本の並べ方
平台や面陳や棚差しなど、本屋さんの本の並べ方にはいろいろあって、それがお店の個性であり、担当者の個性であるわけで、本好きなら、そういう違いを見比べるのが本屋へ行く醍醐味、楽しみの一つです。でも、書店員さんからすれば、新刊が入ってくるたびに、「この本は何処へ置こうか?」と思案されているのではないでしょうか?
まあ、半分くらいの本は、どこの棚へ置くべきか、アルバイトの人でもわかりそうなものでしょうけど、それ以外は、「さて、どこへ置くべきか」と悩むような(悩ませるような)本ではないでしょうか? この場合、「いったいどこへ置いたらいいのかわからない!」という悩み方と、「こっちへ置いてもよさそうだし、あっちに置いてもしっくりくる」という悩み方があると思います。
前者の場合、これはあたしたち営業の人間も、しばしば編集の人間に言うのですが、「本屋でどういう棚に置いてもらいたいと思っているの?」という疑問というか不安が、解決されずにそのまま商品になってしまったような事例です。編集者は「こっちの棚でもいけるし、あっちの棚でもいけると思うよ」などと言うのですが、刊行前から二兎を追った本は、ほぼ例外なく失敗します(爆)。
編集者が「こっちの棚」とか「あっちの棚」という場合の「こっち」「あっち」というのは、案外漠然としています。それよりも、紀伊國屋の新宿本店の何階のどこそこの棚で、何々などの本の横に並べて欲しいと、編集部にはそのくらい具体的なイメージを持って本を作ってもらいたいのです。(別に紀伊國屋でなくても構いません、ジュンク堂でも丸善でも三省堂でも、どこでもいいですが......)
そういった編集者側のイメージが固まっていれば、並製にするのか上製にするのか、カバーの感じ、タイトルなどいろいろな要素が決まり、あたしたち営業部が書店で販促するにしても、書店員さんが入ってきた本を手にしたときでも、「ああ、この本はこの棚へ置いてもらいたいんだな」と理解してもらえるというものです。
一方、後者の悩みの場合、これは書店さんがいろいろなところに置いてみたたくなるような本です。あたしの勤務先の本でも、たまにあります。こちらは、甲のジャンルの本だと思って刊行したのに、本屋で棚を見たら一冊も置いてない、探してみたら乙の棚に置いてあった、というパターンです。書店員さんに話を聞くと、きちんと判断して、周囲の本との相乗効果なども考えておいてくれています。
こういう本の場合、甲の棚で売れている書店もあれば、乙の棚で売れている書店もあります。そして、ここからがあたしたち営業部の仕事ですが、甲の棚に置いているけど売れ行きが鈍い書店であれば、乙の棚に置くことを薦めてみたりします。こういう情報交換が営業の愉しさでもあります。
さてさて、前置きが長くなりましたが、ふと最近思ったことを二つほど。
とある書店へ行って人文担当の方と話しをしていて、ふと目に止まったのが新潮社から出たばかりの『絆と権力-ガルシア=マルケスとカストロ
』です。その書店では、同書を<世界史>のコーナーのラテンアメリカの棚に置いていました。が、動きがいま一つだとのこと。
他社の本なので、余計なことを言うのは現に慎まなければなりませんが、雑談の流れで、「世界史ではなく文芸の棚に持って行ってみては?」という話になりました。つまり、中南米史でカストロに興味のある人が、高名な文豪マルケスとの交流に興味を持って本書を手に取ってくれることを期待しているのでしょうけど、果たしてそういう読者がどのくらいいるのだろうか? むしろ、マルケスのファンが「へえー、カストロとの関係について書いた本か」という興味で手に取ってくれる方が、可能性として高いのではないだろうか、という予想です。
ちなみに、新潮社のウェブサイトでは本書はジャンルとして、<文学・外国文学の研究>となっていますから、出版社も基本はあたしと同じスタンスのようです。
他の書店では本書をどこに置いているかわかりませんが、タイトルや表紙を見ると、文芸の棚の本っぽくはないですね。歴史の棚に置いている書店も多いのではないかと思います。もちろん、出版社がどう思おうと、最後に置く棚を決めるのは書店でありますし、極論すれば、本当に棚を決めるのは読者(=お客さん)です。
本屋だって本を売りたいわけですから、より売れる棚に本を並べるわけです。同書も、とりあえずは文芸の棚に置くべきなのでしょうが、一月、二月たって歴史の棚の方が売り上げがよいという傾向が見えてくれば、出版社も書店に対して「歴史の棚の置いてるお店の売り上げが上がっています」という情報を流して、置き場所を変えてもらうようにするでしょう。読者の消費行動が最終決定権を持っているわけです。
こんな本は時々ありますね。徐々に置かれる棚が変わっていって、重版のたびにオビも変わって......。そんな本はベストセラーになり、ロングセラーになります。
そして、もう一つ。
ヒット作、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき
』には、さまざまな反響がありましたが、少し前に朝日新聞の読書欄が『日本語は生きのびるか
』と『日本語は亡びない
』の両書を合わせて取り上げて紹介していたのを読みました。朝日新聞が取り上げた二作品は、河出ブックスとちくま新書ですので、単行本である『日本語が亡びるとき』と一緒に並べている書店は少ないと思いますが、この三作品は絶対に一緒に並べた方がよいと、あたしは思います。
でも、この三つを並べている書店は、管見の及ぶ限り、見たことがありません。新書などと単行本は、棚管理の都合上、一緒に並べにくいという事情はわかりますが。ちなみに、アマゾンでは、『日本語が亡びるとき』を検索しても、「こんな本も買っています」のコーナーにこの両書は挙がっていません。
アマゾンだけで判断してはいけませんが、つまりは、水村さんの著作を買った人には、この両書(「生きのびるか」と「亡びない」)はあまり興味がないということなのでしょうか? それならば、棚の位置は読者が決めるというあたしの考えどおり、リアル書店でもこれらを一緒に並べていないのは理解できますが。その一方、この三書を並べている本屋がないから、そんな本が出ていることに気づいていない読者も多いのではないか、などと自分の考えを弁護してみたりして......(汗)
まあ、半分くらいの本は、どこの棚へ置くべきか、アルバイトの人でもわかりそうなものでしょうけど、それ以外は、「さて、どこへ置くべきか」と悩むような(悩ませるような)本ではないでしょうか? この場合、「いったいどこへ置いたらいいのかわからない!」という悩み方と、「こっちへ置いてもよさそうだし、あっちに置いてもしっくりくる」という悩み方があると思います。
前者の場合、これはあたしたち営業の人間も、しばしば編集の人間に言うのですが、「本屋でどういう棚に置いてもらいたいと思っているの?」という疑問というか不安が、解決されずにそのまま商品になってしまったような事例です。編集者は「こっちの棚でもいけるし、あっちの棚でもいけると思うよ」などと言うのですが、刊行前から二兎を追った本は、ほぼ例外なく失敗します(爆)。
編集者が「こっちの棚」とか「あっちの棚」という場合の「こっち」「あっち」というのは、案外漠然としています。それよりも、紀伊國屋の新宿本店の何階のどこそこの棚で、何々などの本の横に並べて欲しいと、編集部にはそのくらい具体的なイメージを持って本を作ってもらいたいのです。(別に紀伊國屋でなくても構いません、ジュンク堂でも丸善でも三省堂でも、どこでもいいですが......)
そういった編集者側のイメージが固まっていれば、並製にするのか上製にするのか、カバーの感じ、タイトルなどいろいろな要素が決まり、あたしたち営業部が書店で販促するにしても、書店員さんが入ってきた本を手にしたときでも、「ああ、この本はこの棚へ置いてもらいたいんだな」と理解してもらえるというものです。
一方、後者の悩みの場合、これは書店さんがいろいろなところに置いてみたたくなるような本です。あたしの勤務先の本でも、たまにあります。こちらは、甲のジャンルの本だと思って刊行したのに、本屋で棚を見たら一冊も置いてない、探してみたら乙の棚に置いてあった、というパターンです。書店員さんに話を聞くと、きちんと判断して、周囲の本との相乗効果なども考えておいてくれています。
こういう本の場合、甲の棚で売れている書店もあれば、乙の棚で売れている書店もあります。そして、ここからがあたしたち営業部の仕事ですが、甲の棚に置いているけど売れ行きが鈍い書店であれば、乙の棚に置くことを薦めてみたりします。こういう情報交換が営業の愉しさでもあります。
さてさて、前置きが長くなりましたが、ふと最近思ったことを二つほど。
とある書店へ行って人文担当の方と話しをしていて、ふと目に止まったのが新潮社から出たばかりの『絆と権力-ガルシア=マルケスとカストロ
他社の本なので、余計なことを言うのは現に慎まなければなりませんが、雑談の流れで、「世界史ではなく文芸の棚に持って行ってみては?」という話になりました。つまり、中南米史でカストロに興味のある人が、高名な文豪マルケスとの交流に興味を持って本書を手に取ってくれることを期待しているのでしょうけど、果たしてそういう読者がどのくらいいるのだろうか? むしろ、マルケスのファンが「へえー、カストロとの関係について書いた本か」という興味で手に取ってくれる方が、可能性として高いのではないだろうか、という予想です。
ちなみに、新潮社のウェブサイトでは本書はジャンルとして、<文学・外国文学の研究>となっていますから、出版社も基本はあたしと同じスタンスのようです。
他の書店では本書をどこに置いているかわかりませんが、タイトルや表紙を見ると、文芸の棚の本っぽくはないですね。歴史の棚に置いている書店も多いのではないかと思います。もちろん、出版社がどう思おうと、最後に置く棚を決めるのは書店でありますし、極論すれば、本当に棚を決めるのは読者(=お客さん)です。
本屋だって本を売りたいわけですから、より売れる棚に本を並べるわけです。同書も、とりあえずは文芸の棚に置くべきなのでしょうが、一月、二月たって歴史の棚の方が売り上げがよいという傾向が見えてくれば、出版社も書店に対して「歴史の棚の置いてるお店の売り上げが上がっています」という情報を流して、置き場所を変えてもらうようにするでしょう。読者の消費行動が最終決定権を持っているわけです。
こんな本は時々ありますね。徐々に置かれる棚が変わっていって、重版のたびにオビも変わって......。そんな本はベストセラーになり、ロングセラーになります。
そして、もう一つ。
ヒット作、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき
でも、この三つを並べている書店は、管見の及ぶ限り、見たことがありません。新書などと単行本は、棚管理の都合上、一緒に並べにくいという事情はわかりますが。ちなみに、アマゾンでは、『日本語が亡びるとき』を検索しても、「こんな本も買っています」のコーナーにこの両書は挙がっていません。
アマゾンだけで判断してはいけませんが、つまりは、水村さんの著作を買った人には、この両書(「生きのびるか」と「亡びない」)はあまり興味がないということなのでしょうか? それならば、棚の位置は読者が決めるというあたしの考えどおり、リアル書店でもこれらを一緒に並べていないのは理解できますが。その一方、この三書を並べている本屋がないから、そんな本が出ていることに気づいていない読者も多いのではないか、などと自分の考えを弁護してみたりして......(汗)






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