嵐の日にカルチャークラブ

出張中です。大阪をベースに京都、神戸と回っています。月曜から来ていまして明日までです。

もうこんな出張何年もやっていますが、あたしは比較的天候には恵まれていることが多いです。一週間(営業部で言えば5日、時に6日)の出張でも雨に降られずにすむことがたびたびあります。降られても一日程ということが多いです。もちろん、大雪や大雨に当たってしまうこともありますので、すべての出張で天気がよかったとは言いませんが、北海道出張の時に爆弾低気圧とかち合ったときなど、むしろ貴重な体験ができたと思ったものです。

さて、本日です。ずっと天気がよかった今週唯一の雨となりました。それも雨の量よりも風が激しく、傘も役に立たないような天気でした。傘の骨が折れそうでした。少なくとも骨がゆがんだと思われます。まさに嵐です。

で、嵐というとストームです。そこから「確か、昔、カルチャークラブにストームなんちゃらっていう曲があったなあ」と思いながら営業していました。その曲がこちらです。

この曲が嵐とどういう関係がある歌なのかはわかりませんが、この曲が時折頭の中を流れる、そんな今日の営業回りでした。

実は独りよがり?

これは紀伊國屋書店新宿本店のフロアガイドのページです。一階から八階まで整然とジャンル分けされています。で、こちらがジュンク堂書店大阪本店のフロアマップのPDFファイルです。二ページ目には棚の細かいジャンルが書き込まれています。

ところで実際に店頭へ行きますと、もちろんこういう詳しい店内マップは置いてありますが、入り口近くの看板や案内図にはここまで詳しくは書いていないものです。ジュンク堂さんもこのPDFの1ページ目に書いてある程度の案内がせいぜいであったりします。

これまであたしはこういった案内や看板で何の疑問も感じていませんでした。これくらいで十分でしょ、という気持ちでした。ただ最近『パンダが来た道』という本が刊行され、この本の営業をしようと思いますと、書店では多くの場合、「動物」というジャンルに置かれています。で、その「動物」ですが、この二つの店内案内からどこにあるかわかりますか?

あたし、書店の中で探してしまいました。結局、お店の方に聞いたのですが、紀伊国屋なら4階の理工書、ジュンク堂も3階の理工にあるんですよね。これって常識なんでしょうか? 確かに事細かに看板や案内図に載せることは不可能でしょうが、動物が理工にあるって本屋を使う人には自明なのでしょうか?

そう思って、自社のホームグランドと言える人文を見ますと、紀伊國屋さんは比較的細かく書いてありますが、ジュンク堂さんは3階に「人文」とあるだけです。多くの書店でもジュンク堂タイプだと思います。これで哲学・思想とか日本史、世界史がここにありますよって、多くのお客様にわかるのだろうか、そんなことを思ってしまいました。

そりゃ、こういったジャンルの本を見に来る人には言わずもがなな気もしますが、もしかすると、それ以外の人にはものすごーく不親切な表記なのかもしれない、そう感じました。となると、わが社も入っている「人文会」という名称も、実は「そもそも人文って何よ?」という人が日本人の大多数なのかもしれないですね。

今年はやけに…

いろんな芸能人が「3・11」についてブログなどに書いていますね。それと同時に、今年はテレビでの震災特集番組がやけに目に付くと思います。丸三年がそれほどきりのよい数字だとは思いませんが、なぜか目立つように感じます。

3年たって何か思うのか、感じるのかと問われると、残念ながら、あたしには特に感想はありません。他人の気持ちを忖度する能力を欠いているあたしは、忘れてはいけないとか、いまだに心が痛むとか、そういう気持ちがわきません。

そもそも前にも書いたかもしれませんが、あたしは3年前の震災を体感していないのです。いえ、東京にいましたから体感していないというのは語弊があります。確かに揺れを経験していますが、やや大きな地震という感覚しかないのです。これも書きましたが、あの日あたしはトーハンの桶川倉庫にいました。日常とは異なる場所にいると、地震がどれだけの大きさだったか感じにくくなるものです。あたしも初めは大型トラックのせいでこんなに揺れているのだろうと思ったくらいです。桶川からの帰宅も確かに電車が止まってしまい苦労はしましたけど、それほど大変なことはなく帰宅できました。中央線がしばしば停まるのを経験しているので、電車やバスが来ない、来ても車内が大混雑というは慣れっこです。それを差し引けば、比較的順調に、何時間も歩くなんていうこともなく、自宅に帰り着くことができたわけですから、ラッキーと言うほかはありません。

瓦礫が堕ちてきて怖い思いをしたとか、道路がうねって車が通れない、自宅が崩壊、半壊しているということもなく、そういう事態はあくまでテレビで見ただけですので、そして幸いにも身内に被災者もいないので、思いを馳せるということもなくこの3年を過ごしてきてしまったなあという気分です。

で、始めに戻りますが、人それぞれ迎え方があってしかるべきだと思いますが、今年はやけにマスコミを上げて3・11を盛り上げようとしているように感じます。なんででしょう?

人体のもっとも強い筋肉は舌である

 英語が話される国がある。でもそこでは、わたしたちみたいには英語を話さない。わたしたちは母語を、旅行の手荷物のなか、化粧ポーチに隠して、外国で、他人に向かって英語を話す。想像しにくいことだけれど、彼らにとっては英語が母語だ。しかもそれが唯一のことばであることもしばしば。このことについて、彼らはみじんの疑念も抱かない。
 この世界で、彼らは困惑しているにちがいない。だって世界のどんな説明書も、どんなくだらない曲の歌詞も、レストランのメニューも、仕事上の連絡も、エレベーターの昇降ボタンさえ、彼らの母語で記されているのだから。彼らがなにを話しているのか、どんなときでも、みんなにわかる。私的なメモには、特別な暗号が必要かもしれない。彼らがどこにいようとも、みなが彼らに無制限にアクセスできる。だれもが、なにもかもが。
 英語話者を守るため、あるプロジェクトがすでに進行中だと聞いた。話者の死に絶えた、もうだれにも必要とされていないちいさな言語のひとつの使用を、彼らに認めるという計画だ。英語話者も、自分たちだけのものが持てるように。

『逃亡派』より。

三寒四温

本日から金曜まで恒例の関西出張です。京阪神の三都を回ります。大阪(梅田)は先日ブックファーストが閉店しましたが、グランフロントが増えましたので、大型店がひしめいています。南へ目を転じればハルカスの中にジュンク堂がオープンし、なかなか短時日で回るのは大変です。これに京都と三宮(+姫路)も回るので、やはり5日間では相当厳しいです。

談笑もそこそこにパッパと切り上げて、次々と書店を回ることも出来なくはないですが、それでは何のために訪問しているのか、それだったら電話で十分でしょ、と思います。もちろん何の生産性もない話では書店の方にも迷惑でしょうが、顔を見て話すからこそ生まれてくるものもあります。そういう、直接の売り上げにならないところを、どのように考えるか。やはり業界の景気が悪いと考えてしまいます。

が、そういう暗い話は店頭ではおくびにも出さず、能天気に営業しようと思います。

狩矢警部、説得力ないよ!

あたしの愛する乾さんの誕生日、3月3日に放送されたTBS系の「山村美紗サスペンス 狩矢警部シリーズ13『京都人形浄瑠璃殺人事件』」。この手のドラマ、あたしも母も好きなので、先日放送されていたのをHDDに録画してありましたので、休日の土曜に視聴しておりました。

それにしても、テレビ番組を録画して視るというのは、CMを飛ばして視ることができるので非常に便利です。これに慣れてしまうと、本放送を視るときのCMがうざったくてしょうがなくなります。

閑話休題。

このドラマ、妹が傷つけられ自殺してしまったのを機に、姉である国生さゆりが復讐の殺人を犯すというのがあらすじなのですが、国生さゆりと妹が親に捨てられ養護施設で育ち、その後離れ離れになり、国生さゆりは養父に性的暴力をふるわれ、とこういったドラマにありがちなパターン。妹も失い天涯孤独となった国生さゆりには失うものは何もなく、復讐に邁進するわけです。

もちろん、最後は船越英一郎演じる狩矢警部に逮捕されるわけですが、その時の狩矢警部のセリフは、よくありがちなセリフでした。曰く、妹さんは君に復讐して欲しいなんて思ってはいない。自分のために姉が殺人を犯したと知って喜ぶと思うのか、と。更に曰く、こんなことをして自分のしたことが正しいと思っているのか、とも。

一般論として犯罪は正しくありません。殺人には正義はありません。でも、個別の事例においては、少なくとも当事者にとっては十分正義であることもあるのではないでしょうか? 特に今回のドラマの場合、犯人である国生さゆりは唯一の肉親である妹を失っていて、独身ですから自分の大切な家族もないわけです。また、妹は自殺したときに(海への投身自殺)、脱いだ靴の脇に毒薬を置いていったのです。

これ、誰が見たって、「お姉ちゃん、あたしは死ぬけど、あたしの代わりにこの薬を使って復讐してね」と訴えていると理解するのが普通ではないでしょうか。また、今回も船越の狩矢警部が言ってますが、犯罪者になることを望んでなんかいない、というセリフ。はい、確かに死んでいった妹はお姉さんが犯罪者になるなんて、警察に捕まるなんて望んでいなかったと思います。あたしが妹の気持ちを忖度するに、「お姉ちゃんなら、あたしとは違って頭がいいから、きっと完全犯罪できるよね。バレないように復讐してくれるよね」というものだったのではないでしょうか?

いずれにせよ、少なくともあたしがこの国生さゆりの立場であったら、あたしだって完全犯罪はできなかったと思いますが、警察に捕まっても反省なんかしない、自分は絶対に正しいことをしたんだと最後まで信じているし、その信念を曲げることはなかっただろうと思います。

世界の同志よ、ペンを執れ!

昨日に引き続き、『逃亡派』から。

 

 ヤスミンは感じのよいイスラム教徒だ。かつてふたりで、夜どおしおしゃべりした。彼女はわたしにあるプロジェクトについて語った。それは、自分の国の国民がみな本を書くようしむけること。彼女は言った。本を書くのに必要なのは、仕事のあとの、ほんのすこしの自由な時間。パソコンさえ、かならずしもいらない。勇気を出してやってみる価値はある。ベストセラーも夢じゃない。そうなれば、社会的にひろく知られて、書いた努力も報われる。ヤスミンは、これは貧しさから抜けだすもっともよい方法だと言った。そして、ただしみんながおたがいの本を読みあえばの話だけど、とため息をついた。
 読書を、親しいひとに対する兄弟姉妹の義務とするなんて、わたしはすごく気に入った。(P.74)

 

なんか、とっても面白そう! あたしもペンを執ろうかしら?

どこにでもいる、どこにもいない

このところは毎晩寝る前に、エクス・リブリスの新刊『逃亡派』を読んでいます。

なんとも一言では言い表わせない作品です。基本は短編集なのですが、それぞれの話が繋がっているような、いないような、いきなりテイストの異なる作品に変わったり……。前作『昼の家、夜の家』を読んでいないので、これが著者の持ち味なのか否か、なんとも判断できません。

 

が、そんな中、とても光る文章が散見されますので、まだ読み終わってはいませんが、ご紹介いたします。

 

彼女はわたしに時間についての講義を始めた。彼女が言うには、定住し農耕する民族は、循環する時間を好む。そこではあらゆる事象が、かならず初めに戻る。胚にかえる。そして、成熟と死のおなじプロセスをくりかえす。いっぽう、移動を常とする遊牧民や商人たちは、自分たちのため、旅にもっとふさわしい、べつの時間を考えなくてはならなかった。それが線的時間で、こっちのほうがずっと便利だ。なぜならこれは、目的までの達成度や、成長の割合をはかるから。一秒はそれぞれちがう一秒であって、けっしてくりかえされたりしない。つまり、リスクだって、精一杯生きる望みだって、ほんの一秒も無駄にしないで、それを受けとめる。でもじっさいのところ、これはつらい発見だ。推移した時間がもとに戻らないとすれば、喪失と哀悼は日常になる。だから、こういう人びとの口からは、「むなしい」とか「尽きた」とか、その種のことばは聞かれない。(P.53、「どこにでもいる、どこにもいない」より)

 

なかなか考えさせる文章です。哲学的とも言えるのではないでしょうか?

これにつづく「空港」という作品もなかなか面白いです。そして61頁からの「臆病者の列車」はとっても不思議な作品です。そんな列車、ちょっと乗ってみたくなります。

橋本愛は美少女か?

WOWOWの2月のプログラムには橋本愛特集があり、彼女の出演作品を集中的にオンエアしておりました。「アバター」「アナザー」「さよならドビュッシー」などが放送されました。

  

で、とりあえず最初の二作を鑑賞。

「アバター」は、うーん、原作はどうなのか知りませんが、こんなことにはまり込んでしまうのでしょうか、今どきの高校生って。それが最初の感想です。ただ、かなり極端な事例かもしれませんが、もう少し現実よりの事柄で考えてみれば、こういうことってあるんだろうなあ、とも思えます。スクールカーストがかなり極端な形で現実化した世界と考えればよいのでしょう。

ただ、やはり設定が荒唐無稽すぎるので、橋本愛の演技がどうなのか、わかりません。少なくとも、ああいうふうに大勢の前で声を張り上げ演説を行なうようなキャラクターは似合わないな、と思います。もう少し、気持ちのドロドロとしたところを描いてくれればよかったのに、と少々残念です。

「アナザー」はもう少しミステリアスな橋本愛が堪能できます。こちらの方が美少女ぶりを遺憾なく発揮していると思いますが、途中からは割と普通の女子生徒になってしまっていました。内容を簡単に紹介しますと、主人公の男子が東京から橋本愛のいる田舎の中学に転校してきます。新しい学校に登校すると、橋本愛はクラスメートのはずなのに、クラスメートは彼女をいないものとして扱っています。それは担任の先生も同じです。

ここであたしは、橋本愛は主人子にしか見えない霊的存在なのかと思ったのですが、それはすぐに種明かしがされますが、つまりはこの学校の奇怪なルールなのです。橋本愛は霊でもなんでもなく、現実のクラスメートです。過去に起こった忌まわしい出来事以来、この中学ではクラスメートの一人を「いない」ものとして扱い、それによって怪奇現象(生徒や家族が次々に不可解な死を遂げる)を防ごうとしていたというのです。そんなルールを知らずに橋本愛に話しかけてしまった主人公のせいで不審死が始まり、なんとかそれを食い止めようと主人公と橋本愛が尽力するというストーリー。

ネタばらしをすると、この学校のこのクラスには毎年必ず死者が一人混じっている、死者は生者の記憶を書き換え、さも存在しているかのように振る舞っています。この生者の中に紛れ込んだ死者をもう一度殺せば、不審死の連鎖は止められるというのが解決策。この時、紛れ込んでいた死者というのが主人公のおばさん(死んだ母親の妹)であり、クラスの副担任をしている加藤あいだったとは、ちょっとありがちでもあり、意表を突いていた感じもしました。

最後にもう一度振り出しに戻る的なラストはこの手のホラーのお約束ですが、そもそもなんでこのクラスに死者が一人混じるのかはまるっきり明らかにされずじまい、せめてヒントくらいは与えてくれてもよいのでは、と思います。

というわけで、橋本愛です。「あまちゃん」でもそうでしたが、この子はやはり能年玲奈の天真爛漫に対し、ちょっと影のある役どころの方がはまりますね。もちろん能年玲奈も、あたし的には「動物の狩り方」のようなミステリアスな美少女がとてつもなく魅力的だったりしますし、橋本愛だって、NHKドラマ「ハードナッツ!」の時のように、ちょっととぼけたコミカルな魅力もあるのですが、やはり基本はクールビューティ路線ではないかな、と感じます。

で、「アナザー」を見ていると、やはりこの子は基本的に美少女なんだなと改めて認識しました。

何が欲しい?

『私の欲しいものリスト』読了。本国では映画も公開されているとか。大人の苦い味わいの作品になっているのではないでしょうか?

ネタバレ的に書いてしまいますと、主人公は40代後半のごくごく平凡な主婦です。若い頃から手伝っていた手芸店をそのまま引き継ぎ、その傍ら、自分の手芸作品などをブログに書いていたら、それが多くの女性の支持を集める人気サイトになっていて、雑誌の取材を受けるようになります。そんな彼女が近所の友達に勧められるまま宝くじを買ったところ、それが高額賞金を当ててしまいます。

さて、このお金をどうするか。夫にも打ち明けず、一人悶々と悩む主人公。ノートに自分の欲しいものややりたいことを書き出します。それらすべて、このお金があればかなうわけですが、主人公は逡巡します。当選金額が描かれた小切手をクローゼットの中に隠し、何事もなかったように日々を過ごし、時々小切手を取り出してはため息をつく。そんなある日、夫が仕事の研修と称して出張に出かけますが、その留守中、小切手がなくなっていることに気づきます。夫が持ち出したことは明らか。出張先に連絡を入れるも、そのような人は来ていない、そもそも研修などやっていないと言われてしまいます。

で、ここまではフランスだろうと日本だろうとありがちなストーリーです。夫は小切手を持ち出したはよいが、贅沢なことをしてみても心の空虚がますます広がるばかり。そして妻に対する裏切り行為の代償が重くのしかかってきます。妻も平凡で幸せだった生活が崩壊し、手芸店を譲渡し旅に出ます。たぶん、日本の小説であれば、子供を鎹に夫婦をもう一度お互いを認め許し合い、温かな家庭を取り戻すという結末が予想されますが、そこはフランス小説です。そうはなりません。

夫は酒浸りとなり、妻への罪の意識にさいなまれつつ、ぼろ雑巾のようになって寂しい最期を迎えます。妻は旅先で知り合った男性と新しい恋を始め、これからの生活を考えます。なんとたくましい女性でしょう、と思わされます。日本だったらこうはならないな、と思います。それにこの夫婦の危機に二人の子供はまるっきり役割を演じることなく終わります。「子は鎹」というのは日本だけのものなのでしょうか?

こういう終わり方が幸せなのかどうか、日本人であるあたしには断言できません。あたしのように感じる日本人は多いのではないかと思います。ただ、こういう生き方もあるのか、というふうに納得できるところも多々ありますし、お金で幸せは買えるのか、手に入れられるのかという命題は日本もフランスも変わらない気がします。

そして、そういうことよりも、こういう結末に行き着くというのがフランス小説としては普通なのだとしたら、このようなフランス人的人生を知ることができるという意味で、この小説を読む愉しみ、異文化を知るという意味での海外小説の味わい方が堪能できる作品ではないでしょうか?