漢和辞典を購入しました

天長節ですね。

自宅でまったりと「乃木坂46時間TV」を見ながら、のんびりと過ごしております。五期生、初々しくてよかったですね。一人、直前になって新型コロナウイルスの濃厚接触者ということで欠席になってしまったのが残念でしたが、こればっかりは致し方ないでしょう。

さて、漢和辞典を買いました。学生時代の中国学を離れて数十年、今さら漢和辞典を買ってどうするのよと言われそうですが、たまに買ってしまいます。何でもかんでも出たら買うというわけではありませんが。

そもそも「辞書は何を買ったらよいですか?」「辞書はどれがお勧めですか?」と聞かれることがたまにありますが、中国学をやっているのであれば漢和辞典は複数持っていて当たり前、辞書とは引き比べるために存在するのではないでしょうか? 他のジャンルの辞典でも同じことです。

閑話休題。

購入したのは小学館の『新選漢和辞典』です。このたび新装版が出たそうなので購入したのですが、小学館の漢和辞典は学生時代に愛用していた辞典だったので、ついつい懐かしさで買ってしまったというわけです。

写真の右側が、その愛用の漢和辞典です。奥付を見ますと、「昭和56年3月5日 ワイド版5刷」とあります。まだ初版のようです。そして今回購入したのが写真の左、なんと第八版です。

編者の小林信明先生は、もちろん面識はありませんが、大学院時代の恩師の一人が小林先生の弟子だったようで名前はよく聞いていました。あたしが使っている辞典の編者だ、と思いながら。そんな学生時代の思い出もよみがえってくる漢和辞典です。

2022年2月23日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

魔都・上海

平凡社新書の新刊『上海』を購入しました。

何の修飾語もなく、シンプルに「上海」をタイトルにするなんて、なんと潔いのでしょう。

しかし、上海とはどれほど魅力的な都市なのでしょうか。わが家の書架を漁ってみたら、文庫・新書だけでこれだけの「上海本」が出て来ました。今では版元品切れのものもあるかもしれませんが、わが家にはこれくらいありました。

が、やはり見落としというのはあるもので、更に三冊で来ましたし、たぶんあと数冊は書架にあると思います。

そして、あたしが買いそびれている「上海本」もたくさんあるのだと思います。日本人って、本当に上海が好きなんですね!

魔都と呼ばれたあの街、あたしも何度か訪れたことがありますが、北京とは異なる魅力があります。

2022年2月22日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

「ち」ではなく「しょく」なのか……

岩波文庫の新刊『曹操・曹丕・曹植詩文選』を手に入れました。なかなか意表を突いたタイトルと言いますか、まさかこんな一冊が刊行されるとは、それも岩波文庫からと思って、正直なところ驚かされました。

帯には「三国志ファン必携」とありますが、三国志ファンでこの一冊に手を出すのは相当好きな方ですね。セミプロと言ってよいような人たちではないかと思います。

曹操はともかく、曹丕が出てくるのはかなり後半です。漢王朝を簒奪した張本人なので、一般の三国志ファンの人気はあまり高くはないと思います。それに弟の曹植に辛く当たっていましたから。そして何よりも、曹丕の時代の「三国志」の主役は孔明と仲達ですからね。

ところで、本書で三番目に載っている曹植。本書では「そうしょく」となっていますが、あたしが学生のころは、「そうしょく」ではなく「そうち」と読むべきだ、という議論があって、本によってはわざわざ「そうち」とルビを振っているものもありました。現在の学界では「そうしょく」で見解の一致を見たのでしょうか?

で、曹植の作ではないと言われていますが、あたしはやはり本書の402頁に載っている「七歩の詩」が好きですね。

2022年2月17日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

支那が消えました

講談社学術文庫の新刊『中国思想史』を購入しました。

「新刊」とは言っても、この本はもともとは岩波書店から出ていたもので、本書にも書いてありますが、『支那思想史』というタイトルで1936年に出ていました。それが戦後『中国思想史』と書名を変え、ここしばらくは品切れになっていたものを、講談社学術文庫に収録されたというわけです。

戦前の著作、それも中国思想史では著名な武内義雄の作品ですから、「支那」という用語に侮蔑的な含意はまるでなかったはずですが、やはり戦後は相手国の意向を尊重してタイトル変更を行なったのですね。

あたしは別にここでオリジナルのまま「支那」を通すべきだとか、そういったことを言いたいのではありません。この時代にあえてそんなことをするのはおかしいですし、それではかえって武内義雄の意に反することではないかとも思います。

あたしが書きたいのは、学生時代に古本屋で手に入れた岩波版『支那思想史』が自宅の書架に見当たらないことです。学生時代に読んで、かなり仏教を扱う比率が高いなあと感じながら読んだ思い出の一冊です。支那というタイトルに戦前の中国学の息づかいを感じながら読んだものでした。

そんな大切な『支那思想史』が書架に見当たりません。学術文庫の『中国思想史』を手に入れたこの数日、ずーっと書架を探しまくっているのですが出て来ません。捨ててしまったとは思えませんので、学生時代に同級生か後輩の誰かに貸したのかも知れません。と言いますか、それ以外の可能性がありえないので(図書館で借りて読んだ可能性はほぼないです)。

とにかく、もうしばらく自宅を探してみます。自宅の書架、一応はジャンルでまとめてあるので、思いもしない棚から出てくるとは思えないのですが、しらみつぶしに探すしかないようです。

2022年2月11日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

さくちゃんとお揃い!

今月からスタートする、テレビ朝日系のドラマ「もしも、イケメンだけの高校があったら」のTwitterです。

さすがにこのドラマを見ようとは、いまのところ思っていませんが、ヒロイン役として乃木坂46の次世代エース、遠藤さくらが出演します。上掲のTwitterは、そんなさくちゃんの撮影のひとこまのようです。

さくちゃんの役どころは「美南学園1年。誰もが振り返るような美少女。美南学園に進学するがイケメンには一切興味がない様子。逆に周囲のイケメンたちとは価値観の違う龍馬のことに興味を持つ。」だそうです。そういうキャラクターだからなのか、手にしているのは岩波文庫の『論語』です。あたしも同じカバーの『論語』を架蔵しております。同じものを手にしているなんて、年甲斐もなくちょっと嬉しくなります。

ところで、最近でこそ岩波文庫のカバーもカラフルに、バラエティー豊かになりましたが、もともとはもっと地味なものでしたよね。それが二枚目の写真の『論語』です。

一枚目の『論語』は「1999年11月16日第一刷発行」と奥付にあるもので、二枚目の『論語』の奥付は「1989年9月14日第40刷発行」とあります。1999年の現行版は、カバーなどに表記はありませんが「改訂新版」になるようです。いずれも金谷治訳注のものです。

こういう場合、改訂新版と銘打って、ISBNも新しくするのが一般的だと思いますが、この両者はISBNも同じです。中味もところどころ変わっているはずで、とても誤植の訂正レベルではないと思いますが……

そして、岩波文庫の『論語』と言えばこの金谷治訳だと思っている方がほとんどだと思いますが、実は金谷治訳が出たのは1963年で、それ以前の岩波文庫に『論語』の訳注がなかったはずはありません。

それがこの三枚目の写真、武内義雄訳注のものです。こちらも紛うことなき岩波文庫ですが、現在の岩波文庫とは若干寸法が異なります。天地が数ミリ長いです。そして時代を感じさせるのがタイトル文字。なんと書名も訳注者名、出版社名すべて右から書かれています。

こちらは「昭和8年4月30日発行 昭和11年6月20日第5刷発行」のものです。戦前ですね。あたしの亡父が昭和10年6月25日生まれなので、満一歳の誕生日を迎える五日前に出来上がったものということです。どこの古書肆で落手したものか忘れましたが、奥付には「定価40銭」とありました。

2022年1月9日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

いろいろとやらないことが多い年末年始です

テレビの情報番組は今日から通常運転に戻ってきましたね。あたしも明日からいよいよ仕事が再開しますので、いつもの日常が戻ってきた感が実感できます。

既にこのダイアリーで、年末に紅白を見ないとか、年越しそばを食べないということ書いてきましたが、この数年、年賀状も書かなくなりました。そもそも仕事関係の年賀状はほぼ書かないのがあたし流で、自宅に届くプライベートなものも「来た人には返事を書く」というスタイルが、この十数年続いておりました。しかし三年ほど前から年賀状を完全にやめてしまいまして、そもそも年賀状を買うこともなくなりました。

何通か、メールで年始の挨拶が来たりしますが、紙の年賀状を書かないわけですから、電子のものも書かずにおこうと思っています。不義理をしますがご容赦ください。人間関係の断捨離のつもりです。

あとは、初詣にも行きません。たぶん生まれてこの方、行ったという自覚があるのは一回きりです。ずいぶん昔、まだ学生時代の話で、家族で確か明治神宮に行ったと記憶しています。

ところで、一枚目の写真は、わが家の書架の一つです。書棚に収まりきらず、その上にまで本を並べていますが、ここは主に中国(台湾も含む)の現代小説を並べています。

かつて中国小説と言えば、三国志や水滸伝、李白や杜甫と言った古典ものばかりでした。その圧倒的な翻訳書の量は他の海外文学の比ではない中国学の厚みを感じさせてくれましたが、いつまでも古典ばかりというのもどうでしょう。

時代が下るとこんどは魯迅ばかりで、それにプラスして茅盾や老舎などが少しばかり翻訳されていたくらいで、既に現代小説と言うよりは古典作品に近いものたちばかりです。しかし、この数年で一気に本当の現代小説、現代文学が紹介されるようになりました。そんな成果の一部がこの書棚です。

そして中国と言えば、岩波現代文庫で『中国再考』が『完本 中国再考』となって再刊されました。

あたしは、もちろん前作も所蔵していました、今回の「完本」も購入いたしました。それが二枚目の写真ですが、装丁もガラッと変わりましたね。

それにしても中国は今後どうなってしまうのでしょう? 香港の現状を見ていますと、あたしたちは民主主義が失われていく、崩壊させられていく過程を見せつけられている気がします。

そして北京五輪でも問題になっているウイグルの人権弾圧。報道ではウイグルの人権問題が取り上げられることが多いですが、チベットも同じですし、ほかにも少数民族がどれだけ抑圧されていることか……。

少数民族だけではありません。漢民族も民主派弁護士や活動家が逮捕されたり、突然行方がわからなくなったり、そんな事例が相継いでいます。スポーツに政治を持ち込むなと言われますが、果たしてこういう国家がオリンピックを開催してもよいものか、素朴な疑問を感じます。

それでも、中国の現代小説が数多く翻訳され、それを読んだ日本人が中国に対する理解を深めてくれるのであれば、草の根から何かしらの変化を起こすことができるかも知れないと信じています。

2022年1月4日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

売れるものなのでしょうか?

わが家の書架の一部です。あたしがパソコンに向かっている椅子の背後にある書架です。たぶん高校の頃に購入したスライド式の書架です。これが二台並んでいます。

ご覧のように、所蔵しているのは中国史の本です。それも中国で発行されたものです。われわれ中国学専攻の人間は、、日本で発行されている書籍を和書と呼ぶのに対し、「中文書(ちゅうぶんしょ)」と呼んでいる書籍です。

写真の右半分を占める、薄い緑色の本は中華書局から発行されている中国の正史、『二十四史』です。『二十四史』だけでなく『清史稿』まで揃っていますし、いくつかの史書では、人名作品や地名索引も持っています。左上二段を占める黄色い本は『資治通鑑』で、その下の段には『通鑑記事本末』とか『読通鑑論』、さらに下の段には『史通』『国語』『戦国策』といった歴史関係の中文書が並んでいます。

それとは別の書架が左の写真です。こちらは『新編諸子集成』を並べています。下の方には、ちょっと違う色の本が並んでいますが、この書架には主に思想分野の中文書を収蔵しています。

とまあ、そんな書架の紹介はおくとして、わが家にはこのように中文書を並べている書架が全部で6本ほどあります。ですから、所蔵している中文書の量もそれなりのボリュームになります。

で気になるのは、これらの中文書って、もしあたしが死んだりしたら、古本屋は買ってくれるのでしょうか? ブックオフのサイトを見たところ洋書も買ってくれると書いてありましたが、中文書はどうなのでしょうか? 洋書と同じように買ってくれるのでしょうか?

ただ、いまのところ突発的な事故にでも遭わない限り死ぬ兆候もありませんし、そもそも所蔵している中文書を処分しようという気持ちもないので、取り越し苦労ではありますが、そう遠くない未来には、これらの本をどうにかしなければならない現実が訪れるわけです。あたしが死んでしまったら、残された人が勝手に処分してくれて構わないのですが、量が量だけに残された方も大変だろうなあと考えてしまうわけです。

2021年11月28日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

中華圏も頑張っている!

書店でこんな小冊子が配布されていました。

表紙からわかるように台湾の書籍の紹介冊子です。台湾文化センターが製作したもののようです。

世は挙げて韓国文学のブームだと盛り上がっていますが、実は中国関係の翻訳も最近はじわじわと増えています。

もちろん中国と言っても、中国大陸の作品、台湾の作品、香港の作品、そして東南アジア華僑の作品といったいくつかの種類があります。欧米で執筆している作家もいますが、ひとまず中国語で書いているという前提で中国の作品と呼んでいますが、それが確実に増えているのです。

『三体』の大ブームに見られるように、韓国のフェミニズムに対して、中国はSFといった印象が強いと思います。それはそれで間違いではありませんし、日本で紹介される作品もSFがそれなりのウェイトを占めています。

どうしてでしょうかね? 政治批判にならないために科学的なもの、空想的なものをテーマとせざるを得ないのでしょうか? そういう面も確かに一理あるとは思いますが、たぶんそれだけではないのでしょう。

そして、そんな中国語文学(という呼び方がよいのかわかりませんが……)、あたしも知らず知らずに買っていまして、わが家の書架の上に、ご覧のように並んでいるのがそれです。

台湾も大陸もごちゃ混ぜに並んでいるのはご容赦ください。あと、李琴峰さんのが数冊並んでいるのはご愛嬌ということで……

いずれにせよ、中国と言えば古典ばかりが受容されてきた日本で、魯迅以来、ようやくオンタイムの作品が普通に紹介されるようになったのは嬉しいことです。

2021年11月18日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

一か月ほど刊行が早かったらよかったのに? それともあえて?

岩波文庫から『楚辞』が刊行されました。

写真の一番右側です。カバーだけ見ると、ちょっと岩波文庫には見えませんが、紛れもなく岩波文庫です(笑)。

ところで『楚辞』と聞いても、中国古典に詳しくないと何のことだかわからないでしょうし、そもそも「楚辞」を「そじ」と読むことも難しいかも知れません。かつての日本人であれば、「離騒」や「屈原」の名前は一般教養の範疇だったと思うのですが、残念です。

そんな愚痴はともかく、岩波文庫ではかつても『楚辞』を刊行していましたが、あたしが学生時代には品切れ状態で、その当時、古書肆で見つけて買ったのが一番左の『楚辞』です。1935年刊行の橋本循訳注のもので、あたしが買ったのは「1984年4月5日第11刷」でした。

その後、1997年にリクエスト復刊が行なわれ、既に社会人になっていましたが、改めて買い直したのが真ん中のものです。奥付には「第12刷」とあります。

今回は訳者が代わって小南一郎さんになっています。橋本訳はもう役割を終えたということでしょう。岩波版の古典新訳ですね。

ちなみに、二枚目の写真は、中華書局版の『楚辞集注』です。あたしが学生時代の演習で読んでいたテキストです。懐かしく、わが家の書架から引っ張り出してきました。

ところで、今回の岩波文庫は6月の刊行ですが、『楚辞』の作者・屈原は5月5日が命日だと言われています。ちまきの由来にもなっています。ですから、刊行も5月5日だったらよかったのになあ、と密かに思ってしまいました。ただ屈原の命日なんて伝説ですし、そもそも古代の話ですから旧暦でしょう。となると、奥付にある「6月15日」はほぼ旧暦の5月5日ですから(今年は6月14日が旧暦の5月5日)、岩波書店としてはそれを狙っていたのかも知れませんね。

2021年6月20日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

学術書が生き延びる道?

今朝の朝日新聞の読書欄に、小さいですけどこんな記事が載っていました。2020年に廃業した創文社の学術書を講談社がオンデマンドで発行し続けるという情報です。

学術書の出版で知られていた創文社が廃業したのは、学生時代にお世話になっていた身からするとショックでしたが、長引く出版不況の中では致し方なかったのかも知れません。

そして、創文社の資産を講談社が受け継ぐというニュースも、少し前に業界で話題になりました。それが改めて朝日の紙上で紹介されたということなのでしょう。

ところで、「学生時代にお世話になった」と書きましたが、わが家の書架にはこんな一角があります。

創文社の書籍です。あたしが学生のころ(だったと思います)に刊行が始まった「中国学芸叢書」です。官公署に感じた印象は、中国学術の王道と言うよりは、ちょっとニッチなテーマ、主題の書籍が目に付くなあ、というものでした。

不定期で刊行され、これで全部なのか、買い洩らしているものが他にももっとあるのか、そのあたりまでは追っていませんが、わが家には十冊以上は所蔵していました。しかし、既に創文社からは入手できなくなってしまったのですよね。

講談社のオンデマンドで、これらのタイトルが復活することはあるのか否か、今後に期待です。

2021年6月19日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー