2012年5月13日

ACL

このところ、書店営業で複数の書店員さんとの会話で出た話題です。

どうしたら、中国文学が売れるのか?

難しい問題です。簡単には答えられません。例えば、日本人は中国に興味がない、ということはないはずです。確かにこの数年来、嫌中感情はかなり高まっていますが、それでも中国へ旅行する人はかなりの数ですし、新聞・テレビで中国について取り上げない日はないくらい情報は氾濫しています。

もちろん、一歩下がって冷静に見てみれば、中国に関する報道は政治や経済など、出版界に引きつけて言うならば、ノンフィクション、ドキュメンタリー、政治経済といったジャンルが多く、いわゆる文芸に繋がりそうなものは思いのほか少ないのも事実です。

また、新聞・テレビではなく、書籍そのものを見ますと、中国文学というと、三国志を筆頭に古典が主力と言ってよい状況で、魯迅以降の現代文学もそれなりに翻訳は出ているのですが、ヒットしたと言える作品はほとんどないのではないでしょうか?

端的に言って、現代の中国文学は面白くないのでしょうか? 文学の面白さは人それぞれの感じ方でしょうから一概には言えませんが、それでも最大公約数的なところで考えてみると面白くないのかも知れません。そういう言い方が誤解を招くのであれば、中国文学の面白さが読者に伝わっていない、と言った方がよいのかも知れません。

読者に本の面白さを伝えるにはどうしたらよいのか。手段はいくつかあると思いますが、差し詰め現在なら、もっともポピュラーな方法は書店が発信することではないでしょうか。そうです。本屋大賞と同じ理屈です。自分が売りたいと思うものを全力を挙げてプッシュする、それに尽きます。そして全力でプッシュするためには、まずは自分が読んでみて面白いと感じないと始まりません。やはり、本は読むものなんですね。

とは言っても、その一方で、個人的に思うのは、英米文学をはじめとした欧米文学におけるような翻訳家が育っているのか、という疑問もあります。どんなによい原作でも、それを日本人に読ませる文章に置き換えられる人がいなければ、原作のよさは伝わらないでしょうし、そもそも書店員だって読んだ面白いと感じられないのではないでしょうか。

また、これは最近は減ってきたとはいえ専門家の方に多いのですが、中国と言うとどうしても悲惨で貧しい苦難の近現代史を描いたような作品を翻訳しがちだということです。普通に海外文学を読みたい人は、もちろんそこからその国の有り様、人々の生き様を知りたいという気持ちもあるでしょうけど、一般的に言えば読んで楽しみたい、楽しい気持ちになりたいと思っている人が多いはずです。そんな読者に、読んでも暗くなるような作品が受け入れられるはずはないと思います。

さらに思うのは、やはり中国に限らず、欧米以外の国って、事実は小説よりも奇なりと言いますか、フィクションである小説よりもノンフィクションである事実の方が遙かにワクワク、ドキドキ、スリリングでエンターテイメントとして楽しめるというのも一因ではないでしょうか。もちろん内戦とか飢餓とか差別とか、そこに暮らし人々にとっては「楽しめる」なんて不謹慎な表現ですが。

と、縷々否定的なことばかり書いてしまいましたが、中国だけにとらわれず、広くアジアに目を向け、アジア文学を売ろう、という視点に立ってみるのも一案ではないでしょうか。サッカーでアジア・チャンピオンズ・リーグなるものがあるように、海外文学のコーナーでACLをやってみるというのはどうでしょうか?

数年前、紀伊國屋書店が海外文学W杯なる企画を催しましたが、あれを一書店でやるのはかなりの負担でしょうから、まずはアジアに特化して、各国(すべての国の作品が翻訳されているわけではないでしょうけど)の文学作品からこれはというものを一点から数点選び、ポップを書いて並べてみるというのも方法だと思います。

「これはという」というのも漠然としていますが、例えば原作者が40歳以下であるとか、女流作家で集めてみるとか、なにかしら切り口はあると思います。どれだけエントリー作品を集められるかわかりませんが、家族愛や友情をテーマにした作品、先進国との軋轢をテーマにした作品といった内容で集めることもできると思いますし、内容は置いておいて装丁で選ぶというのもありだと思います。

それと、もしフェアという形でやるのであれば、文学作品ということで枠をあまり狭くするのではなく、その国について書かれた作品でもOK、日本人のエッセイや紀行も一緒に並べるような間口の広さがあってもよいと思います。特に旧宗主国には、旧植民地を舞台にした作品もそれなりにあるのではないでしょうか?

そんな風に、緩やかにテーマと選書を行なえば、フェアもできるのではないでしょうか?

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