店頭で見つけた新刊などなど

ネットの情報も追ってはいますが、やはり書店に行った方が新刊に限らず、気になる本を見つけやすいですね。そう思ってしまうのは、ネットリテラシーが足りないからでしょうか。

そんな店頭で見つけた本の一つが、翻訳家・岸本佐知子さんのエッセイ『ひみつのしつもん』です。このたび文庫になりました。ちくま文庫ではこれで三冊目ですね。

こうして並べてみると、単行本を踏襲しているわけですが、ずいぶんあっさりとした装丁だなあという印象です。改めて感じてしまいました。

続きましてもう一冊。書店の店頭で『毒と薬の蒐集譚』という本を見つけました。なんか似たタイトルの新書があったなあと思い出したのが、中公新書の『毒と薬の世界史』です。実は検索してみると、タイトルに「毒と薬」を含むものって意外とあるのですね。

それにしても「薬と毒」ではなく、「毒と薬」なんですね。毒の方が先に置かれるとは、やはりその方がキャッチーなのでしょうか。あるいは単純に声に出したときのリズムが「薬と毒」よりも「毒と薬」の方が滑らかだからでしょうか。

それにしても、自然界にある多くのものは、薬にもなれば毒にもなるものですね。どちらになるかは使う人次第ということなのでしょう。

「待ってました!」の次は「待っています!」

あたしは子供のころから、それほどマンガを読むようなこともではありませんでした。毛嫌いしていたわけでもなければ、マンガを読むクラスメートをバカにしていたわけでもありません。そこまで本の虫ではありませんでした。

ただ単純に、少年サンデーとか少年マガジンとか、そういった少年マンガ誌を買うことがなかったというだけ、マンガが嫌いなわけではありません。もちろんテレビのアニメだってたくさん見てきました。ですから、大人になってからも、ちょっと気になるコミックなどは買うことがありました。

そして今回買ってみたのがこちら、『神聖ローマ帝国 三十年戦争』です。そもそもコミックで神聖ローマ帝国が読めるなんて驚きです。こんな連載があったことも知らなければ、著者のこともまるで知らないのですが、ついつい買ってしまいました。

考えてみますと、ここ十数年、コミックもしっかり歴史を踏まえたものが増えましたね。専門家から見ても十分鑑賞に堪えるような作品が多くなっていると思います。学習まんがのバリエーションとして考えてよいかも知れません。

コミック売り場で探してみたことはありませんが、思わぬ時代や人物を描いたコミックが結構出ているものです。そのうち、こういう作品ばかりを集めただけでも、十分に書店の世界史の棚を埋められるようになったりするかも知れません。

それが果たして人文書の棚と言えるのか、異見のある方もいらっしゃるかと思いますが、それくらい時代考証もしっかりしていて、コミックだからといって侮れない作品が増えているということでしょう。専門書に挑むにはハードルが高すぎるから、まずは新書で肩慣らし、という方も多いと思いますし、あたしもそうなんですけど、これからはコミックから専門書に進んでくる人も多くなるのではないでしょうか。

ところでこの『神聖ローマ帝国』なんですが、今回発売されたのがコミックの第一巻です。そして巻末に「次巻予告」とあるのですが、発売はなんと2024年10月頃とあります。これってほぼ一年後のことですよね。全何巻になるのかわかりませんが、完結まで何年かかることやら……

待ってました!

ずいぶん前に注文していた書籍が届きました。忘れたころに注文品が届くというのは、書籍に限らず、これまでもよくあったことですし、届いたときに「あれっ、こんな本、注文していたっけ?」と思うこともしばしばです(汗)。

今回届いたのはちくま新書『人類5000年史』の第五巻です。著者である出口治明さんの体調不良などもあって予定より刊行がかなり遅くなりましたが、無事に刊行されてなによりです。

この第五巻で1900年まで来ました。1901年から現在までを第六巻に収録して、それで完結なのでしょうか。それももちろんよいですが、個人的な願望を書かせてもらうなら、別巻あるいは第七巻として、出口さんに未来を語っていただきたいなあと思います。

未来の世界はこうなるのではないか、という予想でもよいですが、出口さんなりに「未来はこうなっていて欲しい」という願望でもよいです。未来を担う若者への提言、メッセージとして「こういう未来を作って欲しい」という宿題、課題でもよいです。そんなのをぜひ読んでみたいと思います。

重なりがち?

今月のちくま新書の新刊、3冊を購入しました。それが写真の三点です。

現代フランス哲学』『ガンディーの真実』『問いを問う』です。今月のちくま新書は6点刊行されているわけですが、そのうちの三点ですから、半分買ったということになります。

毎月そういうわけではありません。これはちくま新書に限らないのですが、どういうわけか新書で欲しいタイトルって、ある月に集中しがちなのです。ですから、全く一冊も買わない月もあれば、今回のように刊行されたタイトルの半分も買ってしまう月もあるのです。

どうしてなのでしょう。時事的なテーマのものですと、やはり世間で今それが話題になっているから、どこの新書レーベルでも著者を探して書き下ろしてもらおうと考えるのでしょう。ある数ヶ月に何冊も刊行されることがあります。ここ最近ですとウクライナやロシア関係のものとか、北条氏や鎌倉幕府に関連するタイトルが、それこそ数え切れないほど刊行されていたと思います。

あたしの場合、一番追っているのは中国ものなので、現在の時事的なものから歴史、思想、文学と中国に関するものであれば、ひとまずチェックします。さすがに全部買うわけではありませんが、そこそこは買っています。ずいぶん前にも嫌中本が増えたことがありましたが、また最近も日本の嫌中感情に背中を押されてなのか、感情的に中国を非難するような書籍が増えているようにも感じます。もちろんそういう本は買いません。

しおり、栞、久保史緒里

タイトルはふざけてしまいましたが、本に挟むしおりの話です。乃木坂46の三期生、久保史緒里の話ではありません(笑)。

さて、自宅では寝床で単行本を読みますが、通勤電車の中、営業回りの途次には、荷物になるので単行本ではなく、文庫本や新書を読むことが多いです。カバンには新書が入っていることが多いのですが、その新書、この数年、しおりがないレーベルが増えてきましたね。もとからなかったのか、この数年でしおりを廃止したのか、正確なところはわかりませんが、確かにしおりのある新書は少ないです。

ですので、電車を降りる際に読みかけのページにしおりを挟もうと思って困ることがしばしばです、書店のレジのところには、かつてはしおりやカードサイズのカレンダーが所狭しと並んでいたのですが、最近はそれも見かけなくなりました。ああいったものは、書店が独自に作っているものもありますが、多くは出版社提供するもので、出版社もこの不景気のため、そういうところの経費を削っているのでしょう。

あたしは自宅に、かつて店頭でもらったしおりを少なからず所持しているので、それらを使い回しております。ただし、やや大きなサイズのしおりですと文庫本の縦の彩図からは見だしてしまうことがあったりして、たぶんそれは単行本用のしおりだったのでしょうね。

姉妹篇のように感じてしまうのは普通じゃない?

最近、こんな本を買いました。祥伝社新書の『大人処女』です。ちょっとドキッとするタイトルですね。いや、こんなタイトルでドキドキするのは中学生男子だけか……(爆)

それはともかく、この本を書店で見かけたときに思い出したのが、15年ほど前に扶桑社新書から刊行された『中年童貞』です。そしてもう一点、8年前に刊行された幻冬舎新書の『ルポ 中年童貞』です。

両書とも読んでみましたが、涙ぐましいと言いますか、悲壮感も漂わせつつ、なんとか笑い飛ばそうとしているように感じられました。ネガティブなことをいかにポジティブに変換するか、という感じです。

それに比べると『大人処女』は未読ではありますが、惹句などからうかがわれるところでは、非常にポジティブなものに感じられます。力強さも感じます。『大人処女』と『中年童貞』をアマゾンなどのネット書店で検索し、「一緒に買われている本」といった関連図書を見比べますと、男性と女性の違いがよくわかるような気がします。

完結しましたね

ハルキ文庫から『親王殿下のパティシエール』という作品が刊行されています。単行本が先に刊行されたり、どこかの雑誌に連作されていたものをまとめたり、といった作品ではなく、文庫オリジナルのようです。

カバー装画を見ると、少女向けの作品なのかなという気もしますが、清朝の康熙帝時代を舞台にフランス人と中国人のハーフである主人公マリーを中心に描かれる宮廷絵巻。否、正確には康熙帝の息子の屋敷が舞台ですから「宮廷」ではありませんが、上流階級の生活という点で括ってしまえば、皇族も多数登場するので宮廷絵巻と呼んでも構わないでしょう。

そしてそんな清朝の宮廷や歴史的背景、そして首都北京の空気感。これらは多少なりとも中国史をかじっていないと理解しづらいところがあるのかもしれません。そういう意味では、あたしには非常に興味深く、そして面白く読めた作品でした。

その『親王殿下のパティシエール』ですが、このたび刊行された第八巻で完結しました。康熙帝が没して嘉慶帝の世となり、主人公とその主人である皇弟にどんな運命が待ち受けているのか、史実とにらめっこしながら楽しく読んでいました。ちなみに主人公はフランス革命を逃れてフランスの首都パリからはるばる清国へ渡ってきたわけで、当時のヨーロッパ情勢、そして清国における宣教師の生活など、清朝史に感心を持っている人であれば、より楽しめた作品ではないでしょうか。まあ、専門家の目から見ると粗があるのか否か、あたしにはわかりませんが、とにかくエンタメ作品です、楽しめればよしとしましょう。

それにしても、中国史のようにゆったりと進んでいた最初の巻に対し、この最終巻は時間が一気に流れました。こんなに早く終わらせる必要があったのか、もう少しマリーの奮闘、そして周囲の人の物語など描いて欲しかったという憾みが残ります。とはいえ、最後はあたしも目頭を熱くしてしまいました。

単なる偶然なのですが……

この数日読んでいた本、カバンに入れて営業回りの移動中に読んでいたのが、新潮新書の『スサノヲの正体』、そして寝床で読んでいるのが、新潮クレスト・ブックスの『ある犬の飼い主の一日』です。どちらも新潮社の刊行物です。単なる偶然ですが、新潮社でかぶってしまいました。

前者については、なかなか興味深い内容でしたが、あたしが古代史に不案内なもので、この本で語られていることがどれくらい学界で支持されているのか、わかりません。ただ、その点を抜きにしても、いろいろと古代史に関する知見が広がったように感じます。

後者は、あとちょっとで読み終わります。たぶん今晩くらいには読了するかなと思っています。主人公はあたしと同世代、かつて結婚生活を送っていたという点こそ異なりますが、老境に入って独り身の生活というところは、あたしとほぼ同じです(あたしは年老いた母と同居中)。あたしは犬は飼っていませんが、犬好きというところは一緒です。なので、もう少しシンパシーを感じられるかと思いきや、この主人公、枯れるどころか、ますます盛んなご様子。あたしは逆立ちしたってかなわないなあ、と感じました。

似て非なる、否、そもそも似てないか?

松田青子『おばちゃんたちのいるところ』を読んでみました。本作の内容紹介には

追いつめられた現代人のもとへ、おばちゃん(幽霊)たちが一肌脱ぎにやってくる

とあります。幽霊がやって来ると聞いて思い出したのが、『海峡を渡る幽霊』です。

こちらはの内容紹介には

都市化の波に取り残された港町に生きる女性、結婚後の夫との関係に悩む妻、幽霊となって故郷を見守る先住民の女性など、女性の視点から台湾の近代化と社会の問題を描く。李昂の豊饒な文学世界を堪能できる一冊

とあります。女性を助けに幽霊が現われるというモチーフでは似ていると言えなくもないですが、読んでみるとテイストは全く異なります。

むしろ、読んだ感じとしては『冬将軍が来た夏』の方が相通じるものが感じられました。こちらの内容紹介には

レイプ事件で深く傷ついた私のもとに、突然あらわれた終活中の祖母と5人の老女。台中を舞台に繰り広げられる、ひと夏の愛と再生の物語

とありまして、決して幽霊ではないのですが、主人公の女性を助けに現われる女性たちというモチーフが『おばちゃんたちのいるところ』と似ていなくもないと感じられたのです。

それにしてもあたしが挙げたのはいずれも台湾の作品ですが、こういう心温まる怪異譚というのは日台共通のものがあるのでしょうか?

読むべきなのはどれかと問われたら……

《エクス・リブリス》の最新刊『未来散歩練習』を読んでいます。

韓国の作家、パク・ソルメの作品で、《エクス・リブリス》では『もう死んでいる十二人の女たちと』に続いて二つめの作品です。この数年、出版点数が非常に増えている韓流作品の一つです。それにしても、これだけ韓流作品の翻訳が刊行されると、どれを読んだらいいのかわからなくなってしまいそうです。

そんな中、それほどたくさん読んでいるわけでもなければ、韓国文学に詳しいわけでもないあたしが、独断と偏見でお薦めの韓国文学作品を選ぶとするなら、迷うことなくこの二点です。

まずは『こびとが打ち上げた小さなボール』です。あたしが読んだのは単行本ですが、最近文庫になりましたね。手に取りやすくなったのではないでしょうか?

そしてもう一点が、『』です。これは晶文社の《韓国文学のオクリモノ》というシリーズの一冊です。こちらは文庫にはなっていませんし、単行本でも500頁弱もある大作です。

この二作品、とにかく圧倒的です。ノックアウトされそうになるくらいの力を持った作品です。「いやー、韓国文学ってすごいね」というのが、この二つを読んだ後の偽らざる感想でした。

韓流文学は『82年生まれ、キム・ジヨン』を筆頭に、女性の生きづらさとか、韓国社会の閉塞感を描いたような作品が多く紹介されていますが、この二作品は、あたしの印象ではそんな枠には収まりきらないスケールを持った作品だと思います。