オススメではなく、想い出を少々
数日前に紹介した『満身これ学究―古筆学の創始者、小松茂美の闘い
』ですが、読了しました。改めてオススメというのも変ですので、あたしと小松先生とのことについて書いてみます。
私が小松先生に初めてお会いしたのは大学院1年の時です。たぶん、秋になっていたのではないかと思いますが、記憶が定かではありません。私の大学時代というのは、ここに書いたような6年間(学部4年に修士2年)でしたが、大学院に入ってから論文の副査をお願いしたこともあり履修した中下正治先生との出会いが、小松先生との出会いの伏線になっています。
※中下先生については、こちらやこちらをご覧ください。
同書には全く名前が出てきませんが、中下先生は小松先生とは若い頃、小松先生がまだ広島におられた頃からの付き合いとのことで、私が出会った時点で、既に50年近い付き合いの友人だったそうです。
小松先生は古典を相当量読みこなしていらっしゃるものの、中国古典をきちんと学ばれたことはなく、中国古典が出典の書などが出てきた時には、しばしば中下先生の手を煩わせることがあったそうです。ただ、中下先生も年齢的に疲れもあったのか、自分の代わりに出典調べと解釈を任せる弟子を捜していらっしゃったようでした。そんな頃に私が大学院に入ってきたわけです。
その当時、小松先生は、既に東博を退官され市ヶ谷で古筆学研究所を開いていました。私と中下先生は授業の後、二人して市ヶ谷の研究所へお邪魔したのです。それが最初です。そこで小松先生に引き合わされ、同所にも名前の出てくる神崎さん、前田さんとも出会いました。
私が小松先生に初めてお会いしたのは大学院1年の時です。たぶん、秋になっていたのではないかと思いますが、記憶が定かではありません。私の大学時代というのは、ここに書いたような6年間(学部4年に修士2年)でしたが、大学院に入ってから論文の副査をお願いしたこともあり履修した中下正治先生との出会いが、小松先生との出会いの伏線になっています。
※中下先生については、こちらやこちらをご覧ください。
同書には全く名前が出てきませんが、中下先生は小松先生とは若い頃、小松先生がまだ広島におられた頃からの付き合いとのことで、私が出会った時点で、既に50年近い付き合いの友人だったそうです。
小松先生は古典を相当量読みこなしていらっしゃるものの、中国古典をきちんと学ばれたことはなく、中国古典が出典の書などが出てきた時には、しばしば中下先生の手を煩わせることがあったそうです。ただ、中下先生も年齢的に疲れもあったのか、自分の代わりに出典調べと解釈を任せる弟子を捜していらっしゃったようでした。そんな頃に私が大学院に入ってきたわけです。
その当時、小松先生は、既に東博を退官され市ヶ谷で古筆学研究所を開いていました。私と中下先生は授業の後、二人して市ヶ谷の研究所へお邪魔したのです。それが最初です。そこで小松先生に引き合わされ、同所にも名前の出てくる神崎さん、前田さんとも出会いました。
それからしばらく、何回か中下先生を通じて回ってきた中国古典の出典調べと読み下し、解釈をやり、市ヶ谷に届けるようなことをしていました。しばらくし て、中下先生から小松先生のお宅の書庫の蔵書整理を頼みたいと言われ、毎週日曜日に練馬区にある先生のお宅へ通う日々が続きました。
ちょうど『古筆学大成』の最終配本を数ヶ月後に控えた時期で、松原さん、島谷さん、角田さん、久保木さんが黙々と作業をされていました。その横で私は原稿用紙に、書庫にある本の書誌情報を一冊一冊記録していく作業をしていたのです。
国文学は選択授業でも取ったことがなかったので、見る本どれも書名からしてチンプンカンプンでした、でも書誌情報ですからルビを振っていかないとなりません。国書総目録などを引きながらの作業でした。
先生のお宅にはいったいどれだけ蔵書があったのか......。私は自分の家に、たぶん数千冊の本を持っていますが、もう置くところがない、という感じでしたが、中下先生のお宅へ伺って、自分の蔵書など先生の蔵書に比べたら屁でもない、と思ったものでした。しかし、小松先生の蔵書は中下先生の蔵書を遙かに上回るものでした。
ですので、蔵書整理、カード取りといっても一向に終わらず、約1年くらいかかってしまいました。それが終わってお役ご免かと思ったのですが、小松先生は同書にもあるとおり、次から次へと仕事を作られる方です。『古筆学大成』が終わったら、尊氏、著作集と、毎日曜日の作業は果てしなく続くかのようでした。
私も出典調べなどのお手伝いをするようになりました。書庫の蔵書整理をしただけあって、書名が出てきても「あ、確かあの辺にあった本だ」と覚えていたりして、たぶんに重宝がられたのではないかと思います。また小松先生の書状のワープロ清書などもさせていただきましたが、達筆すぎる先生の文字は解読が至難どころか、ほぼ不可能でした。神崎さんをはじめ皆さんに聞きながら確認しながらタイプしたのもいい想い出です。そして慣れというのは恐ろしいもので、そんなことをしばらくやっていると小松先生の達筆も読めるようになってくるものですね。
恐らく私も7年か8年くらい、皆さんに混じって毎日曜日先生の書庫へ作業の手伝いに伺っていました。もちろん、ほとんど役に立たない手伝いだったかもしれませんが、分不相応にも『古筆学大成』の完成パーティーにも参加させていただきましたし、何度か旅行や芝居見物に連れて行っていただいたこともあります。
残念ながら、中下先生は数年前に亡くなられてしまいました。お互いに忙しかったため、晩年は中下先生と小松先生が直接顔を合わせる機会はかなり減っていたと思いますが、中下先生の訃報を聞いて小松先生は是非とも線香を上げに行きたいとおっしゃり、私がお供して中下先生のお宅へお邪魔しました。
中下先生の奥様と小松先生と私と、しばし中下先生の尽きぬ想い出に花を咲かせましたが、その折りに小松先生は色紙に「佛」という字を揮毫されお持ちになりました。この色紙は今も中下先生のお宅、先生が晩年使われていた机に飾られていますが、なんともいえぬ字です。
私はその時まで数年にわたり、小松先生の書かれる字を見てきました。それほどたくさん見てきたと威張って言えるほどのものではありません。でも、そんな目で見ても、この「佛」の文字は、ふだん小松先生が書かれている文字とは全然違うのです。言葉でどう表現していいのかわかりません。一文字、たった一文字なのに、こんなに心のこもった字があるのだろうか、そう思わせる字です。亡くなった中下先生の想い出とともに、思わず涙がこぼれそうになりました、そんな字でした。






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