呉越同舟? 同床異夢?

安保法案反対の国会デモ。

ニュースによると安保法案賛成の街頭行進もあったのだとか。まあ、いろいろな意見を表明できるのが民主主義社会でしょうから、それはそれでよいとして。

安保法案反対のデモって、どれだけ間口が広いのでしょうか?

ニュースではほとんど伝えていたないと思いますが、いま審議されている安保法案、そういった法案を作るのには賛成だけど、憲法違反の法律の制定は許せない、という考えの人もいると思います。つまり、きちんと憲法改正から手を着けるべきだ、という意見です。

もちろん、合憲か違憲かには関係なく、とにかく安保法案は戦争法案だから反対、という意見も人も多いと思います。

今回のデモ、国会包囲、果たして、皆さん、同じ目標を抱いているのでしょうか?

こういうのを同床異夢というのでしょうか? それとも呉越同舟?

殺人鬼がブーム?

タイトルはふざけているように感じられるかも知れませんが、もう少し真面目な話です。

書店回りの途次、店頭で『殺人鬼ゾディアック』という本を見かけました。

おや、と思ったのですが、そもそも皆さん、ゾディアックって知ってますか? 映画のタイトル? はい、そうですね。でも、映画のもとになった実話、連続殺人鬼の話があるんですよ。その事実の方を検証したのが本書のようです。

 

この映画の「ゾディアック」はスカパー!などのCS放送では最近しばしば放送されているのが目についていました。「なんで今ごろゾディアック?」と思っていたのですが、こういう本が出るところを見ると、史実の掘り起こしなどがアメリカでも進んでいるのでしょうか?

そう考えると、少し前に『切り裂きジャック 127年目の真実』なんて本が評判になっていましたよね。どうも殺人鬼にスポットライトがあたる時代のなのでしょうか? それとも戦後70年で、ナチスの狂気からの派生なのでしょうか? 確かにヒトラーをはじめとしたナチの面々は極めつきの殺人鬼と言えなくもないですし……

ナチスとこじつけるわけではありませんが、『テロルと映画』という本が出ました。これなど『映画大臣 ゲッベルスとナチ時代の映画』と併せて読むと面白いのではないでしょうか?

  

今年はナチ関連書籍も例年になく多く、『ナチス・ドイツとフランス右翼』なんていう、実に興味深いタイトルの本も刊行されたようです。

ショッピングモールの近未来?

今朝の朝日新聞にこんな記事が載っていました。

アメリカでショッピングモールが苦境にあえいでいるという記事です。日本もこの数年来、大都市近郊から地方に至るまでショッピングモールが乱立しています。状況はアメリカと変わらないのではないでしょうか?

出版社の営業という立場から見ると、郊外にショッピングモールが出来、そこに大型の書店が入ると言うのは販売機会が増すということになりますから、一概に否定すべきことではありません。特に巨大モールですと、中に入る書店の坪数もかなり大きくなりますから棚はふんだんにあります。小さな書店ですと語学書売り場は英語ばかり、せいぜい中国語や韓国語、仏独をちょっと置いていますということになりがちですが、大型店ならマイナー言語まで置くスペースが出来ます。文芸だって、日本人作家のものだけではなく、海外文学を並べることが可能になります。もちろん必然的に専門書などの棚もそれなりに充実してくるでしょう。

とまあ、よいことづくめのような感じですが、その一方で、昔からの商店街にあった老舗の書店の客が奪われ、経営状況が厳しくなるということもあり、なかなか難しいところです。特に、老舗書店で本を買ってくれていたような人が郊外のモールにまで足を延ばすのか、そのあたりがわかりません。郊外のモールはどうしても中高生や若い夫婦、家族が中心という印象がありますから。でも、こういった現象は書店に限ったことではなく、他の業種でも同じようなことが起きているのではないでしょうか?

さて、以上は一般論で、実際に出張で地方へいったときに、あるいは首都圏の郊外のモールなどへ行ったときに、実際に目にしてどう感じるのか……

訪れるのは平日の昼間が多いので最も集客ある土日の状況はわかりませんから、多少は一方的な見方、偏見が混じっているかと思いますが、その前提で書かせていただきますと、意外とお年寄りが目につきます。午前中からおじいさんやおばあさんが娘と孫と一緒に買い物に来ていたりするのが目に留まります。あるいは娘や孫抜きで、おじいさんやおばあさんだけでドトールなどのコーヒーショップで珈琲なんか飲んでいる姿を見かけます。

あたしの一方的な思い込みでは、お年寄りがそういったファストフード店へ入るという予想はなかったので、これは意外な、そして新鮮な驚きでした。そして、午後になると、2時や3時すぎくらいからは学校帰りの学生が多くなるのは予想どおりです。こういった平日の客層を見る限り、諸外国語や海外文学や専門書を売るのは難しいなあと思うのが正直な気持ちです。もちろん、若者向けのファッションブランドも書店以上に厳しいのではないでしょうか?

厳しいだろうと感じる、その証拠と言ってはなんですが、遠いので頻繁には行けませんが、それでも年に一回か二回訪れるようなモールでは「ニューショップ、オープン」とか、「リニューアルオープン」というテナントの貼り紙をよく見かけます。新しいお店が出来ると言えば聞こえはよいですが、つまりその前に入っていたテナントが立ちゆかなくて撤退したということですよね。売れないから諦めた、はっきり言ってしまうと、そういうことではないでしょうか? こういう貼り紙が増えれば増えるほど、そのモールは調子悪いんだな、と感じてしまいます。

 

こういった郊外論もこの数年来、いろいろな本が出ています。それなりに売れた先駆的なのものは『ファスト風土化する日本』ではないかと思いますが、いかがでしょう? そして論点こそ少しズレますが、あたしの勤務先からも少し前に『ショッピングモールの法哲学』という本を出しております。カバー写真が、妙に朝日新聞の記事に載っている写真と似ている気がするのはあたしだけでしょうか?

ブロウディ? ブロディ?

近々、あたしの勤務先から『ミス・ブロウディの青春』という本が出ます。海外小説です。作者はミュリエル・スパーク。スコットランドの作家です。

彼女の作品は、数日後には『死を忘れるな』という作品が、あたしの勤務先から刊行になりますので、続けざまの刊行ということになりますが、実は河出書房新社からも『ブロディ先生の青春』という彼女の作品が刊行になるのです。

あれ、「ミス・ブロウディの青春」? 「ブロディ先生の青春」?

同じ作者で似たようなタイトルの作品と気づいた方、ご明察。はい、これは同じ作品で、役者が異なるのでタイトルも異なるという結果です。ちょうど『ライ麦畑でつかまえて』と『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の関係のようなものと思ってください。

 

今回の場合、「ミス」の方がかつて筑摩書房から出ていた岡照雄訳、「先生」の方が今回新たに訳された木村政則訳です。古典的名作の新旧両訳揃い踏み、是非両方読んで味わい比べて欲しいと思います。

ところでこの作品のタイトル、ブロウディとブロディ、どちらがよいのでしょう? 原題は「Jean Brodie」で、あたしにはこの綴りを正確に発音することは叶いませんので、読者の皆さまにお任せします。ただ、英文のスペルこそ違え、同じく「ブロディ」と題する雑誌が発売になりました。「BRODY vol.1」です。

乃木坂46がフィーチャーされているようなので、これはミュリエル・スパークの翻訳よりも買わないとなりませんね(汗)。なにせまなったんとなあちゃんのポスターも付いてくるようですし!

「でもわたしのことも愛してくれるのよね?」と少女は訊いた。「まさにそれこそがぼくのやることだよ」と少年は言った。

<エクス・リブリス>の最新刊、『生まれるためのガイドブック』読了。既にFacebook似書きましたが、とりあえず女子高生に読んでもらいたいです。

タイトルには「生まれるための」とありますが、本書全体読むと生まれることだけでなく、死ぬこと、生きること、誰かと生きていくこと、そういったものの意味を考えさせる内容を含んだ短篇集です。ただし、行くrことや人を愛することの喜びを描くのではなく、むしろのその逆。難しさ、辛さ、苦しさ、そういったものを抱きながら、それでも前へ進まなければいけない人の心、前へ進んでいる人の状況を描いた作品です。

いろいろなマタニティーブルーの世界と言ってしまうと、ちょっと違うのはわかっていますが、生まれるってどういうこと、新しい生命を生むってどういうこと、そして生があるなら死があるわけで、死とは何か、喪失感とはどうやって乗り越えるのか、そんな人の命をかけがえのなさをさまざまなストーリーで描いていると言えばよいのでしょうか?

さて、現代の医学では、どんなに頑張っても子供を産むのは女性です。ですから本書の読者としてはまずもって女性だと思います。しかし本作では男性も悩み苦しみ葛藤しています。本書を男性が読めば女性の悩みに思いを致すことができると思いますし、女性が本作を読めば男性の苦しみに気づくことができるのではないでしょうか?

収録作は、それぞれかなり異なります。正直に言ってしまうと、最後の「支流」が今一つ理解しづらい、否、あたしの読解力では理解できていません。手がいくつも生えてくるというのは何を象徴しているのか、まだ飲み込めずにいます。それ以外の作品は、上に述べたように、どれもしみじみと生きるということ、命の重さと儚さを考えさせる、バラエティ豊かな作品群です。恐らく誰もが、作品の中の一つには思い当たるところがある、お気に入りの一編を見つけ出せるのではないかという気がします。

なお、このダイアリーのタイトルは「老いも若きも」からの一節です。

夏が過ぎゆく

タイトルだけを見ると、どこぞの曲のタイトルが歌詞の一節のようですが、棚卸しも終わり、夏も終わるという感じがします。気温としてはもう秋、もうすぐそこまで冬が来ているのではと思えなくもないような肌寒さになっている東京ですが、たぶんもう一度暑さは戻ってくると思っています。なにせ、暑さ寒さも彼岸までと言うじゃないですか!

それはそうと、昨今は既に二学期が始まっている小中学生も多いそうで、なんかかわいそうだなあと感じます。やはり二学期は9月1日から出ないとおかしな感じです。まあ、その分、冬休みが長いところもあるようですが……

で、この季節になると聞きたくなるのがこの曲です。ZONEの「Secret Base」です。

やっぱりいい曲ですね。でも、このPVを見ていて思い出したのです。バスに乗って友達との別れを描くって、この曲もそうじゃないかって。

AKB48の「十年桜」です。バスでの別れですね。

ちなみに、この曲のころはまだAKB48も全国区ではなかったですよね。というよりも、全国区になったころには辞めているメンバーも何人か映っています。篠田麻里子がロングヘアだったり、まゆゆもずいぶんと感じが違うなあと思います。月日のたつのは早いものです。

が、夏の終わりと言えば、やはり、あたし的にはこの曲です。

鈴木祥子の「夏はどこへ行った」です。たぶん、多くの人が知らないと思いますが、実によい曲ですので、もっと知ってもらいたいと思います。

うーん、ライブバージョンよりも、こちらのオリジナル(CD版?)の方がいいかしら?

マリンリゾート気分?

昼前に勤務先を出て、小田原から茅ヶ崎まで営業に行って来ました。今日は午後から雨になると聞いていたのですが、ほぼ雨には降られず、夕方、さあ帰宅だ、という頃合いになってポツリポツリと、「あれ、雨かしら?」という程度の降りでしのげました。いや逆に、小田原などは真夏の太陽が降り注ぐ青天、という感じでした。

さて湘南地区です。あたしは営業回りでは来たことがないので、すべてが新鮮でした。小田原も、小さいころに家族で箱根へ行ったときに小田原城へ寄ったことがあるという、自分人の体験ではなく、親から聞かされた記憶があるだけで、物心ついてから訪れたことは一度もない土地です。年に何度も新幹線で通過はしますが、小田原駅に降り立ったのは、事実上初めてと言ってよいと思います。

その小田原。やはり東海道の宿場町、にぎやかですね。箱根を後ろに控えて海の幸にもあふれ、地方と呼ぶべきか、東京のベッドタウンと呼ぶべきか、難しいところです。昨今の小中学生は既に夏休みが終わっている子供も多いと聞きますが、やはり今日から夏休み最後の週末と言うことでしょうか、それなりに賑わっている感じがしました。

バスに乗っていたら「唐人街」なんて歴史を感じさせるバス停を通りました。こんなところも城下町の名残でしょうか? あるいは、だるま料理店なんていう趣のある建築の料理屋の前を通ったり、こういうところが歴史ある城下町の醍醐味でしょうか?

さて、小田原を後にして平塚、茅ヶ崎。このあたりも、まるっきりの処女地。来るのも、駅で下りるのも初めての地です。走っている電車から南に目をやれば太平洋が見えるので、どうしてもリゾート気分になってしまいますが、駅前は都内にもありがちな、それなりに賑やかなJRの駅前です。夕方なので学生もいれば会社帰りのサラリーマンやOLもいて、リゾート気分は消し飛んでしまいます。確かに、このあたりから都内へ通勤している人も多いわけで、このあたりに住んでいる人に言わせれば、リゾート地でも観光地でもなんでもないですよね。

で、あたしは駅周辺にしか滞在していないので、それぞれの街の違いや空気などを感じることはできませんでしたが、これはJRもいないのではないでしょうか? このあたりはラスカという名の駅ビルが多いですが、そのためにどれも画一的で無個性な感じを受けてしまいます。都内のJRの駅がルミネやアトレばかりになって没個性かが進んでいるのと同じですね。あたしの利用する武蔵小金井も、武蔵境、東小金井と一斉に高架になり駅ビル(駅ナカ? 駅ソト?)ができ、そのどれもが同じような感じで、駅を降り間違えそうになるくらいです。

と愚痴っても仕方ないですが、そんな感じの初・湘南でした!

今朝の朝日新聞から

下の写真は、今朝の朝日新聞に載っていた女性誌の広告です。このところ安保法案反対など、なにかと硬めの記事も目につく女性誌ですが、なんと武雄図書館の蔵書に関する問題が取り上げられていました。どんな記事になっているのでしょう?

武雄図書館の蔵書問題は、なんとなく聞いているだけで、問題となっているリストを目にしたわけではありません。公費でどんな本を買うか、難しい問題だと思います。表面的には時代遅れの古い本や古書を購入することが問題となっているようですが、幾星霜を経ても図書館に配架すべき書物というのはあると思います。しかし、その本が既に出版社では品切れ、絶版となり、もはや新刊としては手に入らないとなれば、図書館としては古書業者を当たるしかないのではないでしょうか?

と、このように書けば、古書を購入することも決して間違ってはいない、むしろそんな名著を品切れのままにしておく出版社の方が悪いとも言えます。出版社が重版するなり新装版として出すなりして新刊で手に入るようにすればよいのでしょうが、それはそれで難しい問題があります。図書館と違って出版社は営利を追求する企業です。採算がとれないと踏み切ることはできません。

ただ、この件は、いま話題になっている武雄図書館問題とは別でしょうから割愛します。図書館の古書購入です。あたし個人としては上にも書いたように、現在の出版事情(出版社の在庫状況)に鑑みて、一概に否定すべきものとは考えていませんが、だからといって何でもかんでも古書で購入してよいとも思っていません。そこにはやはり図書館として配架すべき、所蔵すべき図書なのかどうか、しかるべき立場の人が慎重に吟味するべきだと思います。

さて、同じ今日の朝日新聞に上のような記事が載っていました。コンビニ大手のローソンが書籍の販売に力を入れるという記事です。この分野ではセブンイレブンが先を行っていますが、ほとんどのセブンイレブンを見ても、置いてあるのは雑誌がほとんどで、書籍を売ろうという感じは受けません。

記事中の写真ではもう少し書籍を充実させて、どのコンビニもある雑誌スタンドではなく、きちんと書籍コーナーと呼びうるようなスペースを確保し用としている感じが伝わってきます。

しかし、品揃えはどうするのでしょうか? プロの書店員ですら大量の新刊に追われ、置くべき書籍の選定に時間を割いている暇がないのが現状です。書籍のことなどほとんどわかっていないコンビニ店員が書籍コーナーと呼べるほどの売り場を作れるのか? 無理でしょうね。恐らく取次かチェーン本部が一括して「データ上、いま売れている書籍を30アイテム、あるいは50アイテム送り込む」という形になるのではないでしょうか。それ以外に方法があるとは思えません。そうなると、本屋とは呼べませんよね。どこのローソンへ行っても置いてある書籍は同じ、という近未来図がイメージできます。

結局、セブンイレブンやローソンなど、コンビニの運営ノウハウを使う限り、そうなってしまうのはやむを得ないのでしょう。とあるローソンでは、やたらとUブックスが揃っているとか、エクス・リブリスがすべて置いてあるとか、そういうバラエティを期待してもダメなのでしょう。

という感じで、なんか否定的なことばかり書いてしまいましたが、実はあたしは、書店の廃業が増えている中、出版社としてどこで本を売ればよいのかと考えた場合、アマゾンよりもコンビニに期待を持っているのです。アマゾンはパソコンなどでアマゾンのサイトにアクセスしないとなりません。まだまだ多くの人にとってはハードルが高いと言えます。それに引き替えコンビニは、若者からお年寄りまでほぼどの世代をも取り込んでいます。大袈裟に言えば、「アマゾンにアクセスしない日本人は多くても、日に一度もコンビニに行かない日本人はいない」というわけです。

セブンイレブンだろうがローソンだろうが、これだけ日本人が毎日のように訪れる場所でものを売らない手はありません。しかし、本は種類が多くニーズもバラバラです。ですから、コンビニ店頭でのリアルな棚を充実させるのではなく、カタログあるいは店頭の機械(端末)をもっと使いやすく、本を買いやすく改良する必要があるのではないか、そう考えています。

お年寄りが公共料金の振り込みに来たついでに簡単に端末を操作して本を注文する、そんな感じに持って行けたら、アマゾンは日本から撤退せざるを得なくなるのではないでしょうか?