Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
アフリカは実のところどうなっているのか?

アフリカ開発会議が開かれている(開かれていた?)からですね、このところテレビや新聞でもアフリカ関係の記事が多くなっています。しかし、全体的なトーンとしては、
日本は出遅れている
既に中国が進出しまくっている
日本企業が行っても安全なのか?
というものが多い気がします。確かに、アフリカには既に大量の中国資本が投下されていて、それらを扱った本も何冊か出ています。あたしも読みましたが、こんなものが目につきます。
『中国第二の大陸アフリカ』『中国が喰いモノにするアフリカを日本が救う』『喰い尽くされるアフリカ』です。探せば他にもたくさんあるでしょうし、少し前にこんなダイアリーも書きました。
これらの本を読むと、確かに日本は出遅れているようです。中国がかなり幅広く進出しています。ただし、今回の会議で日本側が主張したように、確かな技術や人材育成という面では挽回の余地がありそうです。中国は労働者も中国から連れて来て、ほとんど現地の雇用を生んでいないとか、中国が作ったものはすぐに壊れる、使い物にならなくなる、といった評判も立っているようです。
その一方、金にものを言わせて中国はアフリカ諸国の中枢を押さえてしまっているので、庶民がいくら反対しても政府は中国の言いなりだという声も聞かれるようです。そうなると、なかなか日本が食い込むのは難しいと思います。東南アジアでも、価格では中国の安値攻勢と勝負にならず、なおかつ資金もすべて出してくれる中国に受注を奪われている事例がたくさんあります。発展途上国にとっては、多少レベルは悪くとも安い方がよい、そしてすぐに作ってくれる方がありがたい、という事情も作用しているのでしょう。
こういう問題は、一回大きな会議を開いたからといって、すぐに日本企業の受注が伸びるとは思えません。少しずつ少しずつ見方を増やしていくしかないのではないでしょうか?
ネコの墓場

一昨日のことです。仕事から帰宅すると母が言うのです。
「庭で猫が死んでたから、市役所に連絡した」と。
「えっ、それで処分してもらったの?」とあたし。
詳しく話を聞いてみますと、わが家の庭でネコが死んでいたそうです。近所には猫を飼っている人がいるようで、うろうろ散歩しているネコが時々うちの庭を通ったりすることがあります。それくらいならよいのですが、軟らかい土の上でオシッコやウンチをしていくことがあり、母は常々それに憤慨しておりました(糞害でもあります)。
で、しょっちゅうネコが来たりしているので、今回も「シッ、シッ」と追い払おうとしましたが、横たわった猫は動こうとしません。近づいても動かないので、これは死んでいるに違いないと判断した母は市役所へ相談の電話をかけたそうです。
市役所の人曰く、ビニールの袋か何かに入れて玄関先に出しておいてください、回収に伺います、とのこと。しかしねえ、小さいとはいえ、猫一匹の大きさがあれば、それなりに重いはず。ほぼほぼ後期高齢者の母に持ち上げられるとも思いませんし、そもそも死体を触りたいと思う人がどれくらいいるでしょうか? まあ、自分の飼い猫、飼い犬なら別でしょうけど、こんな縁もゆかりもない野良猫(?)、ひとんちの庭で死ぬなんて、というのが正直な感想です。
で、触れもせずにしばらくすると市役所の人が到着。母が庭に案内すると猫の死体が消えていました。えっ、と驚きつつ周囲を探すと縁の下でゴロンと横になっているのを発見。他のネコか何かが運んだ? まだ生きている? とわけもわからず、市役所の人が引っ張り出そうとすると、猫は驚いて逃げていったそうです。
とりあえずは死体ではなかったわけですが、暑さで弱っていたのでしょうか? 土の上、縁の下、どちらも比較的涼しいところですよね。ネコは涼しいところを探して休んでいただけなのでしょうか? その割に、母に追い立てられても動きもしなかったというのは、人間に慣れている飼い猫だったのでしょうか?
昨日からは雨なので猫はやってきませんが、今後も今回のことに味を占めて、また涼みにやってくるかもしれませんので、母と猫の攻防戦は続くかもしれません。ちなみに、母は猫が嫌いです。
本屋がなくなると本当に困るのか?

下の写真は、21日の朝日新聞読書欄に載っていた記事です。
『本屋がなくなったら、困るじゃないか』に関する記事です。
この手の書籍は何冊か出ていたと思います。本屋が減っているというニュースも時々思い出したように流れますし、統計的にもそうなのでしょう。ただ書店の数だけを比較しても意味はない、売り場面積(坪数)で比較しないと、という意見もあります。ただし、通路の幅とか棚の高さとか、坪数だけでは計れないという意見も聞かれます。
結局、そうなると比較しようがなくなるわけで、こういう場合は思いきって、ある程度の批判は承知で統計などの数字を使うしかないと思います。
で、都道府県別の書店の数ですが、こんなページに表が載っていました。「2013年5月1日現在」の数字だそうです。そして、数年のタイムラグはありますが、「2016年4月1日現在」の都道県別の人口です。この二つから、人口10万人あたりの書店の数を出してみますと、上位は
高知県(16.33)、香川県(16.27)、石川県(15.5)、徳島県(15.47)、京都府(15.36)
となりました。そして下位は
神奈川県(8.06)、埼玉県(8.59)、沖縄県(8.78)、千葉県(8.94)、佐賀県(9.12)
です。高知県と神奈川県で倍の開きがありますが、全体的には11店から12店あたりに集中していて、それほど極端な地域格差は感じられませんし、都会と田舎とで書店の数に大きな違いがあるとも言えないようです。あえて言えば、上の下位を見てもおわかりのように、都会ほど書店が少ない傾向が見られるといったところでしょうか? 東京都は22位、広島県が27位、愛知県が28位、大阪府が29位、宮城県が32位、兵庫県が40位、福岡県が41位です。
もちろん、上に書いたように坪数を加味すれば都会の順位は上がってくると思いますが、身近に本屋があるかないかという視点で考えた場合には、都会ほど書店が少ないと言えるかもしれません。
で、それでどの程度人々は困っているのでしょうか? 確かに本屋をよく利用する人は困るでしょうけど、それはどんな小売業にだって言えることです。そして近所のお店がなくなるのは、近所の人たちが使わなくなったから、行かなくなったからであり、それはその周辺の住民にとってそのお店がそれほど必要とされていなかったからにほかなりません。
もちろん後継者がいないのでお店をたたむ、ということもあるでしょうが、多くの場合は需要がなくなったから消えていくものだと思います。それをなくなってから困ると言っても、だったらあなたたちが前々からもっと利用すればよかったのではないですか、という気がします。
「だって、行ったって欲しい本がないから」という意見もよく聞きます。本のように多種多様の商品が出ていて、お客のニーズも店でバラバラですと誰もが満足する品揃えなんて無理です。どの程度の品揃えを目指すか、そこが難しいところだと思います。アマゾンだって自社の倉庫に置いてあるのはほんの一部ですから、置いてない本に関して言えば、街の本屋に注文するのもアマゾンを使うのも流通上はスピードに変わりはありません。
最近流行りのセレクト型の書店、あるいはカフェ併設の書店。カフェ併設の場合はカフェの売り上げで賄っているのでしょうから話が違ってきますが、ではセレクト型の書店ならどこでやっても成り立つのでしょうか? 例えば電車もないバスも通っていないような田舎でやっていても、人は来てくれるのでしょうか? そこにしか置いていない本があるなら行くかもしれませんが、インターネットが発達した現在、そこでしか手に入らない本なんて数えるほどでしょう。おしゃれにディスプレイしたって、誰も来なければ見てくれる人もいないし、商売としては成り立たないのではないでしょうか? やはりそれなりに人が集まるところ、集まりやすいところでないと、という気がします。
と悲観的なことばかり書いてしまいましたが、本を必要とする人にとって本屋がなくなってもアマゾンや楽天ブックス、セブンネットショッピングなどのネット書店があれば、とりあえずは入手は可能なので問題ない、という人もいるはずです。あるいは紀伊國屋書店やジュンク堂書店などのように電子書籍ストアのあるところなら、電子書籍を買ってもよいでしょう。本屋がなくなるということと、本がなくなるということ(紙か電子化は別として)は別問題ですから、今後も本屋がどんどん無くなっていったとしても意外と代替産業が発達して、それなりに便利にやっていける、決して困るということはならないのではないか、という気もします。







