12月 2012のアーカイブ
アダムとイブ
『アダムとイヴ 語り継がれる「中心の神話」』読了。日本人ですら、わが国の伊弉諾、伊弉冉よりもこっちの方に親しみを持っているというのは皮肉なものですが、こうして語られると、アダムとイブについても知らないことが多かったということがわかります。
著者お得意の美術から文学などにわたるアダムとイブ像の変遷を豊富な図版を交えて書いているのでわかりやすいことこの上ないですが、あえて言えば、せっかくの図版が小さすぎることでしょうか。図版によってはもう少し大きく載せてくれないと、本文で注目しているところがどこなのかよくわかりません。
個人的には、カインとアベルがアダムとイブの子供だったと初めて知ったり、さらにその二人の下にもう一人子供がいて、アダムがイブよりも先に死んでしまったことなど、キリスト教や西洋文化史に詳しい人なら常識のようなことをこの本で知りました。そして、なんとなく「エデンの東」は西でも南でも北でもなく、なんで東なのかわかったような気がしました。
今日の配本(12/12/10)
映画鑑賞
土日は、特に出かける用事がなければ、自宅でのんびりと、スカパー!なやWOWOWで録画しておいた映画を鑑賞しております。最近視たのはこれらです。
まずは前者「ローズマリーの赤ちゃん」です。
ずっとずっと以前に、たぶんテレビで放映されたのだと思いますが、視たことのある作品です。ただ、ホラーと言うよりもよくわからない内容の作品だったという記憶しかなかったので、久々に放映されていたので見直しました。で、結論から言いますと、やっぱりよくわかりません。当時としてはこういったシチュエーションや状況設定、ストーリー展開は新鮮だったのかも知れません。だから本作はホラー映画史の中でも名作と呼ばれているのだと思います。
しかし、結局は主人公である若妻の妄想なのではないか、という気がしないでもないです。最後まで見て、悪魔崇拝だという決定的な証拠はありません。単にうざったいだけの隣人でしかなく、どこをとっても若妻の妊娠期における精神不安定がなせるものとしか言えないと思います。最後のシーンも、どこまでが現実でどこまでが主人公の妄想の中のことなのかわからずじまいのエンディングです。これではストレスだけが残る終わり方です。
次はアイドル映画ですね、「王様ゲーム」です。個人的にはW主役の一人、鈴木愛理ちゃんが可愛いと思います。本作でも重要な鍵を握る人物のように描かれていますが、最後はあっけないです。もっと見せ場が欲しかったところです。と言うよりも、この作品自体があっけないです。一連のゲームが何らかの呪いのようなものによって引き起こされているというところまでは明かされますが、作品中では呪いの原因、どうしてこういう惨劇が始まったのか、なにもわからずじまいです。せっかく事件が始まった場所まで行ったのに、わかったことがあれだけでは、あの場面を出した意味がわかりません。
たとえ荒唐無稽な呪いとはいえ、やはりなぜそんな呪いの惨劇が始まったのか、何を目的としているのか、映画の中でわかるように描いて欲しかったな、というのが率直な感想です。所詮はアイドル映画だからというのは言い訳にはならないと思いますが。
最後は「麒麟の翼」。もうWOWOWで放送か、という気もします。感想を一言で言うと、なんか偶然というか、うまい具合に阿部寛の思ったとおりに事が運びすぎる、いくらなんでも都合よすぎるでしょ、ということに尽きます。よく練られた伏線という感じもしませんし、トリックが意表を突くというわけでもなく、結局はくだらない事件だったんだな、というのが偽らざる感想です。
それでも中井貴一は存在感がすばらしいですし、ガッキーは文句なくカワイイです。それがなにより。
アカデミズム
本日は東京駅八重洲北口を出てすぐのところにあるサピアタワーの中にある立命館大学東京キャンパスへ行って来ました。行って見て初めて知ったのですが、このタワーには立命以外にもいくつかの大学のキャンパスが入っているのですね。こんな都心の一等地にキャンパスを構えるなんて、私学はやはりお金を持っているものだと思います。
さて、なんでそんなところへ行ったかと言いますと、立命館孔子学院の公開講座「中国(語)をぼやく」を聞くためです。内容は『白水社中国語辞典』の編集でたいへんお世話になった中川正之、杉村博文、木村英樹の三先生による鼎談でした。このところ、本屋営業が主になり、大学の先生回りだとか学界などへの出展がほとんどなったかので、こういった学問的な話から離れて久しかったです。ですので、なかなか頭がついていかないところもありますが、やはり刺激的で、聞いているのは楽しかったです。我ながら、勉強というか、学ぶこと考えることが好きなんだなと思います。
話柄の中で興味深かった話題はいくつかありましたが、その中から一つ二つ取り上げるとしますと、「漢字不滅、中国必亡」という中国文のこと。「漢字が滅びなければ、中国が亡ぶ」という魯迅の比較的有名な言葉です。識字率とか近代教育だとか、当時の中国のさまざまな困難を前にして、魯迅なりに出した結論の一つなのでしょう。まあ、魯迅以外にも漢字廃止論を唱えた識者はたくさんいましたから、取り立てて奇異なものでも突飛な言説でもありません。
この文章、特に接続詞はありませんが、何々ならば何々というふうに、条件として解釈するのが一般的です。ところが最近の学生は「漢字が滅びることはないが、中国は必ず亡びる」という解釈をすることが多いそうです。これだと逆接に結んでいる構文となります。中国語の場合、逆接に読むためには、それを示す接続詞が必要になるので、この解釈は間違っているというのが教室での教え方になるわけですが、なぜに条件だと接続詞はなくてもよいのに、逆接だと接続詞が必要になるのか、やはり条件とか因果の関係の方が普通の流れだからなのでしょうか?
また中国語の「初恋」には「初めての恋」という意味と「恋愛の初めの頃」という二つの意味があるのに、日本人は得てして二つ目の意味を忘れたり知らなかったりするそうです。言われてみると、「初夏」と言った時、それは「夏の初めの頃」を指すのであって、「初めての夏」という意味で使うことは、日本語ではまずありませんね。「田舎から東京へ出てきて初めての夏]という意味で、日本語の場合、「初夏」という言葉を使うでしょうか? たぶん使わないでしょう。
また、「このレポートを5時までに提出しなさい」と言えば、5時きっかりまでに出さないといけなくて、5時10分でも、5時50分でもアウトです。それに対して「5日までに出しなさい」と言われた場合、4日のうちに出す必要はなく、5日であれば朝一番で出してもお昼に出しても、あとちょっとで6日になるという夜中に提出してもOKです。「時」と「日」の持っている幅の違いが感じられる好例です。
中国を話柄にしながらも、言葉そのものについて考える愉しい一時でした。
また地震
夕方、地震がありましたね。ちょっと大きくて長い地震でした。
あたしはちょうど、とある書店で営業していて、仲の良い書店員さんと話をしているところでした。
最初は店内をドタドタと走っていた数人の高校生のせいかと思いました(←別にその書店が、そんなに安普請の店舗だと思っているわけではありません)。ただ、それにしては長いし揺れも大きいので、「あ、地震だ」と認識した次第です。
書店の人たちは、やはり3・11で棚から本が落ちてきたり棚が倒れたりした記憶が思い起こされるのか、一様に怖がっている感じを受けました。あたしはと言いますと、3・11以前も以降も、別に地震は怖くないです。3・11だってもちろん体験していますが、それほど怖い思いをしていないので、多くの人よりもあの地震が大きかったという印象がないのです。
なんどかブログにも書きましたが、あの日あたしはトーハンの桶川の倉庫にいました。仕事で何度か行ったことはありますが、日常の仕事とはかなり異なりますし、日常仕事をしている環境ともずいぶんと異なる場所であります。つまり、そもそもが非日常的な状況に置かれていたので、地震によって一瞬にして日常が壊れる、という体験をしていないのです。なおかつ、比較的頑丈に作られている倉庫ですから、物が倒れてきて下敷きになる、といった怖さもありませんでした。
というわけで、あたしは幸いにも3・11を、ある意味、体験していないのです。余震が揺れようが、あの時の怖さを思い出すということはありません。ここに、東北や東京の多くの人との断絶を感じます。
オシャレ路線
今日は午後からYA出版会の例会、そしてそのまま晩は忘年会でした。
なんか、このところ忘年会が続いているような気がします。もちろん、毎日ではありませんが、毎週なにかしらあります。そんな季節なんですよね。たぶん、この忘年会がなければ、別に師走だからといって特別忙しいわけでもないのだろうと思います。とはいえ、それ自身では停まることなく流れているのが「時間」ですから、どこかで区切りを人工的につけて、リセットしないと人間は生きていけないのでしょう。
さて忘年会ですが、今年はイタリアンでした。神楽坂と江戸川橋の中間のあたり、「ラ・レッテラ」というお店です。総勢で40名弱になりましたので、お店は貸切です。だからなのか、とても楽しい会になりました。コース料理でしたが、野菜をふんだんに使っていて、パスタも美味しく、デザートのロイヤルミルクティーのアイスが特に絶品でした。
一般に、こういった業界の忘年会は居酒屋で膝つき合わせて飲みまくる、というものを想像しがちだと思いますが、YA出版会も担当者の女性率がこの数年高くなり、オッサンぽく居酒屋でドンチャン騒ぎというわけにもいかないだろうと考え、お店をチョイスしました。
ちなみに昨年は市ヶ谷の日仏学院(最近はアンスティチュ・フランセ東京と言うようですが)の中のレストランが会場でした。これもあたしのチョイスです。二年続けてちょっと小洒落たお店を選んだわけですが、お陰様で皆さまの感想もよかったのではないかと、勝手に推測しているのですが……
今日の配本(12/12/05)
好調に推移
ここへ来て、書評が出始めたので動きがよくなり注文が続いているのがこちらです。
主要全国紙ではなく地方紙にこのところ毎週のように載ったので、各地の書店から注文が来ます。この本、出た直後から書店の方の反応はよかったのですが、実売になかなか結びつかず書評が出ないかなと期待していたのですが、こういう地方紙書評の波状攻撃がここへ来て効果を上げているようです。
次に、これは間違いなく全国紙に出たからですが……
これは全くの海外小説です。音楽書でもなければ、音楽関係のノンフィクションでもありません。週刊朝日にも書評が載ったので、俄然売れ行きに弾みがつきそうです。高額の化け物『2666』の陰に隠れがちですが、本書もガイブンとしてはかなりいい線いってます。
それと、最後に出たばかりなのに出足好調なのがこれです。
中国の近代史、それも一番馴染みのない時代だと思いますが、これが実に面白いです。この十数年がこんなに面白いなんて迂闊にも知りませんでした。軍閥たちの離合集散、あまりにも自分のことしか考えないバカさ加減というか愚かさには、当時の日本軍でなくとも呆れてしまいます。それでも一所懸命に時代と格闘する彼らは格好いいです。
凍りの掌
一部で話題のコミック『凍りの掌』読了。
絵のタッチはほのぼのとして、ある意味、映画「火垂るの墓」を思い出させます。が、内容はその「火垂るの墓」と同様、かなりキツイものです。
最初に驚かされたのは、主人公が東洋大学生だったということ。なんだ、先輩なのかと感じました。
シベリア抑留体験の中ではもっと厳しい体験をした人もいたかも知れませんが、この主人公が味わったものもかなり壮絶です。日常的に人の死と向き合うなんて現在の我々にはあり得ませんし、それに対して何の感慨も催さなくなるなんて信じられない感覚の麻痺だと思います。
本書を読んで感じることは、結局敵味方の違いはあれど、どちらにしてもうまく立ち回ってうまい汁を吸う人間がいて、一番底辺の人間は常に虐げられるだけなんだということ。関東軍や満鉄の偉い連中は終戦間際のうのうと帰国したはずなのに、何も知らされることなくソ連軍に蹂躙された下級兵士はこんな目に遭ったわけなのですね。
そして、中国人にしろ朝鮮人にしろロシア人にしろ、たとえ敵味方とはいえ個人レベルでは友情までは行かなくともそれなりの交流が生まれるということに多少の救いを感じました。どうして国レベルにこの気持ちを活かせないのか……
最後に、やはり共産党は一筋縄ではいかない存在であるということです。極限状態の日本人捕虜に徹底的な洗脳を施し、日本へ送り込む、それを待ち受ける日本人の偏見、差別。これも哀しい現実だったのでしょう。
それにしても、著者が直接体験していないことなので、ストーリーがかなりアバウトです。たぶん語り手である著者の父(主人公)の記憶も曖昧なところが多いのでしょう。それを小説的な脚色で補わなかったところにむしろ共感を覚えます。やろうと思えばいくらでももっと悲惨な物語にも哀しい物語にもできたはずです。それをせずに聞いたままを淡々と絵にした著者の態度は立派だと思います。