さあ出発

これから出張ですが……

とりあえず、目的地の方は台風の影響がなさそうなのですけどね。

いまのところは……

関東地方に台風が接近中です。

午後からは雨になりました。それほど強くはなく、ふだんの雨の日と変わらない感じです。夕方になりだんだん強くなってきました。なんとなく、いつもより帰宅の足が速いような気がします。

かくいうあたしは、明日からの出張の準備で一日会社に籠もりっきりで、なんとか準備を済ませ、会社を出たのは5時半を回った頃でした。電車が止まると嫌なので、できれば5時の時報と共に会社を出たかったのですが無理でした。

帰宅時、雨は強いものの、風はそれほどでもなく、少なくとも横殴りの雨になっていなかったのが幸いでした。でも、明日の朝はどうなるのでしょうか? 新幹線は動くのでしょうか? それよりも、あたしが無事に東京駅へたどり着けるのでしょうか? 大阪へ着いてしまえば「没問題」なんでしょうけど。

 

今日の配本(13/10/15)

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運命の出逢い?

いま通勤電車の中で読んでいる『ピサへの道』の中で、ちょっと気になった箇所をご紹介します。

二人とも、仮りにもう一度出会うことがあっても決して繰りかえしのきかない、なんとも奇妙な気分でいたというのが真相だろう。相手がなにに心を動かされているのか、お互いなにもわかってはいない。しかもひどく興奮し、気を張りつめて、互いの心がなにか特別な共感で響きあうのを感じたのだ。なかばうつろでいながら、そのくせ妙に醒めて敏感になっていたわしは、じつに身勝手に娘を手にいれた。娘がどこからきたのか、どこへ消えてゆくのかなど考えようともせず、ただこの美しいものを、自分が孤独でいるに耐えない今の今、運命が心優しくもよこしてくれた贈りものとして受けとったのだ。戸外にひろがるこの大都会、パリが送ってきた小さな野育ちの精霊、それがこの娘なのだと思えた。パリという都はどのようなときであれ、思いがけないものを人に恵んでくれる。まさにその恵みが必要な瞬間、この娘をとどけてくれたのだ。娘の側がこちらをどう思ったか、なにを感じていたのか、わしにはなにも言えない。あのときは念頭にも浮かばなかったが、今にして思えば、娘にとってわしもなにかを象徴していたにちがいない。個人としてのわしなど、たぶん存在すらしていなかったのではあるまいか。

 

こんな電気が走ったような出逢い、あるんですかね?

どうせなら、これも一緒に!

ジュンク堂書店池袋本店の年末年始のイベント。

昆虫を美味しく食べる時代がやってくる! 内山昭一監修 昆虫食パネル展

ターゲットとなっている書籍は『むしくいノート』(カンゼン)と『食べられる虫ハンドブック(仮)』(自由国民社)の二点。

蜂の子とかイナゴとか、虫を食べるというのは、現代日本人のほとんどはしなくなりましたが、一部にはそういう食習慣が残っていることは知っておりますので、決して奇異な感じはしませんが、あえてこの時期にこういう本が出版されるのはなぜでしょう? ただ個人的には、このフェアには、是非とも片隅にみすず書房さんの『食べられないために 逃げる虫、だます虫、戦う虫』を並べていただきたいものです。

お忘れなく!

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エターナルファンタジー

先日スカパー!で放映されていた「銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー」を録画しておいたので視聴しました。昔、見たことがあったような気もしつつ、全体的な流れは覚えていなくて、ほぼ初見に近いものでした。いや、確かに部分的には見たことがあるのはいくつかのシーンで覚えているのですが、この映画のワンシーンだったとは覚えていませんでした。

それにしてもこの作品、ネットを検索してみるとパイロット版的な作品で、この翌年に完結篇的な作品が作られ公開される予定だったとか。それがこの作品の興行成績が悪いため完結篇の製作が中止になってしまったのだとか。前世紀の話ですからもう十年以上も前。もうこの作品の完結篇は作られないと考えてよいのでしょうね。

もっとも、今回の「ハーロック」が当たっていれば、「999」も新作が作られる可能性はあったかもしれません。少なくとも松本零士はそんなことを思っていたのではないかなあ、なんて邪推もしたくなります。

この作品では、機械人間が鉄郎のようなフツーの人間を敵視し、かなり虐待をしていて、それに反逆する鉄郎は幽閉され、脱走後は命を狙われるわけです。脱走を助け鉄郎を999に乗せたメーテルも追われるわけで、その追っ手の一人との闘いにけりをつけ、さあ敵の本拠へ、的なところで映画は終わってしまっています。この後どうなるんだ、という期待を抱かせつつも、これまでの「銀河鉄道999」の映画がすべて同じようなストーリーですから、おおよその見当も付いてしまうという感じでもあります。

それにしても、本作の最後、999は新たな終着駅へ向けてメーテルと鉄郎を乗せて走っていくわけですが、その後はアルカディア号、エメラルダス号が続くのはよいとして、さらにその後に宇宙戦艦ヤマトが付いていったのは笑ってしまいました。松本零士はいったいどんな完結篇を思い描いていたのでしょう?

しかし鉄郎、気持ちだけは立派ですが、結局はハーロックやエメラルダスがいないと、彼らに助けてもらわないと何もできない少年でしかないような……。それを言ったらおしまいですが。

そんな作品を腐すような意見はやめにして、999を見るといつも思うのですが、あのように汽車、列車が宇宙を走れるようになるには科学技術がどれくらい進歩したらよいのでしょうか? 銀河鉄道は目には見えないけれど宇宙空間にもレールが敷かれていてその上を走っているという設定だったはずです。そしてそのレールの周囲(つまり銀河鉄道の周囲)は、これも目には見えないですが空気のトンネルのような状態になっていて、だから鉄郎が999の窓を開けても大丈夫なんだ、という設定だったと思います。こういう技術、果たして、あと1000年か2000年もしたら可能になるのでしょうか?

ついでに言えば、宇宙戦艦ヤマトも、あんなまるっきり海に浮かぶ船の形をした状態でいきなり宇宙まで飛び立てるというのは、(波動エンジンが付いているからというのはおくとして)これまた科学技術がどれくらい進歩したら可能なのでしょうか? 現在の飛行機、ロケットの形態や離陸、発射までの準備を見る限り、道のりは長そうな気がします。ちなみに、ヤマトは西暦2199年という設定ですよね。それくらいたてば可能なのでしょうか?

そうそう、ヤマトは設定上は全長が300メートルくらいで、アルカディア号は400メートル程度とされていたはずですが、今回の映画のアルカディア号は1キロを超える全長なんですね。それに形状もこれまでのアルカディア号とはかなり異なるし……

 

ネットに繋がっていると怖い!

昨日、NTT DoCoMoが新製品発表会を開きました。

ご存じの方も多いと思いますが、あたしはふだん、ドコモのタブレット「Galaxy Tab 10.1」を使っています。2011年11月発売で、その頃に購入したので、ほぼ2年がたつわけです。例の「2年縛り」も晴れて終了となります。そのタイミングを計るかのような新製品発表会でした。

とはいえ、最近のトレンドは5インチクラスの画面を持った、いわゆるスマホ、タブレットは7インチタイプが主流になろうとしている昨今、10.1インチのタブレットは、ケータイ会社から出ないような雲行きでした。Wi-Fi接続のみの、携帯電話会社に依存しない、メーカー製タブレットなら東芝や富士通や台湾メーカーからも10.1インチモデルが出ていて、ドコモからはそろそろ新しいのでないのかな、という期待感はありました。

ただ、このタイミングで発表がなければ、特に現在使っているタブレットが壊れたわけでも、ヒーヒー言っているわけでもないので、あえて機種交換をする必要はないのですが、やはりスペックがよくなった新製品には魅力を感じます。で、今回の発表会です。

あたしが使っているサムスンの製品は、10.1インチ画面のタブレットでは新商品はありませんでした。と言いますか、10.1インチの商品は富士通のタブレット一つだけしか発表になりませんでした。選択肢も何もあったものではありません。これに決めるか否か、です。もちろん、発表会には間に合わなかったけど、突然新製品が発売になることはこれまでにもあったので、特に外国メーカーの場合、ギリギリまで情報を表に出さないという可能性もありますので、年末近くになっていきなり「サムスンから10.1インチタブレット発売!」というニュースがドコモ経由で入ってくるかもしれません。

ただ、あたし自身は取り立ててサムスンが好きなわけではなく、あの時点ではスペック的にも機能的にもこれしかないという状況だったに過ぎません。幸いにも、今回の富士通製タブレットはなかなかスペックなどもよさそうです。かなり食指が動きます。

と、こういうことを考えると、こんな気持ちが機会に伝わるのでしょうか、いま使っているタブレットの様子がおかしいです。使っていると、いきなり再起動がかかることがあります。どうして? と悩んでいる暇も与えてくれません。

Windowsも、新しいバージョンの発売が近くなると、現在のパソコンの調子が悪くなるということはよくあります。ネットを通じて、バグの修正とかアップデートに名を借りて、マイクロソフトが動きをおかしくするプログラムを送りつけているんだ、というまことしやかな都市伝説もあります。かつてのように、パソコンはスタンドアローンで使い、ネットに繋がっていることは稀、という時代なら生まれない話です。常にネットに繋がっていて、いつも人知れず何かしら交信(更新?)しているからこそ、そんな都市伝説が生まれるのでしょう。ただ、マイクロソフトがそういうことをしていないという確証もないので……

で、タブレットでも同じようなことが起こるのかわかりませんが、ドコモの陰謀なのでしょうか?

 

本当にストーカーなのか?

東京の三鷹での女子高生刺殺事件。ちなみに、多くの人が連想するJR中央線・三鷹駅ではなく、京王井の頭線の三鷹台駅の近くで起こった事件です。三鷹台は井の頭公園駅のお隣、井の頭線に沿って神田川が流れ、そこから北が杉並区なんですが、駅のある場所は三鷹市になるのです。三鷹市の外れの方です。

と語るあたしは、小学生の時から大学生の時まで、三鷹台から数駅、井の頭線の高井戸駅から徒歩5分ほどのところに住んでいましたので、若干は土地勘のある場所です。

ところでこの事件、いわゆるストーカー犯罪と言われています。数日前から自宅付近を徘徊し、挙げ句の果てには被害者の留守宅に侵入し帰宅を待って襲ったわけですからストーカー以外の何ものでもありません。女子高生が学校や警察に相談していたということですから、粘着質な男性像が目に浮かびます。

しかし、実際のところはどうなのでしょう? もちろん、今回の事件や事件に至るまでの犯人の行動を正当化するつもりはありませんが、まるっきり男性が悪くて、殺された女子高生がかわいそうなヒロインだったのでしょうか? もしかしたら、彼女はものすごい性悪な女で、この犯人の心をもてあそぶだけもてあそんで、ゴミのように捨てた、そんなことは考えられないでしょうか?

どうしてそんな風に思うかといえば、あたしが高校の頃に、やはり新聞やテレビで大きく取り上げられた事件が通っていた高校を舞台にあり、男子生徒が女子生徒を襲って自殺を図ろうとしたという顛末なのですが、事件時代はそんなところにまで行く前に逮捕劇を迎えました。しかし、上のようなストーリーがテレビなどで報道されると、女子生徒は悲劇の主人公、男子生徒は自分の気持ちだけで突っ走ってしまった未熟な人間、といった感じで描かれました。

当時の事情をよく知るあたしなんかに言わせれば、むしろ逆で、女の方が性悪で、そんな女に引っかかってしまった男の方が被害者と言った方がよいくらいでした。もちろん、そんな女に引っかかる男が馬鹿なのよ、という理屈はもっともですし、それに対しては何も言い返せませんし、あたしもそう思います。

でも、描かれる人物像としては、マスコミで報道されたようなものとは正反対のこともある、という事例をみずから経験しているので、こういう事件を見聞きするにつけ、本当に女性が被害者なのか、女性の方に原因はなかったのか、という見方で事件を見てしまうのです。

商談って、何?

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