Rockfield's Diary
染井吉野ナンシーの官能ダイアリー
「秀でる」は「しいでる」?

子供のころ、知り合いに江戸っ子の人がいて、案の定「ひ」が発音できませんでした。どうしても「し」になってしまっていました。
江戸っ子が「ひ」を「し」と発音するのは有名な話なのかわかりませんが、東京育ちのあたしにとっては子供のころからの常識でした。
ただ、その人が「しいでる、しいでる」と発音していたので、幼心に「秀でる」は「ひいでる」ではなく「しいでる」だと思い込んでいました。これが「しいでる」ではなく「ひいでる」だと自覚したのは、かなり後になってからのことです。
なんでそんなことを思い出しかと言いますと、別に昨日今日思い出したわけではなく、社会人になって、仕事柄いろいろな外国語に触れるようになって、世界にはいろいろな発音があることを知ってから、折に触れて考えるようになっていたのです。
それにしても、口の構造が異なるわけでもないのに、どうして発音できる音とできない音があるのでしょう? フランス人には「H」の発音がない、というのも有名な話ですよね。「ホテル」は「オテル」になるんでしたっけ? 不思議です。
日本人が苦手な発音の代名詞のごとく言われる「L」と「R」も、それを発音し分けているアメリカ人からしたら、そもそも違うということを意識すらしないのでしょうね。
そんなことを、また最近考えていましたけど、何かきっかけがあったのかは思い出せません。
もう22年、つまり二十三回忌

今日は重陽の節句ですが、あたしの父の命日でもあります。
というようなことは、毎年ではないですが、このダイアリーでも既に何回か言及しています。
そして、これも言及した記憶がありますが、父方の祖母の命日でもあります。つまり、あたしの父親は母親と同じ日に死んだわけです。もちろん数十年の歳を隔ててですが。
父が亡くなったのが平成8年、今から22年前です。
父は、その少し前から市内の、老人用病院というのでしょうか、こういう言い方はなんですが、もうあとはいつ死んでもおかしくないような、そういう老人ばかりが入院している病院に入院していました。
22年前の今日は月曜日で、あたしはいつもどおり出社して、さあまた一週間が始まるという時に自宅の母から電話がかかってきたのです。9時を回るか回らないか、そんな時間だったと思います。
病院から電話があり、危篤状態だと言われたようで、自分もこれから病院に向かうからお前もすぐに帰ってきて病院へ来るように、とのことでした。取るものも取りあえず、仕事もすべてそのままに帰宅して病院へ向かったのですが、あたしが到着の一時間くらい前に父は臨終を迎えていました。母が病院に着いた時には既に昏睡状態というのでしょうか、酸素マスクをしていて全く無反応だったようです。
こういう言い方は決して病院を非難しているわけではありませんが、とにかく家族が一人でも来たら、家族の見ているところで「ご臨終です」と言えば格好が付くから、それまでは無駄だとわかっていても酸素マスクをはめて、何かしら処置をしているふりをしていよう、そんな印象でした。
前の日曜日には病院へ見舞いに行って父と少ないながらも言葉を交わしていたので、こうも急変するとは思いもしませんでしたが、自宅介護や短期の入退院を繰り返すこと5年ほど。母もあたしも体力的にも経済的にも限界に来ていましたので、寂しい、悲しいという気持ちはもちろん生まれましたが、ホッとしたというのも正直なところです。
すぐに葬儀社に連絡し、菩提寺に葬儀の手配を頼みましたが、人って意外としょっちゅう亡くなっているのか、すぐには葬儀が開けず、水曜日が通夜、木曜日が葬儀という段取りになり、金曜日も役所や銀行へ諸手続きをするために走り回り、その週はまるまる仕事を休んでしまいました。
毎年、今日が巡ってくるとそんなことが思い出されます。
しかし、もうあれから22年。昨日、青山にある菩提寺で二十三回忌の法要を済ませました。沼津から妹家族も来て、家族だけのささやかなものでしたが……
児童虐待ホラー?

この夏にWOWOWで放送されていた「こどもつかい」を視聴。
公開時には「あのタッキーがホラーに挑戦」といった感じで、ずいぶんと宣伝をしていたなあ、という記憶があります。で、本作ですが、一言で言いますと「これはホラーなのでしょうか」という感じの作品でした。むしろホラーに仕立てず、児童虐待のトラウマを抱えた大人の心の葛藤といった社会派の作品にした方がよかったのではないか、という気もしました。ただ、そうなるとタッキーは要らなくなるかもしれませんが……
もちろん、タッキー演じる「こどもつかい」はトラウマの生みだした幻影だという解釈も成り立つでしょうし、小説版ですと、もう少し細かい設定がいろいろとあるようです。
しかし、何よりも、子供を虐待する母親の鬼気迫る表情が何よりも一番怖かったです。本当に怖いのは人間なんだというのをまざまざと見せつけられました。
エンディングは続きがありそうな、パート2が作られそうな余韻を残していましたが、本作があまりヒットしなかったのでしょうか。その後、続編製作というニュースは入ってきませんね。
紙の時代の人間です

中国学を学ぶ者にとって必須の工具書、『大漢和辞典』がとうとうデジタル化されるそうです。
デジタル化と言っても、単体の電子辞書もあれば、一昔前ならCD-ROMなんていう形もありましたね。最近はそういったモノではなく、ネット利用というのがトレンドではないかと思います。
ただ『大漢和辞典』ほどのものですから単純にネット利用と言っても無料というわけにはいかないでしょう。あたし個人としては既存の有料会員制サイト「ジャパンナレッジ」での提供というのが妥当かなと思っていたのですが……
この広告にもありますように、USBメモリーの形での販売のようです。うーん、そういう方法もあったか、というのが正直な感想です。
考えてみますと、『大漢和辞典』って5万字以上の漢字が収録されているので、ネット利用ではたとえユニコードでも表示しきれない漢字が多すぎますね。となると、今回のUSBメモリーというのはユニコード外の漢字まで一緒に提供されるということでしょうね。
この広告だけでははっきりしませんが、このメモリーをUSB端子に差し込んで使うのですよね? PC本体にインストールするわけではないのでしょうか? とはいえ、USBメモリーの中味をまるまるPCにコピーすることは可能なのではないか、という気もしますが……
って、ゴチャゴチャ言っているわけですが、そういうあたしはこの『大漢和辞典』USBメモリーを買うのかと聞かれたら考えてしまいます。いや、考えるまでもなく「買いません」と答える可能性が大です。
だって、上の写真のよに『大漢和辞典』そのものを持っていますから! ちょうど大学生時代にこの新装版の刊行がスタートしたので毎月一巻ずつ、刊行のたびに買って揃えました。そのまま「語彙索引」と「補巻」も刊行時に買いました。ちなみに同じく大修館書店の『中国学芸大事典』もその当時購入しています(上掲写真右)。
当時はまだパソコンが普及し始めて間もない頃、Windowsは3.1の時代です。ネット環境なんて、今から考えたらほとんど止まっているに等しい速度のモデムで、NIFTYサーブを利用するのが関の山の時代です。パソコン通信を始めてしまうと回線を占領するので電話が使えなくなる、なんていう時代だったのです。
当然のことながら、旧字体などをたくさん使う中国古典においてパソコンはまだまだ「使えない」道具でした。論文やレポートもそれぞれが外字を作るしかないような時代、外字を作っている時間があったら手書きした方が早い、そんな状況だったのです。
ですから、辞典に限らず、書籍が電子で提供されるなんて、予想や想像はしてもまるで実感の伴わないものでした。
そんな時代に購入した工具書の一つが上の写真、『漢語大字典』です。中国大陸で刊行された大型の単漢字の辞典(字典)です。
そして、ほぼ時を同じくして中国大陸で刊行されたのが左の写真、『漢語大詞典』です。
こちらは「字」ではなく「詞」なので単漢字ではなく熟語、単語を収めたものです。
どちらも印象としては漢字の祖国の威信をかけ、『大漢和辞典』を上回る漢字の辞典を作ろうという意欲が見られました。ただし、古代の写本などを漁っていけば異体字はゴロゴロしていて、その中には単純な書き間違いもあるだろうに、そんなものまで異体字として収録して収録字数を競うのはあまり意味のあることだとは思えませんね。
とはいえ、やはり中国学を学ぶ者の端くれとして、こういった工具書が出ると買ってしまっていたわけです。ちなみに、この『漢語大字典』『漢語大詞典』はとうの昔にCD-ROMだったかDVD-ROMの形での販売が始まっていたのではないかと思います。電子化に関しては『大漢和辞典』に買ったと言えるかも知れません(笑)。
こうしてみますと、やはりあたしは、今でこそこうして日常的にパソコンを利用していますが、基本は「紙の時代」の人間なのだと思います。
メディアミックス?

映画「寝ても覚めても」が紹介されていました。
原作はもちろん柴崎友香さん、河出文庫の『寝ても覚めても』です。いま、この文庫本を読み始めたところです。
恋愛小説ですよね? このところ、ガイブンばかり読んでいたので、日本人作家の作品は久しぶりで、やはりガイブンとはリズムが違うなあと感じます。
いや、ガイブンを「ガイブン」と一括りにしてはいけないのでしょうし、ラテンだとか英米だとか、アジア文学だという分け方も、多少なりともいくつか作品を読んでみれば作家によって書きぶりがかなり異なるのを感じますから、地域や国で一括りにできるほど単純なものではありません。更に言えば、同じ作家でも書いた時期や作品のテーマによってもガラリと作風が変わる人もいますので、これまた一筋縄ではいきません。
と、話がずれてしまいましたが、あまり映画になって話題になっているからといって、その原作本を読んだりはしないのですが、今回は原作が柴崎さんなので、それにどうもベタな恋愛もののようなのでちょっぴり惹かれるところがあって読み始めた次第。
たぶん、映画は見に行かずに終わってしまうのではないかと……
いや、WOWOWで放映されたら見ると思いますが、っていう言い種は、「本は買わない。図書館で借ります」と言っているのと同じことでしょうか?
しかし、あたしって、この歳になっても恋愛ができるのだろうかと、真剣に考えることがあります。いや、そもそも生まれてこの方一度も恋愛をしたことがないので、アプリオリに非恋愛体質なのではないかという気がするのです。




