで紹介される、有名人がブログやツィッターで話題にしてくれるなんて、なおさら夢のまた夢。ポップを作るくらいしか思いつかない体たらくですが、もっと売ろうとしてくれる書店員さんに対しては精一杯、何かしたくなります(「してあげる」という表現は使いたくありません)。でも、何ができるのかと、いつも自問自答です。

こんな映画も!

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いつになく冗舌?

現代の作家たちは、ペル・ジムフェレールが指摘したように、もはや社会的地位というものを叩きのめそうとするお坊っちゃんではないし、ましてや社会不適合者の群れですらなく、むしろ社会的地位のエベレストに登ろうとする、社会的地位に飢えた中流階級や労働者階級出身の人々のことだ。マドリード生まれの金髪やブルネットの子供たち、人生を中の上で終えたいと願っている、中の下の人々。彼らは社会的地位を拒まない。必死になってそれを求める。それを得るためには大量の汗をかかなければならない。本にサインする、微笑む、見知らぬ土地を旅する、微笑む、ワイドショーで道化を演じる、大いに微笑む、お世話になっている人には絶対に歯向かわない、ブックフェアに出席する、どんな間抜けな質問にも愛想よく答える、最悪の状況でも微笑む、賢そうな顔をする、人口の増加を抑制する、いつもお礼を言う。(P.155、「クトゥルフ神話」より)

 

出版社の特権、刊行前の新刊を手に入れることができる! ということを別に自慢したいわけではありませんが、最新刊『鼻持ちならないガウチョ』、読了しました。

 

今回も、先の『売女の人殺し』同様、短編集ではありますが、かなり感じが異なります。『売女』はボラーニョ自身とおぼしき主人公が登場する作品も含まれていて、小説というよりは自伝といった趣を濃厚に感じさせる作品集でありましたが(ただし、あたしはそういう自伝的な作品よりも、純粋にフィクションの作品の方が面白く読めましたが)、今回は最後の二篇が講演原稿であり、その他の作品も、それほど濃厚に自伝的な感じを漂わせているわけではありませんでした。むしろ、もう少し大きく広く、ボラーニョが生きたチリ、そして南米の社会を描いているような作品集と言ったらよいのかな、と思いました。(そういう意味では「ジム」は『売女』に収録されていても違和感がないような気がします。)

秀逸なのは、やはり表題作である「鼻持ちならないガウチョ」、そして「鼠警察」の二篇です。「ガウチョ」は解説などを読めばわかるように「ドン・キホーテ」を彷彿とさせる滑稽さなのでしょうが、「ドン・キホーテ」を読んでいなくても、知らなくても主人公の滑稽さ、田舎暮らしをすることになった都会人のズレ、何とも言えない淋しさをたたえた笑いがこぼれます。

「鼠警察」はカフカの作品へのオマージュと言うことですが、こちらもそれを知らなくとも何の問題もなく読めます(現にあたしがそうです)。むしろ『2666』を読んだ人には、ネズミの世界を借りた「2666」なのではないかとすら思えるのではないでしょうか? あちこちでネズミが無残にも殺される凄惨なシーンの連続にもかかわらず、どこかユーモラスに感じるのは、読みながら頭の中で小太りなネズミの姿を思い浮かべながら読んでいたからでしょうか? このネズミ連続殺人事件(いや、殺鼠事件)も「2666」同様、犯人とおぼしきネズミが捕まりますが、これまた「2666」同様、すべての殺人の犯人(いや、殺鼠の犯鼠)がそのネズミ一匹ではないのでしょう。そして、逮捕後も殺戮は続くのだと思われます。

最後の講演の部分に至るまで、あたしは『2666』と『売女の人殺し』しか読んだことはないのですが、今回のボラーニョはとても冗舌に感じました。もちろん過日、セルバンテス文化センターでのイベントで、ボラーニョ生前のドキュメンタリーを見て、決して寡黙な人ではないという印象は持っていましたが、今回の作品集ではさらにボラーニョの声が聞こえる気がしました。

  

これだけの大長編を書いているボラーニョですから、体の中から言葉があふれ出してくるのだとは思うのですが、これまでの作品では決して冗舌であるという印象は受けませんでした。しかし、今回の作品ではボラーニョがやけにおしゃべりになった、そういう印象を受けました。これは、今後の<ボラーニョ・コレクション>も楽しみですし、まだ未読の『野生の探偵たち』を読むのがますます愉しみになりました。