今日は在宅ワークの日でした。
台風が接近していて、関東地方は今日が最接近の日だと天気予報で盛んに言われていたので、個人的には「それなら自宅でデスクワークだ」と思っていました。
が、あにはからんや、台風はどこへ行ってしまったのでしょう? 今日は天気こそ悪いものの、雨らしい雨は降らず、風も強いわけではありませんでした。
西日本を中心に甚大な被害も出ているようですが、こと関東に関しては「台風はどこへ行ってしまったの?」という感じでした。
うーん、これなら外回りへ出ればよかったでしょうか?
時事ニュースなどの話題
今日は7月4日、アメリカの独立記念日です。
そう言えば「7月4日生まれて」というタイトルの映画がかつてあったなあと思って検索してみたら、やはりあたしの記憶は正しかったです。
ちなみに今、世界中で大ヒットしている「トップガン」のトム・クルーズ主演だったのですね。映画のタイトルは覚えていましたが、映画を見たわけではないので、そういったところは全く知りませんでした。もちろん、あらすじだって知りません。ベトナム戦争に絡んだ映画だったという、にわかの知識がうっすらとあるだけです(汗)。
と、こんな話題を取り上げてみましたが、あたしの勤務先では、アメリカ独立にかかわる書籍は残念ながら刊行していません。
ただベトナム戦争であれば『煙の樹』という小説を出しております。
このところ、東京は毎日のように猛暑日が続いています。殺人的と形容するのが大袈裟でないくらい、昼間に外出するのは危険なことらしいです。それでも「夏なんだから」と諦めつつ、諦めきれないのが夜間の暑さです。
あたしが子供のころにも、現在ほどではないにせよ暑い日はありました。でも夜になるとそれなりに涼しくなり、暑さもしのげたものです。いつの頃から昼も夜も暑い日本になってしまったのでしょうか?
この暑さに体が慣れるには2週間くらいかかるとテレビで言っていましたが、いまが一番つらい時期になりますね。早くからだが慣れてくれるとよいのですが、年をとるとそういう機能も退化するみたいです。
さて、猛暑日だけでなく熱帯夜も続いているようです。熱帯夜と聞くと、あたしはSPEEDの「熱帯夜」という曲を思い出してしまいますが、共感してくれる人はおおよその年齢がわかりますね。
それはさておき、10年くらい前のことだったと思うのですが、朝、出勤するときに気づいたら、近所の歩道にミミズの死骸が足の踏み場もないくらい落ちていたことがありました。前の晩の暑さで土の中にいられなかったミミズが干からびて地面に現われ、力尽きて死んでしまったのだと思われます。
ところが、ここ数年はそういうこともありませんでした。暑さがそれほどでもなかったのか、あるいは近所の土の中に生息するミミズの個体数が減ってしまったのでしょうか。そんなことを思っていました。
ところが今朝、わが家の近所の歩道、数年ぶりにミミズの死骸だらけでした。それほど昨晩は暑かったということなのでしょう。可哀想なミミズたち、安らかに。
参議院選挙が公示されました。投票日は7月の10日だそうです。どうして倒れそうなくらいの暑さ厳しき日本の夏に選挙をやるのでしょうね? 候補者が熱中症に耐えられる体力のある人物か見極めるためでしょうか?
ところで、日本はたぶん世界的に見て、国民の政治への関心が低い国だと思います。関心もそうですが、政治家への信頼が決定的に足りていないと思います。それが投票率に表われているのだと思います。国によっては投票に行かないと罰走が設けられているところもあるとか。日本もそういう制度考えた方がよいと思います。
そもそも50%程度の投票率で決まってしまう国会議員が国民を代表していると言えるのでしょうか? なおかつ一票の格差も毎回言われていますが、その是正は遅々として進まず、多少の手直しも抜本的なものではなく周回遅れの感がします。個人的には国会議員の選挙もそうですが、憲法改正の国民投票にも最低投票率の規定がないことが問題だと思っています。せめて住民投票と同じように国政選挙や国民投票にも最低投票率を設けるべきだと思います。できれば有権者の7割以上が投票していないと、その選挙や投票は無効になる、それくらい厳しいものでよいと思います。
さて、そんな盛り上がりに欠ける選挙が始まりますが、今回はぜひこの本をお薦めします。『それでも選挙に行く理由』です。選挙とはいかなるものか、見も蓋もないことも書いてありますが、実に示唆に富む一書です。投票日までにぜひご一読を。
テレビの情報番組では、日曜日に迫った父の日について伝えていました。
どうも母の日に比べると影が薄いようで、番組独自のアンケートでも「母の日にお母さんへ何かプレゼントする人」の割合と「父の日にお父さんへ何かプレゼントをする人」の割合を比べるとかなりの開きがありました。
お父さん、可哀想、と思うのは簡単ですが、あたしの場合既にかなり前に父を亡くしていますし、あたし自身が結婚もせず、子供もいないので父の日とは無縁な人生をこの数十年送っています。ちなみに母は健在です(笑)。
ところで、あたしが子供のころにも、一応は母の日、父の日は知られていましたが、いまほどテレビなどが大々的に採りあげることもなく、スーパーやデパートもそれほど仰々しくコーナーを作っているイメージはありませんでした。そうそう、母の日が近づくとスーパーの店頭でカーネションの一輪挿しが並ぶようになるのが記憶に残っていますね。
で、わが家は母の日だろうが父の日だろうが何もしない家庭でした。別に殺伐としていたわけではなく、母の誕生日が4月、父の誕生日が6月だったので、父の日・母の日よりは誕生を祝う、誕生日に何かして上げる方がメインだったからです。12月に誕生日があると誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントを一緒にされて一回損をするというのに似ていますかね?
今朝はいろいろなメディアが取り上げていましたね、このニュースを。
取り上げ方を見ていると、男性を面白おかしく嗤っているような感じを受けますが、これが男女逆だったら女性団体からものすごい抗議が来るのではないかとも思います。いや、こういう取り上げ方については男女関係なく抗議の声を上げるべきなのでしょうか?
まあ、あたし自身は別に不快に感じたわけでもなく、特に気分を害したりはしていませんので、抗議をしようという気にはなりませんが、あくまで個人の感想、感触です。
で、報道の中味なんですが、
これまでにデートした人数が「ゼロ」だと答えた独身の20代女性は約25%で、20代男性は約40%でした。30代でもそれぞれ約20%、約35%に上りました。
とあります。[出典:Yahoo!]
あたしも、この歳になるまでデートってしたことないので、こういう若者の魁、先駆者ですね。また20代男性の7割が恋人も配偶者もいないようです。女性だともう少し低いのでしょうか? いずれにせよ、国の将来を考えると由々しき事態なのでしょう。
ただ、ここで国が出会いの場を作ろうとか言っているのは、なんか違うのではないか、という気がします。出会いの場を設けるのではなく、安心して暮らせる仕事と収入が得られるように環境を整えるのが政府の役割だと思うのです。
子供を作らない夫婦もいますが、結婚する男女が増えれば子供の数だって自然と増えるはずだと思います。ただ、そのために国が出会いの場を設けようというのは、やることが違うのではないかと思うのです。
今日の朝日新聞の夕刊です。ジェンダーレスな制服を導入する高校が増えているようですね。そう言えば、数日前にはジェンダーレスなスクール水着のニュースも流れていました。世は挙げてジェンダーレスに向かっているようです。
ところで、このジェンダーレス制服の記事、よく読むと女子生徒がズボン(パンツスタイル)も選べるようになったとありますが、男子生徒がスカートを選んでも構わないんですよね? だって、そうでないとジェンダーレストは言えないのではないでしょうか?
それにしても、女子がズボンを選べることが大きな話題のようですが、あたしの高校時代、もう30年近く前のことですが、冬になると多くの女子はズボンを穿いていました。なにせ制服がない、私服の高校でしたので。
男子も女子も好きな格好で登校していましたし、化粧をしている女子もいれば、パーマをかけている生徒もいました。だからといって問題になることもなく、ごくごく普通の高校生活を送っていたと記憶しています。女子などは「服を選ぶのがたいへんだから制服が欲しい」と言っている子もいましたね。
当時も現在も、様々な意見があるのは承知していますが、あたしにはそれについて語るだけの材料がありません。基地問題に限らず、沖縄の人が感じてきた差別感など、本土の人間があまりにも無頓着だったということは自覚しております。
ささやかではありますが、まずは興味を持つ、知ろうと思うことが肝心なのではないでしょうか。あたしの勤務先では『沖縄語の入門 たのしいウチナーグチ』『沖縄語をさかのぼる』というヒット商品もありますので、こういう本を更に売り伸ばすことが少しでも相互理解に繋がるのだと思っています。
4月下旬に発行された『人文会ニュース』140号でも、巻頭の「15分で読む」は「沖縄〈復帰〉50年を考える」です。PDF版が公開されていますので、是非ご一読ください。
さて正直なところ、昨今の中国の海洋進出、北朝鮮のミサイル発射という東アジア情勢を考えたときに、本土の人間の大多数は沖縄に米軍基地があることのありがたみを実感しているのではないかと思います。もちろん基地があるから攻撃の標的になるのだ、という意見も理解できますし、そもそも平和友好に軍事力は不要だという考え方もわかります。
でも、結局なんとなくそんな風に思っているだけで、多くの日本人は深くは考えていないのでしょう、あたしもですが。もし沖縄から米軍が撤退して、米軍基地が日本に(沖縄に?)返還された場合、こんどはそこに自衛隊が駐留することになるのでしょうか、あるいは大規模な宅地造成、リゾート開発などが行なわれるのでしょうか?
一部の政治家は日本と日本国民を守るためなどと声高に主張していますが、旧日本軍は沖縄でも満洲でも日本人(民間人)を見捨てて真っ先に逃げ出したんですよね。日本や日本人を守るって、どういうことなのでしょう。
昨日の朝日新聞夕刊の一面です。夕刊ですので、東京版(首都圏版?)以外では全然違う紙面になっているかもしれませんが、少なくとも多摩地区に住んでいるわが家の朝日新聞では写真のような一面でした。
そうです。三省堂書店神保町本店が今日で閉店になるのです。いや、閉店という言い方は不正確ですかね。建て替えのための一時休店と呼んだ方がよいのかもしれませんし、6月には靖国通りを小川町差点方面へ少しいったところに仮店舗がオープンします。
とはいえ、記事にもあるように、本の街・神田神保町のランドマーク的な書店が閉まってしまうということは業界を超えた大きなニュースだと思います。今日も営業終了時間にはテレビカメラも取材に訪れるのではないでしょうか?
そんな神保町本店の最終日、やはり見届けに行ってくるかと、朝一番で出かけてみました。「見届ける」なら閉店時間に行くべきなのかも知れませんが、人が多いのはイヤなので朝イチで行ってみたわけです。
さすがに開店前の店頭に大勢の行列ができる、ということはなかったようですが、日曜日の午前としてはそれなりにお客さんは入っていたのではないかと思います。駿河台交差点周辺ではカメラを構えている人を何人も見かけました。
ところで、今日が神保町本店の最終日なわけですが、あたしは同店の開店の日にも訪れているのです。1981年の3月オープンですから、あたしが中学生のころです。そのころ既に神保町の古本屋街へ週末になると時々出かけていたあたしは、デパートのような神保町本店に圧倒されたものでした。上から下までこんなにたくさん本が並んでいるなんて、もう感動しかありませんでした。
その初日、オープン記念としてフロアマップがデザインされた下敷きが配布されていました。既になくしてしまいましたが、あたしもしっかり一枚もらってきていました。懐かしい想い出です。オープン初日に来店し、今日の最終日にも来店する人、あたし以外にもきっと大勢いるのでしょうね。
土葬と聞くと怪訝な顔をされるかもしれませんが、あたしが子供のころであれば、実際に見たことはないですが、地方へ行けばまだまだ残っていた風習だと思います。そのあたりのことは講談社現代新書の『土葬の村』に詳しいです。
記事の最後に同書の著者、高橋繁行さんの名前も出ていますが、あたしが記憶しているかぎり、同書ではムスリムに関する記述はなかったと思います。しかし、本日の記事を読むと土葬という風習が絶えつつある今日、逆に国際化した日本ではこういった困難が立ち現われてきたのですね。思いも寄りませんでした。
ただ高橋さんの著書でも、最近はごく普通の日本人でもあえて土葬を希望する人が少なからずいる,少しは増えてきているようなことが書かれていました。ここまで火葬が一般化してくると、土葬を復活させろとまでは言えませんが、土葬も選べるような環境は整えられてもよいのではないでしょうか。記事を読む限り、火葬か土葬かは信教の自由とも関わってきそうです。
そう言えば、キリスト教も土葬が多かったように思いますが、日本に住むキリスト教徒は火葬しているのでしょうか? ところで、土葬は日本にも古来合った風習ですからまだよいですが、今後、風葬とか鳥葬とか、川に流すとか、さまざまな埋葬方法が増えていくのでしょうか?