ビジュアル版ですよ!
紀伊國屋書店のTwitterにこんな記事がありました。
【3階】『世界神話伝説大事典』(勉誠出版)
いま、売れています。古今東西あらゆる英雄・神話が載っています!ぜひとも、一家に一冊!K-42棚にて展開中です。TS pic.twitter.com/lAeng0bjW5— 紀伊國屋書店新宿本店 (@KinoShinjuku) 2016年11月3日
勉誠出版の『世界神話伝説大事典』が売れているようです。とはいえ、この本、本体価格25000円もする本ですよ! すごいですね。
となると、今月末刊行予定『カラー版 神のかたち図鑑』も期待できるのではないでしょうか? もちろん前著『神の文化史事典』もお忘れなく!
中国農民の生き様
出版社の特権、閻連科の新刊『年月日』を読みました。ゲラでは既に読んでいたのですが、今回本の形になり、初めて著者による「日本の読者へ」と「訳者あとがき」を読みました。
順序は逆になりますが、「訳者あとがき」によると、本書は同じく閻連科の『父を想う』と重なる部分が多いとのこと。
今年刊行された閻連科の散文集『父を想う』(飯塚容訳、河出書房新社、二〇一六年)には、農民だった彼の父親の姿が描かれています。…(中略)…この姿はまさに先じいです。またその少し前にこんな描写があります。…(中略)…この子どものころの閻連科は、まるで先じいのそばをついて回るメナシのようです。(本書150頁)
これまで閻連科というと「発禁作家」「反体制派」的な見方がほとんどだったと想いますが、本書に関して言えばそんなところは感じられず、素朴で温かさ溢れる作品に仕上がっています。そして、来る12日には、その閻連科氏と『父を想う』の訳者・飯塚容さんのトークイベントが予定されています。この「訳者あとがき」はトークイベントが決まる前に書かれていたはずですが、いみじくも、トークイベントに対する訳者・谷川氏からのエールというか、テーマ設定のようにも感じられます。
またこの「訳者あとがき」にも書いてありますが、この作品は『愉楽』とはまるで異なるテイストではあるのですが、舞台が同じ地区ということもあり、その後日談のようにも読めます。レーニンの遺体購入計画を巡る雑伎団で翻弄された村人たちが、もうあんなふうに金に踊らされるのはまっぴらだ、百姓は百姓らしく土にまみれて実直に働こうじゃないか、と決意して数年、ようやく平穏が訪れたと思った村を大飢饉が襲う。生き抜くために村を捨て町へ働き口を求めに行く村人たち。しかし、自分の畑にたった一本生えてきたトウモロコシを見つけ、村に残ることにした先じいさん。盲目の飼い犬と共に、このトウモロコシを無事に実らせ、来年村人たちが戻ってきたときに植える種とするために、食べるものも飲むものもなくなった村で必死のサバイバルを繰り広げます。しかし、わずかに見つけた食べ物をネズミに狙われ、ようやく見つけた泉には恐ろしいオオカミが待ち受けていて……
それでもなんとかトウモロコシを必死に守り育てる一人と一匹。いや、すでに先じいさんの気持ちとしては盲目の犬は犬ではなく息子です。表4オビの文小は思わず涙を誘われます。そんな先じいさんと盲目の犬、二人はトウモロコシを実らすことができるのか? そして村人たちが帰ってくるとき、二人は笑って村人を迎えることができたのか? それは本書をお読みください。
さて、閻連科氏による「日本の読者へ」には
「へえ、こんな小説も書く人だったんだ。こんな小説を書くことができたんだ!」と感嘆のため息を漏らしてくださることを願っています。たった一人でも、ほんの数人の読者のため息でも、私にとってはそれが最高で最大の褒賞です。(本書146頁)
とあります。今回、本書の刊行に合わせて閻連科氏が来日し、国内数か所でシンポジウムに参加されます。それだけではなく新宿と渋谷の書店でトークイベントも開催されます。書店イベントは閻連科氏が日本の読者と接する機会を持ちたいという強い意向で実現しましたが、閻連科氏の希望どおり、「こんな小説を書くことができたんだ」と直接伝えられる好機です。
ただ、これまで邦訳された作品を読んでいると、農民に対する温かい眼差しは共通しています。この『年月日』は決して「こんな小説」ではないと、あたしには思えます。あえて言うならば、本書は現代版『大地』ではないか、そんなふうにも感じられます。
政治に翻弄される作家たち
学生も教員も職員も同罪?
秋から冬のフェアなど
傷つく人のことを思いやるのは大切なことだけれど
欅坂46の衣裳がナチスの制服に似ているという問題。
確かに似ているといえば似ています。
ただ、そもそもこのグループは軍服的な衣裳をこれまでも着用していたわけで、専属のデザイナーまでいて大衆アピールを綿密に計算していたナチスの制服に似たものが出来上がってしまうのは、ある意味、必然と言えば必然だったのかもしれません。
欅坂の衣裳スタッフの中にナチの制服とわかっててデザインした人がいたのか、それとも適当にネットで制服をググっていて、「これ、いいんじゃない?」と見つけたのがナチスの制服だったのか、そのあたりの真相はわかりません。でも、欅坂のスタッフのほとんど、そしてこの衣裳を着用したメンバーがナチスを礼賛していたなんてことは微塵もないことだけは確かだと思います。そもそも、彼女たちメンバーはあればナチスの衣裳に似ているということを認識していなかっただけでなく、そもそもナチスなんて知らなかったのではないでしょうか? まあ、ナチスを知らないという非常識さ加減はひとまずおくとして……
それにしても彼女たちがこの衣裳を着て出演したイベントのテレビ放送(スカパー!で放送予定だった)が中止になったり、ユダヤ人団体から抗議が来たり、挙げ句の果てには下のように、公式サイトに謝罪文が掲載される騒ぎとなりました。
いや、順番から言えば、ユダヤ人団体からの抗議があったから、これだけの騒ぎになってしまったのでしたっけ?
あたし、このニュースを最初に聞いたとき、いつものように炎上させたいだけのアンチが騒いでいるのかと思いました。しかし、しばらくするとユダヤ人団体からも抗議が来ているというニュースも出てきて、海外からの抗議、国際的な非難の高まり、そういったものを受け、ただの炎上騒ぎではなくなってしまったようですね。(いまだに時系列的な経緯を把握できておりませんが……汗)
しかし、まあ、日本でようやく人気が出てきたとはいえ、それでも知名度などまだまだというアイドルグループの衣裳に、海外の団体が目を光らせているというのはちょっと不可解な感じがしますし異様です。「ナチス 制服」といったキーワードで常にネットを監視しているのでしょうか? むしろこれは騒ぎを起こしたい人がユダヤ人団体に垂れ込んだというのが真相ではないか、そんな風にも思ってしまいます。
ただ、そういう誰が犯人か、誰が告げ口したんだという問題とは別に、やはりそれによって不快な思いをする人がいるということに気を配らなければならない時代なんだなあ、とも思います。インターネットが発達していない十数年前(数十年前?)であれば、まだまだ知名度の低い日本のアイドルがどんな衣裳を着ていようと、海外の人がそれを知る手段などほとんどなかったはずですし、知ったとしてもこういった騒ぎを起こせるような手段が存在していなかったと思います。
しかし、今はこういう時代です。細心の注意を払わないとならないんですよね。
オオカミ復活か?
昨日の朝日新聞夕刊にこんな記事が載っていました。
「天敵不在で? シカ繁殖」です。
この手のニュースは時々テレビや新聞で見かけます。異常繁殖しているのはシカ以外にもいるようで、食物連鎖のトップに君臨していたオオカミが絶滅してしまったため生態系のバランスが崩れ、いろいろな被害、弊害が出ているとのこと。その説の当否やオオカミが復活すれば解決するのか、あたしのような素人には判断できませんが、だからこそ本を読んで知識を増やす必要があるのではないでしょうか?
ということで、あたしの勤務先ではそのための書籍を何冊か刊行しております。
『オオカミを放つ』『オオカミが日本を救う!』『ウルフ・ウォーズ』『オオカミ 迫害から復権へ』などです。とりあえず、考えるきっかけにいかがでしょうか?
屋台と聞くと縁日の焼きそばとか、りんご飴とか、そういったものを思い出してしまいますが……
「山・鉾・屋台行事」などが無形文化遺産に登録されるというニュース。テレビや新聞でも大きく取り上げられていましたね。
日本だと「和食」とか「歌舞伎」などが登録されているようです。
上はそれを伝える朝日新聞の記事。ちなみに、ここでインタビューに答えている植木行宣さんは、あたしの勤務先から出ていた『山・鉾・屋台の祭り―風流の開花』の著者です。同書は既に品切れで再販の予定もありませんので、『山・鉾・屋台行事 祭りを飾る民俗造形』をどうぞ。
したくないわけではないんです! もちろん結婚の話。
ガッキー主演のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」が人気ですね。あたしも毎週視ています。
星野源演じる、恋愛経験ゼロ、プロの独身35歳がなんとも言えずシンパシーを感じます。あの悶々とした感じ、よーくわかります。しかし、彼などまだマシ。あたしなど、その後さらに10数年もプロの独身をやっているわけですから……
いや、なんの自慢にもなりませんが(汗)。
で、そんなことを思っていたら今朝の読売新聞ですね、こんな記事がありました。
あたしに言わせれば、別に「結婚したくない」わけではなく、「できない」だけであって、自分なりの努力をしたのかと問われると、笑って誤魔化すしかありませんが、それでも「したくない」なんて一度も思ったことはありません。
一方、こちらは朝日新聞。あたしの場合、小さいころからほぼほぼ友だちと呼べるような存在はいなかったので、交友が多いなんてことはなく、少ないどころか皆無に近いです。となると、結婚願望が小さいということになってしまいますね。そんなことはないと思うのですが、現実に結婚できていないわけですから、実は願望がないのかもしれません。
冷静に考えてみますと、友だちがいないというのはつまり他人を信用できないということであって、他人を信用できない人間に結婚相手なんて見つかるわけがないというもの。恋人だって出来たことがありませんから、これは間違いのない事実!
いやいや、こんなことを高らかに宣言したって始まりません。自分が惨めになるだけです。
話は戻って「逃げ恥」、星野源が「この先、みくりさんに好きな人ができて結婚したら、この生活は続けられないし、御厨さんはこの家を出て行くことになる。それでも僕は一人、ずーっと一人なんだ」と心の中でつぶやくシーンがありました(セリフはうろ覚えです)。あたしも、同居している、そろそろ高齢の母が亡くなったら、ずーっと一人ぼっちで、情けない老人になって、誰にも看取られずに死んでいくんだろうなあと、最近しみじみ思います。






