他人の褌で相撲を取る[海外文学篇]

柏書房から『サリンジャーと過ごした日々』という本が刊行されました。どうやら『ライ麦畑でつかまえて』『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の著者、J.D.サリンジャーが登場する小説のようです。

 

『ライ麦』を出版しているところの者としては非常に気になる作品です。サリンジャーと言えば、少し前には本格的な評伝『サリンジャー 生涯91年の真実』が晶文社から出ていましたね。

死してまだ話題になるサリンジャー。後半生がほとんど謎だったからでしょうか? 永遠のベストセラー「ライ麦」とサリンジャーは書店の海外文学のコーナーでは必備の書籍ですが、こういうふうに周辺の書籍が増えてくるとやはりまた活気づくものです。

柏書房の新刊が出た機会に、サリンジャー・フェア、やれないものでしょうか?

クローヴィス物語

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。

他人の褌で相撲を取る[語学書篇]

書店の語学の棚でこんな本が並んでいるのを見かけました。

 

IBCパブリッシングの『やさしいフランス語で読む シャルル・ペローのおとぎ話』と『やさしいフランス語で読む 星の王子さま』です。並んでいたのはこの二点だけですが、カバーにはあと二点載っていましたから、全部で4点刊行されているようです。

こういうフランス語の読み物、結構需要があるみたいですね。NHK出版もこの種の書籍を刊行しています。

 

 

フランス語で読む12のおとぎ話』『フランス語で読む5つの物語』『フランス語で読むモーパッサン』『フランス語で読むアルセーヌ・ルパン』です。

かつて、このようなちょっとした読み物の対訳や語学書はそれなりに需要があって出版もされていたのです。ところが第二外国語の履修が必修ではなくなり、大学一年次で語学の授業は終わりといった流れになり、文学作品の講読まで進むことが時間的に難しくなり、なおかつコミュニケーション重視といった語学学習の流行もあって、出版各社がこういう書籍から手を引いてしまったという歴史がありました。ちょうどそのころにインターネットの普及も手伝って、文学作品などはネットで手に入るようになり、わざわざお金を出して日本の出版社から出ているものを買おうという感じではなくなってしまったのです。

しかし、先ごろ、あたしの勤務先から『対訳 フランス語で読む「赤と黒」』という語学書を刊行したところ、思いのほかヒットし、今も着実に売れるロングセラーとなっています。

世間が一回りして、再びこういった対訳ものへの需要が高まってきたのだと思います。もちろん、かつてのような対訳本や語学書をそのまま復刊してもダメでしょう。やはり今風の編集を施さないと読者はついてきてくれません。しかし、各社がここへ来てこれだけ参入してきたとなると、それなりの鉱脈ではあるはずです。まずは他社の本もしっかり売れて、このジャンルが書店店頭で盛り上がり、書店の方に「これ、売れる!」と認識してもらうことが肝心だと思っています。そうすれば、あたしの勤務先の『赤と黒』もさらに売れるようになるでしょう。

どっかで、これらを集めてフェアでも大々的にやってくれないでしょうか?

死んでいたかも知れない

昨日、Facebookに

願わくは
花のもとにて
春死なむ
その如月の望月の頃

なんて投稿をしてしまいましたが、別に死のうなんて思っているわけでもなければ、死にたいと思っているわけでもありません。この句が好き、人間いつかは死ぬわけだけど、こんな死に方ができたら理想だな、とは思いますが、まだまだ遠い先の話のことです。

もちろん、エイプリルフール・ネタというのでもありません。昨今、SNSに「これから死にます」的な書き込みをする人も増えているようですが、あたしはそんなことをするつもりはありません。ただ、もしできるのであれば「今し方死にました」という書き込みをしてみたいとは思います。

死んだら書けないでしょう? うーん、そうですね。でもWordPressには投稿予約という機能がありますので、やってやれなくもないですが……

ただ死と言えば、2月の初めに意識を失って倒れてケガをして以来、いつなんどき死ぬかも知れないという気持ちは少なからず芽生えました。その後、3月には関西ツアーに行きましたが、行く先々の書店で「もしあの時打ち所が悪くて死んでいたら、今回、全然知らない人が関西に来ていたかも知れないね」なんて話をしていました。「あれ、ナンシー、どうしたの? どうして来ないの?」と聞かれた関西新担当が、「あっ、ナンシーは先日事故で死にました」なんて、しらっと報告するというのもちょっと面白いかななどと思ったりします。

死を冗談にするのは不謹慎ですが、少なくともあたしは自分から死のうとは思いません。別に宗教的な理由とかではなく、人生を全うできずに途中で命を落とすというのは嫌だなと、単純に思うだけです。

それでも人生で死にたいと思ったこと、生きているのが嫌になったことは一度だけありまして、それは小学生のころ、今ほど陰湿ではないにせよ、クラスで仲間はずれというか、嫌われ者になっていて、もちろん友達と呼べるようなクラスメイトもいなくて、そんな学校生活が嫌になって、「もうどうでもいいや」と思い詰めたことがありました。後にも先にもその時が死にたいと思った唯一の時です。

いや、たぶん死というものがどういうものかよくわかっていなかったと思うので、死にたいと言うよりは、生きているのが嫌になったと言った方が正確かもしれません。ただ、死にたいとは思わなくなりましたが、その時以来、世の中のことや他人に対して「どうでもいいや」と思うようになったのは、今に至るも治りません。