2月 2015のアーカイブ
変態?
なにを一緒に並べるか?
クリミア戦争って、名前くらいは聞いたことがあるけれど、どことどこが闘った戦争だか知っていますか? 日本が加わっていませんから、この質問への日本人の正答率はかなり低いでしょうね。ただ、いまとてもホットな地域、クリミア半島のあたりで闘われた戦争なんだ、ということはわかると思います。手早く知りたい方はウィキペディアでもご覧ください。
さて、いま問題となっているクリミア半島情勢もここまで遡らないと理解できないわけなんです。そういう意味では、本書は歴史の本でもありますが、現代の海外事情の本という捉え方もできると思います。少なくとも、書店で「クリミア情勢を知る」なんてフェアをやるとしたら、本書は当然セレクトされるべき一冊、いや二冊でしょう。
さて、このクリミア戦争、時代的としてドイツでビスマルクが活躍していた時代です。ですから、まずはこんな本も並べてよいのではないでしょうか?
中公新書の『ビスマルク』です。新書ですからお手軽です。もう少し本格的なものを、というのであれば、こちらになります。
また参戦国の一つフランスではこの時代、ナポレオン三世がいましたので、文庫クセジュ『ナポレオン三世』や講談社学術文庫『怪帝ナポレオン三世
』などはどうでしょう?
またロシア側はあまり文献がないのですが、戦争より少し前の人ですが、帝政ロシアに君臨した『エカチェリーナ大帝(上・下
)』などはどうでしょう?
もう少し手頃なものは、というのであれば池田理代子のコミックもあります。
そして、案外忘れられそうですが、主役の一人、オスマン帝国も無視はできません。『オスマン帝国』や『オスマン帝国六〇〇年史
』、『オスマンVS.ヨーロッパ
』などがあります。
さらにオスマン帝国やアラブ世界について知りたい方には『アラブ500年史(上・下
)』がお薦めです。
こうしてみると、クリミア戦争が「最初の世界大戦」「第零次世界大戦」と呼ばれるのも納得です。
幅が広いからこそのリアル書店
少し前に「リアル書店の可能性」として、イスラム関連書籍のフェアについて書きました。その時のダイアリーで紹介していた「アラブ世界、イスラーム社会を知る」というチラシで案内していたミニフェアの注文がここへ来て非常に伸びています。やはり書店の方、この話題には食いつきがいいですね。
で、このBOXこそ使っていないものの、ブックファースト青葉台店の人文コーナーで「イスラムを考える」というコーナーが作られていました。弊社の本も何冊か並んでいます。
よく見ると文庫も新書も単行本も並んでいますし、人文コーナーに置かれていそうな本でも硬めのものから柔らかめのものまであります。普段なら人文コーナーではないところに並んでいると思われる本もあります。こんな多様な物を同じ場所に並べる、これがまさしくリアル書店のアドバンテージなのではないでしょうか?
もちろん文庫や新書などの買いやすい本だけを集め、文庫・新書コーナーの一角でコーナーを作るのがやりやすい、売れやすい方法でしょう。それも書店の広さなどを考えたときにはアリだと思います。が、こういう風にもう少し幅を広げるとイスラーム社会にしても「イスラム国」にしても、あるいはキリスト教とイスラム教の歴史についても複眼的な思考が可能になるのではないでしょうか? 大型書店なら、こういうコーナーを作るスペースももっと広いでしょうから、更に多様な書籍を並べられると思います。ここへ来て緊急出版されたものだけでなく、もう何年も地味ながら売れ続けている、定評あるものも並ぶことでしょう。
そういう知を提供すること、これはネット書店では真似できない芸当だと思います。
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ビスマルク
息子は別人?
『民のいない神』読了。帯にはピンチョンやデリーロの名前が載っていますが、あたしはどちらも読んだことがありませんので、比較はできません。
で、本書です。いくつかの時代を行ったり来たりしますが、基本となるのは現代の話で、アメリカで暮らすシク教徒のジャズとユダヤ人のリサ夫婦、それに二人の自閉症の子供ラージ。ラージの症状に苦しみながら、そしてお互いの文化的背景に苦労しながらも二人は比較的うまくやっていました。むしろ彼らの家族、親戚が問題の原因と言えます。そんな三人家族がアメリカ西部の砂漠に旅行にやってきます。そこにあるのがピナクル・ロックという、三つの岩が山のように天に突き出している場所。ここで二人がラージから目を離したすきにラージは行方不明となってしまいます。自閉症の子供の神隠し、行方は杳として知れず、夫婦は悲劇の主人公としてマスコミに取り上げられます。
が、じきに状況は一変。二人が息子を殺したのだという疑惑がマスコミによって広められ、精神的に追い詰められていきます。そんなボロボロの生活が数ヶ月続いたころ、突然ラージが見つかったという警察からの連絡が入ります。安堵する二人ですが、戻ってきた息子はかつての自閉症がすっかり治っているかのような雰囲気です。どうして失踪したのか、失踪中はどこにいたのか、どのように暮らしていたのか、そして自閉症が治ったかのように見えるのはなぜなのか?
こういった疑問が残されたまま夫婦はラージを伴って、再びピナクル・ロックへと向かいます。このピナクル・ロックにまつわるサイドストーリーが、ジャズとリサ夫婦のストーリーの間に挟み込まれます。そこはかつてカルト的な集団の聖地としてヒッピーのような連中が居着いていたりした場所でもあったのです。そんな連中の残党がジャズたちと少しずつ関わりを持ち、ラージの失踪にも関わっているようで……
さて、結局、結末はどうなっているのでしょう? ピナクル・ロックはやはり何か特殊な力を持った場所、磁場か何かなのでしょうか? そうでないと、これだけの人の人生を振り回した理由が説明できません。そして、そうであれば、ラージの失踪などもなんとなく納得できますから。
ところで、作者はなんでこんな時代を行ったり来たりの作品を書いたのでしょう? いや、こういう構成を取る作品がまるでないわけではないですから、作者のオリジナルだというわけではありませんが、なんでこういう構成なのか? あたしなりに考えますに、このジャズ一家のストーリーが非常に現代的です。いかにも現代にありそうな、いや実際にこういった事件、事故は枚挙に暇がないほどあったでしょうし、こういうカルチャーギャップに苦しむ家族や夫婦、恋人の話もたくさんあります。なので、いかにも現代的であるのに実はとても陳腐でありきたりなんです。
しかし、この家族の事件の合間に挟み込まれるピナクル・ロックにまつわるストーリー。完全にシンクロはしないのですが、ジャズ一家に起きていることの伏線になっているかのようなストーリーだなと感じます。だとすると、そんな昔に、既に現代的な出来事が起きていたということになるのでしょうか? たぶん、そうではなく、昔も今も人間の営みってそんなに変わるものではない、そんなことを作者は描きたかったのか、そう思えてきました。そして、張り巡らしたように思われる伏線のほとんどが回収されない終わり方、昔も今も変わらないということは未來も変わらない、だからこれからもまだ同じようなことが続きますよ、という意味なのかな、と思いました。
