3月 2015のアーカイブ
ケネディとフルシチョフ
今日の朝日新聞「歴試学のススメ 世界史編」はキューバ危機がテーマでした。あわや第三次世界大戦という国際的な危機だったわけですが、この前後というのは本当に国際関係が東西冷戦でピリピリしていた時代だと思います。そんな時代を知るのに、こんな本は如何でしょうか?
サブタイトルは「ケネディとフルシチョフの冷戦」です。老獪なフルシチョフに手玉に取られる若造ケネディという構図が斬新です。これまで特にアメリカではケネディというとアメリカの希望の星というようなイメージが強かったと思いますが、本書のように実際のケネディ、決して有能でも、希望の星でもない、ありのままのケネディ像の掘り起こしというのが、昨今はアメリカでも進んでいるそうです。本書はそんな流れの中で刊行された一書です。
書評、そして重版
桜祭り
わが家の近所に桜がトンネルを作っている通りがあります。何回目になるのかわかりませんが、その通りを会場として今年も桜祭りが行なわれました。100メートルか200メートルくらいしかない道で、ふだんはバス通りにはなっているものの、全体としてそれほど交通量が多いわけでもないので、桜祭りの日だけは午前中から夕方まで通行止めにし、いくつか模擬店も出店してそれなりににぎやかに行なわれています。
と書いたものの、毎年あたしは行きません。もともとお祭りが好きでないので、この桜祭りに限らず、たいていのお祭りには行こうという気が起きません。たぶん、幼少のころ巣鴨の地蔵通り商店街の近所に住んでいて、毎月4のつく日の縁日を体験していたので、「もう縁日は十分、お祭り騒ぎはたくさん」という気持ちがあるのだと思います。
さて、毎年桜の季節の、とある土曜日に一日だけ行なわれる地元の桜祭りもなかなか桜の最盛期に合わず、残念な結果になっている年が多いです。今年も昨日だったのですが、辛うじて少し咲き始めた感じだったでしょうか? 今日、その会場となった通りのそばを通ったとき、桜は4分から5分咲きといった感じでしたから、まあ、祭りをやるにはなんとか格好はついたかな、と思われます。何年か前には雨天で一週間順延となり、見事に盛りが過ぎて散りまくってしまった年もありました。
と、桜祭りを腐しているようですが、あたしは桜は好きです。あの儚さが好きです。だから咲き始めや咲き誇っているときよりも、散り際が好きです。でも桜を見ると哀しくなります、切なくなりますね。
ちなみに、昨日の土曜日は、ちょっと荷物を置きにマイカーで会社まで行ってきたのですが、靖国神社から北の丸公園のあたりの人出はすごかったです。また近所の小金井公園もかなり大勢の花見客が押し寄せていたみたいです。先週木曜日の上野も、そういえばかなりの人の賑わいでしたね。
桜の下で何を待っているのか?
タイトルの勝利?
甲乙つけがたい?
休暇をとりました。そして東京国立博物館へ「インドの仏」展を見に行きました。
基本的には仏像ばかりが並んでいる展覧会です。多少なりとも混雑していたのは最初の部屋だけで、あとはゆっくり、ゆったりと鑑賞することができました。一口に仏像と言っても、こうして見るとかなりいろいろあるものです。まず目につくのは顔立ちです。以前から知っていたガンダーラなどの仏像は日本などの仏像とはかなり異なり、顔も欧米人的な作りです。頭部も螺髪ではなくウェーブのかかった長髪だったりしているものもあります。
サイトで紹介されているものにはありませんが、あたしが個人的に気に入ったのは実は仏像ではなくて「NO.86 銀鉢」です。これは実にきれいな逸品です。彫刻も精緻で見事なものです。「NO.87」と大小でセットになって展示されていましたが、どちらもすばらしいものでした。
あとは「NO.84 仏座像」が独特の顔立ちをした仏像なんですが、これがどう見てもあたしには仏像には見えません。むしろ仏教側から排斥された悪魔、邪神、異教の神なのではないかと思われます。こんなのが出土したら、たぶん仏像ではなく悪魔像だと思ってしまいそうですし、少なくとも仏教徒は何ら関係のない、異教の法具ではないかと思ってしまうでしょう。
ところで、この「インドの仏」展は東博の表慶館(正門を入って本館の左側にある小振りの建物)が会場だったので、一階と二階を合わせてもそれほど大きなスペースではありません。そしてすべてを見て終わった最後のコーナーが図録や記念グッズの販売ゾーンとなっていました。今回の展覧会に合わせて企画されたグッズがいろいろ並んでいて、あたしも買いたいものがあったのですが、本館のミュージアムショップではにわの靴下を買おうと思っていたので、ここでは買い物は我慢して本館へ向かいました。
ところが、本館のミュージアムショップは同展の図録こそ売っていたものの、他のグッズは扱っていないのです。絆創膏は要りませんが、一筆箋とかキャンディーは買いたかったなあ、と思いましたが後の祭り。もちろん、目と鼻の先の表慶館へ戻ればよいのでしょうが、一度本館に来てしまったら、また戻るのは面倒に感じてしまい、結局買わずじまいでした。
多くの展覧会では、展覧会グッズの他に関連書籍とかレプリカなどのショップも出店していたりします。そういうのまで本館のミュージアムショップで扱う必要はないと思いますが、展覧会グッズ、それも公式のものであれば本巻でも扱ってくれないかな、そんなことを思いました。
ちなみに、本館のショップで買いたかった靴下は子供用はともかく、大人用でも23~25センチなので、ちょっと小さいかなと考えて、いったん保留としました。こんなことならお土産は表慶館で買っておくべきでした(涙)。
さて表慶館は上にも書いたようにそれほど広くはないので、何時間も観覧に時間がかかるわけではありません。朝イチで入館したのでまだ今日の時間はたっぷりあります。ただ午後イチで別件、髪を切りに行く予約を入れてあったので、それまでの時間でこんどは六本木は東京ミッドタウンにあるサントリー美術館へ「若冲と蕪村」展を見に行きました。
伊藤若冲と与謝蕪村が同い年だなんて知りませんでしたが、非常に面白い展示でした。ちなみにこの展覧会は「きもの割」と言って着物(和服)を着ていくと入場料が100円安くなるサービスがあるようで、会場には着物姿の女性がとても多かったです。そして先の東博に比べ、平日の午前中だというのに、かなり混んでいました。まあ展示を見られないほどの混雑ではありませんでしたが。
さて、若冲と蕪村です。名前を伏せて、今回出品された作品をランダムに出された、それが若冲の作か蕪村の作か、半分くらいは誰にでも判定がつくほど二人の作品は対照的です。一見して感じるのは力強いく画面にグイグイ引き込まれそうになるのは若冲の作品です。それに比べると蕪村の作品はもう少し肩の力が抜けている感じです。画面に引き込まれると言うよりは、ちょっと画面から離れて、引き気味に鑑賞したくなる作品だと感じます。
とはいえ、そんな風に感じられる作品ばかりではなく、これは若冲だろうと思った作品が蕪村のだったり、逆にこのタッチは蕪村だなと思ったら若冲だったり、いくつもあたしの予想を裏切られるものがありました。別に当てっこクイズをしているわけではありませんが、そんな楽しみ方もできるな、と思います。
で、若冲と蕪村。あたしはやはり蕪村の方が好きだなと感じます。若冲も好きですし、すごいと思いますし、圧倒されますが、やはり蕪村のホッとできる感じに惹かれます。蕪村と言えば、今回は出ていませんが「奥の細道屏風」のイメージが強く(本展では「野ざらし紀行屏風」が出展)、飄々とした軽妙洒脱な感じを抱いていますが、やはり若冲の瞬きを許さないかのような力強さよりは、こういう感じのものが好きなんですよね。
しかし、どっちもどっち。甲乙つけがたい展覧会でした。混雑するのもわかります。
立川という街
今宵は紀伊國屋書店の新宿本店で、谷口功一さんと速水健朗さんのトークイベントでした。1時間半のトーク時間では物足りない内容で、たぶんお二人も話したりなかったのではないでしょうか? さて、今宵のイベントについてはご本人が、あるいは聴きに来ていたたくさんの方々が今夜以降、ブログやFacebool、TwitterなどのSNSでいろいろ報告されるでしょうから、あたしは、あたしなりに興味を引かれたところを記したいと思います。
それはスナックです。やや本論と脱線したような話題ではありますが、話をうかがうと実は今日の郊外論などとも密接なつながりがあるのではないかと思われます。そんな小難しい話は抜きにして、スナックの起源はまだ調べきっていないと断わった上で谷口さん曰く東京オリンピックのころが嚆矢だろうとのこと。都会への人口流入が増え、核家族化も進み、これまで地縁・血縁的なものから切り離された人が都会に増えたことを背景に、着物を着た美しい女性が取り仕切るスナックが増えていった、との分析。
そこまではっきりと話されたか忘れましたが、つまりは都会に出てきて仕事に疲れた男性たちが癒やしを求めると共に、母親に甘えたいという願望のはけ口としてスナックは誕生したのかな、と思いました。その証拠にとまでは言いませんが、スナックの経営者って「ママ」って呼ばれますよね? あれは疑似家族なわけでしょうから。
と、そういう学問的、社会学的な話はおくとして、谷口さんの話の中で立川には立川出身のママだけでやっているスナックばかりが入っているビルがある、とのこと。立川は、最近でこそ行く機会が減りましたが、かつては書店営業で毎週のように行っていた街ではありますが、いかんせん、立川で飲むという機会には恵まれず、そのようなスナックがあるということは知りませんでした。
立川出身の人ばかりの店なら、お客も立川の地元の人が多いのでしょう。スナックというと年配の疲れたおっさんが行くところというイメージでしょうが、そういう店では地元のもう少し若い層も来るのだとか。地方でも地元の飲み屋として、都会よりは比較的若い年齢層もスナックに来るという話も出てました。そんな話を自分の頭の中で再構成していくと、「立川って田舎なのかな?」という思いがわき起こってきました。
確かに、吉祥寺を抜いて、駅の乗降客数は新宿以西でナンバーワン、伊勢丹や高島屋、駅ビルも北と南に林立し、モノレールも通る一大ターミナルであり繁華街でもあります。ただ、どうしても「住みたい街」では上位にはなれず、どことなくうらぶれたイメージ、治安や風紀の悪いイメージがつきまとっているのも立川です。イケアが出来ても払拭できたとは言いがたいですね。
そして、どことなく田舎っぽい雰囲気。こう書くと怒られますが、八王子は「ややにぎやかな地方都市」という感じで、立川は「東京のターミナルの一つ」という感じがするのですが、それはあくまで八王子と比べての話で(八王子の方、ゴメンナサイ)、新宿から中央線に乗って西へ向かうと、やはり立川は田舎だよな、という感じを受けます。
田舎と言っても「地方」という意味ではなく、あくまでベッドタウンであって決して東京ではない、という意味です。その証拠にと言うわけではないのですが、かつて読んだ本(書名は忘れました)に、今どきの若い子、記憶する限り、立川あたりの女子高生のことを、その文章では指していましたが、そういう子たちは東京の中心部、例えば渋谷とか表参道、更にはお台場のあたりへ行くことを「旅行に行く」と言うのだと書いてありました。東京の子が東京の別の街へ行くのに、それを「旅行」と呼ぶとは!
その本によると、最近の若い子は地元好きで、地元からあまり離れたがらず、友達も小学校以来ずっと地元にいて、そういう仲間同士で連んですごし、進学も就職もだいたい地元で完結している子が多いのだそうです。もちろん友だちづきあいも。遊ぶところも地元、成人してから飲みに行くところも地元。ほとんど地元を離れない、という若者が増えているとその本には書いてありました。
都心の方へ行くのを旅行と呼ぶようでは、やはり立川は田舎であり、地方なのではないか、そんな風に思ってしまうのです。
ところで、立川は上に書いたようなデパートがデッキで結ばれていて、ある種の空中庭園な街です。そのデッキから下を見やると、バスロータリーはともかく、なんとなく薄暗く、人通りもまばらな感じ。デッキ上でデパートに吸い込まれていく華やいだ人々とのあまりの落差に呆然としたことがありました。
そんな印象をつい最近受けた街が他にもありました。町田です。ここもJRと小田急はデッキで結ばれていて、その下は別世界のような感じでした。デッキ上から見たときに「どこかで見たことがあるなあ、そうだ、立川に似ている」と思ったのでした。
いまさらの、3周年西武ドーム
乃木坂46のデビュー3周年、西武ドームコンサート。もちろん行きませんが、スカパー!の生中継は録画しておきました。とーたる8時間の長丁場。最後の方は生中継を見ていたのですが、前半どころか、4分の3ほどは未見だったので、休日や平日の帰宅後に少しずつ見ていて、ようやく視聴完了です。
さて、感想ですが、佳い楽曲が多いなと思う反面、正直に言ってしまうと、ライブパフォーマンスはまだまだだと感じました。「あんなんでお金取るの?」とまでは言いませんが、もう少しスキルアップ、レベルアップを期待したいです。
もちろん昨今の歌手のライブは演奏とか曲を味わうのではなく、その場にいて、大騒ぎに参加することに意味がある、と言われているようですので、そういう意味では観客も一体となったよいライブだったと思います。ジャニーズをはじめ、口パクが当たり前、歌手が盛んに「パフォーマンス」と言うように、決して歌だけを聞かせるのではなく、踊りや演奏(←これはカラオケですね)、舞台装置や照明、それらが一体となった総合芸術と言うべきなのかも知れません。であるからして、歌手が実際に歌っているのか歌っていないのかは、気にするだけ詮無いことなのでしょう。
という立場から見ると、乃木坂のライブは口パクで行くのか、生歌で行くのか、中途半端だったかな、と思います。どうしてもサビの部分を除けば、二人か三人ずつで代わる代わる歌唱するスタイルですから、あの大きな会場で、あれだけ踊りながらでは、相当声量のある歌い手でないと、声は通らないでしょう。
いっそエグザイル・グループのようにボーカルとパフォーマーと分けてしまうのも一つの手かも知れませんし、そこまではっきりとは分けられないとしても、かつてのモーニング娘。が基本はなっちとごっつぁんが歌っていたように、メインボーカルを固定した方が、歌を聴かせるという点ではよいのではないかと感じました。
またダンスですが、これも十数人がしっかり揃わないと、やはりちょっと情けなく感じてしまいますよね。完璧にピッタリ揃えるというのは難しいでしょうし、ライブならではのアドリブもありだと思います。それでもメインステージで並んで踊るとき、決めるところではしっかり決めて欲しい、そのツメがやや甘いところがまだ目立ちます。
かなり辛口な意見を書いてしまいましたが、乃木坂46がより飛躍するためには、さらなるレベルアップを期待するので、あえて。