それなりに架蔵しているものです

少し前に最近の通勤電車でよく読んでいるとご紹介した『親王殿下のパティシエール』ですが、第4巻では詩人の袁枚が登場しました。袁枚と言えば、岩波文庫の『随園食単』ですよね。同書の巻末参考文献リストにも載っていました。

あたしはもちろん架蔵しておりますが、いまでも出版社に在庫はあるのでしょうか? この岩波文庫版で翻訳をしている青木正児の『華国風味』もわが家の書架で『随園食単』の隣に備えておりました。必要な書籍はそれなりに買い揃えてあるものだと、われながら感心してしまいます。ちなみに青木正児は「あおき まさる」と読みます。

そして第5巻です。

第4巻の参考文献にも挙がっていましたが、第5巻の参考文献に挙がっている書籍の一冊が『中国くいしんぼう辞典』です。これも、わが家の書架にありました。

と、自慢話みたいになってしまいましたが、上がっている参考文献は、もちろん架蔵していない書籍ばかりです。著者がいろいろ博捜して本書を執筆していることがうかがえます。

第6巻が6月半ばに刊行予定ですが、まだまだ続くのか、これが最終巻なのか、そういう情報はどこにも載っていませんが、個人的には楽しく読んでいます。あとは、当時の北京城内図、それも王府の一までしっかり書いてある詳細なものが欲しいものです。

香港はどうする?

最近買ったガイブンに『チベット幻想奇譚』と『路上の陽光』があります。どちらもチベットの作品です。

チベットの作品は「その他の外国文学」なのか、それとも中国文学なのか悩ましいところです。昨日のダイアリーで、自宅書架の整理をして、中国大陸の作品と台湾の作品を分けて配架するようにしたと書きましたが、チベットや(架蔵はしていませんが)ウイグルなどの作品はどうしましょう?

それを考えると、中国大陸には朝鮮族やモンゴル族の人たちも済んでいますが、彼らの作品はどう分類したらよいのでしょう? 朝鮮族、モンゴル族だと言うだけで、特にその民族的なルーツを感じさせない作品であれば中国文学(大陸の作品)と一緒に並べればよいでしょうが、いかにもモンゴルっぽい、朝鮮っぽい作品だと上述のチベットやウイグルと同じ扱いにした方がよいのかもしれません。

そして、もう一つ悩ましいのが香港です。『辮髪のシャーロック・ホームズ』という作品を読み始めたのですが、香港の作品も、大陸中国とはちょっと雰囲気の異なる独自のテイストを持った作品が多いですから、これを中国文学に含めてよいのだろうかと思います。

むしろ香港の作品は、同じ繁体字だからと言うわけではありませんが、共産主義社会ではなかったということもあり、台湾文学との親和性の方が高いように感じられることもあります。とはいえ、やはり台湾と香港ではもちろん大きな違いもあるので、やはり分けるべきだと思います。

まあ、いまのところ、そこまで悩むほど中華圏の翻訳作品を架蔵しているわけではないので、だいたい近くの書架にまとめて並べて置いておけば問題ないわが家の書架ですが、気になりだすときりがありませんね。

海峡両岸問題

今日は5月4日、中国では五・四運動の日ですね。現在の世界史の教科書では五・四運動ってきちんと教えているのでしょうか? いや、世界史ではなく日本史の対華二十一ヶ条要求の流れで教わるのでしょうか?

それはともかく、五・四運動と聞くと、あたしは中江丑吉を思い出します。暴徒に襲われた政府高官を匿ったのですよね。もちろん運動に立ちあがった民衆からすれば、自分たちは暴徒ではないし、襲った相手も売国奴になるわけですが、窮鳥懐に入れば漁師も殺さず的な中江丑吉の態度は素敵です。

さて、話は変わって、わが家の書架。少し前から気になっているところがありまして、GWなので少し整理しようと思いました。

出版界でも数年前からの韓流ブームがありまして、現在もたくさんの翻訳書が刊行されています。この状態もまだブームが続いていると呼ぶのか、あるいはブームは一段落したと呼ぶべきなのか、あたしには判断できませんが、この韓流ブームに続くように中国の作家の翻訳作品も数多く出版されるようになりました。

一枚目の写真は、そんなわが家の書架の一角です。書架の上に、主に中国関係の小説を並べています。韓流はフェミニズム作品が多いのに対し、華流はSF作品が多いのが特徴です。やはり『三体』の大ヒットが影響しているのでしょう。

もちろんSFだけが華流ではなく、それ以外の作品も刊行されています。二枚目の写真は閻連科の作品を中心に並べている書架になります。邦訳されている閻連科作品は、たぶんすべて揃っていると思います。

しかし、ここにも中国SFが数冊混じっています。そして一枚目と二枚目の写真を見て気づかれましたでしょうか? なんかいろいろな作品がごっちゃに並んでいるのです。特にあたしが気になっているのは、中国大陸の作品と台湾の作品が混ざってしまっている点です。言うなれば、わが家の書架における海洋両岸問題です。

そこで少しだけ模様替え。並べ替えてみた書架が三枚目の写真です。

書架の右側に中国大陸のSF作品を集め、左側は台湾の作家の作品を並べてみました。書肆侃侃房の「現代台湾文学選」はあと一冊刊行されるそうなので、その分のスペースを空けてあります。

閻連科のところはあまりいじくらず、台湾の呉明益作品は別の書架へ移動させました。たぶん、こんな調子で邦訳が刊行され続けると、ここもすぐにいっぱいになって、再び書架の模様替えを行なわなければならなくなるでしょう。

自分再発見?

《エクス・リブリス》の最新刊『人類対自然』読了。

なんとも言えない読後感です。

すっきりするとか、明るい気持ちになるとか、そんなありきたりな読書感想を求めたら思いっきり裏切られます。

ただ、あたし的にはとても面白かったですし、非常に親近感を覚えました。

この短篇集、どの作品も、イヤな感じの人ばかりが登場します。よく「登場人物全員よい人」的な小説もありますが、むしろその逆です。ただ、そのイヤさ加減が絶妙で、「どこにでもいるよね、こういう人!」という感じなのです。

だから、どの作品の主人公や登場人物も、決して友達にはなりたくないし、身近にいたら警戒してしまいそうです。そして、そんなところに親近感を覚えます。たぶん、自分に通じるものを感じてしまうからでしょう。

自分のことが大嫌い、という人は、読んだらきっと短篇のどれかで自分を発見するのではないでしょうか、そんな作品です。

申し訳ないことですが、同一人物に見えませんでした

掃除婦のための手引き書』が大ヒット(?)したルシア・ベルリンの新刊が刊行されました。

今回も「ルシア・ベルリン作品集」という副題が付いていて、同じ装丁で揃っていますね。いい感じです。

あたしが『掃除婦のための手引き書』を読んだときは、なんとなく勤務先から出ていたサンドラ・シスネロスの作品にちょっと似ているなあと思いながら読みました。著者の力強い生き様に共通するものを感じたのだと思います。

そんなルシア・ベルリンですが、『掃除婦のための手引き書』が文庫になり、書店の方から「もうじき新刊も出るらしい」と聞いていたので楽しみにしておりました、それがこちら、『すべての月、すべての年』です。

最初にも書きましたが、装丁の雰囲気は揃っていますし、著者本人の写真を印象的に使っているところは同じ路線ですね。ただ、この写真の二人、よーく見ると理解できるのですが、パッと見たときには同じ人だとは思えませんでした。

写真って、写り方(撮られ方)で全然違った印象になりますが、これはずいぶんと違いませんかね? 印象的な目元、意志の強そうな表情がルシア・ベルリンの魅力なのでしょう。ほぼ自分のことを書いているとおぼしき作品世界の主人公に相応しい顔であり、雰囲気をまとっていますね。

姪っ子に推薦する予定?

営業回りの移動の電車の中で『親王殿下のパティシエール』を読み始めました。もともとは姪っ子に買ってあげようと思って選んだ本なのですが、舞台が清朝の親王邸ということもあり、まずは自分で読み始めてしまいました。

ちなみに、あたしに妹のところには娘(つまりあたしから見たら姪っ子)が二人いまして、一人(上、今年中三)は犬が大好きで、将来は獣医か、それがダメでも犬に関わる仕事がしたいらしいです。なので、犬に関するエッセイや小説を見つけると買ってあげています。

そしてもう一人(下、今年小六)はお菓子が好きで、将来はパティシエになりたいと、いまのところは言っているので、パティシエとかお菓子に関する小説などを買ってあげています。ただ、犬の小説はそれなりにありますが、お菓子やパティシエがテーマの小説はやや少ないですね。そんななか見つけたのがこの作品でした。

そして、この作品の参考文献として挙がっていたのが、あたしの勤務先の刊行物『王のパティシエ』でした。こんなところで見覚えのある本が出てくるとは、なんとも不思議な気分です。ただ、現在この本は品切れなんです。

さて、まだ読み始めたばかりなのですが、本書は母親が漢族であるフランス人の少女が、フランスに来ていた清朝の親王と共に中国へやって来て、その屋敷の調理場でお菓子作りをするという話のようです。

まだお菓子を作るところまでは行っていませんが、そんなストーリー展開らしいです。お菓子作りはともかくとして、清朝の皇族の暮らしや当時の中国の様子がどのように描かれるのかが非常に興味深いです。既に文庫本が数冊刊行されているようなので、面白ければ、続巻も買って読んでみたいと思いますし、小六の姪っ子でも楽しめる内容か否か、判断したいと思いながら読んでいます。

短篇の名手?

郊外のフェアリーテール』を購入しました。

亜紀書房の《ブックスならんですわる》シリーズの第二弾です。第一弾は『青と緑』で、副題にもあるとおり、ヴァージニア・ウルフの短篇集で、今回の第二弾はキャサリン・マンスフィールドの短篇集です。

亜紀書房のこのシリーズは、女流短篇集で行くのですかね? 第三弾も楽しみです。

ところで、キャサリン・マンスフィールドと言いますと、あたしの勤務先からも『不機嫌な女たち』という一冊を出しております。非常に面白い短篇が集められていました。

そして新潮文庫にもそのものズバリ、『マンスフィールド短編集』という一冊があります。あたしも自宅の書架に備えておりました。

ちなみに、マンスフィールドは来年、2023年の1月9日が没後100年にあたります。それまでに各社から何冊か作品集が刊行されるのでしょうか?

これぞ八重の桜?

長篇の『ケンジントン公園』もようやく半分ほど読み終わりました。まだ先が長いです。《エクス・リブリス》シリーズは既に次の『人類対自然』も刊行されているので早いこと読み終えないと!

そんな風に読みたい本がどんどん溜まっていく今日この頃ですが、書店でこんな本が目に留まり、ついつい買ってしまいました。『読書セラピスト』と『編集者とタブレット』です。タイトルからも想像がつくとおり、どちらも本をテーマにした作品ですよね。やはり本好きとしては気になってしまいます。

ところで、少し前に近所の桜のトンネルを写真と共にご紹介しましたが、そちらは既に葉桜になっています。地面には桜の花びらも減り、おしべとめしべがゴミのように堆積しています。

しかし、そんな桜のトンネルの入り口付近に一本だけ時季を外して咲く桜があります。それが左の写真です。いまが盛りと咲き誇っています。

写真でわかっていただけるかなんとも言えませんが、実はこの桜は八重桜です。八重桜という明正が正しいものなのか俗称なのか、正確なところはわかりません。ただ、素人が見えてもソメイヨシノとは違うことははっきりしています。一つ一つの花がこんもりとしていて、色もソメイヨシノが白に近いのに対し、こちらはまさにピンク色です。

それなりに交通量のある交差点に面しているので、なかなかシャッターチャンスがなかったのですが、なんとか二枚撮ってみました。ほとんど同じ構図なのはお許しください。同じ場所から撮ったものですから。

もう少し撮影場所を変えてもよかったのですが、時間的に逆光になってしまい、桜全体も暗い感じの写真になってしまいそうだったので諦めました。

先に満開と書きましたが、根本付近には既に花びらが散っているのが見て取れます。この桜の見頃もあと数日と言ったところでしょうか。しかし、少しタイミングをずらして二種類の桜を、自宅の近所で楽しめるなんて、なかなか贅沢なことではないでしょうか。

源氏とは?

講談社学術文庫の『源氏の血脈』を購入しました。

ところが自宅の書架には『武門源氏の血脈』という一冊を所蔵しておりました。著者は同じ方です。

はい、単行本の文庫化です。文庫になる時に出版社が変わるのも昨今はよくあることですね。単行本は中央公論新社から出ていました。

なので、文庫化されたものだとわかったうえで買っています。文庫には単行本からちょっと追加があるみたいです。

さて、あまりにも高額な専門書までは手が伸びませんが、このくらいのものですと、源氏に関する書籍ってどうしても気になってしまいますし、ついつい買ってしまいます。

ところで「源氏」という言葉を最初に知ったのは、たぶん源平合戦を学校で習ったころだと思います。NHKの大河ドラマも「草燃える」を放映していた時代だと思います。「平家が亡んで源氏が鎌倉幕府を打ち立てた」という単純な歴史事実をまずは覚えたのだと思います。

ついで、その平家の興亡を描いた作品が『平家物語』だと知り、それとほぼ同時期に『源氏物語』という作品を知りました。ただ内容までを知ったわけではないので、『源氏物語』は『平家物語』に対して源氏三代の興亡を描いた文学作品だと長いこと思い込んでいました(汗)。

まあ、広い意味では「源氏」で間違いはないんですけどね。

ブックカフェ!

先日『蝶のしるし』を読み終わったのですが、あれよあれよと言う間に、この《台湾文学ブックカフェ》全三巻が完結してしまいました。

第二巻が『中篇小説集 バナナの木殺し』、第三巻が『短篇小説集 プールサイド』です。ちなみに『蝶のしるし』は「女性作家集」になります。

第二巻が出る前に第一巻は読み終わっていたのですが、その後自社本の『スモモの木の啓示』を読み、続けて河出書房新社の『安魂』を読み始めてしまい、うっかりしている間に完結していたというわけです。

でも、『安魂』が今日にも読み終わりそうなので、ようやく《ブックカフェ》に戻れそうです。ちなみに、カフェとはコーヒーのことですが、あたしはコーヒーは飲めません。