目覚まし時計の存在意義

朝なかなか起きられない、という人がいます。あたしの親戚など周囲にもいますし、テレビを見ていると芸能人がそういう発言をしているのを聞くこともあります。だからマネージャーに起こしてもらっているとか。

起きられない人の話を聞くと、目覚まし時計をいくつ鳴らしてもダメ、という人が見受けられますが、そういう人って無意識のうちに鳴っている目覚ましを止め再び眠りについてしまうのでしょうか? それとも鳴りっぱなしでもまるで動じず、平気で寝ていられるのでしょうか?

いずれにせよ、あたしには理解不能な人たちであり、どうみてもたるんでいるとしか思えません。別に何時まで寝ていようと構いませんが、遅刻だけはしないでほしいと思います。それさえ守ってくれれば、あたしには何の関係もないことですから、どうでもいいことです。

さて、翻ってあたしですが、このダイアリーにしばしば書いているように、朝は早いです。今朝も5時半に起きました。別に早くから出かける用事があるわけではありません。そんな用事は何もなくても、朝は早く起きます。休みの日でも同じです。

「休みなんだから、もう少し寝ていればいいじゃない」と言われなくもないですが、そうするとその日の晩になかなか眠れなくなり、そうなると次の出勤の日の朝が辛くなる、という悪循環に陥ってしまうので、休日でも平日とそれほど変わらないように心がけているわけです。それでも普段よりは一時間以上遅いのですが。

で、そんなに早く目覚めるわけですが、目覚まし時計を使って起きることはまずありません。もちろん枕元に目覚まし時計は置いてありますし(しかも電波時計!)、毎晩寝るまえにはアラームのスイッチをオンにしてから床に入りますが、目覚ましが鳴るまで寝ているのは年に数回あるくらいで、たいていは目覚ましが鳴る前に起きてしまいます。

そんなに早く目が覚めるので、昼間、特に午後の書店回りの時は異動の電車の中でしばしば睡魔に襲われますし、夜も8時すぎには眠くなってきてしまいます。だいだい普段ですと、8時半くらいには布団に入って、少し本を読み、9時や9時半くらいになると睡魔が襲ってくるので、そのまま就寝というパターンです。

そのくらいの時間に寝ると、まず夜中の11時とか12時くらいに一度目が覚めます。トイレに行くこともあれば、そのまままた眠りにつくこともありますが、たいていは一度目が覚めます。たぶん最初の2時間から3時間くらいでものすごく深く眠ってしまっているのではないかと思います。

そして次に目覚めるのが、だいたい明け方というか夜中というか、2時から3時くらいです。そこから二度寝して4時前くらいに起きる、というのがいつものパターンです。日ごろの習慣になっているので、寝過ごすということもほぼなく、きっちりと目が覚めます。あるときなど、二日続けて同じ時間に目が覚めました。それも枕元の時計を見ると秒まで同じ! ここまで計算され尽くしたような日常を送っていると自分が怖くなります。

100分では物足りない荘子

紀伊國屋書店新宿本店の3階、人文書コーナーで、明治書院さんのフェア「四書から始める中国思想」をやっていました。あっ、フェアのタイトルが間違っていたらゴメンナサイ、メモしてこなかったのでうろ覚えです(汗)。

それでも、ずらりと並んだ新釈漢文大系は圧巻です。それと共に新書漢文大系も並んでいます。中国学を学んだ者の端くれとして新編漢文選が並んでいないのが残念ですが、まあ、軽く指摘するに留めておきましょう。

このような漢文大系、あたしが学生のころはこの明治書院の大系の他に、冨山房の「漢文大系」、集英社の「全釈漢文大系」、明徳出版社の「中国古典新書」、角川書店の「鑑賞 中国の古典」、平凡社の「中国古典文学大系」などがありました。その当時、既に古本でしか手に入りませんでしたが、「国訳漢文大成」「漢籍国字解全書」といったシリーズもありました。各シリーズはそれぞれ一長一短、論語や老子、孫子のようにほとんどのシリーズに収録されている作品もあれば、あるシリーズにしか収録されていない古典もあります。複数のシリーズに収録されている場合には、比較検討して選んでいましたので、シリーズを使い分けていたわけです。

閑話休題。

紀伊國屋書店のフェアです。このフェアに興味を持つ方に今さら「四書とは」なんて講義をする必要はないでしょうが、今回の場合、NHKの「100分de名著」が『荘子』を取り上げているので、あえて「四書」ではなく、荘子などを手に取ってもらうのもよいかも知れません。

その「荘子」ですが、翻訳は数多くあります。まず上掲のシリーズにはどれにも「荘子」が入っている(いた)はずです。でも、現在であれば一般的でお手軽なのは文庫でしょうか? まずは岩波文庫から。

   

中国古典を読むといったら、まずは岩波文庫を探すのが王道ですね。ついで、中公はクラシックス。

 

ちなみに中公新書にこんなのもあります。

次に朝日文庫ですが、もうほとんど在庫が残っていないのでしょうか? 朝日新聞出版のサイトでも品切れとなっている巻があります。残念です。

上掲の朝日文庫は全部で4巻か5巻、出ていたはずです。次に講談社学術文庫ですと

 

になりますが、同文庫にはこんな本もあります。

 

ちくま学芸文庫ですとこちらになります。

  

徳間文庫にも「荘子」はあります。

これは全訳ではなく抄訳ですが、とりあえずエッセンスだけ読んでみるのであれば、このくらいでも十分かと思います。そもそも『荘子』は『老子』ほど短くはないので、文庫本では一冊で収まりません。一冊になっているのは全訳ではなくほぼ抄訳だと考えて間違いありません。他にも

 

などがありますので、お好きなものを選べばよいと思います。

「どれがお薦めですか?」と聞かれるのが一番難しいです。たとえば、これが中国思想をこれから学ぼうという大学一年生に聞かれた場合と、「100分de名著」で興味を持ったのでちょっと読んでみたくて、という方とでは薦める本も変わってきますから。

もし紀伊國屋書店やジュンク堂書店のような大きな書店で、ここに挙げたような『荘子』が軒並み揃っている書店、あるいは図書館に行かれたなら、同じ篇や章を読み比べてみて、どれが一番自分にしっくりくるか、それで選べばよいと思います。また荘子その人や周辺情報にも興味があるのであれば、解説などにページを比較的多く割いているものがよいでしょう。

あと『荘子』に限らず、この手の中国古典の現代語訳は原文が載っているか、書き下し文(いわゆる訓読)が載っているか、日本語訳だけなのか、そういった違いも考慮すべきだと思います。いずれにせよ、とても100分では味わい尽くせない、とは言いませんが、100分で終わらせてしまうにはもったいない古典です。

巣鴨プリズン

関東以外ではあまりニュースにもなっていないのかも知れませんが、東京は池袋にあるサンシャイン60,その展望台がリニューアルのため本日で閉鎖になるそうです。

「あっ、そうですか」

という程度の感想しか持たない方も多いと思いますが、、サンシャイン60ができた当時、その60という名称からもわかるとおり、日本一の高さを誇るビルであり、その展望台は日本一の眺めと言われたものでした。「言われたものでした」なんて書き方をするのは、あたしがここの展望台に行ったことがないからで、その眺望はテレビニュースなどの映像でしか見たことがありません。東京に住んでいるというのに……

ちなみに、東京タワーも上ったことないですし、スカイツリーも同様、東京都庁にしても、すべて上ったことないです。別に高所恐怖症というわけではありません。その証拠に上海の東方明珠塔には上ったことがありますので。

さて、サンシャインの展望台が閉鎖と聞いても別に感傷的になるわけではありません。いま書いたように、特別な想い出があるわけではありませんから。ただ、サンシャイン60というのは、あたしにはちょっと思い出深い場所であります。どういうことかといいますと……

サンシャイン60が、その昔、巣鴨プリズンという刑務所だったということは後から知りましたが、それでも比較的早い時期に知ったと記憶しています。東京裁判だとかA級戦犯だとか、そういった単語とは関係なく、あそこは前は刑務所があったところだったんだよ、という感じで教えられたような記憶です。そんな風に親から教えられたのには、あたしが「あそこって、サンシャインができる前は何だったの?」という質問をしたからだと思います。

そんな親とのやりとりの中で思い出すのです、あたしが幼稚園児だったころのことを。

あたしが幼稚園のころ、小さなアパートですが、いまの淑徳巣鴨中学・高校大正大学のそばに住んでいました。いまや大人気の巣鴨の地蔵通りです。そこから池袋駅の南の方にあった双葉幼稚園に通っていました。双葉幼稚園は今はなく、場所も正確には覚えていませんが、池袋駅東口、明治通りを南に進み、ジュンク堂書店も越えてもう少し行ったところを左に入ったあたりにあった幼稚園です。地図を広げていただければわかるように、かなりの通園距離です。ですのでバスでしたが、幼稚園のバスが何ルートかあって、そのうちの一つが淑徳巣鴨の前あたりに乗り場を持っていましたので、普段はそれで通園していました。

はっきりとは覚えていませんが、多少は子供を乗せるために寄り道はしていたと思いますが、あたしが使っていた送迎バスのルートは、だいたい明治通りに沿ったものだったと思います。片道どれくらいかかったか覚えていませんが、小さいころは乗り物酔いがひどかったあたしでもそれなりに我慢できた乗車時間だったと思います。

双葉幼稚園は、放課後に課外活動がいくつかあり、あたしもそれに二つ三つ入っていましたが、そういった活動に参加するといつもより帰る時間が遅くなり、送迎バスも通常より減ってしまいました。ですので、課外活動がある日は、通常の数ルート分の園児をまとめて帰路に着いたのですが、これがあたしには苦痛でした。家の近所のバス停に着くのにいつもの倍以上の時間がかかったからです。課外活動は愉しかったと思いますが、その後の帰りのバスが憂鬱で憂鬱でたまりませんでした。たぶん何度も気持ち悪くなっていたと思います。だから乗ったらすぐに目をつぶって寝よう、寝ようとしていた記憶があります。

でも、そう簡単に寝られるわけもなく、そうっと薄目を開いて窓の外を見ることもありました。ルートが異なるので普段とは見慣れない車窓からの景色です。毎週のように課外活動があったのに、この時の帰りのバスはいつも「どこを走っているのだろう?」という気がしたものです。そんな憂鬱な、課外活動後の帰りのバスの記憶で鮮明に残っているのが、延々と続くフェンスでした。当時はどこを走っているのかもわからず、とにかくずーっとフェンスが続く道を走っていたとしか覚えていません。いったいこのフェンスの向こうは何だろう、という思いをいつも抱いていました。フェンスの隙間からは広い空き地が見えるだけでした。

そんな幼稚園時代が終わって小学校に上がるとき、わが家は杉並に引っ越しました。池袋や巣鴨界隈からはおさらばです。でも親戚が住んでいたので、その後もしばしば池袋には来ていました。そして1978年のサンシャイン60開業です。あたしは小学校の高学年になっていましたが、「でっかいビルが池袋に出来たなあ」と感じたのを覚えています。もちろん展望台には上っていませんが、サンシャインシティには何度も行きました。

で、話が戻って「ここは何だったの?」という会話です。そうです。あたしが憂鬱なバスの中からぼんやり眺めていたフェンスというのがサンシャインシティの建っている場所だったのです。巣鴨プリズンが1970年までですから、あたしがフェンスを眺めていたころは既に刑務所ではなく、サンシャイン建設に向けて整地をしていた段階だったのだと思われます。「あそこに、これが建ったのか」、サンシャインの前身を聞き、幼き日の自分の記憶と結びついたとき、そんな風に思いました。そしてサンシャインと聞くと、憂鬱だったバスの中、必死に吐き気を押さえながら家に着くのを待ちわびたバスの中を思い出すのです。

早く家に帰りたい、それは巣鴨プリズンに捕らわれていた囚人も同じ気持ちだったのでしょうか?

プチ断捨離[続き]

朝からやっているプチ断捨離、まだやってます。PC関係のマニュアルは捨ててよいとして、問題はソフトウェアのCD-ROMです。

えっ、マニュアルとかも捨てちゃうんだったら、CD-ROMだけ取っておいても意味ないじゃん!

そういう意見はもっともですし、たぶんいま手元にあるCD-ROMの9割は捨てても構わないものだと思います。ただ、ちょっと捨てるのが怖いのはバージョンアップ製品の場合です。

何が怖いかと言いますと、PCソフト、アプリケーションと呼ぶべきでしょうか、とにかくそういったものをバージョンアップで購入した場合、インストールの際に「旧製品のCD-ROMを挿入してください」というメッセージが出ることがしばしばあります。それはつまり「バージョンアップ製品を購入できるのは旧製品・旧バージョンを持っている人だけなので、本当に旧製品を持っているのか確認いたします」という意味なわけです。もちろん、そんなメッセージなど出ないでバージョンアップ版をインストールできる製品も多いですが、時々そういう製品があるので、バージョンアップしたからと言って旧バージョンのCD-ROMを捨ててしまっても構わない、ということにはならないのです。

でも、無事にインストールが済んだら不要でしょ?

はい、確かにその通りです。ただし、それは二度とインストールし直さない、という確たる自信がある場合です。パソコンはそれなりに壊れたり調子がおかしくなったりするものです。OSのインストールからやり直すなんてこともあります。そうなるとインストールしているソフトももう一度インストールのやり直しです。そういう時に旧バージョンのCD-ROMを捨ててしまっているとインストールができなかったりします。

あるいは、パソコンが壊れなくても新しいパソコンを購入したので、そちらにアプリをインストールしようと思うこともあるでしょう。そういう時もバージョンアップ版の場合は旧バージョンのCD-ROMが必要になります。だから、わが家に残っている大量のCD-ROMを捨ててもよいものか否か、すぐには判断が付きかねます。少なくとも、いまは使っていないソフトウェアのCD-ROMであれば、バージョンアップすることもないでしょうから捨ててもよいかも知れませんが、今も使っているソフトのずいぶん昔のバージョンのCD-ROMはどのバージョンまで保管しておくか……

  

ついでに言えば、CD-ROM以上に踏ん切りをつけないとならないのは、FDやMOです。これらは読み込みたくても読み込むためのハードが既にありません。いま、Windows8で使えるMOドライブやFDドライブって売っているのでしょうか? たぶん売っていないでしょうね。そうなると、そういうのを持っている人(あたしもその一人?)は、過去の資産をどうしたらよいのでしょう。とりあえずMOドライブはないようですが、FDドライブはUSB接続の製品がまだ売られているようですが……

そして何事もなかったかのように……

昨日、「途中で止まる」と書いたばかりのCDレコ CDRI-W24AI

本日、リトライしてみたら出来てしまいました! NASに取り込みできました。

うーん、なんだったんでしょ? もう一度ネットワークを再チェックしてみたくらいのことしかしていないのですが、得てしてこの手のトラブルは、完全な初期不良でない限り、こういう初歩的なところに種があるものです。一つ一つ、マニュアルの手順に従ってやれば問題など起こりっこないのです。

時に、マニュアルの手順どおりにやっているのに、手順どおりに進まないということもありますが、これもたいていの場合、その前段階で手順どおりにやっていなかったという自分のミスであることがほとんどです。うん、機械ってやはり優秀ですね。

ただ、一つだけ問題が。

このCDの取り込み、昨今のCDプレーヤーと同じくネットに接続して曲情報(アルバム情報)を取得してくれるのですが、登録があればアルバムのジャケット画像も一緒に取り込めます。ただし、すべてのアルバムのジャケット画像をネット上のデータベースが持っているわけではないので、そういう時は「NO IMAGE」となります。なので、このCDレコのソフトウェアは、そういう時のために、ジャケットを自分で撮影し、それを画像として登録することができるようになっています。

で、CDを取り込むときに撮影もやってしまえば問題ないのでしょうが、それをせずに取り込んでしまってから「あっ、いけない、画像を忘れていた!」となったら、後から撮影しても画像登録ができるのです。

そう、できるはずなのです。

が、できない。

スマホ本体に取り込んだ場合は後からでも画像の登録ができるようですが、ネットワークHDD、いわゆるNASに取り込んだアルバムに関しては、後からジャケット画像を登録することができません。これは仕様だからと諦めないといけないのか、それとも今後のソフトウェアのバージョンアップで解決するのか? どっちなのでしょう?