同じ株、同じ枝?

わが家の近所のサクラです。本日、開花しました。

わが家の近所のサクラは、東京のサクラの開花より数日遅れて開花するのですが、あたしの記憶が正しければ、昨年は同日でした。そして今年も同日でした。

写真を撮ってみたのですが、これだけ咲いていれば、開花宣言を出してもよいでしょう。今日も暖かくなりましたからね。

ところで、今日咲いたサクラですが、毎年同じ株、そして枝もほぼ同じ位置なんです。サクラが何本も植わっている場所ですが、やはり個体差と日当たりが違うのですかね?

干支もひとまわりしたわけで……

昨日は3月11日、日本人としては忘れてはいけない日ですね。あの日のことは既に何回かこのダイアリーでも書いているのでは、もういいでしょう、割愛します。とはいえ、もう十二年ですか。時の経つのは早いですね。

ただ、気になるのは最近の政府の、原発再稼働方針です。福島の原発事故がまだ終息していないというのに、原発をまた動かそう、さらに作ろうという神経には少し驚かされました。

もちろん、昨今のエネルギー価格の上昇を考えると、原発を動かしたいという考えはわかります。東日本大震災の時だって、地震で事故が起きたのではなく、その後の津波で電源が失われたために事故が起きたのであり、その対策はこの十二年でより厳重になっているのだから、日本の原発は安全だ、という理屈も理解できます。確かにそうだと思います。

でも、あたしが原発で一番気になるのは原発のゴミです。地中深く埋めるということですが、その埋める場所すら決まっていないですし、そもそもそんなものを埋めて数百年後の子孫にどう責任を取るのでしょう。そこが解決しない限り、あたしは原発には反対なんです。

あと、そんなに原発を作りたいのであれば、国会議員やその家族が、まずは原発の近所に住むべきではないでしょうか? 処理水を海洋投棄するというのであれば、福島産の農産物や海産物は、まずは国会議員が買い取り、自分たちが食べればよいのではないでしょうか? それくらい率先してやる責任が国会議員、特に推進派の議員にはあると思うのですが。

昨日もテレビで双葉町の復興状況について報じられていましたが、道のりは険しそうですね。人が帰ってこないだけでなく、帰ってきても仕事がない状態ですから。あたしは、国会や首相官邸を震災後から20年とか30年とかの期限付で構わないので、双葉町とかあのあたりに移転させればよいとずーっと思っていました。国会と首相官邸が移れば、各省庁のサテライトも付近にできるでしょう。議員も宿舎がそっちへ移ることになるので、役人も含めれば相当数の住民が増えることになります。

もちろん政治の中枢になるので、民間だって拠点を設けることになるでしょうから、働き口も多くできることになると思います。そういうことをどうして政治家はやらなかったのだろうと思うのです。

天皇誕生日

2月に天皇誕生日があるというのは、まだ慣れないですね。ついこの前までは12月、それも暮れも押し迫ったころに天皇誕生日の祝日があり、仕事としてはちょっと避けたい気分でした。

今年の天皇誕生日は、初めての一般参賀ということでニュースでも大きく取り上げられていましたが、令和の最初の年って、天皇誕生日がない年だったんですよね。あたしは平成から令和に変わるのがいつになるか報道発表された直後から、そのことを考えていたので非常によく覚えています。

賛成、反対はあるにせよ、日本には天皇制があり、天皇は日本の象徴ですから、天皇誕生日がない年があるなんて信じられませんでした。ところで、今年改めて思ったことがあります。

それは、もし平成と令和の両天皇の誕生日が逆だったら、令和の最初の年は天皇誕生日が二回あったのだろうか、ということです。その時点で位に就いている天皇の誕生日が巡ってきたら、その国としては祝日にしないとならないでしょう。となれば令和最初の年のように、年の途中で代替わりがあった場合、誕生日の日付によっては天皇誕生日が二回訪れる可能性だって当然あるわけです。そんなとき、果たして政府は天皇誕生日二回を認めるのでしょうか。

Vivienne Westwood

ヴィヴィアン・ウエストウッドの訃報が飛び込んできました。

いや、そんな風に書いていますが、あたしはブランド名こそ知っていましたが、ヴィヴィアン・ウエストウッドがデザイナーの名前だとは知りませんでした。81歳なら大往生と言えるのでしょうか?

そんなヴィヴィアン・ウエストウッドですが、あたし、ネクタイを一本持っていました。写真のネクタイがそれです。髑髏とハートをあしらった紫色の、まさにヴィヴィッドな一本です。

ところで、訃報と言いますと、このヴィヴィアン・ウエストウッドとほぼ同い年、サッカーの王様ペレの訃報も飛び込んできましたね。彼は82歳でした。

実はあたしの勤務先、以前に『ペレ自伝』という本を出していたのです。自伝ですから、もちろん著者はペレ自身です。年末年始休暇中でなければ、書店から注文が殺到していたのかも知れません。それでも休み明けには、注文ファクスがたまっているのでしょうか?

子供のころのクリスマスなどの体験が……

テレビの情報番組では「クリスマス、どんな風に過ごしますか?」とか、「年末年始のご予定は?」といった街頭インタビューの映像が流れています。そんな中、子供のころにクリスマスなどの行事を家族で楽しんだりした体験があったかどうかで、その後の人生に影響があると報じているのを見かけました。

ちょっとうろ覚えなのですが、大人になってから、あるいは中高生にくらいになったらだったのかのことなのかも覚えていませんが、とにかくいろいろなことについて諦めやすいとか、頑張りが利くとか、そういう面で違いが出てくるそうなのです。ここにも格差が生まれているのでしょうか。

幼少時にクリスマスなどを楽しく過ごしたか、というのは、必ずしも金銭的なものだけではないでしょうが、ケーキを買う、欲しかったプレゼントをもらう、いつもよりちょっとご馳走を食べるなど、どうしたって経済的な裏付けがないとだめでしょう。片親家庭であれば、クリスマスも関係なく働かないとならない場合もあるでしょう。一人ぼっちで親の帰りを待つ子供という図、確かに寂しいですよね。

これだけ格差が広がってしまった日本、それに対して政治は何をしてくれたのでしょう。「してくれた」と書くと、自己責任と言われそうですが、そういう論調、傾向が強くなったのも格差社会と関係していると思います。金持ちがより金持ちになる社会、同じスタートラインに立てない社会、なんかイヤですね。

千歳飴

忘れていましたが、今日は七五三なんですね。

小さいころのアルバムを見返してみると、確かにお宮参りしたような写真がありますし、手には千歳飴の細長い袋を持っていました。

あの細長い千歳飴、もちろん縁起物なんでしょうけど、あれって子供が欲しがるほど美味しいものだったのかと問われると記憶にありません。ただ硬いだけの飴だったような気がします。キャラメルのようでもなければ、ミルキーのようでもなく、いかにも伝統的な、日本の飴という味でしたね。

ところで今日は在宅勤務で、あいにくと雨模様だったので外出もしなかったので、きれいな着物を着た子供たちを連れた家族連れを見ることはありませんでした。やはり平日ですから、ほとんどの過程はこの前の週末にお宮参りを済ませていたのでしょうか?

もうすぐ走り出す?

今日は在宅勤務日でしたが、昼間は外回りに出かけました。なにはともあれ、最寄り駅であるJRの国分寺駅へ出るわけですが、そのホームでこんな電車を見かけました。

構内放送で電車が来るとわかったのですが、時刻表にはない電車です。てっきり特急列車が通過するのかと思ってホームでたたずんでいたら、試運転という表示のある中央線が入線してきました。回送車両かと思って眺めていたところに飛び込んできたのが写真の車両です。

この写真でわかりますでしょうか? 二階建て車両です、それも中央線の! 東海道線を普段から利用している人であれば、二階建てグリーン車が連結されているので見慣れた光景でしょうが、中央線ではちょっとした衝撃です。

中央線は現在10両で走っていますが、ラッシュ時の混雑緩和のために12両編成を走らせる予定で、現在急ピッチでホームの延伸工事を行なっています。それぞれの駅の工事の進捗を見ると、完成までにはもう少し時間がかかりそうです。それに東海道線などは15両で走っているのに、中央線では12両ですから、劇的な混雑緩和になるのか否か、よくわかりません。

いずれ12両編成になり、その増設される2両はグリーン車になるというのは、ニュースか何かで知っていましたが、まさか二階建て車両だったとは思いませんでした。そして、こんなタイミングで実際に目にすることができるとは! いつ走っているかお知らせも何もないので、たまたま目睹できた今日はラッキーだったのでしょう。

音引きは難しい

31日月曜日がハロウィン当日なのだと思いますが、やはり週末ということで、渋谷は今宵が一番の盛り上がりになっているようです。夕方のニュースで報じていました。それとも、今日から月曜まで三日間、渋谷は若者でごった返すのでしょうか?

ところで、以前にも書いたような気がしますが、この「ハロウィン」って「ハロウィン」でいいのでしょうか? 「ハロウィーン」と表記している場合もありますよね? 所詮は外国語なので、日本語のカタカナ表記、ましてやその音引きについてああだこうだと言っても詮無いことかもしれませんが、やはり気になります。

音引きで気になると言えば、秋の風物詩「ボジョレー・ヌーヴォー」も気になります。これも、いまあたしは「ボジョレー・ヌーヴォー」と書きましたが、「ボージョレ・ヌーヴォー」と表記しているのも見かけます。「ヌーヴォー」はほとんどが「ヌーヴォー」のようですが、前半は表記が揺れています。

あたしが子供のころには「ハロウィン」も「ボジョレーヌーヴォー」も、どちらもそんな言葉は日本には存在していなかったと思います。やや大きくなってから目にしたり、耳にしたりするようになった言葉です。

ちなみに、このことも何度も書いていると思いますが、あたしが初めて「ハロウィン」という言葉を知ったのは、映画「ハロウィン」です。ですから、現在のような仮装してバカ騒ぎをする、陽気なイベントとはとても結びつきません。幼心にインプットされた恐怖の記憶、思い出しかありません。

来日50年!

今年は日本にパンダがやってきて50年になるそうです。日中国交正常化50年がニュースでも大きく取り上げられていましたが、国交正常化を受けてパンダがやってきたという流れですね。

いまの若い方もテレビなどで映像くらいは見たことがあると思いますが、当時のランラン、カンカンのフィーバーは現在の上野動物園の双子パンダ以上のものがあったと記憶しています。ただし、あたしは列に並んでまで見に行きたいとは思わなかったので、結局ランランもカンカンも実際に見たことはないまま、二頭は死んでしまいました。

そんなパンダにまつわるあれこれを、多くの方に語っていただいたのが『読むパンダ』です。執筆陣はバラエティー豊かです。パンダなエッセイ集なんて他にはないのではないでしょうか。

さて、パンダが日本に来て50年と書きましたが、実はパンダが見つかったのもそれほど古い話ではありません。なにせあれだけ膨大な記録を残した中国の歴史書にほぼまったく登場しないのですから。蜀の国に入った劉備主従が現地でパンダを見たなんて話、『三国志』には載っていませんよね。

パンダは中国の歴史で言えば、最近になってようやく見つかった動物、まさしく珍獣なのです。そんなパンダの歴史を語った一冊が『パンダが来た道』です。生物としてのパンダに関する記事もありますが、その発見から今に至るまで歴史は驚かされるようなことが多いです。

少しだるいかしら?

昨日は、新型コロナウイルスのワクチン、四回目の接種を受けてきました。

そして、今日は体調が悪くなったりするとマズいので、在宅勤務です。

体調の方は、確かに接種した腕は多少痛いですが、昨晩寝ていたときの方が痛かったです。熱は、朝方は37度以上になっていましたが、昼間は36度台に落ち着いています。

ただ、体全体がちょっとだるいですね。腰がものすごーく痛いです。これはワクチンのせいなのか、あるいは在宅ワークをしている自宅の椅子が合っていないのか、よくわかりません。

まあ、ワクチンの副反応は、これまでもそれほどひどくはなかったので、今日一日耐えれば、明日以降は本調子に戻るでしょう。そして四回接種したわけですから、感染リスクにせよ、重症化リスクにせよ、かなり軽減されるのではないでしょうか。高齢の母と同居しているので、自分よりも母に対する予防ですね。

ところで、今日は重陽の節句ですが、父の命日です。そして父が幼いころに亡くなっている父の母(あたしの祖母)の命日でもあります。実の母親と同じ日に死ぬなんて、やはり呼ばれたのでしょうか?