タイムマシーンが出来たら……

このところ、裁判の再審請求とか、それで無罪を勝ち取ったとか、その手のニュースを目にする機会が何度かありました。冤罪はあってはならないことだと思いますし、無実の人の疑惑が晴れるのは喜ばしいことだと思います。

ただ、被害者側、遺族側からすると「じゃあ、真犯人は誰? いまどこで、何をしているの?」という感情が生まれると思います。怒りや怨み、悲しみの感情を誰に、どこにぶつけたらよいのか、わからなくなると思います。

再審で無罪になったからと言って、その犯罪が無かったことになるわけではありません。必ずどこかに真犯人がいるはずです。それを改めて見つけ出すことは可能なのでしょうか。そこでふと思ったのは、タイムマシーンが出来たら、事件の当時へ行って、真犯人が誰なのかを確認したい、ということです。

でも、その場に居合わせたとしたら、犯人が誰なのかを見ている場合ではなく、その犯罪を止めるべきではないかとも思います。目の前で人が殺されようとしているのを指をくわえて見ているだけでよいのでしょうか。

しかし、そこで自分が手を出して、犯罪を未然に防いだとしたら未来を変えてしまうことになります。それは果たして許されることなのでしょうか。もちろん、犯人が誰かを確認して警察通報したとしても(信じてもらえるのかはひとまずおくとして)、未来を変えてしまうことになります。

いわゆる歴史上の事件や謎を、タイムマシーンで確認しに行くのは夢や浪漫があって楽しそうですが、なまじ近い時代になると出来事に関わってしまいそうなので怖いですね。

豹変

今朝の朝日新聞に出版業界に燗する、こんな記事が載っていました。

委託配本という制度が諸悪の根源なのでしょうか。まあ、必ずしもそうとは言えないでしょうが、原因の一つではあるでしょうね。

でも、書店の粗利を増やすために書籍が買い切りとなったら、出版社配本先が減ってしまうので、部数を減らすことになるでしょうし、当然書物の値段が跳ね上がることになるでしょう。たぶん、それではやっていけない出版社が相当数出て来ると思います。

本の値段は、以前から安すぎると言われていましたので、上がるのはよいことなのかも知れませんが、この不景気の世の中で本の値段が上がっても買ってくれる人はどれくらいいるのでしょう。ちょっと不安です。ますます本が買われなくなりそうです。

ニュースと言えば、このところ石破新首相の態度が「豹変」と言われています。この「豹変」という言葉が非常に気になります。報道されているのを見る限り、この「豹変」は「掌返し」のような使われ方です。でも「豹変」は本来はよい意味で使われていたはずです。

中国古典『易経』の革の卦に現われる言葉です。「君子豹変」と言って「徳の高い人格者は過ちを速やかに改める」という意味なのです。中国古代の君子が、現在の日本での使われ方を知ったら、いったいどう思うことでしょう。

夏なのか、秋なのか

台風はどこへ向かっているのでしょうか? 熱帯低気圧に変わったとはいえ、九州、四国、紀伊半島、そしてまた東海地方と四回上陸し、更に日本海から東北地方か北海道に再び上陸するのでしょうか? こんなに上陸回数の多い台風って、あたしの記憶にはありませんが、記録ではどうなっているのでしょう。

ところで台風というのは、やはり秋の風物詩なんですよね。台風が来ると言うことは、猛暑も終わりに近づいて、季節が秋へ進んでいるということなのでしょう。

とはいえ、まだまだ暑い日は続いているので、アイスや氷菓は当分の間手放せませんし、美味しくいただける季節です。で、近くのコンビニで見つけたのがこちらの「」です。バニラがメインだと思いますが、巨峰とフルーツオレのフレーバーが置いてありましたので、ついつい買ってしまいました。

そんな夏真っ盛りのスイーツが並んでいる同じコンビニには秋も並んでいました。それがこちらの缶チューハイ。この時季限定のフレーバー、「秋梨」「秋ぶどう」です。自宅では日本酒の他に飲むとしたら「ほろよい」が多いのですが、最近は新作のフレーバーが出ていないようなので、目に留まったこちらを買ってみました。

ちなみに、妹曰く、この缶チューハイには「秋りんご」も出ているそうなので、こんどはそれを探してみようと思います。コンビニで隣に置いてあったのに、あたしが気付かなかっただけだったのでしょうか。あるいは売り切れていたのでしょうか。

上に書いた「ほろよい」も同じサントリーなのですね。ウェブサイトを見ますと、今月中旬に飽きっぽいフレーバーが発売になるみたいです。これはこれで楽しみです。

今週は何日出勤できるのか?

盆休み明けの16日、関東地方は台風が近づいていて、鉄道もいつ運休になるかわからない、という状況だったので、あたしは在宅勤務に切り換えました。結果的に、東京についてはそれほどの影響を受けなかったわけですが、今週、またもや台風がやって来ます。

少し前にニュースでは関東直撃か、と言われていましたが、天気予報が更新されるにつれ、予想進路が西にズレていき、現時点では九州か四国あたりに上陸するのではないかと予想されています。その後は東日本から北日本を縦断するのか、日本海へ抜けるのか、そんな感じのようです。

新幹線なども明日、明後日が計画運休になるかも、と言われていましたが、山陽新幹線や九州新幹線はともかく、東海道新幹線については計画運休があったとしても木曜日か金曜日になりそうです。そうなると首都圏の在来線も計画運休や間引き運転が行なわれる可能性が高いです。

日本のサラリーマンは、意地でも会社へ行こうとする傾向があるので、通勤する人数は大して減りもしないのに、電車の本数が少なくなったのでは、いつも以上の混雑が予想されます。だから、あたしは在宅勤務にしたいわけです。

いまのところは木曜日か金曜日が危ないですが、今日と明日はよくよく天気予報を注視しなければなりませんね。土曜日まで影響が残るのでしょうか? あたしの勤務先土曜日は倉庫の棚卸しが予定されているんですよ。どうなるのでしょう?

ようやく揃いました!

皆さんは、新しい日本銀行券、既に手に入れたでしょうか。1000円、5000円、10000円の三種類ですよね。あたしにとって、生まれてこの方、何種類目の紙幣になるのでしょうか。ついついそんなことを考えてしまいます。

さて、この三種類の紙幣、実際の発行量にどれくらいの違いがあるのか知りませんが、あたしが最初に手に入れたのは1000円札でした。たぶん、一番身近でよく使う紙幣ですよね。最近はちょっとした買い物のおつりにも、昔からいたかのように新1000円札が出て来ます。一気に切り替わっている感じですね。

1000円札が手に入ってしばらくは、他の2種類を目にすることはなかったのですが、銀行から預金を引き出したときに、遂に10000円札との邂逅がかないました。年寄りと言われそうですが、あたしのように「一万円札と言えば聖徳太子」という世代の人間にとって、その後の10000円札は度どれもおもちゃの紙幣みたいで、重みを感じられません。今回もそんな印象を受けました。

そして1000円札。10000円札までは比較的すんなりと手に入ったのですが、5000円札の実物を見るまでは少し時間がかかってしまいました。しかし、ここへ来てようやく5000円札もスーパーなどのお釣りで出て来るようになったのです。これが津田梅子か、と思いつつ、これで新札三種類コンプリートできました。

あたしはコレクターではないので、新札を取っておこうという気は起こりません。さっさと使うか、使う予定がなければ預金するかのどちらかです。数ヶ月後には、旧紙幣を目にすることの方が稀少になるのではないでしょうか。

健大高崎

高校野球、健大高崎が優勝し、群馬県勢初のセンバツ制覇だそうですね。夏では優勝した学校はあったのでしょうか。別にそれほど高校野球に興味があるわけでもないので、そのあたりの事情には疎いのですが……

ところで、ニュースでもネットも「健大高崎」という四文字を何回も目にしていますし耳でも聞いてます。この「健大高崎」の「健大」って群馬県民なら周知なのでしょうが、他県の人にはあまりにも馴染みのない単語です。「日大三」だったら「日本大学」の系列校、「駒大苫小牧」なら「駒沢大学」の系列校だとわかりますが、「健大」って何でしょう? ネットにしろ新聞にしろ「健大」の正式名称を表記している記事を見たことがありません。

で、調べてみたところ、「高崎健康福祉大学高崎高等学校」のことだとわかりました。つまり「健大」とは「高崎健康福祉大学」のことなのですね。調べてみるまで、あたしは「保健大学」だろうと思ってました、あるいは「保健看護大学」ではないかと。完全に外れてしまいました。

この大学は県立ではなく、私立の大学なんですね。そんなことも調べてみて知りました。また「健大高崎」なんて言うから、「健大○○」といった系列高校が他にもあるのかと思いきや、高崎しか存在しないようです。せめて「健大前橋」「健大渋川」「健大水上」くらいあってもよさそうなものだと思うのですが(汗)。

それにしても、こうして高崎が脚光を浴びてしまうと、お隣・前橋の方はどう思っているでしょう。一緒になって喜んでいるのでしょうか、あるいは県庁所在地・前橋として矜持を持って平静を装っているのでしょうか。

将来的には……

情報番組を見ていると、「ゴジラ」がアカデミー賞を受賞したことが報じられています。なんでもアジア映画としては初の受賞だそうです。

ところで、そのゴジラが受賞したアカデミーの「視覚効果賞」って、ようはCGグラフィックを実写部分に合成しているわけですよね。テレビでもグリーンバックで演技する俳優たちと、そこに合成するCGをパソコンで作っているスタッフの映像が紹介されていました。神木隆之介や浜辺美波はともかく、大勢の群衆が映っているシーンでも実際の俳優が演じているのは20人か30人くらいで、周縁の人たちはCGらしいです。

それを見ていて思ったのですが、ここまで精緻なCGが出来るのであれば、神木隆之介や浜辺美波といった役者は必要なのでしょうか。これら俳優たちも最初からCGで作ってしまえばよいのではないかと思うのです。

ただ、そうなると、できあがった映画は実写映画と呼べるのでしょうか。そもそもゴジラだって、半分近くがCGのように見えました。あれを実写映画と呼んでもよいのでしょうか。CGの比率が何パーセント以下であれば実写映画を名乗れるといった基準があるのでしょうか。

で、話を戻して、全編CGで作ったしまったら、それはもう実写映画ではなく、アニメーション映画と呼ばれるのでしょうか。そうなると「君たちはどう生きるか」が受賞した「長編アニメーション賞」にノミネートされるようになるのでしょうか。

でも、最近の実に精巧な、実写と見紛うようなCG技術を見ていると、全編CGで作っても役者が演じていますと言えば、多くの人が信じてしまいそうなレベルだと思います。アニメと実写の境目ってどのあたりにあるのでしょう。

悲願と言うけれど

北陸新幹線の敦賀延伸。ニュースでも大きく取り上げられていますし、地元では悲願達成として大騒ぎになっているようです。

 

確かに、長い目で見たときに観光客が多少増えたりするのでしょうが、地元が失うものって、それ以上のような気がします。こんな風に書くと、なんでもあって便利な東京に住んでいる者の意見だと言われると思いますが、実際のところ、新幹線が通った地方都市はどれだけ豊かになったのでしょう。

京都や大阪、名古屋といった、そもそもが大きな都市ならば別ですが、それ以外の都市はどうなのでしょう。あまちゃんでブームになった八戸は東北でも有数の大都会になったのでしょうか。あるいは仙台の北、盛岡はどうでしょう?

秋田などは新幹線が通っていても賑わいが戻ったような話は聞きませんし、山形も同様です。戦後の日本の自民党政治は、結局のところ、すべてを東京に集め、地方を切り捨ててきた歴史なのだと思います。

高速道路と新幹線と飛行場を求める地元の声もあるのでしょうが、これらが揃ったからといって地元は豊かになったのでしょうか。JRの在来線は切り捨てられ、日常生活が不便になっているところも多いのではないかと思います。東京と繋がっていないとどうにもならないような国にしてしまって、いまさらインバウンドで地方の魅力を発信と言っても、どんな魅力が残っているのでしょう。

ニュースを眺めながら、そんなことを考えていました。

丘の上? 山の上?

テレビのニュースでも取り上げられていましたが、昨日で山の上ホテルが休館となりました。昨年に休館が発表されて以来、あたしの勤務先から刊行している『山の上ホテル物語』も非常によく売れています。

最後に泊まってみたかったという人も多いかと思いますが、休館の発表以来、予約は取れない状態になり、館内のレストランも毎日大盛況だったようです。

泊まったことがある方も、ない方も、山の上ホテルの空気を感じるのであれば、この『山の上ホテル物語』を一読いただくのがよいと思いますので、ぜひ手に取っていただければと思います。

ところでテレビのニュースでも映っていましたが、「山の上ホテル」と言いますが、英語表記は「hilltop hotel」です。丘の上なのです。テレビに流れた映像でもわかるかと思いますが、ちょっとした高台に建っているのです。ですから「山」よりは「丘」の方が正しいのではないかと思いますが……

ちなみに、このあたりは神田駿河台という、ちょっと高台になっているところで、JRお茶の水駅の北側には神田川が、かなり下の方を流れています。お茶の水は意外と坂のある街なのです。そしてお茶の水という地名はありません。

阪神・淡路大震災から29年

朝からニュースでちょこちょこ取り上げられていますが、今日で阪神・淡路大震災から29年だそうです。震災発生時、あたしは既に社会人で、現在の勤務先の編集部に在籍していました。そして主に関西地方在住の方々を編著者とする書籍の編集に当たっていましたので、他人事とは言えないニュースでありました。

29年というと、その年に生まれた子が29歳という当たり前のことを書いてしまいましたが、もう少し考えると、震災のころに子供だった人が子供を持つような歳になっているということですよね。語り継ぐことの大切さは理解できますが、ほとんど記憶に残っていない世代が中心になっていくこれからは、どうやって震災を語り継いでいくのでしょう。

能登半島地震があったので、今年は特に阪神大震災にも言及されることが多いように感じますが、あたしが気になっていることが一つあります。いま、すぐ前であたしは「阪神大震災」と書きましたが、ほとんどのマスコミは現在は「阪神・淡路大震災」と書いていますし、テレビもそう言っています。あたしの記憶が正しければ、「阪神大震災」だと淡路島の被害が等閑視されかねないという懸念があったので、「阪神・淡路」という名称になったはずです。

こういった自然災害の名称で、なまじ特定の県や都市の名前を付けてしまうと、その県以外、その都市以外には政府の援助がしっかりと行き渡らないことになりかねない、だからできるだけ被害のあった地域全体を包括できるような名称を付けるようにしている、と聞いたことがあります。

その流れで言えば、今回の地震は「能登半島地震」と呼ばれていますけど、福井や富山、それに新潟でも液状化現象が起きているので、「能登半島地震」では範囲を非常に狭い範囲に区切りすぎているのではないかと思うのです。

とはいえ、ここに書いてきたことがすべてあたしの思い違いであれば、問題はないと思いますが……