Nancy Sensual World

このたび、「染井吉野ナンシーの官能世界」は引っ越しました。新しい世界はこちらになります。今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。 自動では新しい世界に飛びませんので悪しからず……

新着ニュース

まもなく自著も刊行予定

今日も朝日新聞です。

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。

この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』です。

フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。

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最近のRockfield's Diary

ガンバレ中学生!

今朝の朝日新聞の「声」欄です。

三国志にはまっている中学生の投書です。世の中、漢文の授業など要らない、という風潮が強くなっているというのに、この中学生は白文を読みたいと書いています。嬉しいじゃないですか! まだ12歳ですよ!

それにしても、こういう熱い気持ち、せめて大学へ入るまでは持続してほしいものです。ただ、あまり熱くなりすぎると周囲から浮いてしまうかも知れません。浮いてしまうと情熱も冷めてしまいがちです。ですから、静かに、熱いというよりは温かく、ずっと心に持っていてもらいたいと思います。

もし本当にその道を志すのであれば、一時の熱さよりも、何十年と根気よく向かい合える気持ちの方が大事になってくるはずです。あたしが学生の頃にも、NHKの「シルクロード」や人形劇「三国志」などの影響で、必要以上に熱いテンションで入ってきた同級生がたくさんいました。が、そのほとんどはテンションが一学期と持たず脱落していきました。

たぶん、テレビやゲームの影響で入学すると、ひたすら白文を読むような地味な授業についていけなかったのでしょう。でも、この投書の中学生は白文が読みたいと書いているくらいですから、たぶん大丈夫。大学受験の頃、この投書を読み直してどんなことを思うのでしょうか?

2017年7月14日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

日本は戦争をするのかな、って心の片隅でちょこっとだけ考えておいた方がよい時代なのかも

ブックファースト新宿店の人文書コーナーで、加藤陽子さんの選書によるフェア、やっていました。

上の写真は、そのフェアで配布されている小冊子なのですが、これ、ちゃんと印刷屋さんで刷ってもらったものみたいな紙質です。ただ、どこが作ったものが書いていないので、版元作なのか、ブックファースト作なのか不明です。特に加藤さんの新刊『歴史を学び、今を考える 戦争そして戦後』をフィーチャーしているようなフェアにも見えませんでしたが……

で、上の写真は小冊子の表紙だけですが、頁をめくって選ばれている20点の書籍に対する加藤さんのコメントが熱いです。本当に現在の日本を憂いているんだなと感じます。書目だけ挙げておきますと如下:

小松左京セレクション1 日本(河出文庫)
ヒトラーとナチ・ドイツ(講談社現代新書)
戦争は女の顔をしていない(岩波文庫)
ボタン穴から見た戦争(岩波文庫)
決定の本質(日経BPクラシックス)
日本陸軍と中国(ちくま学芸文庫)
憲法9条の思想水脈(朝日新聞出版)
失われた兵士たち(文春学藝ライブラリー)
日本人はなぜ戦争へと向かったのか(新潮文庫)
海の志願兵(偕成社)
言論統制(中公新書)
対談 戦争と文学と(文春学藝ライブラリー)
日本浪漫派批判序説(講談社文芸文庫)
平和憲法の深層(ちくま新書)
世界史の中の日本国憲法(左右社)
大本営発表(幻冬舎新書)
幕僚たちの真珠湾(吉川弘文館)
戦争中の暮しの記録(暮しの手帖社)
大政翼賛会への道(講談社学術文庫)
インテリジェンス(ちくま学芸文庫)
クーデターの技術(中公選書)

文庫の手軽さは理解できますが……

朝日新聞の岩波文庫記事の最終回。

文庫は手軽であるということのようです。確かにその通り。気が向いたら手に取って、なんなら買って読んでみる、それが文庫本の醍醐味だと思います。

だからこそ、そういう文庫まで図書館で借りて読んでいる人が増えている昨今の状況、つまり不景気ってことですが、そんな状況なんとかならないものか、と思ってしまいます。

文庫(や新書)くらい、借りずに買ってよ、というのが本音ではありますが、本を買う金はないけれど、それでも本を読みたいんだ、という気持ちもわかりますし、そういう気持ちは大事にしたいところです。でも、やっぱり、ちょっと高い単行本ならいざ知らず、文庫なんだから……。いや、最近は文庫もかなり高額になりましたね(汗)。

それとは別に、古典などが文庫になるのも悪いことではないものの、書店における棚作りとして見たときにはどうなのかな、という気もします。

本屋の場合、基本的にはジャンルごと日本が並んでいるわけですが、文庫や新書はジャンルではなく、「○○文庫」「△△新書」という括りで並んでいます。その方が店員も管理しやすい、というメリットはわかります。

でも、そうなると岩波文庫の西洋哲学の古典が人文書の棚にはなくて、岩波文庫のコーナーで探さないとならなくなります。書店によっては文庫もその内容に従ってジャンルごとの棚に置いている店舗も散見されますが、単行本の中に文庫本を混ぜて置くと埋もれてしまったり、棚の高さが無駄になったり、なにかと不都合も出てきます。

いま「不都合」と書きましたが、あくまで書店の棚管理上の不都合であって、そのジャンルの本を捜しているお客さんからすれば、単行本も文庫も新書も関係なくて、そのジャンルの本は同じところに置いて欲しいと思うものではないでしょうか?

本屋に慣れていない人が、例えば夏目漱石の『坊っちゃん』を買おうと思って本屋に来たとします。夏目漱石なんだから「文芸」とか「文学」のコーナーに置いてあるだろうと予想をつけて行ってみたけれど、いくら探しても見つからない、「夏目漱石の…」といった周縁の本は「評論」という棚に置いてあるけれど、いくら探しても『坊っちゃん』は見つからない。そんな状況がいまの本屋です。

もちろん店員に聞いたり、店内の検索機を使えば、適当な文庫に収録されている『坊っちゃん』がヒットするでしょう。仮に存在するとしても、最低でも1000円以上はする単行本よりも文庫本があるなら、このお客さんにとってはその方がありがたかったと思います。でも、やはり「文芸」の棚で見つからないということに関しては忸怩たるものがあるのではないでしょうか?