Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
海外文学と中国

藤井光さんの『ターミナルから荒れ地へ』を読んでいて、アメリカ的なものを背負わない作家が増えているということはわかります。アメリカ生まれアメリカ育ちの、まさしくアメリカ人作家もそうですし、外国からアメリカに渡ってきて英語で執筆するようになった作家ももちろん増えているようです。
誰もが普通に英語を使い、英語で執筆する、それがグローバル化なのだと言われてしまえばそうなのかもしれませんし、今後のアメリカ文学の流れ、ひいては世界の文学の潮流、藤井さんも楽しみながら眺めているのではないかと思います。
さて、こういう文章を読んでいてあたしが思うのは中国のことです。フランスなどは英語を使うのを減らそうと躍起になっているようですが、やはりヨーロッパの共通語は英語だと思いますし、アメリカのスタイルがスタンダードになっていると思います。アメリカと争った共産圏もアメリカ文化の軍門に降ったと言えると思います。
テロの掃討がうまく行かない中東だって、結局は英語を使い、アメリカ文化の影響は著しいものを感じます。だからこそのアイデンティティの確認、そして極端なテロ行為なんだと思います。
ですが、中国です。
これまで世界の国々はアメリカに対峙して、結局はアメリカに飲み込まれていった、アメリカの影響下に置かれるようになってしまったわけですが、中国だけはそれに抗して、独自の立場を貫こうとしているように感じます。
いや、中国だって、政府高官の子どもはみんなアメリカに留学しているし、エリートはおしなべて英語が話せるし、身の回りのものはアメリカを中心とした欧米の製品ばかりです。
それでも、中国は、これまでアメリカが対峙してきた諸国とはやはり違うと感じます。アメリカへの挑戦の仕方が異なるというのでしょうか、とにかく、あたしにはそう感じられます。それが、アメリカにはない歴史の重みなのか、歴史を背景とした自国文化に対する揺るぎない自信なのか、それはわかりません。
そんな中国の文学が、世界文学に加わったら、文学にどんな影響を与えるのでしょうか? 既に莫言のノーベル文学賞受賞のように世界に認められている中国文学ですが、世界の作家にどれだけの影響を与えているのか、となるとまだまだなのかもしれません。
中国文学は英語に屈せず独自の道を歩むのか、それとも英語に取り込まれてしまうのか、とても気になります。そんなことを考えながら読み終わりました。
アメリカ文学とは?~『ターミナルから荒れ地へ』~

母語で……

今朝の朝日新聞にこんな記事が載っていました。
国際文芸フェス絡みの記事です。フェスは既に終わっていますし、この業界外の人、海外文学に興味のない人には「へえ、そんなイベントがあったんだ……」という程度のものでしょうが、やはり海外文学好きには一大イベントです。数日間とはいえ短期のイベントなので、どうしても一過性になってしまいますが、書店でフェアをやったり、こうして少したってからでも新聞などに記事が載れば、それなりに盛り上がりの一助になります。
さて、記事で取り上げられているのはイーユン・リーさん。中国出身ながら英語で執筆している作家です。その、母語ではない言語で執筆していることについて語っていますので非常に興味深いです。
この母語では書けないというリーさんの問題意識と、ある部分では重なりつつも、また異なった視点を与えてくれるのは温又柔さんではないでしょうか?
そしてそこまで話しが及ぶなら、温さんの『台湾生まれ 日本語育ち』について沼野充義さんが書評で触れていたように、『文盲』のアゴタ・クリストフや『べつの言葉で』のジュンパ・ラヒリなどに触れざるを得ないのではないでしょうか?
そして、何語で書くのかということに拘るのであれば、藤井光さんの『ターミナルから荒れ地へ』の一読をお勧めします。






