テニスと差別

文春オンラインにこんな記事がありました。

大坂なおみ、日本で批判されてもアメリカでの評価が高まる理由

スポーツの世界に政治的な主張を持ち込むことの是非についての日米比較といった感じの記事です。日本でもようやく最近になって変わってきたと感じますが、スポーツ選手や芸能人が政治的発言をするのをタブー視するような風潮がまだまだ残っています。

「よく知りもしないくせに門外漢が口を出すな」という訳のわからない講義もあれば、やはりスポンサーの意向というのも大きく左右しているようです。でも、スポンサーと言うことであればアメリカのスポーツ選手や著名人だって同じこと。その政治的発言のせいで企業がスポンサーを降りるとなったら、むしろスポンサーが槍玉に挙がりそうですね。

それはさておき、この記事の中に「女子テニス界は昔から白人中心社会で、黒人選手は活躍しても人気が上がらなかった」という箇所があります。確かに、テニスと聞くと金持ちがやるスポーツというイメージが日本でも流布していると思いますが、それもあながち的外れでもなかったわけですね。

そんなテニスの世界における差別に関心をお持ちの方にお薦めしたいのが『ラブ・ゲーム テニスの歴史』です。人種差別だけを扱った本ではなく、テニスの歴史そのものを描いたノンフィクションですが、その中で差別問題も重要な部分を占めています。内容紹介次のようなもの:

第1部では、発祥から19世紀を経て20世紀前半までのテニス史を、当時の時代背景や先駆的な選手たちと絡めて概観する。第2部では第二次世界大戦後のテニスを扱い、オープン化に至るまでの流れ、性差別や人種問題などが論じられ、とりわけ選手の同性愛についての議論は興味深い。第3部では70年代以降、企業と結びつき、テレビ中継によって娯楽として根付いてから、80年代にテニスブームが去った後、現在までの流れを追う。

いまでこそ女子テニス界で大坂なおみを始めとする黒人も大活躍していますが、その歴史は意外と浅いということがわかると思います。そう言えば、メジャーリーグでも、初の黒人選手を称えて全員が同じ背番号でプレーする日がありましたね。アメリカのスポーツの歴史で差別は避けて通れない問題なのでしょう。

今日の配本(20/09/07)

キリスト教会史100の日付
文庫クセジュ

ベネディクト・セール 著/武藤剛史 訳

本書は、イエスの磔刑からローマ教皇フランシスコの選出まで、およそ二千年にわたるキリスト教会の歴史をたどりながら、「教会とは何か」という問いに、多面的なアプローチを試みる。100の出来事は誰もが知っているものもあれば、そうでないものもある。出来事の主役だけでなく脇役に焦点をあてることもある。また、教皇に宣教師の派遣を要請したクビライ・ハーン、安土桃山時代のキリシタン大名・大村純忠といった、ヨーロッパから遠く離れたアジアでの出来事や、アメリカ、アフリカ、オセアニアなども取り上げている。ローマ・カトリック教会のみならず、プロテスタント教会、正教会、世界中の文化圏の教会を結びつけ、教会をひとつの定義のなかに押しこめることなく広く捉えることで、さまざまな相貌を描き出す。