プチ断捨離

ふと思い立って、この連休に部屋の片づけをしてみました。片づけとは言っても要らなくなった本を捨てるだけですが……(汗)

基本的に、あたしは本を捨てないタイプなのですが、さすがにPC関係のマニュアルとかは、そもそもそのハードが既にない、ソフトもバージョンアップして使っていない、といったものばかりで書棚に並べていたって開くことはこの数年来なかったわけですから、もう捨ててしまっても構わないだろうと判断したわけです。

PCのマニュアルなどって、そもそも皆さんちゃんと読むことあるのでしょうか?

これはタイプが分かれるみたいですね。マニュアルなどを全然見ずにいきなり機械をいじくり始める人、きちんとマニュアルを読んでだいたいの段取りを頭にたたき込んでから機械に触る人、の二通りに。あたしはどちらかというと後者です。さすがに徹底的に読むわけではありませんが、一応は付属品は揃っているかは確認し、「インストールの仕方」とか、「初めにお読みください」といったものには目を通してから始めます。何も読まずにいきなり始めるということはしません。

で、そのマニュアル類、あれほど素人には意味不明の言葉が並んでいる書籍も珍しいくらいわかりにくいものです。だから、あれだけ分厚くて、ソフトによっては何冊も付属しているマニュアルがあるにもかかわらず、市販のマニュアルが作られるし売れるのでしょう。あたしも製品付属のマニュアルだけでなく、何冊か市販のマニュアルやガイドブックを持っていました。これらをひと思いに処分しようと思ったわけです。

これらのマニュアル、分厚くて、しかも何冊もあると上に書きましたが、その上、アート紙を使っているからか、どれも思いのほか重いです。あまりたくさん積み重ねて縛るとゴミ捨て場に持って行くのも大変な重さになってしまいます。なので適当な分量ずつに分けて縛りました。ちなみに、わが家の地区では本日火曜日が本や段ボールなど資源物の回収日なので、本日朝、それらをゴミに出した次第。

部屋はスッキリしたかって?

PC関係の本は、あたしの部屋の中ではそれほどのスペースを取っていたわけではないので、これらを処分したからといって部屋が片付いたような気はしません。それでも宿痾の一部が取れたような気はします。空いた書棚に何を並べようか、それをこれから考えます。

実は、このところ展覧会の図録を入れる場所がなくて床に重ねて積んでいるので、これをなんとかしたいと思っています。でも展覧会図録ってかなり大きなサイズで、普通の書棚ですと高さが入らないんですよね。PC関連の本を入れていたのは安いカラーBOXで、これが今回空いたのですが、高さが入らず、ここに展覧会図録を入れるのは断念せざるを得ません。なかなか難しいものですね。

途中で止まる

少し前に音楽CDを取り込む「I-O DATA CDRI-W24AI」という製品についてリポートしました。

このところ出番がなかったのですが、音楽CDを買ったので取り込もうと思って久しぶりに使ってみました。ちなみに、購入したCDは「イン・ザ・ブリンク・オブ・アイ」です。

TOTOです。懐かしいですね。知らない人も多いでしょうし、たぶん便器メーカだと思っている方も多いのではないでしょうか? 確かにトイレに入るとかなりの確率でこの4文字を見ますね。でもあれば本来は「東洋陶器」の略、こちらはトトというアメリカのロックバンドです。

たぶん、あたしが中学生から高校生のころに流行っていたと思います。「アフリカ」とか「ロザーナ」が大ヒットしたのがそのころだったと記憶しています。

当時は洋楽の全盛期と言ってもいい時代で、マイケル・ジャクソンやプリンス、マドンナやシンディ・ローパーと言ったソロ・アーチストの他に、バンドではTOTOやジャーニーなどもいて、その他にはデュラン・デュラン、カルチャークラブ、カジャグーグーなんてのもいました。そうそう、エアサプライとかフォリナーなんてのも好きでしたね。スティングもこの頃はまだポリスをやっていたのではなかったでしょうか?

閑話休題。

で、このベスト・アルバムを取り込もうと思いまして作業を始めました。CDプレーヤーはしっかり認識され、アルバム情報も取得されました。さあ、取り込みと思ってスタートすると、1曲目から取り込みを開始します。ところが3曲目、4曲目くらいでプレーヤー「CDRI-W24AI」が止まってしまい、「取り込みを中止しました」というメッセージが出るのです。何回かとライしましたが結果は同じです。

CDのコピーガードについては、そんなプロテクトがかかっているCDではありません。Androidが少し前にバージョンアップされ、スマホなどのSDカードにはデータを保存できなくなりましたが、その影響なのでしょうか? これまでのようにSDカードを保存先にしていると転送できない旨のメッセージが出ます。

なので、この製品に対応しているネットワークHDDを持っているので、そちらを保存先に選んでいるのですがが、それでやった結果が上述の通りなのです。ちなみにSDカードではなく本体を保存先にしても空き容量が足りないというメッセージが出るので保存できません。

うーん、なんでできないのでしょう? わかりません。また試行錯誤の祝日となりそうです。

極めて現代的な~『クリミア戦争』~

またしても、ちょっと時間がかかってしまいましたが、『クリミア戦争(下)』読了しました。

 

先にも書きましたが、クリミア戦争ってつくづく面白い戦争だと感じました。

まず対立の構図ですが、トルコ対ロシアです。オスマン帝国はイスラム教、ツァーリが治める帝政ロシアはロシア正教ですから、一見するとイスラム教対キリスト教という宗教戦争の構図です。が、キリスト教国であるイギリスとフランスがロシアではなくトルコの側についてロシアと戦ったわけです。そこにはキリスト教の中のロシア正教とローマ・カトリックという対立軸があるわけで、さらにはイギリスはカトリックではなくイギリス国教会ですので、イギリスとフランスも決して一枚岩というわけではありません。

ではなんでこんな構図になったのかというと、結局本書を読んでいて感じたのは「ロシア憎し」というヨーロッパ諸国(この場合は英仏ですが)の意識です。特にイギリスには、ロシアが少しでもヨーロッパに入って来ようものなら絶対に許さない、徹底的に戦って追い出す、ヨーロッパには一歩たりとも入れないぞ、という意志があったようです。ですから、その萌芽となりそうなバルト海への進出、黒海への進出、カフカス地方への進出といったロシアの拡張政策をことごとく潰しにかかるわけです。英仏にはロシアに対する憎しみだけでなく、その後進性ゆえの蔑視が非常にあったことも見て取れます。いまだ帝政の後れた国にわれわれが敗れるはずがないという自信、そんなものも感じられます。

で、本書ですが、上下巻を通じて、当事者であるトルコは蚊帳の外的な印象が強いです。所詮、英仏から見たらトルコもロシアも後れた野蛮な国、という意識があったみたいで、衰退の兆しが見えるトルコはともかく、強大な軍隊を要するロシアの膨張政策はとにかく驚異だったようで、それを挫き、ロシアの野望を粉砕するのが目的の戦争だったようです。

それにもかかわらず、英仏の指揮官たちは本当に戦う気があったのか、少なくともどんな風にこの戦争を終わらせるつもりだったのか、本書の記述を読んでいると実にだらだらとした戦いが続いて嫌になります。実際に戦地で戦っていた兵士たちはもっと悲惨だったのではないでしょうか? イギリスはとにかくロシアを止めたい、という思いらしいですが、一方のフランスはナポレオンの栄光よ再びというナポレオン三世の時代ですから、やはり英仏は同床異夢ですね。

本書のような書籍を「戦記物」に分類できるのかわかりませんが、全編を通じて緊迫した戦闘場面はほとんどなく、むしろ本当に戦争中なのかと思えるようなのんびりした展開が多いです。数時間戦ったら死体や負傷者の回収のために数時間の停戦があるなんて、ちょっと信じられない戦いの現場です。

そして一応は戦争が終わったにもかかわらず、イギリスは不完全燃焼、フランスはロシアと手を結んでオーストリアを牽制などという遠交近攻、合従連衡のヨーロッパ情勢です。ですから本書は最初の章と最後の賞がそういった国際政治の生々しさを描いていて一番テンポよく読めました。

そして、これも先に書いたことですが、クリミア戦争当時のヨーロッパはとても160年前のこととは思えないほど現在の状況に符合するように思えます。後れてやってきた巨大な国というのは本書で言えばロシアですが、現在のアジア情勢に照らしてみると間違いなく中国です。スラブ民族が雑居している東ヨーロッパは、さしずめ華僑が多く住んでいる東南アジアのようで、ロシアの進出・膨張をなんとかしたい英仏は、まさに日米という構図ではないでしょうか?

歴史を鑑とすべきと改めて思わせる本です。

天才の習慣

有村架純主演の映画「ビリギャル」ですが、書籍も相変わらず売れているのでしょうね。はい、『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』のことです。

ただ、この類いの本って昔からありますよね。「学校一の落ちこぼれが……」とか、「地域ナンバーのワルが……」といった話です。元暴走族が弁護士になったとか教師になったとか、実は掃いて捨てるほどあるのではないでしょうか?

あたし自身、出版業界にいる人間として、なにはともあれ本が売れてくれるのは嬉しいことですし、売れる本が出てくるのも好ましいことだと思っています。ただ、個人的な感想を言えと言われたら、こういう本がもてはやされる風潮って好きではありません。

ダメだった子が努力して頑張って、最後に夢をつかんだというストーリー、確かに清々しくて、キラキラしていて、嬉しい気持ちになるのかも知れません。

でも、あたしは思うのです。そんな落ちこぼれが頑張るのをもてはやす前に、普段から地味だけどきちんと努力して、そこそこの成績を収めている人をもっと称えるべきではないのか、と。東大に合格するのだって、弁護士になるのだって、医者になるのだって、普段から地道に努力して、決して目立つようなことはなかったけれど、目標に向かってしっかり努力を続けてきて、その結果として目標を実現する、それが大多数の人だと思います。そういう普通の人をもっと褒めてあげるべきではないかと、あたしは思うのです。

普通の人をもっと褒めてあげないと、普通に努力することがバカらしくなってしまいます。そういう風潮が一番怖い、そう思います。しかし、世の中の人は、そんなつまらない努力、地味で目立たないこと、華々しさに欠けるストーリーには興味ないんですよね。本屋映画もヒットしないでしょうし。

たぶん、そういう劇的なことが好きだからなのでしょうか。最近はこういう本も売れているみたいです。

 

天才たちの日課』、そして『偉大なる失敗』です。天才と呼ばれた人々が何をしていたか、それがつまらない習慣だろうと失敗談だろうと、最後は天才としての栄光に結びついたのだと考えて、それを参考にしようと思うのでしょう。書かれている内容が劇的かどうかはともかく、そして彼らの生涯が劇的であったかもおくとして、やはり天才と呼ばれる人、つまり普通ではない人に憧れる気持ちがあるのでしょう。

だったら、こんな本、痛快で面白いと思うのですが。

バンヴァードの阿房宮』です。サブタイトルは「世界を変えなかった十三人」、「大きな夢と才能を持ちながら歴史に名を残せなかった人々」の物語、つまりは失敗者列伝です。成功した人よりも失敗した人に学ぶことの方が多いのではないでしょうか? この本は笑えますし、涙も誘われます。

敗北を抱きしめているか?

TBS系「報道特集」にジョン・ダワー氏が出ていました。キャスターがアメリカでロング・インタビューしたもののダイジェスト放送のようでした。なかなか興味深く、考えさせる内容でした。

 

ジョン・ダワーと言ったら、これ、『敗北を抱きしめて 上』『敗北を抱きしめて 下』でしょう。あたしは未読ですが、今宵のインタビューを聞いていて、やっぱり読んでみようかなと思いました。たぶん、あたしのようにこの番組を見て「改めて読んでみようと思った」とか、「こんな本が出ていたんだ。初めて知った」とか、そんな感想を抱いた人も多いのではないでしょうか? 「報道特集」の視聴率がどのくらいあるのか知りませんが、こういった番組を見ている人であれば、この機会に『敗北を抱きしめて』に手を伸ばそう考える人もそれなりに多いのではないでしょうか?

となると、あたしの勤務先の『廃墟の零年1945』も再び売り上げが上がってくるのではないでしょうか? そんな期待を抱きたくなりますし、実際そうなって欲しいですし、そうなるだけの内容を持った本であると自負しております。なにせ、オビには「『敗北を抱きしめて』の世界版」なんて書いてありますし……(汗)

しかし、この手の戦後70年の議論を見たり聞いたりしていて素朴に思う疑問がいくつかあります。

まず、時代に合わせて憲法の内容も見直すべきだ、という原則論は賛成しますし、環境権とか、現憲法の成立・施行時には想定もされていなかったような部分を補わなければならない、という意見にも異存はありません。ただ、憲法って原則中の原則を示すものであって、そんなに細かなことまで書いてなければいけないものでしょうか? それに象徴でもある9条を改正するというのは、海外へのアピールという面から考えて、プラスよりもマイナス面の方が大きいのではないか、という気がします。

改憲論議で言えば、自主憲法にこだわる人の意見も理解に苦しみます。憲法ってその内容を云々するのはよいとしても、誰が作ったかなんてどうでもよいのではないでしょうか? 少なくとも、どこの馬の骨が作ったというわけではないのですし、世界に誇れるすばらしい内容なのに、自分たちが作ったものでないから変えるべき、というのは説得力を感じません。

あと、いまの自民党は戦争がしたくてしたくてたまらないみたいに見えますが、この話は湾岸戦争のころから聞こえてきたように思います。そして、そのころからやはり言われるようになったと思えるのが「普通の国」という単語です。曰く、日本も普通の国になるべき、と。「報道特集」でダワー氏も言っていましたが、この「普通の国」っていったいどんな国なのか、その定義を聞いたことがありません。少なくとも自民党の人たちから、納得のいくような「普通の国」の定義を説明された覚えはないと思います。

「普通」と言えば、いまの状態が普通ではなく、それはよくないことであって、一刻も早く「普通」にならないといけない、という錯覚を生むのではないでしょうか? 「普通の国」という言い回しを考えた人は実に頭がよいというか、悪知恵が働くというか、底意地が悪いというか、ずる賢いというか、そんな人だと思います。

   

とりあえず、ジョン・ダワーの本がまた売れるのではないでしょうか? それでなくとも今年は戦後70年なので売れそうな気配がありますが……

サファリの次はジャングル

世間はゴールデンウイークだそうです。

あっ、あたしも休んでおります。暦どおりなので、5連休ということになります。はっきり言ってこんなに長い休みは要りません。だったら出社して仕事するから、今月後半とか祝日のない6月に振り替えさせて欲しいと切に願います(笑)。

それはさておき、今朝も4時前に目が覚めました。休みだからもっと寝ていてもいいのですが、起きてしまいました。ただ、今日は会社へ行く予定だったので、早起きする必要もあったのです。

今週の月曜日、岸田賞の授賞式があって、その会場で飾られていた花、一部は受賞者の方やスタッフなどお客さんに差し上げたのですが、大きな鉢に入った豪華な花がそのまま残ってしまっていて会社に置いておいたのですが置き場所にも困るし、これから連休で誰も世話ができない、という事情からわが家で引き取ることになりました。でも、そんな大きな鉢、とても電車に持ち込めませんので早起きして自家用車で会社へ向かったというわけです。

5時前に自宅を出て会社着は6時ころ。ちょっと雑務をこなした後、花を車に積み込み、6時半すぎには会社を出発、8時前には自宅へ戻りました。やはり行きの方が空いてまして時間も多少少なくすみました。往復ともに高速を使わず1時間程度ですからスムーズなものです。そう言えば、神保町の靖国通りでカーブを曲がりきれなかったとおぼしき車が中央分離帯にぶつかってぺしゃんこになっていました。朝っぱらか事故とは……

さて、そんなわけで早々と戻ってきましたので一日のんびりできます。映画鑑賞です。今回はこちらです。

 

ジャングル」です。先日「サファリ」を見て、こんどはジャングルとは、われながら笑ってしまいます。本作もモキュメンタリーです。ヒョウの研究と保護を仕事としている弟(主人公)とカメラマンの兄がインドネシアのジャングルへ向かいます。現地スタッフ2名とともに絶滅が危惧されるジャワヒョウの生態を記録するためです。

さて、目的の生息地であるジャングルは地元住民は悪魔が棲む場所として恐れていて近づこうとしません。それを幸いと密猟者が跡を絶たないのでしょう。そんな会話を交わしながら主人公たちもジャングルに入っていきます。その前に現地のシャーマンのような男からもこの森は危険であると警告されますが、この手の映画に出てくるアメリカ人は判で押したようにバカ丸出して、そういう忠告を無視し、自分こそは正義だと言わんばかりに危険に向かって突き進みます。

大した映画でもないので結論を書いてしまいますと、結局、密猟者と鉢合わせすることもなく、ジャングルを進みますが、最後の最後で全員、得体の知れない生物に襲われ4人全員がやられてしまいます。

彼らを襲ったのは何か?

巨大な殺人ヒョウ? 最初はそんな可能性を感じさせる会話があるのですが、姿がほとんど出てきません。襲われるときもラストシーンまで姿は映りません。で、最後に主人公たちが襲われるシーンでカメラに捕らえられた犯人は、実ははっきりとは映っていないのですが、二足歩行をした毛むくじゃらの生物。森に棲む悪魔ってことなんでしょうが、それがよくわかりません。毛皮を着ただけの、まだ発見されていない原住民と言えなくもないです。

この映画の最大の問題点は、森の悪魔の仕業にするのであれば、そういった恐怖をストーリーの半ばくらいから少しずつ見せていかなければならないと思うのですが、ほぼ最後の方まで野生のヒョウが襲ってきたら怖い、その他にもジャングルには危険生物がいっぱい、その他にも荒っぽい密猟者が銃を持ってうろうろしているのではないか、といったいたって文明的な理解の範囲の中で進むのです。決して科学では理解できない事態が起こるわけではありません。

これでは怖くなって戻ろうという現地スタッフの意見に説得力を感じません。「もう少し調査を進めないと」という主人公の意見の方がもっともに聞こえます。そして四人の登場人物が襲われるのも、襲われるというよりも突然消えると言った方がよい感じですから、何が起こったのかわかりません。そう、何が起こったのかわからない恐怖というのは現実にはあるのでしょうが、映画としては「置いてけぼり感」だけが残り、恐怖を感じることはありません。

で、最後の最後に登場した毛むくじゃら。

あれは何? 非常にチープな被り物、着ぐるみにしか見えませんでした。もう少し早くに姿を現わして、主人公たちとの死闘が繰り広げられればスリリングになったのでしょうが、あの造形では怖いと言う感じが出なかったかも知れませんね。

マグリット的なるもの

国立新美術館マグリット展、仕事帰りに行って来ました。もう少し混んでいるかと思ったのですが、意外と空いていました。やはり展覧会は、このくらいの混雑具合、空き具合がいいですね。東博や都美、西美などで門の外まで並んでいるような展覧会は異常だと思います。

さて、マグリット展。マグリットの時代を追って作品が並んでいるのですが、あたし程度の素人だとマグリットと言って思い出すような作品と言えば展覧会ウェブサイトにも載っているような空と雲をモチーフにしたものとか、森と騎馬人物などでしょうか。

しかし今回の展覧会で、あたしなどが知っているマグリットというのは本の一部にすぎない、ということがわかりました。初期のころは、「えっ、これがマグリット?」というような作品で、むしろ誰とにわかには言えないのですが、なんとなく誰かの作品っぽいものが多い気がしました。その後もシュルレアリスムの時代のマスクをかぶった恋人などはどこかで見覚えのある絵ですが、なんか暗い感じがしました。

そして徐々に明るい空を描くようになってくるのですが、それでもどことなく暗い影が見え隠れする作品が多いようで、それがマグリットなのでしょうね。途中、ロートレックっぽい作品とか、アメリカンコミックのような作品も織り交ぜられていましたが、マグリットの作風もかなりの紆余曲折があるんだなあと思いながらの鑑賞でした。

さて、いつものように図録を購入しましたが、一筆箋は売ってなかったですね。せっかくこれだけ面白い絵が展示されているのですから、それをモチーフにした一筆箋があってもよさそうなものなのに、と思ったのですが、ショップでは見つけられませんでした。そして、あたしのお目当てのネクタイですが、実はショップでは一つ売っていました。「ゴルコンダ」という作品に登場する山高帽をかぶった紳士がたくさん登場する図柄のネクタイでした。しかし、やや黄色が買ったベージュ一色で、紳士もよく見ないとわかりにくい代物だったので、そんなネクタイに1万円近くも払うわけにはいきませんので諦めました。個人的には「白紙委任状」「空の鳥」「恋人たち」をあしらったネクタイがあればと思ったのですが残念です。