Nancy Sensual World

このたび、「染井吉野ナンシーの官能世界」は引っ越しました。新しい世界はこちらになります。今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。 自動では新しい世界に飛びませんので悪しからず……

新着ニュース

まもなく自著も刊行予定

今日も朝日新聞です。

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。

この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』です。

フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。

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最近のRockfield's Diary

中国の北と南

中国史では南船北馬という言葉あります。主に移動手段が馬である北方、いわゆる黄河流域を中心とした中原地域と、運河などが発達し、移動手段が舟である淮河以南の南方地域を表わした言葉です。『三国志』なんかで使われていたという記憶がありますが……

とまあ、かように中国の北と南とでは違っていて、その他にもいろいろと異なるところはあるのでしょう。なにせヨーロッパが丸ごと入ってしまうほどの広さ。ヨーロッパであれば、北欧とイタリアやスペインを一緒くたにすることはないでしょうが、なまじ中国という一つの国であるがゆえに、そのあたりの感覚が麻痺してしまうことがままあるものです。

で、話は文学なんですが、最近、といってもこの数年ですが、あたしが読んで中国文学作品、そういった地域の違いが感じられるなあと思わせてくれました。

 

まずは、蘇童の『河・岸』と畢飛宇の『ブラインド・マッサージ』です。蘇童は江蘇省蘇州市、畢飛宇は江蘇省興化市の生まれ、どちらも温暖な南方、そして水に恵まれた地域の作家です。ですから作品も非常にウェットです。この場合のウェットというのは人情に厚いとか、そういった意味ではなく、作品世界に非常に湿度を感じるということです。

まあ『河・岸』なんて、水上生活者が主人公ですし、タイトルも思いっきりウェットですよね。『ブライド・マッサージ』も別に印象的なそういうシーンがあるわけではないのですが、読んでいると雨が降っている南京の町とか、うだるような蒸し暑さが感じられる作品です。この両作品、いかにも南方という感じです。

それに対して『アルグン川の右岸』、閻連科の『年月日』は非常に乾いています。

 

遅子建は黒竜江省、閻連科は河南省出身。どちらも北方ですし、その作品も思いっきり乾いた風を感じます。『アルグン川の右岸』は乾いているというよりも凍てつく感じを受けましたし、『年月日』などは百年に一度の大飢饉ですから水分なんてこれっぽっちもありません。

同じ中国でも、出身が異なるだけでこうも違うものか、と思わずにはいられません。

とはいえ、あたしはこれら作家のすべての作品を読んだわけではありませんので、作家が北方出身だから乾いた作品、南方出身だから湿った作品だと決めつけるのは早計だということは承知しています。ただ、これらの小説の舞台はそれぞれ南方と北方で、南方を舞台にしているから湿った感じ、北方を舞台にしているから乾いた感じ、ということは言えるのではないでしょうか?

こんな風に文学作品を通じて、その国のことを知る、これこそ海外文学を読む醍醐味だと思います。これがあるからこそ海外文学を読むわけですし、行ったこともない国や場所について行ったような気になれる、それが最高の愉しみです。

もちろん、この程度の文学体験で「この国はこういう国だ」と決めつけてはいけないことは重々承知しています。それでも、ある程度の数を読んでいけば、それなりの感覚は生まれてくるはずです。その感覚に違和感を感じるような作品に出逢うのも、また楽しみの一つではないかと思います。

  

さらに『歩道橋の魔術師』や『神秘列車』といった台湾の作品になりますと、大陸とはまた異なる味わい、世界が広がっていますし、香港もまた独特の世界になるのでしょう。南と北という対比でしたが、恐らく西方出身の作家の作品や西部地域が舞台の作品であれば、西の方の味わいを持った作品があるのでしょう。もちろん西へ行けばウイグルとかチベットなど少数民族も住んでいますので、『ハバ犬を育てる話』などのように彼らの世界観に溢れた作品がたくさんあることでしょう。

アメリカとメキシコ? そして大学生き残り

朝日新聞読書欄の予告に『2666』が載っていたので、どんな風に取り上げられるのか気になっていましたが……

アメリカ社会との絡みで取り上げていただいたようです。確かに、メキシコは『2666』の主要な舞台であり、実際にメキシコで起こっている連続殺人事件が作品のベースになっているわけですから、こういう文脈で文学作品を読むこともできるのだなと納得。

  

ただ、文学ではなく、もう少し単刀直入に、ということであれば、移民についてやたらと物議を醸していることもあり『移民からみるアメリカ外交史』も参考になるかと思いますし、『コーネル・ウェストが語るブラック・アメリカ』というのもございます。

上の画像は同じく朝日新聞に載っていたアエラの広告。受験シーズンを前にして、大学を扱った記事や書籍が多くなる時季です。今月末には、あたしの勤務先からも『消えゆく「限界大学」』という書籍を刊行いたしますのでお楽しみに。

フツーはダメ、やはり特化すべきなのでしょうか?

今朝の朝日新聞です。

本に出逢う場として本屋さんの特集です。主に個性派書店を特集していますね。少し前に「フツーの本屋」があって欲しい、というようなことを書きましたが、しかし、この時代に本屋が生き残るには個性派でないとダメなのでしょうか? それでも品揃えで個性を演出するのはよいとして、雑貨や喫茶を併設することが「個性的な本屋」なのかと問われると、ちょっと首をひねりたくなります。もちろん、本屋でもなく、本屋をやったこともなければ本屋で働いたこともないあたしなんかが偉そうなことは言えませんが……

それでも、こういう個性的な本屋、果たしてどの程度生き延びられるのでしょうか? 東京や大阪などの代としてであれば、テレビや雑誌で話題になっても、それなりにお客が来てくれるでしょう。新幹線で東京や大阪と結ばれている大きな都市でも、そこそこは頑張れると思います。しかし、それ以外の地方都市ではどうなのでしょうか?

そもそも人口が少ないわけですから、個性よりも日常的に使える本屋の方が必要とされているのではないでしょうか。新幹線との絡みで言えば、どんなに個性的な本屋でも、通過する新幹線の方が多いような駅では、状況はかなり厳しいのではないでしょうか。フツーの書店がフツーに商売をして成り立つなんて、夢のまた夢なんでしょうか?

そんなことを考えながら眺めていた朝日新聞ですが、上のような記事もありました。本屋ではなく居酒屋の話題です。まったく異なる業種ではありますが、こちらも特化型の居酒屋が増えているとのこと。メニューを特化させるというのは、本屋で言えば、コミックを充実させるとか、絵本の品揃えを頑張るとか、そういうところと通じるものがあるような気がします。どの業界も、特化したものが流行るご時世なのでしょうか?

そういえば、百貨店の衰退も言われて久しいですね。何でもある百貨店ではなく、電化製品やパソコンなら家電量販店、日常的な衣類ならユニクロやしまむらとか、家具だったらニトリやイケヤといった具合。結局、ある程度何でも揃えておくというモデルは、コンビニ程度の大きさでなら持続可能なのでしょうか? かくいうコンビニだって、置くアイテムはかなり綿密に計算されているわけですが……

そんな中、ホッとする記事は上の写真。須賀敦子さんの特集です。

  

 

ミラノ霧の風景』『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの靴』のUブックス、須賀敦子コレクションを是非どうぞ! Uブックスは単行本ほどは大きくなく、文庫本よりは大きいので、手にフィットして読みやすいと思います。