なんとなく近しいものを感じてしまうのは、たぶん気のせいなんだろう

先日発売されたばかりの、乃木坂46のニューアルバム「今が思い出になるまで」のジャケットですが、眺めているとどこかで見たような気がするのです。

額に入った絵画・写真のようなイメージですから、どこかの美術館や博物館で展示品を見ているような印象ですが、それよりももっと身近な感じなのです。

で、思い出したのが、わが家です。

先日、このダイアリーで、自宅に文革のポスターを貼ったということを書きましたが、そのわが家の壁とよく似ていると感じるのです。

文革と乃木坂では全く接点がないだろう、という指摘ももっともです。先日のダイアイーでは見事に文革ポスターの部分ばかりをご覧いただきましたので、イメージが湧かないというのも理解できます。

しかしながら、わが家の壁、文革のポスターを避けるように、と言いますか、一緒に並んで乃木坂46の壁掛けカレンダーも貼ってあるのです。乃木坂ちゃんのカレンダーですから、アルバムジャケットのようにメンバーがポーズをとっている写真です。

なので、毎日、この廊下・階段を通るたびに、アルバムのジャケットを思い出してしまうのです。

壁には乃木坂ちゃんのカレンダーだけではなく、浮世絵の一枚ものカレンダーも貼ってありますから、ますますわけのわからない壁になっています(汗)。恐らく赤の他人が見たら、カオスな空間と言えるかもしれません。

大小取り混ぜた貼りもので埋め尽くされているこの壁が、乃木坂46のアルバムを想起させると言ってしまうと、首を縦に振らない方がほとんどでしょう。ですが毎日目にしているあたしにはそう見えてしまうのですから、こればっかりは仕方ありません。

少し文革を減らして、乃木坂ちゃんの割合を増やした方がよいでしょうか?

予算の使い道

本日は、あたしが住む東京都小平市の市議会議員選挙です。

選挙の時は地方だろうが国政だろうが、あたしの住所ですと近所の小学校の体育館が投票所になっていまして、あたしはだいだい朝の7時過ぎに早々と投票を済ませるようにしています。

それにしても今回の選挙、有権者としての自覚が足りないと言われてしまえば返す言葉もありませんが、小平市議会議員選挙の定数が何名で、何人が立候補しているのかすらわかっていません。写真に写っている看板を眺めれば立候補者の顔ぶれはわかりますが、必ずしも立候補者全員がポスターを貼っているとは限りませんし、貼っていない人についてはまるっきりわからない、というか知りません。

ただ、こちらも言い訳をさせてもらうなら、この選挙期間中、市の選挙管理委員会から立候補者の一覧とかプロフィール的なものが配布されたことはなかったです。届け出の後すぐに用意すれば、選挙期間中の新聞に折り込むとか、ポストに配布するとか可能だと思うのですが、そういうところの予算はケチるのでしょうか?

その反面、今朝も行ってきた投票所ですが、なんであんなにたくさんの人員が必要なのでしょう? あの人たち全員ボランティアですか? もし給料が出ているのだとしたら、もっと節約できると思います。小学校なので校庭で車で来た人の誘導、整理をしているスタッフもいましたが、そんなの必要ないでしょう? とにかく投票所に人員が多すぎます。

選挙が盛り上がらなくて投票率が低迷していると言われますが、もっと予算の使い方を工夫すればよいのではないかと、毎回投票所で思います。

まだまだ道半ばなのでは?

昨日の朝日新聞夕刊です。

東京五輪(←あたしはいまだに辞めるべきだと思っています!)の聖火リレー出発地点であるJビレッジが全面再開したそうです。

Jビレッジと言えば、サムライブルーの料理人こと西芳照さんが務めるレストラン《アルパインローズ》があるところです。震災で被害を受け、そこから立ち上がろうとする姿を描いた『サムライブルーの料理人 3・11後の福島から』はお陰様でよく売れましたし、東日本大震災を振り返る企画フェアなどがあるときにはいまでも注文が入ります。

同書の刊行はもう数年前になりますので、Jビレッジの全面再開を迎えた現在、改めて西さんに思いを語っていただいたらどんな本になるのでしょう?

とはいえ、原発の廃炉作業の報道を見ている限り、復興は道半ばどころかスタートラインに立てているのか、という疑問すら沸いてきます。

報道による限り、作業員の大きな事故こそ起きていないようですが、五輪誘致の折に安倍が胸を張って語った「完全にコントロールされている」という言葉の虚しさが改めて思い起こされます。

外交上の拙さもあったのでしょうけど、韓国の輸入禁止措置が国際的に認められ日本が敗訴した件も、五輪なんかで東京だけ、一部の人だけが盛り上がっていてよいのだろうか、という警鐘ではないかと感じます。