7月 2015のアーカイブ
シンクロナイズドスイミングにドキドキ
ロシアでシンクロナイズドスイミングの世界大会が行なわれているようで、日本勢の活躍もあってテレビや新聞でもそれなりに報道されています。で、この報道に接するたびに、あたしはちょっとドキドキするのです。
別に、女性の水着姿にときめいているわけではありません。あたしはそもそも露出の高いものは好きではありません、秘すれば花と言うではありませんか。チラリズムの方が好きです。
って、これでは何と言い繕うとタダの変態ですね。すみません。言いたいことはそんなことではありません。
あたしがドキドキするのは、選手の水着でもなければ演技でもなく、もちろん肢体に対してでもありません。選手名です。それも、ある特定個人の!
日本チームのキャプテンだったでしょうか、「乾友紀子」さんていますよね。この名前というか、音というか、そこにドキドキするのです。「乾友紀子」は「いぬい ゆきこ」と読みます。
はい、そうなんです。あたしが高校時代に好きだった乾さんと全く同じ音なのです。「ゆきこ」の漢字表記こそ異なりますが、音声では全く同じです。ですから新聞だと何も感じませんが、テレビやラジオなどで報道されるときに「いぬいゆきこ」という音声が流れると、やはり落ち着かない気分になってしまうのです。
もちろん高校時代の乾さんはスポーツ少女というタイプではなかったので、シンクロ選手のような肢体ではなかったですし、その後も今もそんなことはありえないと思います。
「思います」と書いたのは、卒業後一回も会ったこともなければ、風の噂にすら聞いたことがないから、その後を何も知らないからです。卒業式の日以来、高校のクラスメートとは誰一人全く顔を合わせていないのではないか、そんな気がします。少なくとも、乾さんに限らず、誰にも会ったという記憶がありませんので、きっと会っていないのでしょう。
さて、そろそろこの大会も終盤ですよね。あたしのドキドキもあと数日でしょうか?
壊れたら直す
こんな本が並んでいるのを見かけました。
角川書店の『壊れた仏像の声を聴く 文化財の保存と修復』です。文化財の修復に関する本ですね。日本の修復技術は、日本人の繊細さも相俟って、国際的にも高い評価を得ていると聞いたことがあります。日本の文化財だけでなく、世界の文化財の修復にも活躍する日本人が増えるといいですね。いや、既にそういう人、たくさんいるみたいですけど……(汗)
で、思い出すのは、あたしの勤務先から出ている『壊れても仏像 文化財修復のはなし』です。こちらも仏像修復の専門家による一冊です。
これは角川書店さんの本と一緒に並べてもらわないと! でも、こういう本って、どうなんでしょう? たとえば高校生向けに、こういう仕事もあるんだよ、という視点から展開してみるというのは?
一天俄にかき曇れ!
午後から外回り。
日差しは相変わらずでしたけど、今日はちょっと雲があったのが多少の救い。
だからといって、少し涼しいとか、日差しが弱いなんてことはなく、あえて言えば、ここ数日のほぼ猛暑日に体も少しは慣れてきたから、なんとか乗り越えていける、という感じ。
で、今日の雲。
一時はずいぶんと黒い雲がむくむくと、これはきっと降るな、と思わせるような雲が出ていたはずだったのですが、書店に入ったり、電車に乗ったりしているうちに、どこかへ行ってしまって、あれっ、と肩透かしを食わされたような……
一雨ざっと降ってくれると、夜寝るときもかなりしのぎやすくなるのですけどね。
ただ降ればいいってもんじゃなく、降り方が肝心でして、あまり明るいうちに降ると、その後また強い西日で湿度の高い、蒸し暑さがパワーアップしかねません。もちろん雨の量も大事です。お湿り程度では湿度を押し上げるだけで、気温を下げる力が足りません。
やはりそろそろ夕方という時間帯に、バケツをひっくり返したような降り方、これが一番です。そんな夕立で、気温が一気に10度くらい下がるんですよね。自然の力ってすごい、と思います。
しかしこの夕立も、最近は「夕立」なんて風情のある表現はすっかり影が薄くなり、昨今はもっぱら「ゲリラ豪雨」なんて呼ばれ方をする、災害を引き起こすような降り方になってしまい、これはこれで困ったものですね。
それはともかく、次のまとまった雨はいつなのでしょう?
トットちゃんなら、こちらの本もお忘れなく!
このところ書店を回っていると黒柳徹子さんの本を目にすることが多いです。
『トットちゃんとトットちゃんたち 1997‐2014』や『トットひとり
』といった彼女の著作が相次いで刊行されたからだと思われます。そして、なによりも彼女の人生などに関心を持っている人が多いから売れているのでしょう。
さて、こういった著作を腐すつもりは毛頭ありません。ただ、自分で自分を語るというのはなかなか難しいもの。自伝に対して評伝というジャンルがあるのは、そのあたりの事情がわかっているからこそだとおもいます。
で、お薦めしたいのがこちら、『トットちゃんの万華鏡-評伝 黒柳徹子-』です。北川登園さんによる黒柳徹子さんの評伝です。2005年の刊行ですから、最近10年の活動や人生についてはもちろん触れられていませんが、この本は舞台女優としての黒柳徹子の魅力を余すところなく伝える一冊です。
黒柳徹子と言えば、多くの人が「徹子の部屋」などテレビの司会者、「ふしぎ発見」の名回答者、あるいやユニセフの大使、パンダ好きの活動家といったイメージが強く、彼女を「女優」として捕らえている日本人は少ないのではないでしょうか? そういう意味でも、本書は多くの人にとって目から鱗、知らなかった黒柳徹子を見せてくれるはずだと思います。
さあ、下巻! 下巻のクライマックスは史上最大の作戦!
『第二次世界大戦1939-45(下)』が配本になりました。既に書店にも並び始めています。
この「下巻」のクライマックスは、中巻から散々焦らしに焦らされたノルマンディー上陸作戦ではないでしょうか? いえ、焦らされたのは、あたしたち読者ではなく、スターリンです。
そんな下巻を読むに当たって、いや読み終わったら、こちらはいかがでしょうか? 『ノルマンディー上陸作戦1944(上)』『ノルマンディー上陸作戦1944(下)
』です。
ノルマンディー上陸作戦を扱った書籍は数多ありますが、何と言ってもこちらは著者が同じアントニー・ビーヴァーですから、相乗効果間違いなしです。是非是非、お薦めいたします。
金沢の多言語化は進んでいるのか?
先週後半に行って来た金沢。駅の観光ガイドなどに置いてある無料の地図やガイドが多言語化されています。英語はもちろんのこと、中国語は簡体字と繁体字、それに韓国語、フランス語にスペイン語、そしてなんとタイ語まで置いてありました! ここまで用意されているのはすごいのではないでしょうか? いや、すごくない?
そして当然ことながら、金沢市観光協会のサイトを見ますと、ページ上部に言語を選べるメニューがあり、「English、French、Spanish、簡体中文、繁体中文、Korean、Thai」と並んでいるではありませんか! なんでドイツ語がないの、とちょっと思いますが、あとはロシア語とアラビア語でも揃えば地方都市としては必要十分ではないでしょうか? それにしてもドイツ語がないのがやはり不思議。
翻って、富山市観光協会のサイトです。こちらは言語を選べるメニューがありませんね。日本語だけしかないのでしょうか? せめて英語くらいはないと……と思います。
こういう、さまざまな国の言葉で用意されたパンフレットなど、仕事柄どうしても気になってしまいますし、できるだけ持ち帰りたくなるものです。今回も集めてみましたが、フランス語の市内マップが人気沸騰なのか、無くなっていました。フランス人の来訪者が多いのでしょうか?
ちなみに、いまだ北陸新幹線が延伸していないにもかかわらず、福井県観光連盟のサイトは「English、繁体中文、簡体中文、ハングル、ロシア語」という対応具合。富山よりも進んでいるというか、準備万端というところでしょうか?
下北沢について考える
小田急線沿線が受け持ち区域なので下北沢はよく通ります。もちろん下北沢には三省堂書店やB&Bなどもありますから下車することもあります。そんな下北沢を通るときにいつも思うのです。
この工事、いつ終わるのだろう
って。だって、ずいぶん長いことやっているじゃないですか。いつぞやは水没したことまでありましたよね。まだ終わらないのでしょうか?
で、この工事については他にも思うことがあるのですが、それは出来上がった後の使い方です。小田急の工事概要によると、地下一階が上り下りの緩行電車、地下二階が上り下りの急行電車という使い方をするようです。
つまり、同じ階で緩行から急行に乗り換えるという使い方を想定しないのですよね。これってどうなのだろう、と思います。ふつうは下北沢ほどのターミナルであれば、各駅停車と急行の待ち合わせとかするものではないか、そんな気がします。
ただ、その一方で、まだ新宿からそれほど遠いわけでもないのだから、各駅だろうが急行だろうか、新宿から乗ってくればよいのであって、わざわざ下北沢で乗り換えや待ち合わせを作るのは早すぎるだろう、という考え方もなり立つと思います。これと同じことが京王線の明大前にも言えます。ここも全列車が止まるターミナル駅にもかかわらず、待ち合わせをするためのホームがありません。これも新宿から近すぎるからなのでしょうか? まあ、明大前の場合は、線路をさらに敷くスペースもなさそうな立地ですけど。
と、そんなことを下北沢を通るたびに思っているのです。
そして、もう一つ。小田急線車内での下北沢の表記はローマ字の時は「Shimo-Kitazawa」です。つまり「下・北沢」です。これは「北沢」という地名がベースにあって、その「上」と「下」ということなのでしょう。現に京王線には上北沢という駅があります。
が、さらに一歩踏み込んで考えてみますと、北沢というのも実は南沢というのが近くにあるのではないか、という気がします。しかし、地図を見ても南沢なんてどこにも見当たりません。そしてさらに思うのは、北沢にしろ南沢にしろ、沢と言うくらいだから、どこかに川が流れていて、そこが低くなっていたのではないか、そのそもそもの「沢」はどこなのか、ということです。
たぶん、地名辞典とか、世田谷区の由来のような本を繙けばわかるのでしょうが、とりあえず、下北沢を通るたびにそんなことを思いながら車窓から外を眺めているのです。
おっと、下北沢は地下だから、外を眺めても何も見えないんだった!
今日の配本(15/07/27)
運命の男?
文春新書『永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」』読了。
永田鉄山の名前は知っていました。陸軍で期待を背負っていたことも、相沢中佐に惨殺されてしまったことも、そのくらいの知識は辛うじてありました。が、果たして永田鉄山とはいかなる人物かということになりますと、まるで知りませんでした。ちょうど『第二次世界大戦1939-45(中)』などを読んでいましたので、もう少し第二次大戦と、その時代の日本軍について知りたいと思い本書を手に取りました。
結論から言いますと、果たして永田鉄山は巷間言われているほどすごい人物だったのか、いまひとつ掴みきれませんでした。もちろん当時の日本陸軍の状況に対して強い危機感を持っていて、それを何とかしないとならない、ということを真剣に考えていた、そのための方策も少しずつ実行に移していた、ということはわかります。が、「この男が生きていれば太平洋戦争は止められた」といった持ち上げられ方をするほどの人物だったのかは疑問です。
どうしてそう思うかと言いますと、結局、永田も満洲事変を止められなかったわけです。そして、ずるずると中国との戦争に突入して言ってしまう関東軍、陸軍を制御できなかったわけです。なのに、どうして太平洋戦争は止められたのでしょう?
もちろん石原莞爾に対する場合と東條英機に対する場合とでは事情が異なる、という見方もできるのでしょうが、果たしてそううまくいくのでしょうか? また満洲事変のころの永田の立場と、(殺されずにいた場合の)太平洋戦争開戦前の永田の予想される立場を考えて、持っている権力が違うということはできると思います。
が、果たして、あの時代、永田一人でどれほどのことができたのでしょうか? そういう疑問が残ります。もちろん、政府側にも官僚の側にも、戦争の拡大を阻止したい人は大勢いたわけですし、そもそも昭和天皇も不拡大方針だったわけですから、永田がうまいこと彼らと協力できれば、確かにその後のアジア・太平洋戦争、第二次世界大戦は様相が異なっていたものになっていた可能性はあると思います。
しかし、そんなことの前にすべてを押し流して行ってしまった歴史の力。個人の力ではどうすることもできない歴史のダイナミズムをも感じさせられました。