この夏は干からびて死んでしまうかもしれない

わが家であたしがPCを操作している部屋はPCを並べているところ以外は、天井まで本棚が壁面を埋めています。部屋の真ん中にも背中合わせに本棚を並べているので、非常に狭苦しい部屋です。

そんな状況なので、いわゆるエアコンを壁に付けることができません。そんなスペースは、この部屋の壁には残っていないのです。仕方ないので、あまり大きくない窓に、窓用のクーラーを取り付けて、もう十年以上も使っています。それがこの夏、動かなくなってしまったのです!

この暑さの中、扇風機だけではとても耐えられませんが、もうどうしようもありません。買い換えるにしても、最近は窓用のクーラーって売っていませんよね、どうしましょう?

そんな夏本番が既に訪れているような、この数日の東京ですが、わが家の玄関先ではネジリバナが咲き始めました。特に肥料をやったりしているわけでもなく、放りっぱなしなので、痩せ細ったネジリバナですが、それでも毎年咲いてくれます。

話は変わって、注文しておいた角川ソフィア文庫の『史記』下巻が届きました。全三巻がこれで完結です。表紙カバーは兵馬俑が三体です。兵馬俑坑へ行った時、あたしもこんな写真を撮ったなあという思い出がよみがえってきます。

それにしても、既に品切れになっているものもあるでしょうが、『史記』の邦訳っていったい何種類出ているのでしょうね。

2025年6月17日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

浅学菲才どころか無学無才です

中公新書の『二十四史』に関連して、架蔵している書籍をご紹介しましたが、同書で紹介されている和書についても架蔵しているのがありましたので、またまたご紹介いたします。

まずは名著、内藤湖南の『支那史学史』です。刊行当初はどういう感じだったのかはわかりませんが、現在は平凡社の東洋文庫から全二巻で刊行されています。ずいぶんと手に取りやすくなっているのではないでしょうか。

東洋文庫には他にも『清朝史通論』が出ておりますので、ご興味のある方は是非どうぞ。

そしてこちらも名著、那珂通世『支那通史』です。岩波文庫で全三巻です。どうやらこちらは出版社で既に品切れになっているようです。とはいえ、岩波文庫はしばしば復刊をしますので、待っていれば復活することがあるかもしれません。

それにしても、『支那史学史』『支那通史』どちらもオリジナルを尊重して「支那」のタイトルをそのままにしているところがよいですね。あたしは中国人が「支那」と呼ばれることに不快感を覚えていることは重々承知しています。でもこの当時の著作に「支那」が使われているのまで「中国」に直す必要はないと思っています。もちろん著者が存命で、中国側の意向を汲んでみずからタイトルを変更したのであれば、それも受け入れます。

最後におまけ。昨日ご紹介した『二十五史補編』を並べている書架の上の段に並んでいるのはこちらです。『清経解』とありますが、中国学者であれば『皇清経解』の名で知っているはずです。その正編・続編です。

中国で刊行される段階で、あえて「皇」の字を取ったのだと思いますが、なんででしょうね? もう大清帝国の時代ではないからということでしょうか。共産党のイデオロギー政策のためですかね。

2025年4月30日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

ちゃんと架蔵しているのですが……

中公新書『二十四史』は無事に読み終わりました。学生時代に漠然と接してきた「二十四史」について思いを新たにしました。学生時代にも「○○史は出来が悪い」といった評価は先生や先輩から伝え聞いておりましたが、どうしてそのような評価が生まれたのか、歴史背景がよくわかりました。

さて同書には本文中でも「二十四史」の周辺文献に対する言及がしばしば見られました。懐かしい書名に学生時代を思い出しながら読みましたが、それらの文献のいくつかは今でも架蔵しておりまして、それらを今日はちょこっとご紹介したいと思います。

まずは『資治通鑑』です。中華書局の、いわゆる標点本で、20冊となります。ちなみにいま「標点本」と書き、同書でも標点本と表記されていますが、学生時代は点校本とか校点本という言い方もしていました。

たぶん点校本とか校点本というのは中国語そのままの呼び名で、それを日本語訳すると標点本になるのではないでしょうか。正確なところはわかりませんが……

さて次の画像は『通鑑紀事本末』です。お隣には『左伝紀事本末』も並んでいますが、こういった中国古典の基本的な作品が陸続と刊行されたのが、あたしが学生時代でした。昨今ももちろんさらに校訂されたり、注釈を施されたりして刊行され続けていると思いますが、あたしの学生時代にはどんどん刊行されていた、という印象があります。

そして最後は『二十五史補編』です。「二十四史」の欠を補うために作られた作品を収めた叢書ですね。『資治通鑑』や『通鑑紀事本末』は日本の単行本くらいの大きさですが、こちらはそれよりもずっと大きく、一冊ずつのページ数も多いものになっています。

また前二者が句読点が付いた、現在の活字で組み直したものであるのに対し、この『二十五史補編』は当時のものをそのままリプリントしたもので、本文はいわゆる白文となっています。いわゆる影印本というものです。

2025年4月29日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

だんだん増えていくものですから……

先のダイアリーで中公新書の新刊『二十四史』をご紹介しました。たぶん同書を買うのは中国史が好きな人だと思いますが、逆に中国史に詳しくない人にとっては「二十四史って何?」という状況ではないでしょうか。

「二十四史」とは中国の二十四種類の正史の総称です。中国歴代王朝は、前代の王朝の正史を編纂することで、その正統な後継者であることを証明してきたのです。中国史は当たり前として、中国哲学、中国文学など中国に関わる学問を専攻する人には必須の書物です。

では、その二十四史はどこで見られるのかと言いますと、中国の出版社・中華書局から出版されている「点校本・二十四史」が最もスタンダードです。最初の画像はわが家の書架に並んでいる、中華書局の「二十四史」です。日本人にも馴染みある『史記』や『三国志』なども含んで、清朝の正史である『清史稿』まで揃っています。

直前に『清史稿』というタイトルが出しましたが、「二十四史」とは本来は明朝の正史である『明史』までを指し、あたしが学生のころに『清史稿』が中華書局から刊行され、「二十五史」という言い方もされるようになりました。

あれ、明朝が『明史』なら清朝は『清史』じゃないの、という疑問が湧くかと思います。『清史稿』とはその名の通り、正史である『清史』を完成させる前段階の状態のものです。『清史稿』を更に推敲して、いずれは『清史』を完成させる予定だったようです。

学問の世界から離れた現在、『清史稿』をベースに『清史』が出来上がったのか否か、あたしは寡聞にして知りません。その後の中国が国共で分裂してしまったこともあり、資料の行方やどちらが正統の後継政権なのかという点でも争っているのかも知れません。

で、二枚目の画像は、その名も『二十五史』という本です。上に書いたように「二十四史」に『清史稿』を加えて「二十五史」として売り出されていたのです。この『二十五史』が発売されてしばらくして、同じ上海書店・上海古籍出版社から『元史二種』も刊行されました。これも正史とするならば「二十六史」になってしまいます。

果たして、現時点で中国の正史は何種類あるのでしょうか。もし国共の分裂や対立がなく、歴代王朝のように中華民国から中華人民共和国に移行したのであれば、中華人民共和国が『民国史』を編纂しなければならなかったはずです。しかし実際には中華民国と中華人民共和国の双方が清朝の正統な後継者だと主張し合い、どちらが『清史』を完成させるのか、非常に興味深いです。

話は戻って二枚目の画像の『二十五史』ですが、底本は故宮の所蔵されていた「武英殿本二十四史」と呼ばれるものです。

2025年4月23日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

ちょっと見つけました

先日落手した岩波文庫の『厳復 天演論』ですが、その時にも書きましたが、本書は本邦初の全訳だということです。つまり抄訳は既に刊行されているということになります。

そうなると既訳を探してみたくなるものです。雑誌などに発表されたものであれば、見つけるのはちょっと難しいと思いますが、たぶんこのあたりに載っているのではないかと予想は付けられます。

まずは、これも先日紹介した家蔵の叢書『新編 原典中国近代思想史』です。この第二巻「万国公法の時代」に『天演論』の序の邦訳が載っていました。序文だけなら、そこまでの分量にはならないでしょうし、序を読めばその本の要旨とか、著者の狙いが理解できるというものです。

序だけが訳されているというのは、『天演論』のエッセンスがそこに詰まっているということなのでしょう。

そしてもう一つ、平凡社の『中国古典文学大系』の第58巻「清末民国初政治評論集」にも載っているのではないかと思いました。載っているとすれば、これくらいしか考えられません。

同書を開いてみましたら、案の定、『天演論』が収録されていました。ただし、こちらも序のみでした。岩波版とは訳者は異なっていますが、『天演論』の序がこちらにも載っていたのです。そして岩波文庫は待望の全訳ということなのでしょう。

あと抄訳がありそうなのは明徳出版社の『中国古典新書』ですが、同社のサイトで検索した限りでは『天演論』は刊行されていないようです。

2025年3月21日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

岩波書店の講座本

昨日のダイアリーで岩波文庫の『厳復 天演論』を取り上げましたが、それで思い出したことがあります。昨日も書きましたように、『天演論』が本邦初訳(全訳)ということに驚いたのですが、抄訳であればどこかにあるのかな、と思った次第です。

それで思い出したのが、こちらのシリーズ、『新編 原典中国近代思想史』(全7巻)です。「原典」とあるように、いろいろな著作の邦訳が収められている、シリーズです。中国近代史を専攻する者であれば、常に参照しなくてはならないシリーズではないでしょうか。

ところで、このシリーズ名、気づかれた方もいらっしゃると思いますが、「新編」とあります。つまりこの新編に対して旧編とでも呼ぶべきシリーズがあるのです。それが二枚目の写真です。

こちらは『原典中国近代思想史』です。同じく岩波書店から刊行されていたシリーズで、あたしが学生時代は「新編」の刊行前でしたので、こちらを使っていました。懐かしいものです。

こういうシリーズ本、かつては「岩波講座○○○」といったタイトルで数多くの種類が販売されていました。巻数はものによって異なりましたが、全巻予約した人しか買えない、興味を持った巻だけを買うことができない、そういう縛りのあるシリーズ、それが「岩波講座」でした。

あたしが大学生の頃からはそんな縛りもなくなっていたように記憶していますが、やはり岩波書店のシリーズで買っていたのが最後の写真の『原典中国現代史』です。こちらは近代ではなく現代です。そして思想系の著作だけでなく、政治経済などの著作も含まれたシリーズとなっています。

2025年3月19日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

古典だけでなく近代も!

岩波文庫の新刊『厳復 天演論』を手に入れました。「初の全訳」とありますが、「そうか、全訳は出ていなかったのか」と改めて思いました。そして「さすが岩波文庫、こういう渋いものもちゃんと出してくれるんだ」と感心したところです。

中国の近現代史を学べば、厳復の名は外せない一人でしょうし、その場合には『天演論』の翻訳とセットで覚えるはずです。あたしもそうでした。学生時代が懐かしく思い出されます。

そんな岩波文庫ですが、今回のように近代の著作の邦訳も数多く出しています。なんとなく古典ばかりという印象がありますが、そうでもないのです。確かに、数としては古典の方がはるかに多いですが、近代だって負けてはいません。

そんな岩波文庫の近代ものとしては、ほんの一部ですが、こういったものがあります。『孫文革命文集』や『梁啓超文集』などが刊行されたときには、やはり歓喜しました。このたび厳復が出たので、あとは何が刊行されれば嬉しいでしょうか。章炳麟、康有為、蔡元培なども出して欲しいところです。

ところで、原典の邦訳ではありませんが、文庫クセジュも以前は中国ものを数多く刊行していました。文庫クセジュはフランスの作品ですが、フランスの中国学は世界のトップクラスですから研究者も数多くいますし、当然のことながら著作もたくさん出ています。クセジュにもそういった作品があり、それらの翻訳がいくつか刊行されていたのです。

めぼしいものは古本で買っていましたが、そんな中の一冊がこちら、『毛沢東』です。この他にもいろいろありますが、最近のクセジュには中国ものはあまりないのでしょうか。寡聞にしてフランスの出版事情は詳しくないので、情けない限りです。

2025年3月18日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

原点回帰?

ミネルヴァ書房から刊行された『韓非子入門』を買ってみました。なんといっても「韓非子」は、わが心のバイブルですから、新刊が出るとどうしても食指が動いてしまいます。

そもそも、どうして韓非子なのかと言えば、かつて「履歴書代わりの暇つぶしエッセイ」の第二回で書きました。あたしと中国思想との出逢いが『韓非子』だったのです。

その後、大学四年間や大学院修士二年間で、韓非子とは付かず離れず、だいだいそんなような時代を専門に取り組んでいました。韓非子があたしのいまの人格を作り上げたと言っても過言ではないくらい影響を与えられた本です。

学生時代もとうの昔に終わり、それでもまた改めて韓非子と向き合ってみるのもよいのではないかと考えた次第です。そう言えば、二年ほど前に講談社学術文庫でも『韓非子 全現代語訳』が刊行されていましたね。もちろん買っています。やはり忘れられない一書です。

話は変わって、そろそろ涼しくなってきたので、晩酌に缶チューハイという気温でもないだろうと思い、新たに日本酒を購入しました。それが二枚目の写真です。

以前にもこのダイアリーでご紹介したことのある石川県の酒「萬歳樂」です。純米大吟醸とひやおろし、それぞれ720mlを一本ずつです。寒い季節とはいえ、あたしの場合、日本酒は冷酒です。燗は好きではありません。好きな酒が「冷やしてお飲みください」というものばかりというのもありますが。

2024年10月8日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

ただの翻訳ではないみたい?

国書刊行会から『北京古建築』という上下本が刊行されています。

 

A4判ですから、まあまあの大きさで、各巻本体15000円という高価格です。オールカラー、上下で478頁という立派な一冊、否、二冊です。

欲しいなあと思うものの、国書刊行会のウェブサイトを見ますと、「王南著『北京古建築』(中国建築工業出版社、2015年)の日本語版である」とありますので、写真や図版がメインであれば、原書の方を買った方が安いかなと思いました。そこで東方書店のウェブサイトで原書を検索してみますと、上下巻それぞれ21890円、つまり本体19900円という値段が付いていました。なんと原書の方が高価格です。ただし現在、在庫はないようです。

輸入書は送料などもかかっているので、原価を為替レートで換算した金額よりも多少高くなることは理解しています。これを中国国内で購入したらいくらなのか(何元なのか)はわかりませんが、翻訳よりも高くなるというのはちょっと不思議です。

そこでもう一度国書刊行会のウェブページを見ますと

原著は全16章からなるが、本書はこのうち序論、紫禁城、壇廟・儒学、宮廷庭園、合院民居、仏教寺院、仏塔、道観とモスクという、とりわけ日本の読者が興味をもつと思われる8章を抜粋して再編集し、日本語へ翻訳したものである。

と書いてあります。つまり純粋な翻訳書ではなく、日本独自の再編集版なのですね。東方書店のサイトに出ている原書は上巻が445頁、下巻が405頁と日本語版の倍のページ数があります。それならば翻訳版よりも高いのも納得できるというものです。

2024年9月30日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

全3巻なのかしら?

最近、矢継ぎ早に刊行された早川書房の《台湾文学コレクション》、あたしも購入いたしました。

詳しいことはわかりませんが、早川書房のこのコレクションは全三巻で完結なのでしょうか? 本を開いても特にそのあたりのことは何も書いていませんが、どうなのでしょうね。

あたしが全三巻だと思う理由は、この子暮れクション以前に刊行されていた作品社の《台湾文学ブックカフェ》、書誌侃侃房の《現代台湾文学選》、いずれもが全三巻だからです。いや、もしかしたらいずれも全三巻と謳っているわけではなく、続刊の構想が進んでいるのかも知れません。

ただ、現時点では第3巻まで刊行されたところで刊行はストップしています。台湾ものって全三巻がトレンドなのでしょうか。まあ、中国史では「3」というのは鼎を連想させますし、三国時代もありますから、なんとなくバランスが取れているイメージはありますけれど……

2024年8月5日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー