Rockfield's Diary
染井吉野ナンシーの官能ダイアリー
高松? 香川? 讃岐?

23日水曜日から25日金曜日まで人文会の研修旅行に行ってきました。今回の旅行先は香川と高知です。
まずは空路、羽田から高松へ飛び、宮脇書店の南本店を訪問しました。宮脇書店の総本店と本店は過去に訪問したことがありましたが、南本店は初の訪問、見学でした。
ご覧のように、あたしの予想をはるかに上回る建物でした。市街の繁華街にある本店に比べるとこちらは郊外型、ロードサイド店です。
あたしの勤務先の書籍は、配本があまり多くないのか、棚にはあまり見かけませんでしたが、この規模と賑わいですので、棚に置いてあればしっかり売れるお店だと感じました。
総本店、本店とうまい具合に住み分けと言いますか、カラーの違いがはっきりしていて、出版社によっては売れ方にかなり違いが出るのではないでしょうか。それも出版の面白さです。
そんな南本店を訪問した後は、高松駅にほど近いサンポート・マリタイムプラザ内にある郷屋敷で昼食をいただきました。
この郷屋敷、以前の研修旅行で高松を訪れたときに、郊外にあるお店で食べたことがあります。郷屋敷という名前のとおり、立派な建物だったのを覚えています。
その味が、駅前のデパートのような場所でいただけるとは、ありがたいものです。食事は写真のとおり、うどんを外すわけにはいきませんね。美味しくいただきました。
食後は、宮脇書店の総本店、そして本店、その後ジュンク堂書店高松店を見学し、バスで一路南下、高知へ向かいました。
高知に到着して、ホテルで地元書店の金高堂の方々との懇親会という一日目でした。
選択ミス

四国から帰京しました。
昨日の土砂降りとは打って変わり、まさしく「南国土佐」という言葉にふさわしい日差しの高知県でした。
しかし、逆に関東地方が大雨に見舞われていることはニュースで知っていたので、「果たして我々が帰るころは大丈夫か?」というのが参加メンバーの気持ちでした。そして、工程をこなし、帰京も目前になってくると話題は「果たして予定どおり飛行機は飛ぶのか?」「そもそも東京からの到着便が遅れるのではないか?」「我々が羽田へ着く頃はよいとしても、天候のために着陸できなかった飛行機が羽田上空に溜まっているのではないか?」という風に変わっていきました。
案の定、あたしたちが乗るべき飛行機の到着が 遅れ、出発が30分 遅れました。途中、羽田上空が混んでいるということで静岡上空で旋回して時間潰しをしていました。まだ雲が取れず揺れそうな関東へ近づくよりも、安定している静岡上空で待機する方がよいのでしょう。
結局羽田は一時間の遅れでした。ここまでは織り込み済みでした。夕方の東京なのでモノレールと電車を乗り継いで帰るのはちょっとしんどいと思い、うまいタイミングで武蔵小金井か国分寺行きの高速バスがあればそれに乗ろうと考えました。道路が多少混んでも構わないや、という気持ちでした。
で、国分寺行きがあと30分後に出発でしたので、これは幸いと切符を買いましたが、いざ乗り場に並ぶと、道路混雑で5分ほど遅れて到着・出発となりました。やはり金曜日の夕方は混んでいるのかと思いつつ乗り込みました。
渋滞はあたしの予想以上でした。羽田周辺はもちろんの頃、首都高の分岐・合流のところで渋滞が何か所もあり、首都高四号線の永福を過ぎるまではスムーズに走れない状況でした。
そこからは順調でしたが、結局自宅へ帰り着いたのは9時を回った頃でした。これなら羽田で素直にモノレールに乗った方がはるかに早かったです。バスもほぼ満席でのんびりゆったりという感じではなかったですから……(涙)。
今日の配本(19/10/24)

処女地です

カバーのイメージ

近刊の『房思琪の初恋の楽園』のカバー、どう思われますか?
下に貼ったリンクのイメージには帯がありませんので、公式サイトのイメージを見ていただくと帯も入っています。そこには
先生、わたしのこと愛してる?
とあります。内容紹介には「美しい房思琪は、13歳のとき、下の階に住む憧れの五十代の国語教師に作文を見てあげると誘われ、部屋に行くと強姦される。」とありますから、どんな作品なのかはおよそ類推が着くと思いますが、邦訳版のカバーは作品を読んでから、あるいは半ばまで読んだ上で眺めると、非常に象徴的なものになっています。
もしあたしがこの作品を編集者として担当していたら、日本人ならおおた慶文、中国人なら平凡&陳淑芬の描く美少女のイラストを使ったのではないかと思います。そんなイメージを抱きながら読んでいました。主人公が可憐な美少女であればあるほど、この作品の苦しさ、読後感のモヤモヤした感じが表わせるのではないかと思うのです。ちなみに原書はこんな装丁です。
本作、原書が出てからも反響が大きく、既に翻訳者である泉京鹿さんが朝日新聞のGLOBEで紹介されていました。泉さんもこの中で
性的虐待、性暴力被害に女性たちが声をあげた「#MeToo」の世界的なムーブメントがもう少し早く起こっていたら、著者の林奕含は命を絶つこともなかったかもしれない。現在、筆者が翻訳中だが、読んでいるだけでも苦しい。気が付くと、息をするのを忘れている。
と書かれていますが、短絡的に#MeTooやフェミニズムに結びつけるのでなく、もっとさまざまな角度から読み解ける作品ではないかと思います。たとえば、一定年齢以上の男性であれば自分が「李国華」だったとしたら。思春期の男子なら自分の彼女が房思琪だったら、あるいは房思琪がクラスメートで彼女のことを好きになっていたら。女性なら、もちろん房思琪に重ね合わせて読むこともできるでしょうが、親友の劉怡婷や同じマンションに住む許伊紋の立場だったら。そして彼女たちの父親、母親だったとしたら。
本書が実話に基づいていると作者が書いているその実話が作者自身に起こったことであるか否かは別として、事実ではなくとも何かしらの真実を伝えていると感じられる作品です。