誤用の慣用

間違った使い方ではあるけれど、多くの人が使っていて、もはやそれが一般に通用しているとき、誤用の慣用と言います。よくあるのは、ことわざの意味とか漢字の読み方などではないでしょうか。前者は、時々ニュースにもなりますが、世論調査的なものが文科省かどこかによって行なわれているのでしょうか? 「情けは人のためならず」なんてのが典型的でしょうか?

後者ですと、「消耗品」の「耗」は、ほんらい「もう」などという読み方はなく、正しくは「こう」なのですが、たぶん多くの日本人は「毛」の方に引きずられて「しょうもうひん」と読むようになってしまったのでしょう。

なんで、こんなことを取り上げるのか、と言いますと、今日の営業回りの時の、書店員さんとのちょっとした会話があったからです。

 

肉小説集』、『和菓子のアン』の著者の新刊です。読んだわけではありませんが、見た限り、別にエッチな意味はなく、純然たるお肉のお話のようです。なんで、あえてそう断わるかと言いますと、「肉」という言葉を見ると「肉欲」という言葉を思い出してしまうからです。

と書いてしまうと、あたしがただの変態に思われてしまいますので以下に弁明しますと、かつて勤務先の同僚の女性で、この「肉欲」という言葉を、「お肉が食べたい」という意味だと思っていた人がいたのです。つまり、お昼時に食事に行こうとなった場合、「今日は魚じゃなくてお肉が食べたいなあ」という意味で、「今日は肉欲が盛んなのよ」とのたまう女子でした。

おいおい、間違ってもそのセリフを世間様の前で大声では言わないでね、と祈っておりました。もちろん「肉欲」の正しい意味は調べるように忠告しましたが……

とまあ、肉という言葉を見ると、このエピソードを思い出してしまうわけです。

とりあえず復旧

昨日書いた、わが家のテレビの番組表の件。

ネットを見ると、いろいろ情報がありますが、いったん電源をOFFにして、なおかつコンセントからプラグも外し、改めて電源をONにすると直る、というのをやってみたところ復旧しました。

ひと安心ですが、なぜこれで直るわけ?

やはり、そろそろ寿命なのかという不安は残ります。たびたびこういう症状が出るようであれば、考えないとなりませんね。

そろそろ寿命?

わが家の液晶テレビは東芝のREGZAです。特に可もなく不可もなく、いや機能的には十分使いやすいので取り立てて不満はありません。

ただし、もうずいぶん使っていて、発売開始が2008年の製品です。サイズは46型だったか、47型だったか、そのくらいですから、まあ、大きい方ですね。昨今の4Kテレビや大画面のテレビは60型以上もたくさんありますが、200年当時としては、特に大豪邸に住んでいる金持ちでもない限り、このサイズは比較的大きい方だったと思います。

で、昨日か一昨日くらいから、調子が変なのです。

映らないとか、突然消えるとか、そういった致命的なものではないのですが、意外と困っています。

どんな不調かと言いますと、番組表が取得できないのです。

番組表って、いまどきのテレビは、ほとんどがインターネットに接続するのか、テレビ放送の受信電波を使って、どこからか取得しているはずです。ですから、常にアップデートされているわけで、それに基づいて録画予約などをしているのです。チャンネルと日時を設定して予約をしている人なんて、いまどき珍しいでしょうね。たいていは、番組表を表示させ、見たい番組を選んでOKボタンでも押せば自動で予約が登録されるはずです。

なので、それが出来ないというのは、実はなかなか不便なことです。

そろそろ寿命なのでしょうか? でも、それ以外は機能として問題なく動いています。特に不具合は感じません。画面もきれいです。不満などありません。あえて言えば、3D対応でないことですが、かといって、そんなに3Dの番組、基本は映画でしょうけど、を見ているかと言われれば、そんなことはありません。WOWOWでたまにやりますから、それを3Dで見てみたいなあと思うことはありますが、見られなくても不満は感じませんから、それほど必須の機能とも言えないでしょう。

もう一つ言えば、録画機能でダブル録画ができないことでしょうか? そんなにいろいろ取っているわけではないのですが、意外と見たい番組って重なることがあるのですよね。ふだんは見たい番組がないと文句を言っているくせに、見たいものがあるときは同じ日の同じ時間帯だったりすることがしばしばあります。あるいは全くかぶらないまでも、最初や最後の15分や30分だけ重なるとか、そういうこともしばしばあります。そんなとき、ダブル録画ができるとありがたいところです。

が、それも、わが家の場合、DVDレコーダーが3台あるので、それらを併用すれば事足りていますので、これも絶対必要な機能というわけではありません。ただ、テレビだけで内蔵HDDや外付けHDDに録画できるのであれば、わざわざDVDレコーダーを起動させて設定しなくてよいので、楽と言えば楽ですが……

と言っても、結局のところ、新しくテレビを買うお金もないですし、そもそもこの程度の不具合では買い換えるまでもないですから、しばらくは模様眺めでしょうか? とりあえず、いまは静観します。そのうち、何事もなかったように番組表が復活しているかもしれませんので……

民意とは

スペイン、カタルーニャの独立の是非を問う投票。いや、あれは公式には認められていないので民意調査とかって言うのでしたっけ? そのあたりはとりあえずおくとして……

結果的に8割の人が独立に賛成票を投じたそうですが、全有権者の5割にも満たない投票では、その8割が賛成と言っても果たして民意と言えるのか、判断が難しいところです。

独立の是非を問う投票と聞くと、あたしはすぐにチベットとかウイグルを思い出してしまいます。本当に中国から独立してやっていけるのか、という問題もありますが(それは先日のスコットランドも、今回のカタルーニャも同じだと思います)、中国などを見ていると民族としての誇り、人間としての尊厳が問われているのかな、という気がします。

でも、中国の場合、実際に投票をやったとしたら、既に漢民族の入植が増えていますので、独立は否決されるのではないでしょうか? 漢民族がどんどん入ってきて人口の過半を占めた場合、民意とはいかなるものなのか、単純に多数決で決めてしまってよいものなのか、難しいと思います。

男尊女卑的な?

TBSの枡田絵理奈アナウンサーが広島東洋カープの堂林選手と結婚した(する?)というニュース

女子アナの中では枡田アナが一番好きだったあたしとしてはかなりのショックなのですが、それはさておき、このニュースを聞いてちょっと思ったことを。

とりあえず枡田アナは今のところ妊娠はしていないようですが、アナウンサーを辞めるのでしょうか? 報道では特にそういうことは書いていませんね。でも、キリのよい時期で辞めちゃうのでしょうか?

一般にスポーツ選手と結婚した女子アナは、アナウンサーを辞めて選手の健康管理などに精を出す、というパターンが多いようです。仕事を続けるにしても激務の局アナは辞めて、フリーで仕事選びながらというパターンが多いのではないでしょうか。もちろん、既に引退した選手と結婚したならば、また話は違ってきますが……

ただ、いずれにせよ世間一般は、女子アナの方が仕事を辞めて、旦那さんであるスポーツ選手の心や体のケア役に徹すると考える人が多いようです。その選手が結婚を機に活躍すれば「内助の功」と褒められ、成績が伸び悩めば「女子アナ上がりだから、きちんとしたことができていないんだ」といった具合に責められます。もし仕事を辞めずにいて選手の成績が伸びなければ、それこそぼろくそに言われてしまうでしょう。

でも、皆さんどうしてそう考えるのでしょう?

例えば、スポーツ選手の方が自分のプロとしての実力に見切りを付けていて、それに対して相手は、女子アナとして日本一のキャスターにまで上り詰められそうなくらい優秀であれば、競技を引退し、自分が日本一の女子アナのサポート役に徹するという生き方だったあるのではないでしょうか? あるいは男子アナが女性アスリートと結婚した場合はどうでしょう? 彼女が今以上の実力を発揮して、安心して競技に打ち込めるような環境を作るために、自分がアナウンサーを辞めて彼女のサポート役になる、という選択肢だってあるはずです。

もちろん、そういうカップルは何組もいるのでしょうけど、一般に報道される場合、そのパターンが紹介されることってほとんどないですよね。やはり男と女の役割分担という先入観があるからなのでしょうか? もちろん、二人が相談して、どちらかが仕事を辞めて相手のサポートに徹すると決めたのであれば、それはそれで尊重すべきであって他人がとやかく言うことではないでしょう。だけど、世間はやはり女が仕事を辞めるということを暗黙のうちに期待(?)しているのではないでしょうか?

どうなのでしょうね?

喉が…

相変わらず不調です。10月20日からの関西ツアーに出る前からですから、かなり長いことこじらせていることになりますね。

風邪だったら、いい加減、発熱とか他の症状が出てもよさそうなものの、そういった気配はなく、もしかするとブタクサのアレルギーなのかも、という恐れが出てきました。

この数年、スギ花粉のアレルギーは比較的軽度な症状で済んでいたのに、こんどはブタクサですか?

いや、そんなことはないことをひたすら願うのみです。再来週にはまた京都ツアーがあることですし。

スマホとか、ガラケーとか

「ナンシーはケータイ、持ってないの?」

というセリフは時々言われます。仕事先で聞かれたときはこう答えています。

「うちの会社、社員にケータイ、支給してくれないのよ」

で、たいていの場合、この話題はこれでジ・エンド。不便じゃないか、と言われたりもしますが、今の時代、まだまだケータイが一般的でなかった時代の人が過半を占めているので、「無ければ無いなりに何とかなる」というのが実情です。確かに、今どきの若者のように、いつでもどこでもすぐつながる、というのは便利なようでいてちょっと息苦しいかもしれません。

ただ、あたしのような外回りの営業部門の場合、やはり連絡が取りやすいという利便性もわからなくはないです。それでも、かつては、外へ出てしまったら連絡は付かない、というのが普通であり常識でしたので、それでなんとかみんなやっていたわけですよね。一分一秒を争うようなことなんてなかったとは言いませんが、今みたいにすぐに連絡が取れなければイライラする、なんてこともなかったはずです。

昨今は電話がかかってきて不在の場合、先方も「ケータイ持ってるんだろうから連絡つきませんか?」と言ってくる方もいますね。でも、あたしの勤務先の場合、会社としてケータイを支給していないので、ケータイを持っているかいないか個人任せ、そしてそのケータイに出るか出ないかも個人任せですので、先方の期待に十全に応えられるとは限りません。個人のケータイなら出ようが出まいが会社にとやかく言われる筋合いはありませんからね。

あたしの勤務先を見てみますと、まだまだケータイを持っていない人もいます。全般的に、ネットにしても世間よりは周回遅れ気味な会社でしたので、ケータイも持っていないという人がまだまだいます。ちなみに、あたしは社員の中で誰がケータイを持っていて、誰が持っていないのか、実は正確には把握していませんし、把握しようとも思っていません。持っている人が誰かわかっていないので、当然のことながら、持っている人のケータイ番号やメアドも知りません。知りたいとも思いません。彼らのケータイは、会社で支給したものではないので仕事で使おうという気にはなれないのです。もちろん、プライベートで会社の人と連絡を取り合うということもほぼ皆無なので、やっぱり知る必要を感じないのです。一応、会社の社員名簿を見れば自宅の電話番号はわかりますからね。

では、話は戻って、あたしのケータイです。

あたしはタブレットは使っています。外回りや出張の時、電車を待つ間にメールチェックをしたりするのに使っています。

おいおい、個人所有のケータイを仕事に使いたくないといいながら、タブレットは仕事に使うのか?

と責められそうですが、はい、確かにダブルスタンダードであることは認めます。ただ言い訳をさせてもらえば、タブレットも個人のものですから、メールチェックをしてもスルーすることもあります。メールをチェックしたかしないかはあたし次第です。いえ、わざとスルーするつもりはないのですが、外回りの途次、常に一定の時間感覚でメールチェックができるとは限りません。時には、もう外回りを終えて自宅へ向かう帰路、もうすぐ家に到着という電車やバスの中でチェックするときだってあります。そんなときにメールをチェックをして、午後の早い時間に「すぐ会社に連絡ください」というメールが来ていたとしても、もう詮無いことです。あえてスルーしたのではなく、こういう事態もしょっちゅう起きます。

そして、たぶん、これが一番大きな違いだと思いますが、タブレットは電話としては使えないということです。機種によってはヘッドレストなどを接続して電話機能を使用することができるものもあるのかもしれませんが、少なくともあたしが使っているものにはそんな機能はありません。タブレットも携帯端末の一つですから、機種本体に電話番号は発行されているようです。設定画面を見ると電話番号という項目があります。でも、その番号に電話をかけたらどうなるのでしょうね? あたしのタブレットがブルブル震えるのでしょうか?

というわけで、タブレットの場合、いつでも出なければならない、という束縛感がないのがケータイとの最大の違いではないでしょうか? 昨今「つながり」というのが時代を切り取るキーワードみたいになっていて、そういうタイトルの本も店頭でも見かけますからね。

そんなに他人とつながっていたいのか? あたしなど、そう思ってしまいます。できるだけ他人とは疎遠に、可能な限り表面的なつきあいだけで済ます、それが楽だと思うのですがね。特に仕事上で知り合った人の場合、果たして相手なり自分なりが仕事を辞めた後もつきあいが続くのか……。そう考えると、やはりつながりは最低限度で十分、と思います。別に友達なんか不要だとか、邪魔だとか、そういうことまでを主張したいわけではありませんが。

で、実のところ、あたしもケータイは持っています。いや、ケータイではなくスマホです。ただ、持ち歩いていないこともあります。自宅に置きっ放しになっている日もあります。出張などでは面倒なので、そもそも持って行かないこともよくあります。個人のスマホなので、会社でも特に他の社員に番号を教えたりはしていません。聞かれたときに答えたことがあるので、もしかすると番号を知っている社員が何人かいるかもしれませんが、よくわかっていません。

じゃあ、あたしにも教えてよ、と言われるかも知れませんが、基本的にあたしのスマホは、メールも電話も出られないようにしています。「連絡先」に登録したメアドや番号からしかつながらないように、受信拒否設定をしています。

「なんで、そんなことしてるの? それじゃ使えないじゃない」

と言われそうですが、別に仕事で使うつもりはないので、それで構いません。ですから、登録してあるのは妹と母、それと自宅くらなものです。登録されていないとつながらないので、公衆電話からもかけられません。会社からもダメです。くどいようですが、仕事で使うつもりがないので。プライベートでも友だちがいないので、登録されている人はいないのですが……(汗)

ただ、ごく稀に、数年に一人くらいの割合で、アドレス交換と言いますか、ちょっとした弾みで「連絡先」に登録することがあります。たぶん、交換した直後は数往復のやりとりがあるのでしょう。しかし、2、3ヶ月やりとりがなくなると「連絡先」から削除してしまいます。2、3ヶ月もやりとりをしなければ、もうやりとりすることはほとんどなくなりますので、そんな人まで「連絡先」に登録しておくのは邪魔なのです。

ですから、久しぶりにメールでも送ってみようと相手が思って、実際にあたしにメールを送ったとしても、受信拒否、着信拒否になって送れません、届きません。そもそも、「ケータイの番号を教えて」とか、「ケータイのメアド教えて」と言われて教えてあげるぶんには否とは言いませんが、相手のメアドや番号を「連絡先」にあたしが登録するかどうかは保証の限りではありません。あたしが登録しない限り、あたしにはつながりません。それでは相手に失礼なので、あたしは原則として「ケータイは使ってない」で通しております。

そうなんです。最初のやりとりでもそうですが、あたし、「ケータイを持っていない」とは基本的に言いません。「会社が支給していない」とか、「使っていない」という答え方でのらりくらりとかわしています。

幻視?

極めて不謹慎なのはわかっていますが、このところ、いや、以前から街中でよく見かけるポスター、いえ、書店に行けばたくさん並んでいるこの本。

この表紙というか、タイトルを見るからなのでしょうね、あたしにはどうしても「マララ」ではなく「アラマタ」に読めてしまうのです。で、「アラマタ」に読めてしまうので、カバー画像もそんな風に見えてしまいます。

いや-、たいへん不謹慎なのは重々承知しているのですが、見えてしまうものは仕方ないです。ごめんなさい。

三位一体は?

パシフィコ横浜で行なわれていた図書館総合展人文会でブースを出していたので、あたしも当番で参加しました。そして昨日は人文会主催のシンポジウムもあったので、それも聞きに行きました。

さて、そのシンポジウム、タイトルは「専門書出版社と大学図書館」です。大学図書館とその選書、蔵書に専門出版社の書籍は度のような位置を占めているのか、ということです。出版社側から言えば、大学図書館というのは専門書の非常に大事なお客様で、利用者(読者)と専門書との親和性が非常に高いと考えられます。簡単に言えば、専門書というのは大学の先生や大学の図書館、研究室で買ってもらえるから商売として成り立つ、という面があるわけです。

そんなお得意様である大学図書館ですが、近年は電子書籍の比率が高まってきているようです。予算ベースではその過半を電子書籍や電子雑誌が占めているようですが、たぶん電子ものの価格がまだ高いという事情もあるのではないかと思います。が、それでも時代は紙から電子へと移っている、そういうことはわかりました。なによりも収蔵スペースの問題という物理的な困難が立ちはだかっていますから。

そんな話を聞きながら、出版社の人間として、ここは出版社と大学図書館だけではなく、大学生協(丸善や紀伊國屋書店、三省堂書店など、生協ではない学内書店も含む)も協力して専門書を盛り上げることは出来ないかな、という気がしました。一般に図書館と書店は対立し合うものと言われてきましたが、そんな話は今は昔、ツタヤが運営している図書館ではありませんが、昨今は図書館と書店が協力して、本を読む人を増やすために努力している事例が多くなっています。

だったら、大学という場でも、図書館と書店である生協が協力できることは多分にあるのではないでしょうか? 営業で、各地の大学生協を回っていて感じるのは、年々生協の書籍売り場が縮小されているということです。もちろん元気な書籍売り場も多いですが、一年ぶりに訪れたら三分の二くらいにスペースが減っていたなんてこともざらです。書籍は売れない、儲からないという厳然たる事実の前になすすべもなく縮小して行ってしまっているようです。

でも、大学図書館同様、大学内の書店は非常によいお客さんを抱えているはずです。はっきり言って、街中の書店なんかよりもはるかに本に親しんでいる人たちがお客としているわけですから。特に専門書になればなるほど、街の本屋よりは学内の書店の方が売れる可能性が高いはずです。そんな地の利を活かせないはずはない、と思います。

比較的元気がある生協、頑張っている生協というのは、よくよく観察していると大学の先生方がよく訪れ、本を買っている気がします。先生方がほとんど来ないような生協は学生もほとんど来ません。雑誌を立ち読みし、パンやドリンクを買いに来るのが関の山です。本に目を向けるのは教科書を買うときだけという有り様です。ですから、生協は学生をないがしろにしろとは言いませんが、まずは先生を店舗に呼び込むことを目標にしてみたらどうでしょうか?

そんなとき、大学図書館と協力して何かできないものでしょうか? 図書館で所蔵する貴重な図書を利用して展示フェアをやりつつ、その関連書籍を生協でもフェア展開する、といったことが思い浮かびます。それ以外にも、街の書店と地域の図書館のコラボは最近増えていますから、そんなところにもヒントは転がっているのではないでしょうか?