やっぱりダメだ……

亜紀書房の『大都会の愛し方』読了。

韓国のクィア小説ということですね。こういう作品はボーイズラブ(BL)とは呼ばないのでしょうか? ボーイズラブの定義をよく理解していないので……

まあ、とにかく男性の同性愛の物語です。

と、ここまでの書きぶりから嫌悪感を抱いて読んだみたいな印象を持たれたでしょうか? 確かに、若干の嫌悪感を抱きました。ただし、それは同性愛の描写に対してではなく主人公の生き様についてです。

あたしって、やはりなんだかんだ言っても根は真面目なんですね。几帳面と言ってもよいかも知れません。いや、世間で言われるほどの潔癖なタイプではなく、意外といい加減なところもあるとは思います。ただ、生活習慣に関してはかなり保守的で、ちゃんと学校へ行き、出された課題はきちんと済ませるような学生時代、もちろん遅刻や欠席などもってのほか、といった学生でしたし、社会人になってからも9時までには出勤し、時間にルーズな人は許せないと感じてしまうタイプの人間です。

ですから、この主人公のように、なんとなく生きていて、その時の思いつきで後先考えずに行動し、それだけならまだしも周囲の人間を巻き込んでしまうタイプの人間はどうしても好きになれません。読んでいて感情移入しづらい主人公でした。こんな奴が身近にいたら嫌だなあ、と思いながら読んでいました。もちろんその「嫌だなあ」という感情は同性愛者に対する嫌悪ではなく、いい加減な生き方をしている態度に対する嫌悪なのですが。

とはいえ、物語は楽しく読めました。同性愛の世界は、もちろん知らないことだらけなので、この作品に描かれていることがすべてだとは思いませんが、なんとなく彼らなりの苦労もあれば楽しみもあるのだということがわかりました。韓国の小説ですが、これが日本だとどうなのでしょうね。

おぼろげな記憶

講談社現代新書の『土葬の村』を読み終わりました。

いま土葬されたいという人が少しずつ増えているという、そういう動きがあるということに驚きましたが、それも含めて全体として非常に興味深い一冊でした。

ところで、この本の中でも触れられているのですが、母の田舎では村の決まった場所で遺体を燃やしていたそうです。母が子供のころ、暗闇の中、遺体を燃やす炎が遠くにチラチラしているのを見た記憶があるそうです。そして時々は係の人がそこへ行って、ムラなく燃えるように火の具合などを見守っていたそうです。

もちろん現在はそんなことはやっていないようで、たぶん母もいま田舎へ帰ったとしても、かつて遺体を燃やしていた場所がどこだったのか、すぐには思い出せないことでしょう。しかし、少なくとも母が子供のころ、つまり戦後しばらくの間、母の田舎ではそんな火葬が行なわれていたようです。

ちなみに、母の田舎は新潟県です。新潟市の方ではなく、もっと富山県寄り、上越市です。ただ、上越市になったのは平成の市町村大合併の時で、それ以前は村でした。上越市から東へ、自動車でも30分から40分くらいの山の中です。

話は変わって、こんどは父方の田舎。場所は千葉県の外房。房総半島というところまでは行きません。白子町という九十九里海岸沿いの小さな町です。

小学生のころまでは夏になると遊びに行っていたのですが、その田舎の墓地であたしは籠のような形をしたものを見かけ、これは何かと聞くと、その中に仏さんが入っていると教えてもらった記憶があるのです。大きさや形としては、時代劇で罪人が入れられて市中引き回しされる時の籠のような感じですが、紙なのか布なのか何かが貼ってあったため中は見えないようになっていました。

いわゆる座棺だったのか、子供のころの記憶ですから上に書いたこともおぼろげで、全く自信はありません。その当時、田舎で身近に亡くなった人がいたわけでもなく、たまたま墓場で見かけたもので、本当にあの中に遺体が入っていたのか不明です。その当時のあたしの認識では、その中に入れて運んできた遺体は埋葬され、その籠だけが墓場に残されている、という印象だったのですが、もし棺であればそのまま埋葬するはずですよね。

となると、あたしは何を見たのでしょうか?

得も言われぬ読後感?

《エクス・リブリス》の新刊『もう死んでいる十二人の女たちと』を読了しました。

この数年ブームの韓国文学? 確かにその通りです。ただ、この数年の日本における韓国文学ブームは「=フェミニズム」といった作品が多かったと思いますし、話題になるのもそういった作品ばかりだと思いますが、本作はそれとは一線を画しています。

あたしの少ない読書経験からしますと、韓国文学と言えば『こびとが打ち上げた小さなボール』に代表されるような辛くて重い歴史を踏まえたもの、『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』のような経済危機に打ちのめされたサラリーマンの悲哀を描いたもの、そして『82年生まれ、キム・ジヨン』に代表されるフェミニズムだと思ってきました。ところが、本作はそのどれにも当てはまりません。

それぞれの要素を少しずつ取り込んではいるものの、それらのどれとも異なり、幻想的なようでもあり、SF的な感じもしていて、得も言われぬ読後感、否、読中感を感じながら読んでいました。作品の世界にうまく入り込めないと「いったい何を描いているんだろう?」と感じてしまう作品もありますし、「いったい何にこだわっているのだろう」と感じられるものもあります。

たぶん光州事件とか、セウォル号沈没事故といった韓国国内の事件、事故をあたしも身近に感じられればより作者の気持ち、言わんとしていることが迫ってくるのでしょう。そのような意味では古里原発事故を踏まえた作品は福島の原発事故を体験している日本人には理解しやすい、感情移入しやすい作品ではないかと思います。

とはいえ、このような社会問題を踏まえて、それらを声高に非難したり告発したりする作品ではありません。どの作品にも共通して感じるのは、主人公や登場人物の中から何かがすっぽりと抜け落ちてしまっているような感覚です。これをどう表現したらよいのか難しいですが、最近のフェミニズム寄りの韓国文学に飽きてしまった方には是非一読をお薦めします。

岩波新書「10講」シリーズの傾向?

岩波新書の『ヒンドゥー教10講』を買いました。岩波新書の「10講」シリーズはこれで7冊所蔵したことになります。

ひとまず『ドイツ史10講』だけカバーの装丁が異なるのは触れずにおくとして、歴史ものの「10講」はヨーロッパ諸国ばかりなのに対し、思想ものの「10講」は東洋に偏っている気がします。いな、気がするどころか、現状では完全にそうなっていますよね? そういう編集方針なのでしょうか?

となると、歴史の方はヨーロッパの主要国から固めていくのであれば、スペイン、オランダ、ポルトガル、ポーランドといったあたりが次に来るのでしょうか? ベネルクス三国とかバルト三国などは三か国まとめ一冊になってしまうのでしょうか?

東洋思想の方は、儒家思想はありそうですよね。仏教は一冊で語れるでしょうか? 東洋という括りであれば、日本思想、神道とかがあってもよさそうです。ゾロアスター教とか西アジアはラインナップに入ってくるのでしょうか?

晩年に枯れていない?

このところ通勤電車の中で読んでいるのがこちら、『晩年のカント 』です。

著者も書いているように、カントと聞くと道学者然とした、非常に几帳面な人物をイメージしてしまいますが、どうもそうではなく、もっと人間臭いところがたくさんあるようなのです。それでも、毎日時間通りに散歩していたといった、几帳面なところはその通りだったようです。とはいえ、喜怒哀楽もかなりあって、本当に興味深い人です。

で、読み始めてみまして、非常に面白いです。グイグイ読んでいけます。カント哲学の小難しい世界に入っていくわけではないので、スラスラ読めます。半分ほど読んだところなのですが、後半も楽しみです。

そんな晩年のカントを読んでいて思い出したのがこちらの本、『純粋理性批判殺人事件』です。角川文庫の上下本です。

この本は、推理ものはあまり好んで読むわけではないあたしがタイトルに惹かれてつい買ってしまったものです。基本的には哲学が好きなんですよね、別に詳しいわけでも特異なわけでもないのですが……。

タイトルや帯の惹句を読むと、さもカントが名探偵として難事件を解決するのかと思いきや、カントはほとんど出て来なかったはずです、もう記憶がやや曖昧なのですが(汗)。謎解きをするのもカントではなく、別の登場人物だったはずです。カントの言葉が事件解決のヒントになっていたかな、くらいの記憶はありますが、「名探偵カント」は登場しませんので悪しからず。

なおかつ、本書は既に品切れになっているようですね。興味を持たれた方は図書館で借りるか、古本屋を探してみてください。

コンプリートはしていませんが……

温又柔さんが『魯肉飯のさえずり』で織田作之助賞を受賞されたということで、あたしの勤務先も何点か刊行物があるので書店に案内をしました。

翻って、あたし自身はと言いますと、温又柔さんの作品をこれだけ(右の写真)読んでおりました。温さんの作品のすべてではありません(汗)。

なんだかんだ言いながらも『台湾生まれ 日本語育ち』はエッセイですので、最初の一冊としてはとても読みやすい作品だと思いますが、個人的に好きなのは『真ん中の子どもたち』だったりします。

その理由は、作品中では主人公が中国への語学研修に参加するのですが、そこに描かれている時期が、ちょうどあたしも中国へ語学短期研修に行っていた時期と近かったからです。日本を抜いてアメリカに迫ろうかという昨今の中国ではなく、それよりも少し前、まだまだ日本ははるか先を走っていた時代の中国です。そんな感じが、あたしにはとても懐かしく感じました。ただし、主人公が訪れたのは上海で、あたしは北京でしたけど。

一か月間(4週間)の語学研修を北京で受け、その後の一週間は卒業旅行として洛陽、西安、上海を巡りました。上海滞在中には一日蘇州へ行ったりもしたのですが、上海自体は二日くらいの滞在でした。

そのころの旅行記と写真はこちらのページに置いてありますので、ご興味がおありの方は読んでみてください。時期を正確に記しますと、1988年の2月下旬から3月下旬までのことです。円と元と相場は今とはかなり異なりますが、中国の物価が今とは比べものにならないくらい安かったので、それほど持ち合わせがあったわけではないのですが、なんか自分がものすごい金持ちになったような気分味わいました。

そうそう、当時はまだ兌換券が使われていた時代でしたし、王府井には「東安市場」ではなく「東風市場」があったのです。上記ページに載せているその当時の写真は、今の北京っ子に見せても信じられない情景なのではないでしょうか?

長篇なのにグイグイ引き込まれます

新刊『見えない人間(上)』『見えない人間(下)』が非常に面白いです。ご覧の通り、上下巻の長篇なのですが、そんな長さを感じさせないくらいに、どんどん読み進めてしまいます。

いや、実際のところ、ずいぶんと細かい描写が多くて、「こんなことまで描かなくとも……」と思えなくもないです。ただ、しばらく読んで慣れてしまうと、そんな感じはどっかへ行ってしまい、むしろ映画かドラマを見ているように細部までが映像として浮かび上がってきます。

時代は1930年代のアメリカです。あたしはアメリカ史にも黒人の歴史にも詳しくはないので、その時代の黒人の立ち位置というものがよくわかりません。ましてや本文中で何度か言及される南北の地域差といったものについてはからっきし門外漢です。ただ漠然と「なんだかんだ言っても、つい最近まで黒人に対する差別や偏見は続いていたんだな」という印象を持っているくらいです。

今のところ、黒人ゆえにもがき苦しむ主人公、黒人も白人も決して一枚岩ではないアメリカ社会の有り様が面白く、下巻の半分くらいまで読み進んできましたが、最後どうなるのか、非常に楽しみです。

BLではなくて……

少し前に李琴峰さんの『星月夜』を読みました。台湾や中国にルーツを持ち、日本で暮らす女性の同性愛がテーマになっています。

異国で暮らす苦労や違和感、居心地の悪さと、同性愛者として暮らすことの居心地の悪さ、そんなことが丁寧に描かれていました。

李琴峰さんの作品は『独り舞』『五つ数えれば三日月が』も読んでいまして、やはり同性愛がテーマになっていたので、作品世界には抵抗なくすんなりと入り込めました。

いま、本書の感想はおくとして、個人的にはこういう同性愛の作品が普通に増えてくるのは嬉しい傾向だと思います。もっともっと増えてくれるとよいなあと思いますし、いろいろなタイプの作品を読んでみたいと思います。

が、女性作家が女性の同性愛を描く作品は、こうして少しずつ増えてきていると思うのですが、男性の同性愛作品ってあるのでしょうか? あたしが知らないだけなのでしょうか?

男性同性愛というと、森茉莉さんの作品などで読んだことがありますが、最近だとBLといったジャンルがあります。でもBLと言ってしまうとちょっと違う気がします。それに森茉莉さんの作品も同性愛をテーマにした作品なのかと言われるとどうなのでしょう? 少なくとも李琴峰③の作品の女性をそのまま男性に置き換えたようなものではないと思います。

女性作家が女性の同性愛や男性の同性愛を描くように、男性作家が描く男性の同性愛、女性の同棲の作品って何かあるのでしょうか? あったら読んでみたいものです。もちろんAVまがいの作品はお断わりですが。

着実に増えていく……

数日前にご紹介した、わが家の曼珠沙華。その時にはまだ蕾が残っていましたが、すべて咲きそろいました。

昔から「立てば芍薬」と言いますが、あたしはこの曼珠沙華の凛とした立ち姿が好きです。そして、なんといっても華奢な姿態、これがたまりません。

曼珠沙華は、墓地やあぜ道になどに群生しているイメージがありますが(特に赤い花の曼珠沙華は)、こんな風に植木鉢で一輪だけですと、その華奢さがより強調されてしまいますね。

そして、群生とまでは言えませんが、わが家の玄関先にはもう一輪、曼珠沙華が咲いています。

そちらも、ご覧のように満開です。お彼岸の訪れと共に咲き始め、お彼岸が終わるのと歩調を揃えるように散っていくようです。たぶん、あと数日の命でしょう。

そんな儚さが、染井吉野に通じていて、あたしが好きな理由かも知れません。パッと咲いて、パッと散る、その刹那の美しさ、なんとも言えません。来年は、もっと株を増やしたいですし、できることなら黄色い曼珠沙華も庭に咲かせてみたい者です。

さて、話はまるで変わってしまいますが、最後の写真はわが家の書架、その中でも韓国文学を主に並べている棚です。

気づくと各社から新刊が出ていますし、これからも出るようです。とても全部を追い切れませんが、それでも気になったのは購入して読んでいます。

さて、刊行されている韓国文学はブームの牽引役であるフェミニズム系の作品が多いようですが、もっといろいろなタイプの韓国文学が紹介されると、もっと裾野が広がると思うのですが、どうでしょう?

ところで、あたしの書架、気づくと並んでいる韓国文学が増えています。そろそろ別のスペースを準備しないと置ききれなくなりそうです。

やはり顔がない

82年生まれ、キム・ジヨン』で一大ブームを巻き起こした韓国文学のチョ・ナムジュさんの新刊が同じく筑摩書房から刊行されました。

彼女の名前は』です。

早速購入しました。これから読みたいと思います。

前作は思わず目を惹く印象的な装丁(カバー装画)でしたが、今回は前作に比べるとちょっと地味かなという感じがしますが、よーく見ると今回も顔がないんですね。

顔がない、という表現は正しくないでしょうか。もしかすると「表情がない」と言った方がよいかも知れませんし、その方が著訳者や担当編集者が狙ったものをつかめているのかも知れません。ただ、そんな装丁ですから内容もおおよそ伝わってきます。

オビ推薦に伊藤詩織さんの名前が見えますが、ちょうどTIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたタイミング、本書の販売には非常に強い追い風になりそうですね。