流石、岩波新書?

書店を回っていますと、少し前から豊臣秀長に関する本がたくさん並んでいるのが目に付くようになりました。豊臣秀吉も加えて、豊臣家、豊臣政権などを扱った本が増えています。特に手頃な新書が激戦区になっています。

その理由ははっきりしています。来年の大河ドラマです。ですから、いまは豊臣秀長ですが、その一年前には蔦屋重三郎や田沼意次、松平定信などを扱った本が大量に出版されましたし、さらにその一年前には紫式部や藤原道長、源氏物語に関する本がたくさん刊行されていました。

いずれの時代や人物も興味があるので、あたしも何冊か買っていまして、今年も秀長に関する本を何冊も買ってしまいました。既に二冊ほど読んだのですが、同じ人を扱っているわけですから、内容の過半は同じようなことが書かれています。著者が変われば書きぶりも変わりますが、それでも同じ人、同じ時代や地域を扱っているのですから、既視感があるところもあります。

好きだから、興味があるから何冊でも買って読む、という読書スタイルもありますが、やはり飽きちゃうと言うと語弊がありますが、もう少し視点を変えたものも読みたくなるものです。

そんな中で見つけたのが岩波新書の『豊臣家の女たち』です。多くの出版社が秀吉・秀長兄弟にフォーカスした本ばかりを出しているのを尻目に、こちらは豊臣家の女たちをです。こういう変わり種を出してくるところが岩波新書らしいなあと感心してしまいます。

3分の2ですが……

タイトルの話題について書く前に、本日の朝日新聞「惜別」ページに載っていた記事をご紹介します。

たぶん多くの方が「この人、誰?」という状況だと思います。たぶん、あたしだってそうなる確率が高かった、否、きっとそういう人の一人だったと思います。

でも、たまたま勤務先からこの方、「朝子」の評伝を刊行していたので知っていたのです。もうかなりのお歳で、それでもインドでご健在だということはうっすらと聞いていましたが、つい先日、あたしの勤務先にも訃報が飛び込んできました。

ちなみに朝子さんの評伝は、『インド独立の志士「朝子」』です。現在品切れなので、どうしても読んでみたいという方は、古本屋を探すか、電子書籍をご購入くださいませ。

さて、ようやく本題。最近、台湾の作品『地下鉄駅』という小説を買いました。台湾でも評判の作品のようです。カバーもなかなかよいですね。

地下鉄と言いますと、かつて読んだ『地下鉄道』も素晴らしい作品でした。売れた理由がわかります。そしてレーモン・クノーの『地下鉄のザジ』と並べると、なにやら地下鉄三部作のように見えてきます。『地下鉄のザジ』もまだ読んでいないので読まなければと思ってはいるのですが、次から次へと読みたい本、読まなければいけない本が現われるので……

ちなみに『地下鉄のザジ』の作者レーモン・クノーがまとめたコジェーヴの『ヘーゲル読解入門』もまもなく発売になります。しばしお待ちを。

40枚目の感想をば少々

先日の「乃木坂工事中」で節目となる40枚目シングルの選抜メンバーが発表されました。ネット上では発表前からさまざまな予想が飛び交っていましたし、発表後もたくさんの意見がつぶやかれています。そして先週はアンダーメンバーのフォーメンションも発表になりましたので、あたしの感想などを少々書き連ねてみたいと思います。

まずは人数についてです。選抜が16名で、アンダーが14名。選抜の方が二名多いです。ファンの間では16名は少なすぎるという意見も聞かれますが、テレビの歌番組などを見る限り、あたしは16名、せいぜい18名が限界だと思っています。

やはり自分の推しが選抜に入れないと、選抜の人数を絞りすぎだという意見が出て来るのは理解できますし、乃木坂46全体の人数に占める選抜の人数を考えたらもう少し多い方がよい、という意見もわからなくはないですが、歌番組や各種メディアでの披露メンバーという性格を考えると16名がよいところだと思います。

そして今回の選抜メンバーです。六期生が選抜に入ってくるか否か、あたしは半々だと思っていたので、そこまでの驚きはありませんでした。Wセンターと発表された時点で察したファンも多いのではないでしょうか。

むしろ、あたしが一番疑問に思ったのは、それ以前に卒業を発表していた三期生・久保史緒里が選ばれていることです。このシングルの発売ごろには卒業を迎えるのがわかっているわけですから、あたしは久保ちゃんは今回のシングルには参加しないのだろうと思っていました。カップリングと言いますか、シングル収録曲の一つで、三期生全員が参加する期別曲を久保ちゃんの卒業ソングにするのではないかと予想していたのです。みずから参加を辞退するのではないかと思ったのですが、見事に外れました。

そして、アンダーのフォーメーションです。瀬戸口心月、矢田萌華の六期生二人が選抜に入ったことから、残りの六期生もアンダーに合流するのかと思いましたが、まだ別行動なのですね。ここは意外でした。

五百城茉央がアンダーとわかった時点で、アンダーセンターは五百城茉央だろうという予想は出ていましたが、選抜と合わせ、まおなおでWセンターにするのかなと頭の片隅で考えましたが、同じく卒業を発表している矢久保、松尾で五百城茉央を挟むというフォーメーション。ファンの中には卒業なんだから選抜に入れてやれ、という意見もあるようですが、これがせめてもの恩情なのでしょう。だったら、矢久保と松尾のWセンターでもよかったのではないでしょうか?

それにしても、次からは残りの六期生も選抜やアンダーに加わることになるのでしょう。今回のメンバーから三名が卒業ですから、選抜も少し人数が増えるのかもしれませんね、あたしは反対ですが。一度、両A面のようなシングルを出して、選抜を二つ作るのもアリかもしれません。六期生の小津ちゃんが休業のままであれば、全部で35名、18名と17名のW選抜も面白いかもしれないですね。

そしてなによりも、もういい加減、秋元康の作詞は御役御免にしてもらいたいです。

令和のルリユール

ルリユールという言葉をご存じでしょうか。本に興味をお持ちの方であれば知名度は高いと思いますが、一般的な世間の知名度はそれほど高い言葉ではないと思います。どこかのマンションの名前かと思ってしまった人も多いのではないでしょうか。

辞書などで調べれば簡単に答えは見つかりますが、ルリユールとはフランス語で、装丁家とか装丁という意味です。写真などで見たことある人も多いと思いますが、海外の図書館や美術館に所蔵されている本を見ると革張りで豪華な装飾の付いた本があります。ああいう本は所蔵者が調度品として、自分の趣味に合った装丁を施しているのです。

日本では、装丁とはちょっと違いますが、きれいな紙を用意して、能書家に筆写してもらう歌集や物語を所蔵することが貴族の間でも流行っていたと思います。意識としては共通するのではないでしょうか。最近ですと、平凡社から『その本はまだルリユールされていない』という小説が出ていますので、造本、装丁の世界を少し覗いてみることができます。

そんな本を読んだからでしょうか。ちょっときれいな、美しい本を見かけると手に取ってしまいます。もともと本が好きな人というのは内容だけでなく、タイトルや造本にも関心があり、それだけで買ってしまうという衝動は理解してもらえるのではないかと思います。

で、こんな本を見つけました。二子玉川にあるSprout Books and Artで買いました。かけてもらったブックカバーを外すと二枚目の画像のような本です。写真だと見づらいですが、金箔を使った美しい表紙です。手作り感が感じられる装丁です。

上記の『その本はまだ……』を読むとわかりますが、傷んだ本、古くなった本を修理するのに、自分なりの趣味を加えたものにするべく装丁家にお願いするのが多いのでしょう。愛着の本がボロボロになっていたらやはり哀しいものです。

もちろん、もともとの装丁が気に入っている場合もあるでしょうが、そういう機会に思い切って自分なりの装丁にしてしまうのもアリではないでしょうか。ただ個人的には、購入(ダウンロード)した電子書籍を自分なりの紙に出力し、凝りに凝った装丁で製本するようなことも、これからのルリユールとして流行するのではないかなあ、などと考えています。

100冊まであと一歩?

書店でちくま文庫のフェアをやっているのを見かけました。そしてそこに置いてあったのがこの小冊子です。この12月でちくま文庫は創刊40周年なのですね。

「わたしだけの、とっておき。100人100冊のちくま文庫」というタイトルで、ちくま文庫がズラリと並んでいました。

あたしのしばしばちくま文庫は買っていますが、さすがに100冊はないだろうと思って、自宅の書架を確認してみました。

筑摩書房は、ちくま文庫の他にちくま学芸文庫というレーベルも出していまして、あたしの書架にはちくま学芸文庫がたくさん並んでいました。

二枚目の写真は上と下には別のレーベルが並んでいますが、真ん中に見えるのがちくま学芸文庫です。自分では、ちくま文庫だと思っていたのですが、今回改めて見たところ、ちくま文庫ではなく、ちくま学芸文庫でした。

そして、これも別の書架ですが、並んでいるのはちくま学芸文庫ばかりです。ちくま学芸文庫は、岩波文庫と並んで、たくさんの中国古典の現代日本語訳を出しているレーベルではないかと思われます。かつて刊行していた全集を文庫化したものかも知れませんが、中国学専攻の学生には外せないレーベルでしょう。

左の写真は、ずいぶんと初期のちくま学芸文庫ではないかと思います。かなり以前、たぶん学生時代か、社会人になってもまだ駆け出しのころに飼ったものだと思われます。

ちくま文庫とちくま学芸文庫の差は何か、他社の人間である自分にはよくわかりませんが、古典作品や学術よりのものが学芸文庫にラインナップされているのかなと思います。

と思っていましたら、ついにちくま文庫を見つけました。それが右の「魯迅文集」です。今の時代からすれば、魯迅はもう古典だと思いますし、魯迅を読むなんて、やはりちょっと学術よりだと思うのですが、これはちくま文庫なのですね。

カバーの色が白いのがちくま学芸文庫、クリーム色のがちくま文庫なのかなと思いきや、必ずしもそうではないようです。

「魯迅文集」を確認した後に、「あっ、あれは学芸文庫だったかな」と思って確認したのが、左の写真です。

「韓非子」や「史記」といった中国古典作品、それも思想や歴史ジャンルの作品ですから、これらは言うまでもなくちくま学芸文庫でした。

ちくま文庫とちくま学芸文庫、両方を足すと100冊くらいになりそうです。フェアのタイトルに引っかけて言えば。「100人100冊」ではなく「1人100冊」です。

ちなみに、フェアの小冊子の最後に「ちくま文庫6つのウラ話」というのが載っています。なんとなく気づいていたような、でもそういう意味だったのかと改めて教えてもらいました。

スガモプリズンの思い出

スガモプリズンについて語る前に、昨日の営業回りの途次、書店の方とお茶をした時に食べたスイーツをご紹介。あたしはプリンが好きなので、こちらをチョイスしました。

幼少のころから、決して裕福な家庭ではなかったので、プリンにクリームやフルーツが追加されたプリンアラモードという言葉に、得も言われぬ憧れがありました。

そう簡単に食べられるものでもなく、そもそもそういうメニューを出しているお店(フルーツパーラー?)などに入ることも稀な幼少期でしたので、こういうきらびやかなスイーツは垂涎の的でした。そんな思いが、還暦までのカウントダウンが始まったこの歳まで持続しております。

さて本題に戻ってスガモプリズンです。岩波新書で最近刊行された『スガモプリズン』を読みました。ただ、あたしの親戚に先の大戦に従軍した人はいなくて、スガモプリズンに収監された親戚はおりません。それでもスガモプリズンは気になってしまうのです。

それは何故かと言いますと、理由はあたしの幼稚園時代に遡ります。当時のあたしは巣鴨、駅で言いますと都営三田線の西巣鴨駅から徒歩数分のところに住んでいました。お婆ちゃんの原宿として知られる巣鴨地蔵通りに近い場所でした。そしてそこから池袋駅の南の方にある幼稚園に通っていたのです。もちろん通園バスが近所まで来ていましたのでそれに乗って通園していました。

普段は、三コースくらいあった幼稚園の通園バスで通っていましたが、週に一回、幼稚園のクラブ活動的なものがある日は全コースまとめて一台のバスで帰るのでした。そのバスが帰路の途中で大きなフェンスで囲まれた工事現場の横を通っていたのです。

幼心に、ここは何だろう、と思いつつ、バスに揺られて車酔いと闘っていたのが幼稚園時代の思い出です。そして時は流れ、まだあたしは子供時代でしたが、池袋に日本一の高層ビル(当時)であるサンシャイン60が出来上がりました。親から聞いたら、あの工事現場だったところにできたのがサンシャインだとのこと。幼き日の乗り物酔いが蘇ってきました(笑)。

そんなことからサンシャインを見ると工事現場のフェンスを思い出していましたが、ある時そこがもともとは刑務所だったということを知りました。それがスガモプリズン、戦犯が収監されていたところだと、徐々に知識も増えていきました。スガモプリズンというと工事現場のフェンスと乗り物酔いを思い出すのです。

そして、幼心にもうひとつ、池袋にあったのにどうして巣鴨プリズンと呼ばれていたのだろうということも大きな疑問でした。イケブクロプリズンではいけなかったのだろうかと。

これは一回で食べきれるのでしょうか? そして果たしてケーキと呼んでよいのでしょうか?

コンビニ・スイーツという言葉があります。コンビニが独自に開発したスイーツのことです。その一方、各メーカーがそのコンビニとコラボして開発し、そのコンビニ限定で販売しているスイーツもあります。そこまでではないものの、スーパーなどでは売っているのを見かけず、たまたまコンビニで見つけることができたスイーツというのもあります。

もちろんコンビニにしろスーパーにしろ、だいたい近所にある決まったところにしか行かないので、目睹できる範囲は極めて限られたものになりますが。

そして、この週末に近所のセブンで見つけたのがこちら、「ずっしりプリンケーキ」です。セブンイレブンのマークが印刷されていないので、コラボスイーツではないようです。

パン祭りで知られるヤマザキのスイーツですが、その名のとおり、本当にずっしりとした重さです。こんなに重いとは予想外でした。

スポンジに挟まれて見えているのが、細長いプリンです。プリンと言えばカップに入っているものでしょうが、こんなに板状に長いプリンは見たことがありません。

長い長いプリンの下には、カラメル味のクリームが蒲団のようにプリンの下に敷かれています。何か大きさが比較できるものを横に置いて写真を撮ればよかったのですが、とにかくなかなかの大きさ、そして重さがあります。

この手のジャンルでは有名な「まるごとバナナ」がありますが、それよりも少し大きく重いです。バナナがスポンジの生クリームの中に埋もれているのに対し、こちらのプリンはスポンジからはみ出ていますので、まるごとどころの騒ぎではありません。

これだけの大きさですので、とてもスイーツは別腹というレベルではありません。そもそもおやつの時間に食べるにしても、これ一つを一回で食べきるのはなかなか重いでしょう。あたしも二回に分けて食べたくらいです。

ケーキと言うとショートケーキのように、皿に載るようなサイズをイメージしがちですが、これはそんな生易しいものではありません。人によってはこれ一つで一回の食事代わりになってしまうのではないでしょうか。

どれくらい積めるのでしょうか?

作家の本棚を紹介するような本や雑誌の企画がありますが、やはり文筆を生業にしている方はたくさんの蔵書をお持ちですね。あとは学者、大学の先生、特に文系の方は本が多くなりがちだと思います。

大学の先生の場合、自分は研究室に置いているので自宅に本はほとんどありません、という方もいらっしゃるようです。それは研究室のある、専任の先生だからこそ言えるのでしょう。

でもってわが家です。本棚に収まりきらなくなった本が、廊下の片隅に積まれています。あたしの性格としてはきちんと本棚に収納したい、それもジャンルなどによって分類して並べたいと思っています。しかし、それがもうできないのです。

本が積まれている廊下はこんな感じです。床から天井までめいっぱいの書架です。そして完全に本で埋まっています。廊下は狭いので、反対側にも書架を設置するような余裕はありません。書架ではなく本だけであれば、そこまで奥行を取らないので、なんとか積んでいるわけです。でも、これ以上高く積むのも、そろそろ限界だろうなあと感じています。

それなら宅内の別の場所に書架を置けばと言われそうですが、既にわが家はあちこちに書架を設置しているので、もう書架を置くスペースがありません。あたし一人で暮らしているわけではないので、家中どこにでも書架を置けるわけではありませんし、そんなスペースもほぼない状態です。

本を買うのをやめればよいのでしょうが、根っからの本好きなので、気づくと買ってしまうのです。一生かかっても読み切れるのかどうかわかりませんが、買ってしまうのですよね。まあもう少し、高く高く積んでみるしかないですね。

季節の新製品?

そろそろ涼しくなってきましたので、こういうお酒もあまり飲まなくなるでしょうが、近所のスーパーで見かけたので、ついつい買ってしまいました。

キリンの華よいです。やはり乃木坂46のファンとしては、山下美月と与田祐希のOG二人がCMをやっているとなると贔屓してしまいます。この手のチューハイも価格競争が激しいのか、数円から十数年の差でしのぎを削っている感じですね。

その華よいの「爽やかライチ」「白桃」です。ライチの方はこの秋の新製品のようですが、白桃は前から売られていたものでしょうか。詳しいことはよくわかりません。

一晩に一缶ずつ、軽い晩酌として楽しもうと思います。

ゴホンと言えば……

実はこの一か月くらい喉の調子がおかしいのです。一か月ほどの前の、喉がおかしくなったころは、完全に風邪の症状が喉に来て、という感じでまともに声を出すことすら厳しい状態が二、三日続きました。その当時は勤務先でも周囲から「電話に出なくていいよ」と言ってもらえるほどの声でした。

そこまでひどい状態は数日で終わりましたが、喉のいがらっぽい感じはいまだに続いています。喉をターゲットにした風邪薬も飲みまくったのですが、さほど効果が見られたようには感じません。しゃべるぶんには問題なくなりましたが、時々むせるような感じになり、咳が止まらなくなることがあるので、自分でもイヤになっています。

そこで買ってみたのがこちら、「ゴホンと言えば……」のキャッチフレーズで昔から知られる龍角散です。それも古典的な粉タイプの龍角散です。幼いころから知っていますが、この粉の龍角散は服用したことはありませんでした。昨日から日に何回か飲んでいますが、いまのところ効果があるようには感じません。

これでダメなら、あとは浅田飴しか残っていないかしら?