雪隠る處

本日は午後から会合、人文会の例会でした。

神保町にある、貸し会議室で開かれるのですが、そこのトイレに写真のようなメッセージが書かれています。

誰が創作したのでしょう? なかなか味わい深い一句です。

しかし、トイレのことを雪隠と呼ぶことを、令和の時代にどれだけの人が知っているのでしょう? そもそも「雪隠」を「せっちん」と読めるのでしょうか?

例会時にトイレに入ってこのメッセージを見るたびに、毎回そんなことを考えてしまいます。もともとは仏教から来た言葉ですよね。

トイレのことを単刀直入に口にするのを憚るのは、世界各国にある習慣なのでしょうか? 学生時代に中国語を学んでいたときに、中国語でもトイレのことを「一号」と呼ぶと聞いたことがあります。日本語でも「トイレに行く」ことを「ちょっとはばかり」と言うことありますよね。