還暦を前にして性に目覚めてしまった?

たまたま買った新書2点。いみじくも共通するキーワードが「性」でした。

一つはハヤカワ新書の『人類学者が教える性の授業』、もう一つが光文社新書の『性的であるとはどのようなことか』です。どちらも下ネタではなく、極めて真面目な内容の本であることは言うまでもありません。

後者の著者、難波優輝さんは少し前に『物語化批判の哲学』を読みましたが、あたしにはかなり歯応えのある一冊でしたから、本書もきっと噛み応えのある内容なのでしょう。壇蜜推薦というのがちょっと笑えます。

一方の前者、タイトルだけを見て想像するのは、現在放送中の日テレ系ドラマ「パンダより恋が苦手な私たち」を思い出します。ドラマの方は求愛行動だけに興味・関心を持っている大学の先生が出てきますが。

ちなみに、後者の著者、奥野克巳さんの『入門講義 アニミズム』もつい先日楽しく読んだばかりでした。

こんな併読ありや、なしや?

年が明けて、乃木坂46は久々のアルバム発売を控え、日向坂46もニューシングルのリリースを控えております。どちらも楽しみですが、今回話題にしたい「シングル」はアーティストのアルバム、シングルのシングルではありません。井上和センターの「おひとりさま天国」で歌われた「シングル」のことです。

そのシングルとは、この二点の書籍です。まずはKADOKAWAの『60代バツなしおひとりさま、毎日ごきげん暮らし』です。著者の折原みとさんは、マンガ家としてはほぼ読んだことがなく、小説『乙女の花束』『乙女の初恋』『乙女の翼』をかつて読んだことがあるくらいです。

そのお陰で名前だけは頭に入っていたので、こんなエッセイが出たと知り、ついつい手に取ってしまったという次第。折原さんが独身であったということも、今回初めて知りました。

そしてもう一冊が岩波新書の『中高年シングル女性』です。著者の和田静香さんは全く存じ上げませんでしたが、著者略歴を見ると折原さんと一つ違い、同世代と言ってよいですよね。どこかの書店で、このお二人の対談でも企画してくれないかしら、と思っております。

昭和天皇の謎

中公新書から『昭和天皇』が発売されました。かつて同タイトルのものが発売されていましたが、今回のはその「増補版」で、著者も変わりません。

中公新書ではこれまでも「増補版」が刊行になるタイトルがありまして、わが家の書架を見てみますと『南京事件』と『キメラ』が「増補版」を刊行しています。

まずは『南京事件』をご覧ください。中公親書しての通し番号は旧版も増補版も同じ795です。増補版が刊行されたら旧版は絶版とし、新旧で入れ替えてくださいということなのでしょう。

そして『キメラ』の方も通し番号はどちらも同じ1138です。こちらも新旧の入れ替えを推奨しているようです。

ちなみに一つの本につき一つ割り振られるISBNコードというのがありまして、『南京事件』の旧版は「4-12-100795-6」、増補版は「978-4-12-190795-0」と一つ異なるところがあります。ISBNコードが10桁から13桁に変わったのはひとまず無視します。

『キメラ』も旧版「4-12-101138-4」ですが、増補版は「4-12-191138-5」となっていて、『南京事件』と同じ箇所が同じように異なっています。中公新書では、増補版は「9」を振るのが通例のようです。

ところがこのたび発売された『昭和天皇』は旧版は2105ですが、増補版は2888と新しい番号が振られています。通し番号が異なりますので、ISBNコードも旧版は「978-4-12-102105-2」なのに対して、増補版は「978-4-12-102888-4」と全く異なるものになっています。

「増補版」は同じ通し番号を使うという原則(法則?)が崩れています。これは編集部内で方針が変わったのでしょうか。それとも昭和天皇に敬意を表した措置なのでしょうか。いや、増補版で通し番号を変えるのが敬意を表わしたことになるのかわかりませんが……

あたしはこの三点以外の中公新書がどうなっているのかわからないので、これ以上はなんとも言えませんが、たまたま今回の新刊で気づいたのでちょっと書き留めてみました。

レフティではないのに……

晶文社の海外文学シリーズ《I am I am I am》の新刊が発売されました。今回のタイトルは「レシタティフ」と言います。作家の造語なのか、もともとこういう単語が存在していたのか、詳しいことはわかりません。

そんな『レシタティフ』をアマゾンで検索してみました。値段を調べようと思ったのもそうですが、どんな内容なのか、紹介文を読んでみようと思ったのです。

そういうわけで、検索窓に「レシタティフ」と入力しリターンキーをクリックしてみました。たぶん晶文社の新刊くらいしかヒットしないだろう、もしかすると洋書(原書)も一緒に検索結果に出て来るかなあ、と思っていました。

ところが検索結果に並んだのはゴルフクラブばかりです。下の方にスクロールしても晶文社の『レシタティフ』は出て来ません。

あらためて検索窓のところを見てみると、そこには「レフティ」と表示されています。あたしは間違いなく「レシタティフ」と入力したはずなのですが、検索は「レフティ」でされてしまったようなのです。どうしてでしょう。「レシタティフ」という言葉がないので、アマゾンが勝手に「レフティ」の誤植だと判断して検索結果を表示したのでしょう。全くもって余計なお世話です。勝手なことをするなと言いたいところです。

さて、この《I am I am I am》シリーズもこれで5点目になります。面白そうなタイトルが揃っているので、毎回買っています、読んだのは『ベル・ジャー』だけですが(汗)。

ところでこのシリーズ、ここまでの四点はすべてソフトカバーだったのですが、この『レシタティフ』はハードカバーです。シリーズでカバー回りの仕様が途中で変わるというのは、全くないことではないですが、極めて珍しいことです。

やはり『レシタティフ』にはソフトよりもハードだと、訳者と装丁家、そして担当編集者の間で意見が一致したのでしょうか。それにしても、こうして五点を並べてみるとどれも個性的なカバー装画ですね。シリーズでありながら、それぞれが独立した単行本をしても成立しているように感じます。

チョコでした!

昨日セブンイレブンで買ったケーキパフェ、早速食べてみました。

カップの蓋を開けると、こんな感じです。プリントありましたが、どこにプリンがあるのかわからない見た目です。チョコ好きにはたまらない感じです。

食べてみた感想は、チョコの苦さが意外と強いので、もう少し甘い部分があってもよかったかなあ、という感じです。前回も、そしてたった今も書いたばかりですが、チョコ好きであれば満足するのではないでしょうか。もちろん本当のチョコ好きですと、もっと高級専門店のチョコでないと認めないのかもしれませんが。

話は変わって、久しぶりのコンビニスイーツならぬ、久しぶりの岩波新書です。今月の新刊『EU』と『シオニズム』の2点を買いました。

このところヨーロッパ各国もポピュリズムに揺れていて、ヨーロッパ統合の夢は風前の灯火のようにも感じられます。ただ興亡の歴史をくぐり抜けてきたヨーロッパですから、きっと何か解決策を見出せるのではないでしょうか。

そして『シオニズム』、このところ中東を扱った新書が目に付きます。それもアラブ諸国というよりは、イスラエルとの関係、ユダヤ問題を絡めて扱ったものが多いように感じます。本書もそんな流れの中の一冊でしょう。

ご当地本

昨日から関西ツアーに来ております。すっきり晴れず、曇天の関西ですが、雨に降られないだけマシです。一生懸命仕事をしていると寒さもそれほど感じません。

そんな中、こんな二冊を移動の電車内で読んでいます。外国人がイコール中国人というわけではないでしょうが、地理的な近さもあって、中国人がそれなりの割合を占めているのも事実でしょう。

それが問題になるというのは、長引く不景気のせいで日本と日本人に余裕がないからでしょうね。ジャパン・アズ・ナンバーワンのころの日本なら、税金もろくに払っていない外国人が押し寄せても「だからどうした?」と余裕をもって対応できていたのではないでしょうか。

それともう二冊。左の京都本は京都の丸善で買いました。そして右の芦屋本は芦屋のジュンク堂書店で買いました。やはり、地元本は地元の書店で買いたいと思ったものですから……

まだ読んでいませんが、地元民でないとどんな読後感になるのでしょう。それにしても京都本は掃いて捨てるほど刊行されていると思いますが、芦屋本ってありましたっけ? 高級住宅街としての芦屋を取り上げたものがかつて出ていたかな、といううっすらした記憶はあるのですが、記憶が定かではありません。

ただ、芦屋と言ってもそれなりの広さがあると思いますが、全部が全部高級住宅街というわけではないんですよね。やはり六麓荘あたりがメッカなのでしょうか。行ったことありませんけど。

やりなおしではないのです……

日本文学も、海外文学も、それほど読んでいるとは言えないので、こういう紹介本はありがたいです。本書に限らず、似たようなものはいくつも出ていますが、岸本佐知子さんの帯文に惹かれて買ってしまったのがこちらです。

はい、津村記久子さんの『やりなおし世界文学』です。単行本の時には買っていなかったので、この機会にちょうどよいと思って買ってみました。

目次を見ますと、100近い文学作品名が並んでいました。もちろんタイトルは知っているものがほとんどですが、読んだことがない作品がほとんどというのが情けない限りです。まだまだ読みたい本が内外にたくさんあるものですね。

しかし、目次に挙がっている書名を眺めていて、あたしってこんなにも読んでいなかったのかと、ちょっと驚きと言いますか、愕然としたというのが正直なところです。

そもそも読んでいないので「やりなおし」ではなく、「いちから」というのが現在のあたしの立ち位置です。そして気になるのは、津村さん、この後もいったいどんな世界文学を読んでいらっしゃるのだろう、ということです。

流石、岩波新書?

書店を回っていますと、少し前から豊臣秀長に関する本がたくさん並んでいるのが目に付くようになりました。豊臣秀吉も加えて、豊臣家、豊臣政権などを扱った本が増えています。特に手頃な新書が激戦区になっています。

その理由ははっきりしています。来年の大河ドラマです。ですから、いまは豊臣秀長ですが、その一年前には蔦屋重三郎や田沼意次、松平定信などを扱った本が大量に出版されましたし、さらにその一年前には紫式部や藤原道長、源氏物語に関する本がたくさん刊行されていました。

いずれの時代や人物も興味があるので、あたしも何冊か買っていまして、今年も秀長に関する本を何冊も買ってしまいました。既に二冊ほど読んだのですが、同じ人を扱っているわけですから、内容の過半は同じようなことが書かれています。著者が変われば書きぶりも変わりますが、それでも同じ人、同じ時代や地域を扱っているのですから、既視感があるところもあります。

好きだから、興味があるから何冊でも買って読む、という読書スタイルもありますが、やはり飽きちゃうと言うと語弊がありますが、もう少し視点を変えたものも読みたくなるものです。

そんな中で見つけたのが岩波新書の『豊臣家の女たち』です。多くの出版社が秀吉・秀長兄弟にフォーカスした本ばかりを出しているのを尻目に、こちらは豊臣家の女たちをです。こういう変わり種を出してくるところが岩波新書らしいなあと感心してしまいます。

3分の2ですが……

タイトルの話題について書く前に、本日の朝日新聞「惜別」ページに載っていた記事をご紹介します。

たぶん多くの方が「この人、誰?」という状況だと思います。たぶん、あたしだってそうなる確率が高かった、否、きっとそういう人の一人だったと思います。

でも、たまたま勤務先からこの方、「朝子」の評伝を刊行していたので知っていたのです。もうかなりのお歳で、それでもインドでご健在だということはうっすらと聞いていましたが、つい先日、あたしの勤務先にも訃報が飛び込んできました。

ちなみに朝子さんの評伝は、『インド独立の志士「朝子」』です。現在品切れなので、どうしても読んでみたいという方は、古本屋を探すか、電子書籍をご購入くださいませ。

さて、ようやく本題。最近、台湾の作品『地下鉄駅』という小説を買いました。台湾でも評判の作品のようです。カバーもなかなかよいですね。

地下鉄と言いますと、かつて読んだ『地下鉄道』も素晴らしい作品でした。売れた理由がわかります。そしてレーモン・クノーの『地下鉄のザジ』と並べると、なにやら地下鉄三部作のように見えてきます。『地下鉄のザジ』もまだ読んでいないので読まなければと思ってはいるのですが、次から次へと読みたい本、読まなければいけない本が現われるので……

ちなみに『地下鉄のザジ』の作者レーモン・クノーがまとめたコジェーヴの『ヘーゲル読解入門』もまもなく発売になります。しばしお待ちを。

令和のルリユール

ルリユールという言葉をご存じでしょうか。本に興味をお持ちの方であれば知名度は高いと思いますが、一般的な世間の知名度はそれほど高い言葉ではないと思います。どこかのマンションの名前かと思ってしまった人も多いのではないでしょうか。

辞書などで調べれば簡単に答えは見つかりますが、ルリユールとはフランス語で、装丁家とか装丁という意味です。写真などで見たことある人も多いと思いますが、海外の図書館や美術館に所蔵されている本を見ると革張りで豪華な装飾の付いた本があります。ああいう本は所蔵者が調度品として、自分の趣味に合った装丁を施しているのです。

日本では、装丁とはちょっと違いますが、きれいな紙を用意して、能書家に筆写してもらう歌集や物語を所蔵することが貴族の間でも流行っていたと思います。意識としては共通するのではないでしょうか。最近ですと、平凡社から『その本はまだルリユールされていない』という小説が出ていますので、造本、装丁の世界を少し覗いてみることができます。

そんな本を読んだからでしょうか。ちょっときれいな、美しい本を見かけると手に取ってしまいます。もともと本が好きな人というのは内容だけでなく、タイトルや造本にも関心があり、それだけで買ってしまうという衝動は理解してもらえるのではないかと思います。

で、こんな本を見つけました。二子玉川にあるSprout Books and Artで買いました。かけてもらったブックカバーを外すと二枚目の画像のような本です。写真だと見づらいですが、金箔を使った美しい表紙です。手作り感が感じられる装丁です。

上記の『その本はまだ……』を読むとわかりますが、傷んだ本、古くなった本を修理するのに、自分なりの趣味を加えたものにするべく装丁家にお願いするのが多いのでしょう。愛着の本がボロボロになっていたらやはり哀しいものです。

もちろん、もともとの装丁が気に入っている場合もあるでしょうが、そういう機会に思い切って自分なりの装丁にしてしまうのもアリではないでしょうか。ただ個人的には、購入(ダウンロード)した電子書籍を自分なりの紙に出力し、凝りに凝った装丁で製本するようなことも、これからのルリユールとして流行するのではないかなあ、などと考えています。