本日、見本出しです。(4月27日配本予定)
姪っ子に推薦する予定?
営業回りの移動の電車の中で『親王殿下のパティシエール』を読み始めました。もともとは姪っ子に買ってあげようと思って選んだ本なのですが、舞台が清朝の親王邸ということもあり、まずは自分で読み始めてしまいました。
ちなみに、あたしに妹のところには娘(つまりあたしから見たら姪っ子)が二人いまして、一人(上、今年中三)は犬が大好きで、将来は獣医か、それがダメでも犬に関わる仕事がしたいらしいです。なので、犬に関するエッセイや小説を見つけると買ってあげています。
そしてもう一人(下、今年小六)はお菓子が好きで、将来はパティシエになりたいと、いまのところは言っているので、パティシエとかお菓子に関する小説などを買ってあげています。ただ、犬の小説はそれなりにありますが、お菓子やパティシエがテーマの小説はやや少ないですね。そんななか見つけたのがこの作品でした。
そして、この作品の参考文献として挙がっていたのが、あたしの勤務先の刊行物『王のパティシエ』でした。こんなところで見覚えのある本が出てくるとは、なんとも不思議な気分です。ただ、現在この本は品切れなんです。
さて、まだ読み始めたばかりなのですが、本書は母親が漢族であるフランス人の少女が、フランスに来ていた清朝の親王と共に中国へやって来て、その屋敷の調理場でお菓子作りをするという話のようです。
まだお菓子を作るところまでは行っていませんが、そんなストーリー展開らしいです。お菓子作りはともかくとして、清朝の皇族の暮らしや当時の中国の様子がどのように描かれるのかが非常に興味深いです。既に文庫本が数冊刊行されているようなので、面白ければ、続巻も買って読んでみたいと思いますし、小六の姪っ子でも楽しめる内容か否か、判断したいと思いながら読んでいます。
近刊情報(22/04/19)
近刊情報(22/04/18)
短篇の名手?
『郊外のフェアリーテール』を購入しました。
亜紀書房の《ブックスならんですわる》シリーズの第二弾です。第一弾は『青と緑』で、副題にもあるとおり、ヴァージニア・ウルフの短篇集で、今回の第二弾はキャサリン・マンスフィールドの短篇集です。
亜紀書房のこのシリーズは、女流短篇集で行くのですかね? 第三弾も楽しみです。
ところで、キャサリン・マンスフィールドと言いますと、あたしの勤務先からも『不機嫌な女たち』という一冊を出しております。非常に面白い短篇が集められていました。
そして新潮文庫にもそのものズバリ、『マンスフィールド短編集』という一冊があります。あたしも自宅の書架に備えておりました。
ちなみに、マンスフィールドは来年、2023年の1月9日が没後100年にあたります。それまでに各社から何冊か作品集が刊行されるのでしょうか?
これぞ八重の桜?
長篇の『ケンジントン公園』もようやく半分ほど読み終わりました。まだ先が長いです。《エクス・リブリス》シリーズは既に次の『人類対自然』も刊行されているので早いこと読み終えないと!
そんな風に読みたい本がどんどん溜まっていく今日この頃ですが、書店でこんな本が目に留まり、ついつい買ってしまいました。『読書セラピスト』と『編集者とタブレット』です。タイトルからも想像がつくとおり、どちらも本をテーマにした作品ですよね。やはり本好きとしては気になってしまいます。
ところで、少し前に近所の桜のトンネルを写真と共にご紹介しましたが、そちらは既に葉桜になっています。地面には桜の花びらも減り、おしべとめしべがゴミのように堆積しています。
しかし、そんな桜のトンネルの入り口付近に一本だけ時季を外して咲く桜があります。それが左の写真です。いまが盛りと咲き誇っています。
写真でわかっていただけるかなんとも言えませんが、実はこの桜は八重桜です。八重桜という明正が正しいものなのか俗称なのか、正確なところはわかりません。ただ、素人が見えてもソメイヨシノとは違うことははっきりしています。一つ一つの花がこんもりとしていて、色もソメイヨシノが白に近いのに対し、こちらはまさにピンク色です。
それなりに交通量のある交差点に面しているので、なかなかシャッターチャンスがなかったのですが、なんとか二枚撮ってみました。ほとんど同じ構図なのはお許しください。同じ場所から撮ったものですから。
もう少し撮影場所を変えてもよかったのですが、時間的に逆光になってしまい、桜全体も暗い感じの写真になってしまいそうだったので諦めました。
先に満開と書きましたが、根本付近には既に花びらが散っているのが見て取れます。この桜の見頃もあと数日と言ったところでしょうか。しかし、少しタイミングをずらして二種類の桜を、自宅の近所で楽しめるなんて、なかなか贅沢なことではないでしょうか。
雪隠る處
神保町にある、貸し会議室で開かれるのですが、そこのトイレに写真のようなメッセージが書かれています。
誰が創作したのでしょう? なかなか味わい深い一句です。
しかし、トイレのことを雪隠と呼ぶことを、令和の時代にどれだけの人が知っているのでしょう? そもそも「雪隠」を「せっちん」と読めるのでしょうか?
例会時にトイレに入ってこのメッセージを見るたびに、毎回そんなことを考えてしまいます。もともとは仏教から来た言葉ですよね。
トイレのことを単刀直入に口にするのを憚るのは、世界各国にある習慣なのでしょうか? 学生時代に中国語を学んでいたときに、中国語でもトイレのことを「一号」と呼ぶと聞いたことがあります。日本語でも「トイレに行く」ことを「ちょっとはばかり」と言うことありますよね。
今日の配本(22/04/15)
![オーケストラの音楽史[新装版] 大作曲家が追い求めた理想の音楽](//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=4560094322&Format=_SL160_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=rockfieldroom-22&language=ja_JP)
オーケストラの音楽史[新装版]
大作曲家が追い求めた理想の音楽
パウル・ベッカー 著/松村哲哉 訳
大作曲家たちはオーケストラで何を表現しようとしたのか。表現や楽器編成の変化に込められた意図や、時代と社会をいかに反映したかを語る。

