Rockfield's Diary

サイト管理人のブログです。

染井吉野ナンシーの官能ダイアリー

10日足りない!

盛んに番線をやっている映画「青夏」、いや、番宣というのは番組宣伝の略ですから、映画の場合は単にプロモーションと言えばよいのでしょうか? それはともかく、この映画や出演者に取り立てて興味があるわけではありません。あたしが気になったのはサブタイトルです。

田舎で出会った一夏の恋を描いた作品なんですよね? そのサブタイトルが「きみに恋した30日」って、あたしの世代からするとちょっとおかしな気がします。

夏休みって40日じゃないの?

ということです。少なくとも、あたし世代であれば、常識とまでは言わなくとも、そういう共通理解があるのではないかと思います。

もちろん夏休みに入ってすぐに田舎へ行ったわけではなく、しばらく東京(都会?)で過ごした後、田舎へ行ったというのであれば納得できますが、それでも象徴的なタイトルに「40日」ではなく「30日」を使うというのは、昨今の夏休みが30日だからなのでしょうか?

そう、確かにこの数年、8月末では夏休み、という常識が崩れ、8月25日くらいから2学期が始まっている学校が増えていますよね。その影響なのでしょうか?

実はもう一つ気になるタイトルがありまして、TBSドラマの「義母と娘のブルース」です。

この作品は、竹野内豊の後妻として綾瀬はるかが奮闘するドラマなわけですが、どうやら竹野内豊は余命がそれほど長くはない病気のようで、そのために娘を真に託せる人を母親として残しておきたいと考えて綾瀬はるかと結婚したらしいのです。

それはともかく、そういう場合の綾瀬はるかの役割は「継母」ではないだろうか、というのが素朴な疑問です。いや「義母」にも継母という意味があるようなのですが、ふつうに「義母」と聞いたら男性から見た「嫁のお母さん」、女性から見た「夫のお母さん」というのが一般的ではないでしょうか?

 

本作は原作があるようなのですが、原作も「義母」となっています。となると原作者なりの意図があるってことだと思います。まあ、「継母」だと「けいぼ」と読むか「ままはは」と読むかルビを振らないといけないのが面倒、「継母」と聞くと昔話でも意地悪なイメージが強すぎるので避けたかった、というところなのではないかと思います。確かに「継母と娘のブルース」ではギスギスした感じが先行してしまい、最後がハッピーエンドになるようには思えませんからね。

この二作、直接の関係はありませんが……

新書と単行本、ノンフィクションとフィクションでは書店店頭でも、フェアでもない限り一緒に並べることはないと思いますが、この両者は近くにおいていただけるとよいかなあ~などと思ったりします。

  

一つは平凡社新書の新刊『日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊』で、それと並べて欲しいのは台湾の作家・甘耀明の『鬼殺し(上)』『鬼殺し(下)』です。

前者は

植民地台湾の支配・差別構造の下、最底辺に位置づけられた台湾原住民(高砂族)は、太平洋戦争時、南洋戦場へと送り出される。はじめは軍属として、戦況が悪化するにつれますます兵士として動員された彼らは、やがて、陸軍中野学校出身者の指揮下で過酷なゲリラ戦を展開する。闇にまぎれての敵軍施設爆破、グライダーでの特攻など、生還困難な作戦に従事し、補給の絶えたジャングルを逃げ回るその闘いを、生存者の聞き取りを交えて綴る。

という内容。後者は

1941年12月、日本軍を乗せた汽車が客家の村にやってきた。祖父に育てられた怪力の少年・劉興帕は、日本軍中佐の養子となって入隊し、日本人になることを夢見て戦う。だが敗戦を迎えると、今度は国民党軍が乗り込んできた。祖父は帕の片腕を切断してともに台北に逃れ、帕が日本兵だった過去を消すために偽の死亡証明書を手に入れる。帕は台湾人として再生を果たすべく、故郷へ帰っていく。日本への抵抗心を持ち続ける「鬼」としてさまよう帕の大叔父・呉湯興は、「鬼王」と呼ばれる客家の抗日英雄だった。二・二八事件まで続く台湾の混乱を目撃した鬼王は、村で帕と再会し、ついに自分を殺してくれと帕に頼むが……。常にアイデンティティの揺らぎの中で格闘する帕。台湾には孤児のようなイメージがつきまとう。歴史に翻弄され変貌する村を舞台に、いくつもの物語を紡ぐことで、人間本来の姿の再生を描ききった大河巨篇。

といったストーリーです。確かに直接の関わりがある両者ではありませんが、それぞれを読むことでお互いの作品の理解が深まるのではないかと思うのですが……

彼女は来ない、みたいです

この秋、上野の森美術館で大規模なフェルメール展が開催されます。年明けには大阪市立美術館にも巡回されるようです。フェルメールの作品が8点も一堂に会するそうです。

 

しかしながら、一番知られている作品の一つとも言える「真珠の耳飾りの少女」は来日にはならないようですね。残念です。

あたしの勤務先では、小説『真珠の耳飾りの少女』という作品を出しているのですが……

それでも、書店店頭にフェルメール展関連フェアをやるのであれば本書は外せない一冊だと思います。

あとは『フェルメール デルフトの眺望』などもお薦めです。

牛が足りない! と言っても、美味しい牛肉が食べたいわけではありません。

本日のネクタイとブラウスです。

ネクタイは羊、ブラウスは豚です。

この組み合わせで「あと、牛があればなあ」と感じた方は中国史に詳しい方ではないでしょうか?

何故って?

牛・羊・豚という組み合わせは、いわゆる「大牢」だからです。

しかし、現代人にはそう言われてもピンと来ないでしょう。むしろ「大牢」って何よ、と言われてしまうかも知れませんね。

大牢とは古代中国の祭祀で使用する犠牲のことで、一番格の高い祭祀の時に、この三種の動物を捧げるのです。「三牲」とも言います。

というわけで、あたし的にはせっかく羊と豚が揃っているわけですから、あと牛さえ揃えばと考えてしまった訳なのです。

そんなこと思って、その日のネクタイやブラウスを選んでいる人って、やはりあたしくらいなのでしょうか?

成人向けコミックと言っても決してエッチなものではありません

数日前の日経夕刊に「欧米漫画、親しみやすく」という記事が載っていました。

確かに、このところ岩波書店の『MARCH』を書店でよく見かけていましたので、欧米の漫画がようやく日本でもメジャーになってきたかなという印象は持っていました。

  

しかしこういう記事が出て改めて書店の店頭を眺めてみますと、『バンド・デシネ 異邦人』なども目につきます。

この手の漫画はどう見ても子供向けとは言えません。いや、子供でも読めないことはないでしょうが、絵のタッチやストーリーなど、普段読んでいるような日本の漫画、コミックとはまるで異なります。やはり大人向け、普通に本を読んでいる人をターゲットにしている漫画ではないかと思います。

「子供と言うよりは大人向けだよね」という感じのコミックは確かにこの数年、いやここ十数年、日本の作品でも増えてきましたが、欧米のものとなると、見かけるようになったのはまだこの数年かそこらだと思います。もう少し遡ってみますと、あたしが覚えているのでは『ペルセポリスⅠ イランの少女マルジ』『ペルセポリスⅡ マルジ、故郷に帰る』が早い事例ではなかったかと思います。

 

しかし、このところは刊行がずいぶんと増えているような気がします。そしてコミック売り場ではなく、多くが海外文学の棚に置かれています。コミックだろうと本だろうと、こういうところから海外の作品に興味を持ち、さらに進んで海外の文学作品やノンフィクションなどに手を伸ばしてくれる読者が増えることを期待しているのですが……

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