ヘビがいる!

日本でも感染者が発生するのか、なんとも雲行きの怪しい、お隣・韓国のMERS蔓延。

これについては韓国や日本の厚労省、そして医療機関などに頑張ってもらうとして、うがい・手洗いなど個人で予防できる手段があれば教えて欲しいところです。

それはともかく、WHOの会見で気になったのが、バックに見えていたWHOのマークです。国連っぽい世界地図をあしらった上に杖とヘビです。ヘビとピアスではありません。ヘビと杖です。

なんで、ヘビと杖?

と思って調べてみたら、医神アスクレピオスから来ているそうですね。アスクレピオスがどうしてヘビと杖に繋がるのか、まだ調査中なのですが、その前に「あれ? アスクレピオスって、どこかで聞いたことあるな」と思ったのです。

あたしは根っからの文系で、医学を志したことなどありません。ギリシア神話も特に熱心に読んだこともないので、薄っぺらい知識しか持ち合わせていません。それなのに、どこでアスクレピオスという名前を知ったのでしょうか?

と考えていて気づきました。あたしの勤務先の本です。

そのものズバリ、『医神アスクレピオス』なんて本が出ていたじゃありませんか! カバーの装丁にヘビと杖は出てきませんが、たぶん本を読めばそのいわれもわかることでしょう。

こういうのを、灯台もと暗し、と言うのでしょうか?

ライフスタイル提案型って、つまり何?

少し前に、このところの書店のスタイルについて書きました

最近全国的に増えている蔦屋とか、有隣堂が新宿の小田急百貨店に作ったストーリーストーリーとか、そのはしりは京都の恵文社なんじゃないかと思いますが、とにかくこの手の書店が増えています。

時間を潰すための場所としては愉しいし、「へえー、こんな本が出ていたんだ」という発見もありますが、こういう書店を一括りに言ってしまうと「提案型」の書店と言うようです。何を提案するのかと言えば、各店にコンセプトなどはあるのでしょうが、これも平たく言ってしまえば「生活スタイル」「ライフスタイル」です。

「こんな雑貨や家具、観葉植物に囲まれて、そこでくつろぐあ・た・し。そんなとき、手にするのはこんな本がオススメ」という感じなのでしょうか?

それ自体を否定するつもりはないのですが、なにか居心地の悪さを感じるのも事実です。それについて時々考えています。

たぶん、日常的に本を読む人、本を読む習慣のある人、本屋によく行く人は、こんな風に提案されなくても自分の欲しい本、読みたい本がわかっているわけで、そういう人には探している本が見つけやすい書店が「よい本屋」なのであって、別にお店や、ましてやコンシェルジュに提案なんてしてもらう必要なんてありません。だから、こういう提案型の書店、セレクトショップ的な書店にはあまり足を向けないのかも知れません。

でも、世の中、本を読むと言える人の方が極端に少ないのが、たぶん現実。そもそも何を探しているかもわかっていない人には、のけぞりそうなほど高い高い書架が図書館のように聳え、整然と本が数え切れないほど並んでいる(ジュンク堂のような)書店は、足を踏み入れただけでめまいを起こしてしまうのかも知れません。

そうではなく、カワイイ雑貨を見ながら、ふとそのそばに置いてあった、可愛らしい装丁の本を手に取って、パラパラとめくってみる。文字も少ないし(←これ、重要)、薄いし(←これも重要)、すぐ読めそうだから買ってみようかな、そんな購書スタイルが一般的になっているのかもしれません。だから、そういう人には提案型の書店が受けるのだと思います。

薄っぺらいと言われるかも知れませんが、そこまでは理解しているのですが、それでもまだ居心地の悪さ、なんとなくしっくりこない気分を感じるのは何故でしょう? やっぱり提案されること、それ自体なのかな、と思うのです。

だって、音楽を聴く、テレビを視る、という行為に比べ、娯楽としての読書にはこれらとは比較にならないくらい、能動的なかかわりが必要になるじゃないですか? 音楽は「聴きながら」別のことができます。テレビも「視ながら」他のことができますし、多くの人はしていると思います。でも、読書はどうでしょう? ながら読書って出来るものなのでしょうか?

読書は「提案された」なんていう受け身で始めても身につかない、いや、そもそも読み始められないものだと思います。それなりの覚悟と体調、これは肉体的にも精神的にもですが、そういったものが必要になります。なおかつ多少の知識も必要ですが、これは読書体験が増えれば自然と積み重なってくるものです。

そんな風に、能動的に取り組まなければいけない読書と、提案されるという受動的な空間が、あたしには居心地の悪さの元凶なのではないか、そんな風に現時点では考えています。

忽ち第三刷です

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日本仏像史講義

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最高学府でもフェア、スタート!

駒場の東京大学生協で、あたしの勤務先のフェアが始まりました。

大学生協というと学生が利用するものだと思いきや、書籍の場合、意外と先生の利用が多いのですよね。学生はお金を持っていない? そんなこともないのですが、やはり先生方の方が書籍に対する関心は軒並み高いようで、大学生協でのフェアの場合、先生方がどれだけ来訪されるかによって売り上げの多寡が決まります。

さあ、今年の東京大学はどうでしょう?

サメ・フェス、後半戦

引き続きムービープラスの「サメ・フェス」です。本日は「ゴースト・シャーク」と「テンタクルズ」です。

 

まずは「ゴースト・シャーク」です。

バカな親子に殺されたサメが怨霊が宿るという洞窟で復活を遂げ、ゴーストとなって人を襲うという、「ジョーズ」の亜流とも呼べない作品です。ゴーストなので神出鬼没なのですが、サメだけあって、水野ないところには出現できないというところがミソです。

怨霊となったサメの仕業だと気づいた若者たちがサメを退治しようと、洞窟の謎を知っていそうな変人灯台守と最初は反発しながらも最後は協力してサメに立ち向かうのですが、街の観光に響くからと真実を公表したがらない市長やそれに振り回される保安官といった群像劇はまるっきり「ジョーズ」です。

本作で一番のひねりというか工夫は上にも書いた洞窟です。かつてこの町に住んでいた人が忽然と姿を消したことがあったようで、更にその前には先住民を虐殺した歴史もあったこの土地。その虐殺された人たちの死体を洞窟に隠したらしく、それ以来、この洞窟には怨念がたまっているとか、そんな因縁、歴史譚を主人公たち若者が追っていき、サメの怨念を封じるというストーリーです。

作品自体は思いっきりB級です。ただ上述の歴史譚をもう少しうまく使えばもっと面白い作品にできたのではないか、という気がします。予算がかかっていないからゴーストのサメのCGがひどいのは許すとして、せっかく過去の怨念というサブストーリーを持ち出したのだから、それをもっと活用すべきでしょう。変人と言われた灯台守も実は亡くなった奥さん思いのいいひとなわけで、幻覚なのでしょうけど奥さんの幽霊まで登場したのだから、サメ退治に奥さんの力を借りるのかと思いきや、そんなことはまるでなく、おくさんはそれっきり。うーん、こういうところがB級なんでしょうか?

続いては「テンタクルズ」です。1977年の作品だそうで、どうりで作品の最初から終わりまで、誰かしらタバコを吸っているシーンがある、現在では考えられないような内容です。ストーリーもこの手の作品にありがちで、違法な海洋工事の影響で凶暴化した巨大タコが人を襲うという内容です。

途中まで、あまりタコの姿を映さずに進めていくのは「ジョーズ」のパクリのようですが、最後までほとんどタコの姿は、全体としては映りませんでしたね(笑)。あれっ、という感じです。他の作品なら生き残りそうな人が結構死んでしまうのも驚きです。そして途中までは主人公とおぼしき役割の新聞記者が後半はまるで出てこない! これまた、あれっ、という感じです。

さて、この凶暴なタコをどうやって退治するのか? 結局、後半の主人公、水族館のシャチ調教師がシャチを使ってタコと戦わせるという、「うーん、人間は何やってるの?」というオチ。いや、海中でタコに襲われた主人公のピンチにシャチが駆けつけてタコに襲いかかりついには倒すというくだりは、なんか忠犬ハチ公的な主人と飼い犬、じゃなくて飼いシャチの愛情物語っぽく、さらにはタコと相打ちになったか、あるいは大海原へ帰ってしまったと思いながらもシャチの行方が気になってクルーザーを走らせる主人公の元へシャチが戻ってくるところなど、ちょっとお涙頂戴的なストーリーです。

しかし、それにしては、シャチとタコの死闘がよくわからない。美味しそうにゲソを食っているだけにしか見えないのは、あたしの目が悪いせいでしょうか?

そうそう、ムービープラスは7月もホラー特集があるそうなので愉しみです!

まゆゆ、頑張ったね!

視聴率的には大爆死と言われ、当初の全10話か11話が、第9話で打ち切りになってしまったという、フジテレビ系「戦う!書店ガール」の最終回。

多くの人が指摘するように、やはり脚本が悪かったのかな、という印象です。特に本来ならあと3回(2回?)あるはずだった放送を一回に詰め込んでしまったため「無理矢理感」はどうしても否めません。最後の最後の企画を実施して、退職&再就職問題にもけりがつき、なおかつまゆゆの結婚式まででは視聴者もついていけないと思います。なんであんなことしちゃったのでしょうか? 少なくともまゆゆの結婚シーンは不要でしょ? それとも一部のファンに(いるのか、いないのか?)まゆゆのウエディングドレス姿を披露したかっただけなのでしょうか?(←オタクはたぶん見たくなかったのでは?)

でも、出演者たちは非常によく演じていたのではないかな、と思います。あたしは、あまり「演技が下手」とか、そういうことはわかりません。監督の演出がどうのとか、シナリオが悪いというのもよくわからないです。今回「脚本が悪い」と書いたのは、あくまでストーリー展開に無理を感じるからであって、もしそういう展開をプロデューサーやディレクターが求めていたのだとすれば、脚本家が悪いわけでもないと思います。いやプロであれば、それでもそれなりのシナリオに仕上げるべきなのでしょうか?

何度も書いているように、原作ではこの書店のモデルは立川にあるオリオン書房です。長いこと地元に愛されたその書店が閉店になり、最後の一ヶ月、悔いが残らないように、それまで何かとぶつかっていた理子と亜紀が奮闘し、それなりの満足感、達成感を味わってエンディング、でした。数年前のジュンク堂書店新宿店閉店時の盛り上がりのようだ、と言ったらなんとなく伝わるでしょうか? 原作者の碧野さんがこれこっきりの作品と考えていたのか、それとも最初からパート2を考えていたのかわかりませんが、原作小説では理子と亜紀は吉祥寺のジュンク堂書店とおぼしき書店に転職し、こんどはここで頑張るというのがストーリーです。小説のパート3も舞台は吉祥寺です。最新刊のパート4こそ主人公が代替わりしていますが、やはり舞台はジュンク堂書店吉祥寺店です。

   

という原作の流れを考えると、もしこのドラマの視聴率がよければパート2も考えられたのではないでしょうか? その場合、田辺誠一演じる田代が勤めるユニコーン堂で理子と亜紀が再び奮闘する、というストーリーが予想されます。しかし、ドラマでは仲間たちがユニコーン堂へ転職したのに対し、主人公である理子は自分だけの小さな書店を開いています。そして亜紀もそこへやってくるのです。どう見ても、これは「続編は無いぞ」と言っている感じですね。

さてさて、書店業界、否、出版業界が長い不況にあえいでいることは誰もが知っていることだと思いますし、そのため街の本屋が毎年閉店していることも、池袋のリブロのように大型店でもなければ、もはやニュースにすらならない状況です。ですから、ドラマとはいえペガサス書房の売り上げが悪いから閉店というのはリアルな話です。

ただ、門外漢がわかったようなこと言うな、と怒られそうですが、人口も少ない地方の街ならともかく、大都会・東京の吉祥寺にある一番店が売り上げ不振で閉店なんて、ちょっと設定上無理を感じます。もちろん東京のターミナルにある書店だって、現実問題としては昨年並みか、(消費税アップもあったので)若干のマイナスというところだと思いますが、ドラマで言われていたほどの売り上げダウンで閉店なんて、ちょっと考えられないところです。

むしろ、理子や亜紀たちの頑張りを引き立てるためでしょうが、前店長・野島エリアマネージャーのような人が上に立っていたからこそ売り上げがダウンしたのではないかと思います。あの野島マネージャーを始めとしたペガサス書房上層部の旧態依然とした時代遅れ感、女性蔑視の態度、あれこそがペガサス書房吉祥寺店を閉店に至らせた元凶だと思います。あんなトップの元では、ペガサス書房は次々にお店を閉めていかざるを得なくなる、そう思います。

さきほど、もしこのドラマのパート2があるなら、と書きましたが、もしそれを見越していたのなら、ペガサス書房吉祥寺店をユニコーン堂が居抜きで引き継ぐ、もちろん従業員も希望するならそのまま、というストーリー展開が最初の構想だったのではないでしょうか?