7月 2014のアーカイブ
今日の配本(14/07/22)
倉敷の誘拐事件とあたし
倉敷の女児誘拐監禁事件。
無事解決してよかったですね。このところ、誘拐された直後に殺されているというケースが多かったので、無事で保護されたというのはなによりです。
それにしてもこの犯人、父親はおらず、母親は施設に入っている独り身ということですが、うちも母が施設にでも入るようなことになれば、まるっきり一緒です。いえ、うちの母親は今のところピンピンしていますが、いつ、そういう施設のお世話になるかはわかりません。ですから、決して他人事とは思えません。あえて犯人とあたしの違いを言えば、犯人はかつて結婚したことがあるということです。その点では、犯人はあたしをはるかに上回っていると言えます。
犯人の部屋の中がアニメの美少女ポスターだらけだったという話が、ネットのアニメファンを怒らせているようですが、近所づきあいもしていない、定職にも就いていない、友達もいない、そういう文脈の中でアニメにのめり込んでいるということですから、「アニメ=悪」というのではなく、こういう犯罪を起こしそうな人の傾向として考えればよいのではないでしょうか。あたしだって、アニメの美少女にはほとんど興味はありませんが、乃木坂などのアイドルにはかなり入れ込んでいますので、この犯人とさほど変わりありません。あたしは、仕事こそしていて社会人を演じていますが、近所づきあいもなく、友達もいないというところは犯人と全く同じです。
また警察に対して、少女と「ずっと一緒にいたかった」と述べているそうですが、自分の好きな子とずっと一緒にいたいと思うのは当たり前の感覚でしょう。「自分の好みの女性に育てたかった」というのも、まさしく光源氏と若紫のエピソードを彷彿とさせますが、決して異常な考えだとは思えません。
しかし、警察に問われて、一緒に部屋にいた少女を「奥さんです」と言ったのはおかしいでしょう? ふつうなら「妻です」と答えるところではないでしょうか? それにしても、たぶんこの犯人は少女の父親よりも年上でしょう。それなのに、いけしゃあしゃあと「奥さん」だと答える図太さ。なかなかのものです。
それにしても、少女の心に傷が残らないことを祈るのみです。
女二人がトレンド?
映画だけでなく、ブルーレイ、DVDも売り上げが絶好調だという「アナと雪の女王」。
そもそも映画がまだ公開中だというのにブルーレイやDVDが発売になったりレンタルが開始されたりするというのは異常ですし、それがまた大人気だというのもこれまでになかったことです。
あたし自身は映画は観ていませんし、ブルーレイやDVDを買おうとも思いません。今後も観ることはないと思います。どうもディズニー映画って好きじゃないんですよね。あたしが天の邪鬼なせいもありますが。
ところで、この映画がこれほどヒットしたのは、ディズニー映画としては珍しく、いや初めてヒロインが二人というこの作品の特徴があると聞いたことがあります。これまでの作品がヒロインは一人だったのか否か、全く観ていないあたしにはわかりませんが、白雪姫とか眠れる森の美女とか、考えてみればヒロインは一人ですよね。ヒロインの敵役的な女性は登場すると思いますが、ダブル・ヒロインというのはなかったのかなと思います。
そういう意味では、やはりヒットしているドラマ「花子とアン」も、ストーリーがダブル・ヒロインではありませんが、タイトルはそれをイメージさせるものになっていますよね。やはり意識しているのでしょうか?
これが時代の流れなのかわかりませんが、三谷幸喜演出の舞台「紫式部ダイアリー」も紫式部と清少納言というダブル・ヒロインものでしょう。三谷幸喜がこのような時代の流れを敏感に感じ取って創り上げるのでしょう。
となると、宮木あや子さんの『砂子のなかより青き草』は清少納言がヒロインですが、続編としてこんどは紫式部をヒロインにして作品を作れば、併せてダブル・ヒロインの作品となり、大ヒットするのではないでしょうか?
救いがなさすぎる!
休日のお楽しみ、映画鑑賞です。今回は「アフターショック」です。
タイトルだけではよくわかりにくいですが、パニックホラーとでも呼ぶのでしょうか。モンスターとか、悪霊とか、殺人鬼とか、そういったものは出てきません。もちろん「悪魔払いもの」でもありません。
簡単にストーリーを紹介しますと、南米チリで女の子のナンパに明け暮れる男性三人が、アメリカから旅行に来た女性三人と知り合います。面白いイベントがあるからとクラブへ誘い、六人で会場へ向かったまではありがちなストーリー。ここで女の子たちは男に騙されていてことがわかり必死にそこから逃げようとする、というのであれば数多の映画の亜流であって、何の面白味もありません。
この映画はここからとんでもない方向へ向かいます。イベントを満喫していた六人ですが、そこに突如、大地震が襲います。建物が崩れるくらいですから、巨大地震と言ってよいでしょう。瓦礫の下敷きになって死者も多数出ています。主人公たちの一人も、他の人を助けようとして却って自分の片手を失うような大けが負います。それでも六人は何とか会場から表へ出ますが、外はパニック状態です。刑務所が被災したということで凶悪な囚人たちも街へ逃げ出し収拾の付かない混乱状態になっています。手首からの出血が止まらない主人公の一人は高台にある病院へ向かうケーブルカーに乗せてもらいますが、無理が祟ってケーブルが切れ、ケーブルカーごと中腹から地面にたたきつけられあえなく死亡。残った男子二人、女子三人は安全な場所を求めて街の中を歩き回りますが、脱走した囚人に見つかります。男だけならまだしも、女連れでは囚人たちから見たら絶好のエサでしかありません。五人は一生懸命逃げます。途中で余震に遭い、男子一人が瓦礫の下敷きになり瀕死の重傷。彼を助けるために惹起などの道具を借りに残る男子一人と女子一人がその場を離れます。下敷きになった男子一人を見守る女子二人。そこへ囚人たちがやってきます。
最初は隠れていたものの、女子の一人がこらえきれずに飛び出して囚人たちに見つかりレイプされます。それを助けようとした瓦礫の下敷きの男子は、なんと生きたまま焼き殺され、囚人たちはもう一人いるはずの女子を探しに散っていきます。そこへ消防士を連れて、道具を借りに行った二人が戻ってきます。レイプを続ける囚人の一人を殺し、女子を連れその場を離れようとしたときに囚人たちが戻ってきて、レイプされた女子が拳銃で撃たれ死亡。この時点で、最初の六人が、男性一人、女性二人(この二人は姉妹)の三人に減っています。それとここから合流した消防士。
この四人で逃げる途中、住民によって閉鎖された街の一角に行き当たり、自分たちは囚人ではないから中に入れて欲しいと頼みますが、疑心暗鬼の住民たちに断わられ、挙げ句の果て、男子一人が銃で撃たれ瀕死の重傷。途中、彼を隠して消防士と女子二人がさらに逃げますが、銃で撃たれた男子は持っていた携帯電話が鳴ったため、負ってきた囚人グループに見つかりあえなく撃ち殺されます。
残る三人は辛くも教会に逃げ込み、地下の抜け道に潜り込みます。教会に囚人たちが突入してきますが、ここでまたしても余震。どうやら教会が崩れ囚人たちは死んだ模様。地下道へ下りる梯子が外れ神父さんも落下して死亡。妹の方も落下しますが、辛くも一命は取り留めますが足に重症を負います。その時、消防士も脱走した囚人だったということが判明し、妹は消防士(ニセ)に殺されます。まだ地下道へ下りていなかった姉は、下でそんなことが起こっているとも知らず、けがを負った妹を心配してなんとか地下道へ下りてきますが、妹がいません。地下道を探すと妹の遺体が見つかります。ショックを受ける姉に消防士が襲いかかります。消防士との死闘を制し、彼を倒した姉が地下道から続く洞窟を抜けるとそこは海。チリですから、たぶん太平洋でしょう。
助かったと、ホッとしたのも束の間、沖の方から巨大な、壁のようにそそり立つ波が迫ってきます。慌てて海岸を離れようと走り出す姉。そこで映画は終わりです。地震の後、街の中を逃げ惑う主人公たちのバックで、公共放送で津波が来るので高いところへ逃げてくださいというアナウンスがしきりと流れていましたが、とうとう襲ってきたというわけです。たぶん、姉も波に飲まれ助からなかったでしょう。結局、主人公とおぼしき六人は全員死んだのです。と言いますか、主人公たちの何らかの関わりを持った人たちはすべて死んでいます。囚人にしろ消防士(ニセ)にしろ神父にしろ。たぶん生き残れたのは、彼らを入れてくれなかったある地区の住民たちだけでしょう。
そういう意味で、この映画は救いがないです。普通は主人公は、特にヒロインは助かるものです。それが結局は全員死んでしまうなんて、まるで希望がありません。そして、なによりも恐ろしいのは、地震でも津波でもありません。こういう状況に陥ったときの人間です。人間のエゴ、残忍さです。この映画が悪魔もモンスターも出てこないのに(人が殺されるシーンは多少グロいですが)、これだけ怖いのは、やはり人間の業を描いているからでしょうか?
とはいえ、この映画を見ると、東日本大震災といい、阪神・淡路大震災といい、日本は本当に素晴らしい国だと思います。もちろん多少の略奪的なことはあったでしょうし、小競り合いやケンカはあったと思いますが、ここまでの無秩序にはならないでしょう。もちろんチリで地震が起きたら、必ずこうなるというわけではないでしょうが、でも世界的にはこういう状況の方がむしろ普通で、日本の方が特殊だったのかもしれません。特にこの映画ではアメリカから遊びに来ていて主人公たちがスペイン語を解さないという、もう一つの不安要素も織り交ぜてあるところが秀逸なのではないでしょうか。
性格が悪いのはどっち?
宮木あや子『砂子のなかより青き草』読了。
今回は平安もの。清少納言と中宮定子の物語です。事実というか、史実についてはかなり脚色が入っていると思われますので、それを云々しても仕方ないでしょう。あくまで小説ですから。
ただ、個人的には善玉・清少納言、悪玉・紫式部という構図がしっくりこなかったです。歴史の授業で知る範囲では、性格が悪いのは清少納言の方であり、いわゆる知識をひけらかす高慢ちきな女というイメージで、紫式部の方がまだ性格はよかったと言われています。これが正しいのかどうか、それこそ先入観なのかもしれませんが……。
そういう意味では、本書は定子と少納言の友情というか絆を軸にしていて、才気煥発な清少納言というイメージは結びにくいです。むしろ、本来ならこの時期にはまだ出仕していないはずの紫式部の方が策士然としていて違和感を感じます。
本作では、宮木さんの特徴(とあたしが勝手に思っている)である切なさはやや抑え気味で、切なさをもっと強調するのであれば、道長の権力掌握過程をグロテスクに描写し、そんな男性社会の前で当時の女性にはなすすべもなく、抗うこともできず、ただただ堪え忍ぶしかなかった、という感じにした方がよりいっそう効果的だったのではないかと思います。また一条天皇と定子との愛情などももっと描かれてもよかったかなあ、と思いました。
それにしても、今年は秋に三谷幸喜が清少納言と紫式部を主人公にした舞台を演出しますが、本作を中心に据えつつ舞台がかかる時期に、「女のバトル」という視点でもよいし、「平安朝の女性たち」という視点でもよいし、「宮中の女性」という視点でもよいし、何か書店でフェアがやれそうな気がしますね。
語学書も好調です
今日の配本(14/07/18)
ポイントサービス
アマゾンのポイント還元や無料配送などのサービスに反対して、いくつかの出版社がアマゾンへの書籍の提供をストップしたというニュースがありました。そして書店の側ではその出版社の書籍をあえて売ろうという「応援フェア」的なことも行なわれていると聞きました。そんな書店チェーンの一つが神奈川の有隣堂です。
で、書店営業で有隣堂のある店舗に行ったとき「日本出版者協議会」による「本のポイントサービスは読者、消費者にとって、本当に利益になるのでしょうか?」というチラシが置いてあったので、一部いただいてきました。
いくつかの論点はありますが、ポイントサービス、再販制、消費税などの課税問題などが扱われていて、それぞれが個別にもっと深く掘り下げられないとならない問題だろうなあと感じました。
あたしなど、「年末とか月末とか、デパートやショッピングモールは全館挙げてセールをやっているのに、書店だけが定価販売なんておかしいなあ」と単純に思いますし、感じます。「いや、出版は文化だから」という言説にも胡散臭さを感じます。書籍への低減税率が言われますが、学術書とコミックとを同じ土俵で考えてもよいのか、とも思います。もちろん、いまやコミックがクールジャパンを代表する文化コンテンツであるということは理解していますが、すべてのコミックがクールなのか……。それを言ったらすべての学術書が、街術と言えるだけの水準を持っているのか、という問題もあります。
少なくとも再販制は、そろそろ考え直さないといけないのではないかな、とは思います。時限再販も議論されているようですが、返品をどのくらい認めるのか、といった問題がありますし、これも多くの方面に影響を及ぼしそうです。
あたしはアメリカ的な資本主義に賛成するわけではありませんが、日本の出版界ももう少しだけ資本主義の荒波に揉まれた方がよいのではないかと思います。そして書店にしろ出版社にしろ淘汰され、今よりもっと数が減り、出版点数もグッと少なくなるべきだと思っています。たぶん、世界籍に見て、日本って人口や国土面積の割りに書店の数や出版物の刊行点数が多い国だと思います。いや、多すぎるのだと思います。もう少し少なくなって適正なところに落ち着けばよいのではないか、そんな風に思います。