あたしが見つけられないだけなのかしら?

中公新書の『戦国北条氏』を読みました。著者が書いているように、北条五代をこのようにコンパクトにまとめたものはこれまでなかったのではないでしょうか。あたしも興味は持ちつつも知らないことだらけだった後北条氏について、多少の知識を得ることができました。

ところで、同書を読んでいますと、巻頭に割拠する中小の勢力がたくさん登場します。そして更にそれを大きく取り巻くように、越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄、駿河の今川義元といった戦国大名が登場します。今回、戦国北条氏の新書を読んだので、武田信玄や上杉謙信についてもコンパクトにまとめた新書のようなものは出ていないかと捜してみたのですが、意外と見つからないものです。

中公新書に限らず、他の新書でも探してみたのですが、これといったものが見つかりません。アマゾンであれば版元品切れのものも中古品として出品されていることもあるのですが、やはりヒットしません。武田信玄については数種類見つかりましたが、上杉謙信については本当に見つかりません。どうしてなのでしょうか。

上杉謙信について資料が不足しているのでしょうか。あるいは適当な執筆者が見つからないのでしょうか。専門家ではないので、そのあたりの事情はわかりませんが、上杉謙信は地盤が母の故郷なので、個人的にも非常に興味があるので、是非とも出してほしいものです。

ちなみに中公新書3月の新刊には『アフリカ―「経済大陸」の行動原理と地政学』『日本社会と外国人』という興味深いタイトルがあります。どうして興味深いかと言いますと、前者はあたしの勤務先の新刊『アフリカの国家建設』と、後者は同じく『移民/難民の法哲学』と親和性が高そうだと感じたからです。

新書と単行本という違いはあれど、似たようなテーマの本が続けざまに複数の出版社から刊行されるなんて、なんという偶然でしょう。

三つ揃えて……

昔から「三」というのは、他の数字とは異なる意味が与えられているようです。「いっぽん」「にほん」と数える時、「三」だけは「ぽん」でも「ほん」でもなく「ぼん」ですし、バランスを取る上でも鼎の脚は三本です。

多くの日本人に人気の『三国志』も三つの国が天下を争う乱世の話であると同時に、三国で一時的な均衡が生まれた時代の話でもあります。まさに「さんすくみ」です。

「さんすくみ」と言えばヘビ、カエル、ナメクジですし、じゃんけんも「さんすくみ」ですよね。そんな三をフィーチャーしたいわけではないのですが、ちょうど三作揃った作品をご紹介します。

それがこちら、楊双子さんの作品です。『台湾漫遊鉄道のふたり』が話題になり、続いて『四維街一号に暮らす五人』が刊行されました。この二作は中央公論新社から出ています。そしてこのたび刊行された三作目、『オールド台中食べ歩き』は日経ナショナルジオグラフィック社から刊行されています。前の二作が小説だったのに対し、今回の三作目はエッセイということで、出版社が変わったのでしょうか?

いずれにせよ、買ってはあるものの、まだ読めていないので読書時間を捻出しなければなりませんね。

6月4日のことでした

またしても購入書籍の話です。先日『フェミニズム』を買ったばかりだというのに、そしてそれをまだ読んでもいないというのに、またまた岩波新書を買ってしまいました。

それがこの二点、『江戸町奉行所』『張作霖』です。『張作霖』は中国史好きのあたしのことですから、当然買うのは間違いないと多くの方が予想できたと思います。それに岩波新書はここ数年、『李鴻章』『袁世凱』など近代中国の評伝を陸続と刊行しているので、ついに張作霖を出すのね、という感想です。

そして『江戸町奉行所』です。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、あたし、意外と時代劇好きです。TBSでやっていた「大岡越前」「水戸黄門」は当時欠かさず見ていました。特に「大岡越前」は大好きでした。山口崇の吉宗、竹脇無我の榊原伊織も好きでしたけど、特に好きだったのは片岡千恵蔵と加藤治子が演じた越前の両親が飄々としてたまりませんでした。

話は戻って、岩波新書の『張作霖』です。実は、あたしの勤務先からも『張作霖』を出しています。もちろん岩波新書版『張作霖』は未読ですが、これまでの流れから見て、オーソドックスで、アカデミックな記述になっているのだと思われます。著者は中国近代史の専門家ですから内容も信頼できるでしょう。

翻って、あたしの勤務先の『張作霖』は小説のように読めるノンフィクションです。著者は新聞社の中国特派員ですが、実によく資料を調べています。まさに渉猟、博捜という言葉がピッタリな一冊です。この二冊を読み比べると張作霖が立体的に浮かび上がってくるのではないでしょうか。

そして、岩波新書の中国近代評伝もの、あたしが期待するのは段祺瑞、黎元洪、馮玉祥といった軍閥、周恩来や朱徳、林彪などの毛沢東を取り巻く人々、そして革命時代の黄興、戴季陶、宋教仁などを出してくれると嬉しいなあ、と思います。それにしても、張作霖爆殺(満洲某重大事件)って天安門事件と同じ6月4日だったのですね。

大人買いと言うのでしょうか?

営業回りの途次、勤務先からの連絡などがあるかもしれないので、スマホを眺めることもありますが、メールチェックなどは一瞬で、多くの時間は読書に費やしています。

単行本は嵩張るし重いので、カバンに入れて持ち歩くのはもっぱら文庫本か新書です。特に新書を読んでいることが多いので、新書をよく買っています。今月は岩波新書の『フェミニズム』を買いました。

あたしはどちらかというと、伝統的な男尊女卑的な考えを持っていると自分では分析していますが、だからこそ読んでみようと思った次第です。ただ男尊女卑というのは言いすぎかも知れません。男女の役割分担などはやはりあるだろうし、昨今のジェンダーに関する論調には時々付いていけないことがある、という感じです。

岩波新書以外では、中公新書も買いました。今月はその前に増補版となった『エリザベス女王』も買っているので、今月の中公新書4点コンプリートです。中公新書の大人買いです。

毎月こんなことをしているわけではありません。ただ今月は『エリザベス女王』以外にも『懐疑論』『戦国北条氏』『明六社』と興味深いタイトルが並んでいたので、やはり買ってしまったわけなのです。

中公新書の四点、それに岩波新書の一点、この五点に「新書である」という以外の共通項はありますでしょうか。何か感じられますか。同一人物が買った本だと納得いただけますでしょうか。いや、納得していただけなくても構わないのですが、こういう買い方をしていると、AIを惑わせてしまうのでしょうかね。

還暦を前にして性に目覚めてしまった?

たまたま買った新書2点。いみじくも共通するキーワードが「性」でした。

一つはハヤカワ新書の『人類学者が教える性の授業』、もう一つが光文社新書の『性的であるとはどのようなことか』です。どちらも下ネタではなく、極めて真面目な内容の本であることは言うまでもありません。

後者の著者、難波優輝さんは少し前に『物語化批判の哲学』を読みましたが、あたしにはかなり歯応えのある一冊でしたから、本書もきっと噛み応えのある内容なのでしょう。壇蜜推薦というのがちょっと笑えます。

一方の前者、タイトルだけを見て想像するのは、現在放送中の日テレ系ドラマ「パンダより恋が苦手な私たち」を思い出します。ドラマの方は求愛行動だけに興味・関心を持っている大学の先生が出てきますが。

ちなみに、後者の著者、奥野克巳さんの『入門講義 アニミズム』もつい先日楽しく読んだばかりでした。

こんな併読ありや、なしや?

年が明けて、乃木坂46は久々のアルバム発売を控え、日向坂46もニューシングルのリリースを控えております。どちらも楽しみですが、今回話題にしたい「シングル」はアーティストのアルバム、シングルのシングルではありません。井上和センターの「おひとりさま天国」で歌われた「シングル」のことです。

そのシングルとは、この二点の書籍です。まずはKADOKAWAの『60代バツなしおひとりさま、毎日ごきげん暮らし』です。著者の折原みとさんは、マンガ家としてはほぼ読んだことがなく、小説『乙女の花束』『乙女の初恋』『乙女の翼』をかつて読んだことがあるくらいです。

そのお陰で名前だけは頭に入っていたので、こんなエッセイが出たと知り、ついつい手に取ってしまったという次第。折原さんが独身であったということも、今回初めて知りました。

そしてもう一冊が岩波新書の『中高年シングル女性』です。著者の和田静香さんは全く存じ上げませんでしたが、著者略歴を見ると折原さんと一つ違い、同世代と言ってよいですよね。どこかの書店で、このお二人の対談でも企画してくれないかしら、と思っております。

昭和天皇の謎

中公新書から『昭和天皇』が発売されました。かつて同タイトルのものが発売されていましたが、今回のはその「増補版」で、著者も変わりません。

中公新書ではこれまでも「増補版」が刊行になるタイトルがありまして、わが家の書架を見てみますと『南京事件』と『キメラ』が「増補版」を刊行しています。

まずは『南京事件』をご覧ください。中公親書しての通し番号は旧版も増補版も同じ795です。増補版が刊行されたら旧版は絶版とし、新旧で入れ替えてくださいということなのでしょう。

そして『キメラ』の方も通し番号はどちらも同じ1138です。こちらも新旧の入れ替えを推奨しているようです。

ちなみに一つの本につき一つ割り振られるISBNコードというのがありまして、『南京事件』の旧版は「4-12-100795-6」、増補版は「978-4-12-190795-0」と一つ異なるところがあります。ISBNコードが10桁から13桁に変わったのはひとまず無視します。

『キメラ』も旧版「4-12-101138-4」ですが、増補版は「4-12-191138-5」となっていて、『南京事件』と同じ箇所が同じように異なっています。中公新書では、増補版は「9」を振るのが通例のようです。

ところがこのたび発売された『昭和天皇』は旧版は2105ですが、増補版は2888と新しい番号が振られています。通し番号が異なりますので、ISBNコードも旧版は「978-4-12-102105-2」なのに対して、増補版は「978-4-12-102888-4」と全く異なるものになっています。

「増補版」は同じ通し番号を使うという原則(法則?)が崩れています。これは編集部内で方針が変わったのでしょうか。それとも昭和天皇に敬意を表した措置なのでしょうか。いや、増補版で通し番号を変えるのが敬意を表わしたことになるのかわかりませんが……

あたしはこの三点以外の中公新書がどうなっているのかわからないので、これ以上はなんとも言えませんが、たまたま今回の新刊で気づいたのでちょっと書き留めてみました。

レフティではないのに……

晶文社の海外文学シリーズ《I am I am I am》の新刊が発売されました。今回のタイトルは「レシタティフ」と言います。作家の造語なのか、もともとこういう単語が存在していたのか、詳しいことはわかりません。

そんな『レシタティフ』をアマゾンで検索してみました。値段を調べようと思ったのもそうですが、どんな内容なのか、紹介文を読んでみようと思ったのです。

そういうわけで、検索窓に「レシタティフ」と入力しリターンキーをクリックしてみました。たぶん晶文社の新刊くらいしかヒットしないだろう、もしかすると洋書(原書)も一緒に検索結果に出て来るかなあ、と思っていました。

ところが検索結果に並んだのはゴルフクラブばかりです。下の方にスクロールしても晶文社の『レシタティフ』は出て来ません。

あらためて検索窓のところを見てみると、そこには「レフティ」と表示されています。あたしは間違いなく「レシタティフ」と入力したはずなのですが、検索は「レフティ」でされてしまったようなのです。どうしてでしょう。「レシタティフ」という言葉がないので、アマゾンが勝手に「レフティ」の誤植だと判断して検索結果を表示したのでしょう。全くもって余計なお世話です。勝手なことをするなと言いたいところです。

さて、この《I am I am I am》シリーズもこれで5点目になります。面白そうなタイトルが揃っているので、毎回買っています、読んだのは『ベル・ジャー』だけですが(汗)。

ところでこのシリーズ、ここまでの四点はすべてソフトカバーだったのですが、この『レシタティフ』はハードカバーです。シリーズでカバー回りの仕様が途中で変わるというのは、全くないことではないですが、極めて珍しいことです。

やはり『レシタティフ』にはソフトよりもハードだと、訳者と装丁家、そして担当編集者の間で意見が一致したのでしょうか。それにしても、こうして五点を並べてみるとどれも個性的なカバー装画ですね。シリーズでありながら、それぞれが独立した単行本をしても成立しているように感じます。

チョコでした!

昨日セブンイレブンで買ったケーキパフェ、早速食べてみました。

カップの蓋を開けると、こんな感じです。プリントありましたが、どこにプリンがあるのかわからない見た目です。チョコ好きにはたまらない感じです。

食べてみた感想は、チョコの苦さが意外と強いので、もう少し甘い部分があってもよかったかなあ、という感じです。前回も、そしてたった今も書いたばかりですが、チョコ好きであれば満足するのではないでしょうか。もちろん本当のチョコ好きですと、もっと高級専門店のチョコでないと認めないのかもしれませんが。

話は変わって、久しぶりのコンビニスイーツならぬ、久しぶりの岩波新書です。今月の新刊『EU』と『シオニズム』の2点を買いました。

このところヨーロッパ各国もポピュリズムに揺れていて、ヨーロッパ統合の夢は風前の灯火のようにも感じられます。ただ興亡の歴史をくぐり抜けてきたヨーロッパですから、きっと何か解決策を見出せるのではないでしょうか。

そして『シオニズム』、このところ中東を扱った新書が目に付きます。それもアラブ諸国というよりは、イスラエルとの関係、ユダヤ問題を絡めて扱ったものが多いように感じます。本書もそんな流れの中の一冊でしょう。

ご当地本

昨日から関西ツアーに来ております。すっきり晴れず、曇天の関西ですが、雨に降られないだけマシです。一生懸命仕事をしていると寒さもそれほど感じません。

そんな中、こんな二冊を移動の電車内で読んでいます。外国人がイコール中国人というわけではないでしょうが、地理的な近さもあって、中国人がそれなりの割合を占めているのも事実でしょう。

それが問題になるというのは、長引く不景気のせいで日本と日本人に余裕がないからでしょうね。ジャパン・アズ・ナンバーワンのころの日本なら、税金もろくに払っていない外国人が押し寄せても「だからどうした?」と余裕をもって対応できていたのではないでしょうか。

それともう二冊。左の京都本は京都の丸善で買いました。そして右の芦屋本は芦屋のジュンク堂書店で買いました。やはり、地元本は地元の書店で買いたいと思ったものですから……

まだ読んでいませんが、地元民でないとどんな読後感になるのでしょう。それにしても京都本は掃いて捨てるほど刊行されていると思いますが、芦屋本ってありましたっけ? 高級住宅街としての芦屋を取り上げたものがかつて出ていたかな、といううっすらした記憶はあるのですが、記憶が定かではありません。

ただ、芦屋と言ってもそれなりの広さがあると思いますが、全部が全部高級住宅街というわけではないんですよね。やはり六麓荘あたりがメッカなのでしょうか。行ったことありませんけど。