2012年2月 1日

ナナが読みたい?

もうすぐ読み終わりそうな『フランス文学講義』ですが、フランス文学門外漢のあたしでも、この本で取り上げられている作家の名前くらいは聞いたことがありますし、作品名も半分くらいは知っています。ただ、どれも読んだことがないというだけのことです(汗)。

ただ、塚本氏の文章を読んでいると、ここまで分析的に読むのは大学のゼミだけにして欲しいなあ、単純に本を愉しく読むだけで勘弁してね、という気になります。もちろん、あたしが仏文専攻の学生であれば塚本先生の授業は受けてみたいと思いますが。

そんな中、こんな文章が目に留まりました。
誰もが、自分だけはかけがえのない唯一の存在だと思いこんでいるものの、数の中に埋もれてしまえば、他人と区別のつかない存在に過ぎなくなる。(P.130)
あたしは以前から、この逆というと語弊がありますが、そんな感情を持っていました。

つまり自分は所詮大勢の中の一人に過ぎないという感覚です。それはあたしだけのことではないです。ほとんどの人間はみな誰もが特別な存在ではなく、大勢の中の一人、決して特別な存在などではない、という感覚です。ですから、誰かが死んでも悲しくはないし、何とも思わない、思われたくない、という気持ちをずっと抱いてきました。

ですから、この大勢の人の中に溶けてしまうような感覚、よくわかるとは言いませんが、なんとなくしっくり来ます。

それと、ゾラの『ナナ』、読んでみたいですね。コミックの『NANA』ではありません、ゾラの『ナナ』です。この本によると、ミュファ伯爵が年甲斐もなくナナに溺れ、のめり込み、地位も財産も名誉も家族も失ってしまうようなストーリーが紹介されていますが、なんか自分のことを言われているみたいです。「五十代になるまで、青春らしいものを体験しなかった」ミュファ伯爵は、なんとなく自分とダブります。

あたしも、あと数年したら「破滅への旅」に出てしまうのでしょうか? といっても、失うような財産も名誉も地位も家族も、あたしにはありませんけど(笑)。

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